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1.裁判と真犯人問題
私は中高生時代には、テレビ番組「弁護士ペリー・メイスン」をよく見ていた。法廷で弁護士が真犯人を明らかにするというドラマはたいへん面白く、私の弁護士像の原点となっている。
その後、映画「12人の怒れる男」を見たが、ここでも、陪審員の一人が珍しい形とされた飛び出しナイフと同じナイフを買ってきて机の上に突き立て、別の真犯人がいる可能性があると主張したのが印象的であった。無罪評決を勝ち取るためには、他に真犯人がいる可能性を提案することが決定的に重要であると感じた。
「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人のために」ということは、平たく言えば、「他に真犯人がいる可能性がある場合には、有罪にはできない」ということだな、と私は理解していた。
退職して「CSI(科学捜査班)」シリーズを見るようになったが、彼らの判断基準もやはり同じであった。他に犯人がいる可能性が否定できないレベルの証明では、逮捕はできないとしているのである。いろいろと検討して、他に犯人がいる可能性が残れば、逮捕できないとしているのである。
さらに、フジテレビの「推定有罪〜実録事件法廷攻防ドキュメント 裁くのはあなただ」(120925)を見ていると、やはり弁護士達は「別に真犯人がいる可能性」を積極的に証明しようとしている。
もちろん、アメリカでは取調には弁護士立ち会いが認められ、すぐに保釈される。わが国のように長期勾留はできないから、無実の人間が自白することはまれであるのに対し、わが国では警察・検察段階で3泊4日の勾留が実際には23日間に延長され、さらに小出しの別件逮捕によって、さらにその何倍も勾留され、無実の人間でも自白に追い込まれる可能性が高い。「証拠の王」にされている自白があることが多いから、わが国では自白を崩すという弁護活動が中心とならざるをえない。
しかしながら、国民が参加する裁判員裁判時代を迎え、弁護活動のスタイルとして、真犯人像(仮説)をたて、そちらの方が全証拠を合理的に説明できる、というやり方が増える可能性は十分にある。裁判員に「自白は疑わしい」「疑わしきは罰せず」などと説明するよりも、他に真犯人がいる可能性がある、と主張した方がわかりやすいに決まっている。
たまたま同じ9月25日、鳥取連続不審死事件の初公判において、弁護側が被告人と同居していた元自動車販売員の男性を「真犯人」と主張したという報道をラジオで聞いたが、わが国においても真犯人あるいは真犯人像(仮説)を提起する裁判闘争のスタイルがはじまったと感じた。
2.工学における仮説検証法
実は、私が仕事としてきた工学の現場では、A仮説、B仮説、C仮説・・・をたて、実験・調査・分析を行い、どの仮説が最も有効であるかという相対的な判断で問題を解決する「仮説検証法」がとられている。
私自身、4年生になって卒業研究に携わるようになった時、機械工学科の高校時代の同級生が語ったことを今もはっきりと覚えているが、彼は教授から「原理なんか解らないことがいっぱいある。実験で最適解を出せばそれでいいんだ」と言われてびっくりしたというのである。彼も私も「理論
→ 実験 → 最適解」とばかり考えていたのであるが、教授の方法は「仮説
→ 実験 → 最適解」であり、そんなものかとショックを受けた。
彼のチームのテーマは、エンジンのピストンの摩擦を最小限にする潤滑油とピストンとシリンダーの隙間の大きさの最適の関係を見つけ出すことであったが、「最適の潤滑油と摩擦面の隙間幅がどういう原理でもっとも摩擦を少なくするのか、という法則の解明なんて簡単にできるものではないし、できないかもしれない」と教授に言われた、というのである。
実際、基本的な原理が解明されないまま、このような仮説検証法の積み重ねで車は動いているのである。しかしながら、この方法は、もし仮説が間違って(誤魔化されて)いれば、福島第1原発事故の地震と津波のように、簡単に原発は破壊される危険性をはらんでいる。さらに、全く新しい特殊相対性理論から、それまで誰も考えもつかなかった原爆の開発が進められたように、「理論→実験→問題解決」の画期的な発明や商品開発も数多い。しかしながら、多くはこの「仮説検証法」で進められている。
このような工学的方法は、他の分野においても、当たり前のように利用されるべきと考える。
3.白か黒か、灰色か
私は、裁判の場合も、基本的にはこの仮説検証法による相対的な真相解明しか難しいと考える。
指紋やDNA、被疑者の所持品などが現場に残されていたとしても、捜査を攪乱するために、わざと犯人が現場にそれらの証拠を残す可能性は十分にある。
また、先進国に例のないわが国の逮捕・勾留期間の封建時代的な長さや長時間の取り調べ、弁護士立ち会いなどが認められていないという現状では、無実の人間が自白するケースは跡を絶たない。被告人が法廷で自白を維持した富山連続婦女暴行冤罪事件(氷見事件)でも、真犯人が自白して再審無罪になっている。
このように、0か100か、白か黒かの2分法で刑事事件の真相解明ができることなど難しい場合があると考えるべきである。
1〜99%の灰色のレベルでの証明しかできない場合が多いとしたら、これに対抗する弁護活動としては、検察側が起訴したA仮説に対し、別の真犯人あるいは真犯人像B、C・・・を提案し、どちらが全証拠を合理的に説明できるか、という相対的な判断を行い、真犯人像B、C・・・が成立する可能性があれば被告人は無罪、と主張すべきなのである。
