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1 成りゆきの殺害か、計画的殺害か?
誕生祝いの最終食事の2時間後に善枝さんは殺害されている。
果たして、真犯人は最初から善枝さんを殺すつもりであったのか、それとも、合意のセックスの後に争いになり、善枝さんを殺してしまったのであろうか?
他にも、可能性としては、性交後、善枝さんが帰る途中で誰かに殺された、あるいは帰宅して家人と争いになって殺された、という可能性もないとはいえないが、これは最後に検討することにしたい。まずは、善枝さんが犯人と誕生祝いの食事をし、性交した後に殺害されたケースを検討しよう。
真犯人が始めから高校生の善枝さんを殺そうと計画し、誕生祝いの食事で誘い出し、性交した上で殺害した、などというのはあまりにも非情な犯罪であり、級友に隠しきれずに誕生祝いの食事を話していた善枝さんが哀れで想像したくもないのであるが、冷静に事実を検討していこう。
前著『狭山事件を推理する』では、私は善枝さんと親しい人物が最初から殺害を計画して実行し、「営利誘拐・強姦殺害事件」に偽装したものと推理したが、殿岡駿星氏は、実兄が近親相姦を親や世間に告げると善枝さんから言われて善枝さんを殺害し、それから「営利誘拐・強姦殺害事件」を偽装したと推理している。あるいは実兄以外の別の人物かもわからないが、気の強い善枝さんとの言い争いのはずみで殺害に及んでしまった可能性がないとはいえない。
成り行きの殺害か、計画的殺人か、どちらの可能性が高いであろうか。
2 犯行時間からの検討
善枝さんは15時23分頃に下校し15時40分頃に第1ガード下で大島いくさんに目撃され、被害者の胃内には「食後約2時間」とされる食物があり、さらに19時40分頃に善枝さんの自宅に脅迫状が届けられている。この時間関係は動かせない。
(1) 犯人の犯罪計画作成―脅迫状作成の持ち時間は60〜90分弱
仮に、善枝さんが10〜20分かけて15時50分〜16時頃に犯人の家(又は仕事場)に行き、30分かけて食事をつくって16時20〜30分頃に食べ、セックスした後にしばらく時間を過ごし食後約2時間後に殺されたとすると、殺害時刻は18時20〜30分頃になる。脅迫状を自転車で届けるのに20〜10分かかったとすると(第1ガード〜犯人の家〜上田家の所要時間を30分で計算)、19時40分前に脅迫状を届けるまでの犯人の持ち時間は最長で60分弱である。
犯行の時間関係

さらに消化時間の誤差を30分みたとしても90分弱が上限であろう。
60〜90分弱の間に犯行計画を練り、脅迫状を書くことが可能であろうか?
(2) 死体をどこに隠すか
もし、犯人が言い争いになって成り行きで善枝さんを殺してしまったとしたら、しばらくは気が動転して呆然とするであろうが、やがて気を取り直し、目の前にある死体をどうするか、どうやって逮捕を免れるか、まずは考えるに違いない。
誤って成り行きで親しい人物を殺害してしまった場合には、他の犯罪例をみても、まずは現場から逃げ出すか、それができないなら、死体を永久に発見されないように隠すことを考えるであろう。時間的な余裕があり、移動手段があればすぐに行動に移すであろうし、それが無理なら、一時的にどこかに隠し、後日、死体を移動して隠すであろう。そうすれば、単なる失踪事件になり、犯行動機や犯行現場、犯人像などは不明なままに、事件は迷宮入りになる可能性がある。
犯人は2日の午前2時半〜3時頃に、道路から離れた畑の中の農道を1mもの深さに大きな穴を掘り、硬直した死体を水平に横たえて埋めているのであるから、殺害後に冷静に時間をかけて死体遺棄を行うことができる人物である。(「狭山事件を推理する」第11章 犯行時間、参照)
山狩りが行われる可能性がない通学路から遠く離れた場所で、人通りがない雑木林などを選べば、死体は永久に見つからず、完全犯罪は可能である。
ところが犯人はそうしなかった。なぜであろうか?
(3) 強姦殺害事件に見せかけるか?
