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1.積み上げ法と仮説検証法
私は、3年、5年、10年先などの将来予測を行い、様々な分野のまちづくり計画や事業計画をつくる仕事を長年やってきたが、そこでは使えるデータは限られている。
ある地域や会社、社会全体の過去の実績データはかなり利用できるが、社会・経済が3〜5年で大きく変化する時代には、単純に過去のデータをそのまま将来に延長できないことが多い。また地域資源や企業資源(経営資源)はほぼ確実に把握できるが、それでも当事者やコンサルが見逃しており、外からの全く別の価値観(例えば、芸術家や料理人など)でみて、初めて隠れている資源を発見できることもある。いくらデータを積み上げていっても、次の時代にどのような新しい事業をやればいいのか、絞り込めないことも多い。
そこで、ある市町村や企業が新規にある事業を考える場合には、全国・世界の他の事例や新しいアイデアを数多く出し、その中からその市町村や企業で事業化できる条件や十分な効果を生み出すことができるかどうかを検討する、という方法を採用することが多い。
「積み上げ法」による分析から新規事業の可能性を探ると同時に、他の事例や全く新しい思いつきなどからいくつかの新規事業を想定し、実現可能性を探っていくという「仮説検証法」によって、最適の解を求めていく方法である。
いずれの方法でも、多くの新規事業案が導き出されるが、通常、前者からはありふれた発想のものしか出てこず、後者では、前提となる仮説(事例)選択が間違っていれば、最適解は出てこない。いずれの方法もリスクを抱えており、2つの方法を組み合わせながら、最適解を探すことになる。
重要なことは、調査・分析・計画が進んでいく段階で、最適解と思っていた仮説(計画案)がダメであることが判った時に、それを捨てる勇気を持つことである。
というのは、通常、検討過程で会議を積み重ね、多くの労力・費用を割いてきているので、途中で計画案を変えるのには強い抵抗があるからである。「ここまでやってきたのに」「これまでの議論・検討を白紙に戻すのか」という担当者・委員会委員・トップなどの抵抗を押し切るのは大変である。
登山者と同じで、並みのリーダーは引き返して別ルートをたどる気力・勇気を持っていないことが多い。そして、失敗を招くことになる。
計画づくりにおける「積み上げ法」と「仮説検証法」

以上、計画づくりの方法について述べたが、自然科学や工学の場合には、この「事例」というところを、「理論」「法則」と置き換えれば、やはり同じ様な方法をとっていることになる。論理学では、前者は「帰納法」、後者は「演繹法」と呼ばれている方法である。
『Newton(ニュートン)』(2011年10月号)の「『科学的に正しい』ってどういう意味?」では、「科学とは、『仮説を立て、それを検証する』ことのくりかえし」とし、実験の条件としては『だれにでも同じ結果が出せること(再現性)』(池内了総合研究大学院理事)をあげている。
さらに、実験できない学問では、「1つは、立てた仮説とみちびかれた結論の間や、新たな理論と既存の理論との間に、論理的な矛盾がないという『無矛盾性』です。そしてもう1つは、『予言力』です」(前同)としている。ある仮説の正しさは、様々な事実や理論と矛盾がないことと、その仮説から導き出される予言(予想)を、後の実験や発見が証明する場合である。
「仮説検証法」における検証の「再現性」、仮説の「無矛盾性」「予言力」こそが、科学的な正しさといえるものなのである。
2.刑事事件・裁判における科学的とは?