工学的な仮説検証法では相対的に有利な仮説を採用すればいいのであるが、裁判における仮説検証法においては、より厳密な判断基準が求められており、検察側の仮説Aが全証拠をより合理的に説明できるというだけでなく、同時に、他の仮説B、仮説Cが成立する余地がない場合のみ有罪、という判断が求められる。
他に真犯人がいる可能性が少しでも残れば(評決が全員一致の陪審裁判では、12人のうちの1人でも無罪を主張して全員一致にならなければ、裁判は別の陪審員によってやり直しになる)、被告人を有罪にすることはできない、という原則に基づいて、弁護側はどんどん真犯人仮説を主張すべきである。
4.「永遠の真理説」にたつ裁判官
狭山事件の2審・寺尾判決は、「人間は意識的・無意識的に自己の行動を潤色し正当化しようとするものである」とし、これを「永遠の真理」として石川さんに当てはめることにより、自白と客観的証拠の矛盾は、全て石川さんが嘘の自白をしたことにし、有罪判決を下した。
しかし、この寺尾裁判長の方法論は実に奇妙キテレツである。
問題は4つある。
第1は、この「人間嘘つき論」が絶対的真理なのかどうかである。多くの実際の事件では、被告人は真実の自白をし、法廷でも真実を述べているのではなかろうか?
第2は、この「人間嘘つき論」は、全ての人間でなく「被疑者・被告人」だけに当てはまるという証明がなされていないことである。多くの冤罪事件では、捜査官・検察官が法廷で嘘をついたり、証拠をねつ造していることが証明されているから、裁判官は捜査官の供述もまた、疑ってかからなければならないのである。
第3は、この「人間嘘つき論」を永遠の真理とするなら、そもそも犯行時からこの「真理」を犯人に当てはめなければならないはずである。「犯人は逮捕を逃れるために、自らの犯行を誤魔化そうするものである」という永遠の真理をこの狭山事件にあてはめ、「犯人嘘つき論」に従って判決を書かなければならなかったはずである。
狭山事件では「車出いく」という脅迫状のトリックにまんまと埼玉県警が引っかかり、犯人を取り逃がしたのであるから、この「犯人嘘つき論」という「永遠の真理」に従い、脅迫状の誤字・当て字や万葉仮名的漢字の用法や、スコップや足跡、死体など他の物証全てに犯人の偽装工作が行われている、として検討しなければ首尾一貫しない。
第4は、この「永遠の真理」は、石川さんの行動の全体に当てはめなければ、方法論として間違っているという点である。例えば、1審で自白維持を続けたにも関わらず真犯人が現れて無罪となった富山連続婦女暴行事件の例でいえば、公判廷での自白維持が「嘘つき」ということになる。石川さんを嘘つきというなら、石川さんの1審段階の自白維持(取引による自白)もまた「嘘」の可能性が高いとみなければ、論理的統一を欠いている。
第5は、寺尾裁判長が石川さんを嘘つきと決めつけている点は、「彼が犯人であるとするなら嘘つきということになる」というレベルの証明にすぎないことである。例えば、寺尾判決は、2審で脅迫状の訂正部分が自白のボールペンではなく万年筆であることが明らかになったことを、石川さんが「嘘つき」の根拠の1つとしているが、これは循環論法である。判決文にはっきりと書かれているように「被告人が犯人だとすると」嘘になると決めつけているだけなのである。1審の間、自白を維持していたことからみても、石川さんがこんな些細な点で嘘をつく必要性はなく、自白全体が想像の産物である可能性をむしろ示しているのである。
以上で明らかなことは、寺尾裁判長は真実を解明する科学的な方法論や論理的思考を持ち合わせていない、という事実である。この寺尾判決を支持した最高裁の5人の裁判官、その後、2次の再審を棄却した合計22人の裁判官もまた同じという以外にない。
裁判員裁判(私は陪審員裁判の出来損ないと考えている)はこのような裁判官達による誤判リスクを減らすことになるが、再審裁判は旧態依然として、同じタイプの可能性が高い裁判官に任されている。裁判官の誤りが問われている再審裁判が、裁判官に任されているというのは、検察審査会制度と較べて著しく公平を欠いていると言わなければならない。
裁判員制度に続いて、国民による判決に対する評価制度が導入されなければならない。そのためには、再審裁判は、検察審査会と同様に、裁判官が関与しない陪審員裁判で行われるべきであろう。
5.狭山事件の証拠は汚染(偽装)されている
前述したように、また「新推理・狭山事件12 佐野屋から歩いて30分」などで述べたように、狭山事件の全証拠は、真犯人によって偽装工作されていると見なければならない。
とび職や植木職しか履くことのない職人足袋の足跡が残されていたからと言って、犯人はとび職か植木職とするのでは、「車出いく」と脅迫状に書かれていたから、犯人は車出くると思って張り込んだ、という失敗と全く同じである。
スコップについても、「山田(仮名)養豚場から犬にほえられずにスコップを盗み出せる者は山田養豚場関係者に限られる」というのは、犬の習性を無視した暴論である。空き巣防止の警察や警備会社のパンフや資料を見ていただければ明らかなように、犯人は容易に番犬を手なずけることができるので安心してはいけない、と注意を促している。
狭山事件においては、「真犯人嘘つき論」にたって、全ての客観的証拠は偽装されている、と見なければならない。
6.真犯人仮説を立てる2つの方法
では、実際にどのような方法で、真犯人仮説を立てることができるのであろうか?