問題は、善枝さんが失踪したとなれば、彼女の身辺が徹底的に捜査されることである。
そうなると、疑われる危険性のある親しい犯人としては、単に失踪事件とすることはできない。善枝さんは見ず知らずの犯人に襲われ、殺された、と見せかけなければならない。
普通なら、強姦・殺害事件に見せかけよう、とまずは考えるに違いない。当時の新聞記事によれば、この地域では人気のない雑木林や畑の中の道で若い女性が襲われる強姦事件が頻発している。
しかしながら、善枝さんが自宅に帰らないとなれば、家族は早ければ19時頃、遅くても20時頃には心当たりを捜しはじめ、警察にも届け出るに違いない。警察だけでなく、親戚や親しい人たちにより捜索が行われる可能性が高い。防犯協会や消防団なども動くかも知れない。
そうなると、中学校教師は善枝さんの交友関係を最初に聞かれるであろうし、親戚や近隣の親しい人、兄の友人などは、捜索に協力を求められる可能性が高い。
この場合には、善枝さんの身近にいる犯人は死体を隠す時間はなくなる可能性がでてくる。単なる強姦殺害事件に見せかけることはできないと悟るに違いにない。
(4) 営利誘拐偽装に見せかけよう
次に、犯人の頭に浮かんだのは、1か月前におこった吉展ちゃん事件であろう。事件を「営利誘拐事件」に見せかければ、警察は身代金の受け渡しまでは秘密裏に動くであろうから、事件が公になることはない。「気んじょの人にもはなすな」と脅迫状に書いておけば、被害者家族も周りに声をかけて動くことはできなくなる。
善枝さんの身辺捜査が行われれば、いずれ逮捕される危険性の高い犯人としては、事件を金目当ての営利誘拐事件に偽装することを思い付いた可能性は十分にある。
ところが、半年前に北海道で隣家の娘さんを寮から呼び出し、強姦・殺害し、脅迫状を隣家に投げ込んで営利誘拐事件に偽装した洋裁生殺し事件がおこっている。新聞・テレビ・ラジオで大きく報道され、関西の地方都市にいた高校3年生であった私(もっとも推理小説をかなり読んでいた変わり者であったが)が覚えているくらいであるから、犯人は吉展ちゃん事件と同時に、この洋裁生殺し事件を思い出したに違いない。
洋裁生が「デートにいく」と同じ下宿人に告げていることからみて、同じように善枝さんも級友に何か話していないとも限らない。洋裁生殺し事件と同じ営利誘拐偽装事件と警察に見抜かれてはアウトである。
金持ちでもない農家の娘さんを誘拐し、洋裁生殺し事件のように「60万円」もの大金を要求し、金を取りに現れなかったなら、偽装工作はすぐにバレてしまう。
そこで犯人が思いついたのは、初めから善枝さんを狙って誘拐したのではなく、「少時様」方の子どもを狙っていたように脅迫状を書き、それを変更したことにすることである。吉展ちゃん事件を真似た金欲しさの犯行に見せかけよう、犯人はこう考えたに違いない。
洋裁生殺し事件では「60万円」、吉展ちゃん事件では「50万円」を要求しているが、「20万円」に切り下げよう、そうすれば上田にふさわしいし、また、犯人は「20万円を大金と考える生活程度の者」と警察に思わせることもできる。
犯人は、営利誘拐偽装・強姦殺害事件の洋裁生殺し事件を参考にしながら、その対象を吉展ちゃん事件型の営利誘拐事件に偽装するという、営利誘拐偽装と強姦殺害偽装のダブル・トラップ(2重の罠)を仕掛けたのである。
警察はこのダブル・トラップにまんまと引っかかり、亀井トム氏は吉展ちゃん事件型の営利誘拐偽装工作は見抜いたものの、洋裁生殺し事件型の強姦・殺害事件の偽装工作の罠には見事にはまり、山田養豚場の兄弟実行犯説を唱え、部落解放同盟をはじめとする支援者もこれに追随することとなったのである。
(5) 脅迫状を書くか、脅迫電話をかけるか、