前記の図の「地域資源・企業(経営)資源」を証拠に、「新規事業計画」を「犯行・犯人像」に置き換えると、刑事事件における捜査と犯人検挙の方法とは、同じとなる。
実際、現場検証や遺留品捜査、遺留品鑑定、地取り捜査(周辺聞き込み捜査)、足取り捜査(現場関係から犯人の移動経路を追跡)などの「積み上げ法」による捜査が行われる一方、動機や土地鑑(現場を知っているかどうか)、犯行手口、過去の犯罪例(犯罪者プロファイリング)、識鑑(被害者と顔見知り)などから犯行像・犯人像を推理し、被害者の関係者、前科者や不審者などから容疑者を絞り込む「人」を中心においた「仮説検証型」の捜査も同時に進められる。
このような捜査方法自体は合理的であるが、もし、鑑定が間違ったり、聞き込み捜査が誤ると積み上げ法にもとづく捜査はとんでもない方向に進むことになる。また、容疑者仮説の検証が間違うと捜査は偏り、捜査員が集めてきた証拠を恣意的に取捨選択することになり、真犯人を捕まえることはできなくなる。
この容疑者仮説の検証においては、経験則(過去の事例)や再現性(誰もが同じ鑑定結果を出せるかどうかなど)に照らして、矛盾がないかどうかがチェックされなければならない。そして、他に犯人がいる可能性が否定できなければ、起訴してはならない。
狭山事件では、このような科学的な捜査が行われたと言えるであろうか?
3.中刑事部長・将田次席らの「事件像・犯人像仮説」
狭山事件における事件像・犯人像の仮説は、当初には、狭山署の一部には「一部には、狂言との見方」(上田県警本部長談、5・4サンケイ新聞)、「被害者が理解力のある16歳であることから、いたずらではないかという見方もあった」(5・4サンケイ新聞夕刊)と報道されているように、脅迫状の分析と被害者が農家の高校生で他の誘拐事件とは異なる状況から、営利誘拐は狂言ではないか、というような見方があった。
一方、封筒の見え消しにされた「少時様」は数人に絞られたが、身代金受け渡しを指定した「前の門」がある家は被差別部落と同じ町内の江畑昭司さんに絞られた。 さらに訂正された宛名の「中畑江」「中畑江さく」の漢字を逆さに読むと「江畑」になり、脅迫状には「は名知たら」「気名かツたら」と書かれていたから、江畑昭司さんの「名前を知っている、名前に気付いている」と犯人は告げ、「江畑様」ではなく「少時様」と書いたと見た。さらに、脅迫状には「女の人」「金二十万円」を持たせ、しかも「ちがう人がいたら/そのままかえてきて。こどもわころしてヤる。」(/は改行)と脅していたから、犯人は江畑昭司さんの妻と面識があると見られた。
犯人は江畑昭司さんのことをよく知っている人物に絞られた。
また、脅迫状の「車出いく」「は名知たら」「くりか江す」「気んじょ」の書き方や片仮名の「ツ、ヤ」書きは、犯人は漢字や仮名づかいも知らない「小学生低学年程度の学力」であり、教育を満足に受けられなかった被差別部落の若者が犯人と見なされた。
さらに、脅迫状の「友だちが車出いく」は完全に信用され、「前」を消されて修正された「さのヤの門」は「佐野屋のかど」と読まれ、佐野屋の西の5叉路の角を中心に、5本の道路に2重、3重に40人の刑事が配置されることになった。その結果、肝心の佐野屋の前の張り込みは手薄になり、歩いて畑の中に現れた犯人を取り逃がしてしまうのである。
この大失敗で犯人は自分たちより数段ずる賢いと考え、その偽装工作全体を疑えばいいのであるが、中刑事部長・将田次席らは犯人を「小学生程度」「知能が低い」と馬鹿にしていたから、犯人が佐野屋に現れたことを金目当ての営利誘拐事件の証拠、と見て犯人像を完全に固定化してしまうのである。
看板もない佐野屋が指定され、さらに40人もの刑事の張り込みをかいくぐって犯人があらわれ、逃走したことから、犯人はこの張り込み包囲網の中にいるのではないか、と推理して朝まで包囲体制を維持する。「犯人が張り込み体制を知っていたのではないか」などとは考えもしていなかった。
現場に残された足跡は、職人タビによるものであったため、犯人はとび職か植木職などと推理された。