第1の方法は、過去の誘拐・誘拐偽装事件から、犯人像を推理する犯罪者プロファイリング(統計的・心理学的手法による犯人像・犯行像推定)の方法である。
狭山事件の場合、まず、1か月前の吉展ちゃん事件を真似た事件かどうか検討することになろう。金欲しさの犯行なら、吉展ちゃん事件の例からみて、服装から金を持っていそうな幼児を狙いそうなものであるが、農家の子弟が通う高校(通称花嫁学校)の生徒を狙うというのは、明らかに大きく違っている。また、電話で脅迫せず、脅迫状を書いて届けるという手口の違いや、身代金を置かせて取りにいくのではなく、手渡しを要求している点も見逃せない。
近い年齢の女性を対象とした類似事件としては、吉展ちゃん事件の5か月前に、北海道の静内町で起こった洋裁生殺し事件の類似事件かどうかの比較検討が重要である。この事件は被害者(19歳)の隣家の男性(26歳。後に妻と自殺)による営利誘拐偽装・強姦殺人事件であるが、被害者の年齢や脅迫状が自宅に投げ込まれたという類似点がある。
全ての営利誘拐事件や営利誘拐偽装殺人事件と比較対照することによって、動機や手口の類似性、脅迫状の文面などの特徴から、狭山事件の真犯人像を描くことができる。この場合、特に重要なのは、一番重要な脅迫状から犯人像(職業や作文経験など)を推理することであろう。
第2の方法は、善枝さんの下校時・下校後の行動や、犯人に直接繋がる証拠である脅迫状と死体・死体付着物から犯人像を推理する方法である。
狭山事件の捜査本部は、脅迫状に書かれた「子ども」「小供」「こども」から、吉展ちゃん事件を真似た金欲しさを動機とし、衣服の乱れと膣内のB型の精液などから強姦殺人事件として推理し、2つを足して、「金目当ての幼児営利誘拐事件崩れの強姦殺人・恐喝未遂事件」とした。これに対して、私は「幼児営利誘拐を偽装した男女関係の清算殺人事件」と推理している。
他の犯人像としては、「善枝さんの兄を主犯とした財産争い」あるいは「善枝さん方への怨恨を動機とした営利誘拐偽装事件に実行犯による強姦・殺害が加わった事件」とみる、「4人共犯説」(亀井トム説、伊吹隼人説)や、男女関係のもつれによる善枝さんの兄による営利誘拐偽装殺人事件説(殿岡駿星説)が見られる。
他にも仮説が成り立たないか、慎重に検討することが求められる。
7.真犯人仮説の比較検討
真犯人仮説が出そろった段階で、どの仮説がもっとも合理的に全証拠を説明できるか、比較検討が行われるべきである。
そして、警察・検察・裁判所の石川一雄単独犯説以外に、他の仮説が成立する余地があるかないか、検討されなければならない。
これまで、狭山の支援団体は亀井説を主張していたが、上告審以降、なぜか真犯人問題を主張しなくなっている。調査を進めるようになり、亀井説には説得力がないと判断したのか、あるいは、善枝さん家族や山田養豚場関係者、自殺者などの人権を考えるようになったのかも知れない。しかしながら、真犯人説を途中から主張しなくなったということは、石川さんあるいはその関係者の有罪を認めていると勘ぐられる危険性を孕んでいる。
犯人像・犯行像解明の全体的な解明作業を放棄したままで、個々の有罪証拠を相手にしていて再審無罪が勝ち取れるのかどうか、改めて再検討されるべきではなかろうか?
警察・検察はそんな真実解明の任務は50年前にとっくに放棄し、石川さんの無実を百も承知で犯人にでっち上げているのである。「辞表・左遷」か「でっち上げ栄転」かの崖っぷちの賭けに、彼らは勝ったのである。
121007→130917 甲斐仁志

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