隣家の男性が犯人であった洋裁生殺し事件では、犯人は脅迫状を投げ込み、自殺後に筆跡鑑定で犯人と断定されている。
狭山事件の当時、吉展ちゃん事件の犯人の9回の脅迫電話は録音・公開されてテレビ・ラジオで流されている。3月に封切りされて大きな話題になった黒沢明監督の映画「天国と地獄」でも、犯人は電話で脅迫を行い、警察は録音機を使ってその声を録音している。
脅迫状を書くか電話で脅迫するか、どちらもリスクが極めて大きく、当然ながら、犯人は迷ったに違いない。
特に、前者の場合には、脅迫状を投げ込む際に目撃されるリスクと、筆跡鑑定で犯人とばれてしまう、という2重のリスクがある。
後者もリスクがあるが、犯人は佐野屋で「ニセ金包み」を持った登美恵さんに「サツに言ったんべい。そこに2人いるじゃねえか」「本当に金を持ってきたのか」などと10分近くやりとりしている。声を聞かれることを気にしていないのであるから、電話で脅迫することをためらうことはないはずである。
60〜90分の限られた時間内に犯行計画を立てたのなら、脅迫状を書くような時間のかかる方法ではなく、電話で脅迫したであろう。
当時、上田家には一般電話はなかったが農協電話があり、堀兼地区内からなら直接かけることができ、地区外からでも、農協の交換手を通して繋いでもらうことは可能であった。なぜ、犯人は脅迫状を書くことを選んだのであろうか?
その理由ははっきりしている。電話をかけたのでは、初めから善枝さんを狙っていたことになってしまうからである。吉展ちゃん事件を真似た金欲しさの犯行が強姦・殺害事件に発展してしまった、というダブル・トラップを仕掛けるには、脅迫状を書き、訂正することがどうしても必要であったのである。
(6) 金を取りにいき、どう逃げるか
洋裁生殺し事件では、犯人が金を置くように指定した場所に2日にわたって警察官が張り込んだが、犯人は金を取りに現れなかった。吉展ちゃん事件では、警察は張り込み計画を立てていたが、警察は指定した車を間違え、金を持った母親が先に現場に金を置いたため、わずか2分の隙に犯人に金を奪われている。
いずれにしても、警察が張り込む確率は100%とみなければならないし、吉展ちゃん事件の教訓は生かされるに違いない。吉展ちゃん事件では6人の刑事が張り込んだが、この失敗に懲りている警察は、もっと多くの警官を張り込ませることは確実である。
しかも、もし金を取りに現場に行かなければ、洋裁生殺し事件のように、営利誘拐は偽装と見破られてしまう。現場に行き、本気で金を奪うつもりであったと思わせながら、安全に逃げる方法を考えなければならない。
まず、どこを指定場所に選ぶか、日時をいつにするか、どうやって張り込みをかわすか、どうやって強姦・殺害をしそうな人物に捜査の方向を逸らすか、知恵を絞らなければならない。しかも、幼児を誘拐するための脅迫状を書き直したことにしなければならないから、どこの幼児を誘拐するか、その犯行計画もシミュレーションしておかなければ脅迫状は書けない。
狭山事件では埼玉県警の中刑事部長自らが指揮をとり、吉展ちゃん事件の6倍以上、40名もの警官を張り込ませたが、犯人が脅迫状に4度も「車出いく」と書いた偽装工作に見事に騙され、車犯を想定して幹線道路沿いに点々と遠巻きに警察官を配置し、肝心の佐野屋脇には2人2組の4人しか張り込んでいなかった。それも2人は生け垣の中で直ぐには飛び出せない場所に張り込んでいたのであるから、事実上、2人しか張り込んでいないことになり、吉展ちゃん事件の6人の1/3の手薄な張り込みであった。
埼玉県警を手玉にとったこんな手際のよい見事な犯行計画を、60〜90分内の短時間にたて、脅迫状を書くことができるであろうか?
(7) 仮装犯人を誰にし、どう捜査を集中させるか?