また、脅迫状文面の「子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける。」と佐野屋脇から犯人が逃走するときに「30分たてば帰らなくちゃならない」と言い残したことから、犯行現場は被害者の通学路の途中の、佐野屋から30分の被差別部落に絞られた。これは、脅迫状の最初の宛名の「少時様」に符合する教員の江畑昭司(仮名)方がこの被差別部落の外れにあったことと符合する。
3日から山狩りが開始され、翌4日には、被差別部落に近い農道から死体が発見され、犯人像はこの被差別部落出身者で、佐野屋近くで養豚業を営む山田一家と出入りする関係者に絞られた。そして、死体はズロースが膝のあたりに下げられていたことから、強姦事件の疑いがあるとされ、死体解剖の結果、体内からB型の精液が検出され、外陰部の傷が爪痕とされ、強姦・殺害事件との見立てが固定化された。
6日の夕方には、中刑事部長自らが死体発見現場にもっとも近い雑木林を夕方に捜索し、道の上に木綿ロープの切れ端が落ちていたのを見つけている。それは首と足首に結びすけられたロープと同じであったが、その場所は3・4・6日に徹底的に捜索された場所であった。後に、その場所は、後に、強姦・殺害の犯行現場とされたが、血痕などの痕跡は発見されていない。
さらに、山田養豚場から1日夜にスコップが盗まれたことが3日から4日にかけて明らかとなり、11日にスコップが死体発見現場近くで見つかることにより、「犬に吠えられずにスコップを盗めるものは山田養豚場関係者に限られる」という囲い込み構造がつくられた。
「幼児営利誘拐事件崩れの強姦・殺害・恐喝未遂事件」「犯人は山田養豚場出入りの者」と中刑事部長・将田次席らは完全に思い込み、山田一家の容疑が晴れると、かつてそこで働いていており、家族の証言しかアリバイのない石川一雄さんが逮捕された。山田養豚場関係者の20数名のうち他には容疑者は残っていない(捜査本部発表)、という消去法であった。
4.吉展ちゃん事件と洋裁生殺し事件を真似
以上の捜査経過を読まれた読者の皆さんが、この事件の裁判員であったとしたら、どのように判断されるであろうか?
実は、最初にこの事件の本を読んだとき、私もまた石川さんは怪しい、という印象を受けている。それは、皆さんも同じではなかろうか。
私の場合、松川裁判を担当した自由法曹団の優秀な弁護士がついていたにも関わらず自白し、さらに1審裁判の間、自白を維持し続け、2審になって弁護士にも相談せずに自白を撤回し、その理由も「10年で出してやる」との捜査官との「男の約束」を信じた、というのであるから、にわかには信じがたかった。
当時、私は毎日、文章を書き、編集作業もしていたので、当時の石川さんにあの脅迫状を彼が書けるとは思わなかったが、もし共犯者がいて脅迫状を書き、その共犯者をかばって彼が自白した可能性は否定できない、とも考えた。事実、最初に彼は「3人共犯」の自白をしているし、「兄ちゃんなら、俺にしてくれ」と言って泣きながら自白したというのである。1審裁判で維持し続けたのも兄をかばったのなら理解できるし、死刑判決を受けて、やっと自白を撤回したというのも理解できる。
しかし、よくよく考えてみると、中刑事部長・将田次席らはもともと「友だちが車出いく」を信じて複数犯とみて見込み捜査を集中していたのであるから、共犯者を見逃すはずはない。事実、1日午後の犯行時間帯には石川さんの兄も山田一家も仕事をしていてアリバイがある。それより何より、とび職の親方の兄や養豚場経営者の山田和義さんが、20万円(分配するとなるとさらに減る)の端金(はしたがね)のために誘拐事件を企てるというのはおよそ考えにくい。当時、景気はよく、並みの会社員よりは、彼らははるかに収入があったからである。
石川さんは「兄貴の地下足袋と現場の足跡が一致しているし、お前よりは兄貴の方が字は書ける。お前が佐野屋に行っていない、脅迫状は書けないと言い張るなら、兄貴を逮捕するぞ」と脅かされ、兄を疑うようになり、泣く泣く身代わりとなって「取引による自白」を行った可能性がある。さらに、自白した自宅から万年筆が出てきたとされたため、ますます兄を犯人と疑うことになった。兄が付けてくれた共産党の弁護士は信用せず、「10年で出してやる」という警察官の約束を信じ、1審の間、自白を維持し続けた可能性は十分にあるのである。
