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狭山事件の2審東京高裁の寺尾裁判長は「推理」という言葉が嫌いで、その代わりに、「推測」や「推認」などの言葉が好きなようである。
この寺尾判決では、「推測」は20回、「推認」は37回、「推定」は13回出てくるが(注:弁護人らの証言の引用などを含む)、「推理」は0である。
これ以外にも、「考えられる」42回、「思われる」35回などの中にも、数多くの推測がみられる。
私は刑事裁判というのは、「事実の認定は証拠による」(刑事訴訟法)とされ、事実を争うものと考えていたが、実際には、事実を調べる代わりに、どんどん裁判官の推測で判決を下してもよいようである。少し関係者に聞けば分かることや、現場に行って見たり、関係証拠を検察官に開示させたり再現実験をやればわかることであっても、平気で「推測」「推認」「考えられる」「思われる」などの推測ですませてしまう。
狭山事件の場合でいえば、弁護側の証人調べや現場検証、証拠開示請求などを無視して、その代わりに、推測で2審判決を下している。この寺尾判決を読んだ私の率直な感想は、「事実の認定は推測による」というものであった。この国の裁判官達は、平気で刑事訴訟法を無視している。
しかし、なぜ裁判官は「推理」という言葉を使わないのであろうか?
「推理」という言葉には、「理論」「論理」「合理的」「理知的」「真理」「道理」「理解」「理詰め」「数理」「物理」「理科」などに使われる「理」が使われていることから明らかなように、「理(ことわり)」を「推しはかる」という意味である。
一方、「推測」というと、これは単に「推し測る」であり、「推認」は「推しはかって認める」、「推定」は「推しはかって定める」である。
どうやら、裁判官は「合理的・論理的・理知的・数理的におしはかる」ことが苦手なために、「理抜きの推測」を好むようである。
刑事裁判では「合理的な疑いをはさまない程度の証明」が求められるのであるが、裁判官達はこの「合理的」という判断基準を持っていないため、「理」の付く「推理」という言葉を避けて、「推測」「推認」「推定」などの単語を使うのであろう。
推理小説大好きの私としては、「合理的・論理的」な「推理」によって、寺尾裁判長の単なる「推測・推認・推定・考えられる・思われる」の点検を行っていきたい。
なお、この連載は、これから裁判員になる可能性のある皆さんへの問題提起としたい。 (130305 甲斐仁志)
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