犯人は、強姦殺害・営利誘拐偽装事件の洋裁生殺し事件と、幼児営利誘拐事件の吉展ちゃん事件の2つの事件を参考にダブル・トラップを仕掛けたのであるが、その罠が成功するかどうかは、そんな犯罪をやりそうな人物を「仮装犯人」(冤罪候補者)として想定しなければならない。
警察の捜査を逃れるためには、「仮想犯人」に警察の捜査の方向を逸らせ、集中させる必要がある。頭に浮かんだのは、堀兼地区に移住し、養豚業を営んでいた「よそ者」の山田一家であった。被差別部落出身であり、悪臭公害で人々の反感をかっていたし、「不良」のたまり場と見られていたから、「仮装犯人候補」としてはうってつけである。
こうして「仮想犯人」を誰にするかはすぐに決まったとしても、彼らに警察の捜査を集中させるための工夫をこらし、彼らを犯人とした「仮装犯行計画」を立て、さらに、身代金を取りに行って安全に逃げられるように計画を立てなければならない。
善枝さんの通学コースは山田養豚場と彼の出身地である被差別部落を通っていたから、犯行現場はその途中の雑木林にしょう、幼児誘拐の対象者と金の受け渡し場所はそのコース上の「江畑昭司方(少時様)」と「佐野屋」にしょう、犯行は「複数犯」とし、金の受け渡しや死体の運搬は「車」を使ったことにしよう、脅迫状は「文字を書き慣れていない人物が書いた」ように見せかけよう、など決めておかなければならない。
要するに、営利誘拐事件を偽装するには、2重の犯行計画全体のシミュレーションを行い、犯行計画メモを作成して計画を立てておかないと、成功しないのである。
この犯行計画メモをもとに脅迫状の文案を考え、それも1回ではできないから、何回か書き直して脅迫状を仕上げ、さらに、稚拙に見せるかける工夫(万葉仮名的漢字用法、方言用法、カタカナ混じり文、方言用法など)をほどこし、最後に清書しなければならない。
以上、犯行計画を作成し、それをもとに脅迫状を作成するという作業を、60〜90分の短時間でできるとは、私にはとうてい考えられない。
私は都府県や市町村、企業の各種の「計画づくり」の仕事を長年行ってきたが、計画を立てること自体にまず時間がかかる。客観的に状況を把握することがまず必要であり、いろいろな可能性を検討し、いくつもの選択肢について決断を行い、計画の骨格を作成し、それをレジュメ(要点メモ)にし、細部の整合性を図り、修正に修正を加えて練り上げ、さらに計画書に書き上げるにはかなりの時間を要する。特に、優れたアイデアというものは、1回で頭に浮かぶというようなものではない。時間を掛けて、いきつもどりつしないと、計画などできるものではないのである。
もし、諍いから成り行きで善枝さんを殺してしまったとなると、犯人の精神的な動揺は大きく、後悔の念も沸き、もしも逮捕されたらどうなるか、などの不安は大きいはずである。このような思いがけないピンチに遭遇し、冷静に判断して即座に行動できる人物となると、私の人生経験では、1クラス45人に1人か2人いるかいないかである。何度もピンチを切り抜けた経験がないと、人は即座に態勢を立て直して、新たな方針を出すことなどは無理である。
計画力や胆力は豊富な人生経験がないと身に付くものではない。
偶発的な殺人事件(動機は近親相姦、三角関係のもつれなど)の後に、これを営利誘拐事件と強姦殺害事件に2重に偽装した犯行計画を立て、しかも偽装した脅迫状を書き、完璧に警察を手玉にとって成功するということは、私の全人生経験に照らしてみて、60〜90分では100%不可能である。
3 4つ折りにした角がすり切れた封筒からの検討
犯人が、話し合いの結果いかんでは善枝さんを殺害する以外にないと考え、綿密に犯行計画をたてていたことは、脅迫状という物証がはっきりと示している。
当時の新聞に捜査本部発表として「封筒のかどがすり減って、なん日もポケットにいれていたらしいところから、計画的に誘かいを行ったともみられる」(5月4日付サンケイ新聞夕刊など)と書かれているように、脅迫状を入れてあった封筒は、4つ折りにされて折りたたんだ角や封を開けて破ったところはかなりすり切れていた。
脅迫状の封筒