同時に、私は狭山事件の半年前に北海道でおこった洋裁生殺し事件に注目した。
この事件は、19歳の洋裁生を下宿先から呼び出した隣家の男が強姦殺害し、その犯行を隠すために、隣の被害者方に脅迫状を投げ込んで60万円を要求した事件である(前著「狭山事件を推理する 第2章 Yの相関」参照)。しかし指定場所に犯人は現れず、捜査の手が伸びて自殺したという事件で、遺書の筆跡が一致したことや精液の血液型の一致、目撃証言などから犯人と断定されたものである。当時、高校2年生であった私は、容疑者が妻と登別温泉で自殺したというセンセーショナルな事件であったため、食事時に家族で話題にしたことが鮮明に記憶に残っている。
狭山事件はこの洋裁生殺し事件のような事件でないかと疑問を持った私は、狭山事件は吉展ちゃん事件と洋裁生殺し事件を真似た「幼児営利誘拐偽装強姦殺害事件」、あるいは「幼児営利誘拐偽装和姦殺害事件」の可能性を検討する必要性があると感じた。
中刑事部長・将田次席らには、1か月前に東京でおきたばかりの吉展ちゃん事件の印象が強かったため、吉展ちゃん事件を真似た事件と考えたようであるが、犯人の側からみれば、洋裁生殺し事件の印象は同じ程度に強かったはずである。何しろ、遙か離れた兵庫県の地方都市の高校生であった私がテレビ報道などで覚えていたくらいである。
もし吉展ちゃん事件が直前に起きていなかったとしたら、捜査本部の大半もまた、狭山事件を洋裁生殺し事件を真似た「営利誘拐偽装事件」とみた可能性は高かったのではなかろうか。事件当初に、脅迫状を見た狭山署刑事に営利誘拐は「狂言」「いたずら」とみる見方があったことは、重要である。
というのは、やはり前年の昭和昭和37(1962)年の3月3日までに北海道美唄市の女子高生(17)が、1月中旬から家出中の高校1年生の少女(16)の両親に「お嬢さんはあるところに元気でいるが、知りたければ指定した場所に5万円持って来い」という脅迫状を5回出していた事件などもあったからである。これも、私の記憶に残っていた事件である。
狭山事件は、これらの前例を参考にしながら、一番重要な証拠である犯人の残した脅迫状をどう見るるか、で大きく事件像は異なってくる、と私は考えた。
「友だちが車出いく」の「車」のトリックにまんまと中刑事部長・将田次席らが騙された以上、脅迫状の「友だち」や「出」の当て字、「少時様」の宛名、職人タビの足跡、雑木林の木綿ロープ切れ端、死体を埋めた被差別部落に近い農道、膝のあたりに下げられたズロース、スコップなどは、全て「車出いく」と同じ犯人の偽装工作の可能性がある、という観点で見直しを行ったのが、前著『狭山事件を推理する』である。
警察の捜査は、王手、王手の連続による「一本道」の詰め将棋のように見事に石川さんにたどり着いたように見えるが、最初の1手(「車出いく」)を間違っている。最初の一手を間違えると絶対に詰めることができない詰め将棋と同じではなかろうか。「予言」が次々と当たって証拠がみつかり、「予言」の正しさが証明されていったように見えるが、最初の「車」で予言は大外れであった。
寺尾判決は「客観的証拠が指向するところに従って捜査を進めていったところ、被告人に到達したと見ることができる」と述べているが、最初の客観的証拠である脅迫状の「車出いく」は大嘘であった。
どんなに多くの捜査員を投入し、筆跡・死体・足跡・土壌などの鑑定書を積み上げても、最初の犯行像・犯人像仮説が間違っていれば、誤認逮捕への一本道を進む以外にないのである。
特に、200人を越える刑事を動員した組織捜査ともなると、中・将田らトップの出す捜査方針に強く影響され、他の犯人像に基づく捜査などの逸脱行為は難しく、その犯人像から外れた真犯人につながる重要情報などは軽視・無視され、握りつぶされた可能性が高い。いわゆる「お祭り捜査」「浮いた捜査」「踊る大捜査線」である。