上田賢一さんの1審第2回公判での証言によれば、5月1日に善枝さんを迎えに行った午後6時40分頃から7時半頃は「帰る時にはウィンドワイパーを動かさなくてもライトをつけさえすれば前方が見られる程度、雨が強く降っていました」という。
この雨の中を自転車で脅迫状を届ける時に、濡れたズボンのポケットで擦れた可能性が考えられるが、「少時様」を見え消しにした「時」と「様」のインクの2重抹消線の文字は濡れて滲んだり、消えていないことからみて、インクで宛名が訂正された後には封筒は濡れていないことが明らかである。
封筒はインクで訂正される前に、両端が濡れた状態で擦られていた可能性が高い。
もし、5月1日の善枝さん殺害が偶発的なものであったとするなら、わずか60〜90分の間に、このような角がすり切れたような封筒を用意することは不可能である。
実際にポケットに入れて試してみたが、単に、後ろポケットに数日間入れておいただけではこれほどにすり切れることはなく、両端が水に濡れた状態で擦られたことが明らかである(「推理・狭山事件」でいずれ詳しく書きたい)。
捜査本部が「なん日もポケットにいれていたらしい」と予想したように、この四つ折りの角の擦り切れた封筒は、真犯人が善枝さん殺害を決意し、犯行計画を綿密に検討し、脅迫状を書いて封筒に入れ、濡れて折り畳んだ角がすり切れた状態にした上で、5月1日に善枝さんを誕生祝いの食事に呼び出し、強姦殺害事件に偽装するために性交した後に殺害し、訂正したことが明らかである。
物証からみても「偶発的殺人説」は否定される。
4 脅迫状訂正のインクからの検討
脅迫状の封筒は「少時様」を宛名とし、舐めて貼るのではなく別の糊で糊付けされ、脅迫状本文と同じくボールペンで、「〆」の封印がされている。
この封印は、少時様の子どもを対象として、犯人は誘拐を実行するはっきりとした意志があったことを示しているかのようである。
その後、封筒の「少時様」は「上田江さく」に、脅迫状の「4月29日」の「4」は「五」に、「29」は「2」に変更されている。封筒の「少時様」は、これ見よがしに斜め2重線で見え消しで訂正されており、犯人は「少時様」の子どもを狙っていたことを隠そうとしていない。
その筆記用具は、「ペン又は万年筆」(2審秋谷鑑定)とされ、石川さんの自白のボールペンではないことが明らかにされた。
実は、これだけでも、私は石川さんは無実であると推理する。というのは、もともと4月29日(自白では4月28日であった)を指定日とした脅迫状を持っている以上、5月1日に日付訂正用具を持たないで、子どもの誘拐を計画・実行することなどありえないからである。さらに、仮に、筆記用具を持ち歩いていたとするなら、脅迫状を書いたボールペンであろう(普段、字を書くことのない石川さんは万年筆を持っていなかった)。
これに対して、2審寺尾判決は、石川さんは嘘をついており、被害者の万年筆を奪い、脅迫状を訂正した、という推測で有罪判決をくだしている。
ところが、最高裁段階で開示された善枝さんの日記はずっとライトブルーインクで書かれており、当日のペン習字の授業で書いた清書もまた、ライトブルーインクであったことが明らかとなった。
これに対して、最高裁第2小法廷吉田豊裁判長は、被害者が帰る途中、郵便局で領収書を受け取った際に、備え付けのインク瓶からブルーブラックインクを補充した、という善枝さんをインク泥棒にする推測で弁護側の異議申し立てを棄却した。
郵便局員など関係者の証人調べや捜査資料などの証拠調べを行わないで、しかも、そのようなインク泥棒の事例や、愛用のインクを理由もなく変えてしまうとことがあるという経験則を示さない推測の判決であり、この国の裁判官の推理能力のレベルの低さにはあきれる他はない。
犯人はブルーブラックインクの万年筆又はペンを利用できる場所で善枝さんを殺害し、脅迫状を訂正したことは明らかであり、石川さんの屋外犯行仮説は否定される。また、殿岡駿星氏の被害者の長兄による西武園の狭山湖畔での自動車内での犯行仮説もまた、可能性が乏しいといわなければならない。
注:狭山弁護団の第3次再審での斉藤鑑定では、封筒の「少時」は、先が2つに割れたペン又は万年筆で書かれ、さらに指紋検出の際にニンヒドリンアセトン溶液につけた際に、「様」には滲みが見られるが、「少時」は消えていることから、「少時」はペン又は万年筆で書かれ、「様」はボールペンで書かれたとされている。鑑定書そのものを見ていないので、紹介しておくに止めたい。