県警主導の組織捜査で多くの冤罪事件が生み出されているのは、上意下達の官僚組織によるこのような組織捜査の危うさを示している。
5.犯人の偽装工作は「車出いく」だけか
以上、狭山事件の捜査は、1つ1つの証拠から、犯行像・犯人像をいろいろと推理し、積み重ねていった慎重な「積み上げ法」でも、過去の営利誘拐事件などから、考えられる限りの犯人像を想定し、1つ1つ検証していった「仮説検証法」によるものでもないことを見てきた。
最初の、「犯人は小学生程度」「吉展ちゃん事件を真似して少時様の子どもを狙った事件」という犯人像・犯行像を信じ込み、次々と出てくる証拠によって裏付けられていった、予言は次々と証明されたと思い込んだ捜査であった。
しかしながら、その最初の一手は、犯人の「車出いく」を信用したことによる張り込み捜査で、それは大失敗に終わった。ここで、脅迫状を信用せず、40人を佐野屋の周辺に集中的に張り込ませていれば、その情報をキャッチした犯人は佐野屋に現れなかったか、あるいは現れても捕まっていたかのどちらかである。
この最初の一手の犯人の偽装工作を見抜けなかったことをきっちりと総括していれば、「子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける。」や「少時様」、漢字の万葉仮名的用法なども、全て偽装工作の可能性があるとの判断に繋がり、営利誘拐そのものが偽装工作の可能性が高いことを見抜けたに違いない。
さらに、性交についても、五十嵐鑑定のたった3つの陰部の擦過傷からの「強姦」という判断には確かな根拠はない。むしろ「処女膜の陳旧性亀裂」3か所と「小陰唇の内出血」3か所の位置の重なり、周辺が浮腫状に見えることから姦淫後少し時間が経ってから死んだ可能性が比較的大きいとされる処女膜挫創(上田鑑定)、前側腹部や大腿部上部前面の指頭大の多数の内出血の原因(私は後背位で手で掴んだと考える)、善枝さんが下校時に誕生祝いの食事をつくると言い残したこと、人待ち顔で通学路から離れた場所に立っていたという目撃証言などから、合意の性交の後に善枝さんが殺害された可能性についても検討されたに違いない。
また「車出いく」でまんまと警察を騙し、「子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける。」「30分たてば帰らなくちゃならない」で用意周到に犯行現場を示した犯人が、職業がすぐにばれてしまう職人タビをはいて佐野屋に現れたり、木綿ロープがあるのに手首に手拭を残したり、さらには捜索後に木綿ロープやスコップを現場に残したのも、全て偽装工作の可能性があるとみたに違いないのである。
6.「再現性」「無矛盾性」「予言力」を満たしているか?
石川犯人説(強姦・殺害・恐喝未遂説)には、すでに多くの弁護側鑑定書が「再現性」に問題があることを明らかにしている。さらに、多くの証拠が石川犯人仮説の「無矛盾性」を否定している。また、2審での封筒の糊づけの鑑定書や万年筆インキの色の違い、新たに開示された大野木供述などの新証拠は、石川犯人仮説には「予言力」がないことを示している。
石川犯人説には、科学的証明に必要な「再現性」「無矛盾性」「予言力」を全て欠いており、さらに、それだけで石川犯人説を覆す反証が無数にある。例えば、脅迫状・封筒・身分証明書(写真貼付)、ビニール風呂敷、自転車、スコップ、万年筆・腕時計には何1つ指紋がなく(高度の蓋然性を示す)、当時の石川さんに高度な作文能力がなかったこと、善枝さんは下校後に食事をしていることなどである。
反対に、私の提案する「幼児営利誘拐偽装の和姦・殺害説」は、上告審段階からの多くの新規の証拠により、「再現性」「無矛盾性」「予言力」が証明され、明確な反証は見あたらない。
いつまで、裁判官達が反科学の姿勢を貫くつもりなのか、東京高裁の決定を見守っていきたい。後世にまたとない「反科学」の研究材料を残すようなことだけはして欲しくないと願っている。
121010→ 130920 甲斐仁志

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