5 最終食事・性交と殺害犯人が別の可能性
善枝さんが親しい男性と誕生祝いの食事を行い、性交後に自宅に帰る途中、運悪く子どもの営利誘拐を計画して脅迫状を持ち歩いていた犯人に捕まり、殺された、という仮説はどうであろうか。
すでに見たように、善枝さんが16時頃に犯人の家(仕事場)に行き、30分かけて食事をつくり、16時30分頃に食べ、約2時間に殺害されたとすると、殺害時刻は18時30分頃になる。
当日、雨は午後には降ったり止んだりで、16時20分から本降りになっており、29日の犯行予定日を延期した犯人が、こんな悪条件の下で、2時間以上も獲物の子どもを狙っていたなどということが、まずありえない。
しかし、犯人によほどせっぱ詰まった事情があり、しかも、仕事が終わった18時30分頃でないと犯行をできない事情があったのかもしれない(どちらもが石川さんには当てはまらないが)。犯人は強い雨の中を自転車で急ぐ善枝さんを呼び止めてどこかに連行し、名前と自宅を聞き出し、殺害したとしよう。
この場合にも、やはりペンによる脅迫状訂正がネックになる。そんなに急いで金が欲しい犯人なら、脅迫状訂正用具を持たないで犯行に及ぶことはありえない。それは、脅迫状を書いたボールペンであろう。
また、18時30分頃に帰宅した妹を、三角関係に気付いて激高した姉が殺してしまったという仮説はどうであろうか。この場合には時間と脅迫状封筒のすり減りがネックとなる。
19時50分に堀兼駐在所に脅迫状を届け出るまでには、1時間ほどしか時間がなく、いかに秀才であった兄の賢一さんであっても、営利誘拐・強姦殺害事件に見せかける犯行計画を立て、脅迫状を書き、訂正することは不可能であろう。ましてや、一刻を争う時にペン又は万年筆による脅迫状訂正を考えるなどはありえないし、角の擦れた封筒を用意することはできない。
誕生祝いを行い性交した人物と、殺害した犯人が別という仮説は、棄却する以外にない。
6 2重に許せない犯人
狭山事件の犯人は、始めから善枝さんを殺害する綿密な計画をたて、何も知らない善枝さんを「これからのヴァカンスのことを考える」「私の誕生日うれしい」「きょうは私の誕生日で、家で赤飯を炊いて待っている」「早く帰ってお誕生日のお料理をつくらなくちゃ」と期待させて騙して呼び出し、性交した上で殺害している。
しかも、その性交は後背位であり、愛情を抱いての対向位での性交というより、支配的な関係にある人物による、単に性的欲望を満足させるための性交の可能性が高い。
善枝さんとの性的関係が公になることを恐れての身勝手な犯行であり、娘を持つ一人の親として、許せるものではない。
さらに許し難いのは、2重の罠(ダブル・トラップ)を仕掛け、その罪を被差別部落出身者の山田養豚場の山田兄弟や従業員・元従業員になすりつけようとしたことである。私は、このような卑劣漢を心から憎む。
このような真犯人を免罪し、犯人取り逃がしの大失敗をカバーするために、「山田養豚場関係者」の中から消去法で残った石川さんを拉致・逮捕し、無実を百も承知で自白させ、犯人にでっち上げた警察・検察のリンチと、これを擁護し続けた裁判所の責任は重い。
なお、私の友人を始め、部落解放同盟や支援者達がこの事件を「狭山差別裁判」として長年にわたって熱心に石川さんの無実を晴らすために取り組んできていることには敬意を表したいが、亀井トム氏の「4人共犯仮説」(部落解放同盟は「3人共犯説」としているが、被害者体内のB型の精液と山田虎蔵さんは血液型がそもそも一致しない)を信じ、「狭山差別事件」というこの事件の本質を軽視しているのはいかがなものであろうか。
差別的な不当捜査やマスコミ報道、住民の噂にさらされてきた山田虎蔵さん、被害者の長兄の賢治さん、自殺した西富源治さんなど、関係者の名誉回復に取り組んでいただきたいものである。
2013年1月10日(130125修正) 甲斐仁志
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