『狭山事件を推理する』HP復刻版 第16章 前の門

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目次

第1章 事件

第2章 Yの相関

第3章 最終目撃者

第4章 通学路

第5章 車出いく

第6章 情報過剰性

第7章 脅迫状

第8章 脅迫状訂正

第9章 訪問者

第10章 叫び声

第11章 犯行時間

第12章 ロープ

第13章 荒縄とスコップ

第14章 所持品

第15章 Vの悲劇

第16章 前の門

第17章 脅迫状の作成

第18章 殺害・死体遺棄

第19章 黙劇者

第20章 評決

 資料1 1審判決

 資料2 誘拐事件資料

 資料3 参考文献

 

 
新推理・狭山事件

 はじめに

1 殺害現場はどこか?

2 脅迫状の詩的表現技法
3 誕生祝いの最終食事
4 強姦か合意の性交か
5 単独犯か複数犯か
6 線状擦過傷の謎
7 虫害が示す犯行現場
8 背後からの腕締め
9 後頭部の傷は生前か死後か?
10 「合理的捜査」か「差別捜査」か?
11 「引っ掻き傷」の男
12 「佐野屋から30分」
13 「強姦・殺害」か「和姦・殺害」か?

  14 真犯人像への方法論  

 

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 hyousimidasi.jpg 第16章 前の門

 

 狭山事件で被差別部落の青年達が疑われた理由の1つに足跡がある。

犯人が現場に残した地下タビの足跡が、普通の農耕用のものではなく、鳶職の人達が履く、職人用の地下タビであったからである。

 普通の地下タビは、大きなゴム底用の板をプレスで打ち抜き、それを接着剤でタビに張り付け大量生産するのであるが、この職人タビは、生ゴムを1つずつ金型にいれて作り、それをタビに糸で縫い付ける。手工業的な生産に頼るもので、当然高価であり、耐久性はおとるが、高所で作業をする鳶職の人達にとってはこの職人タビは必需品であった。

 底が薄くて足裏に微妙な感触が伝わるようにできており、その足裏のパターンは梯子などを登ると時 に前後に滑りにくいように横線を入れてあった。その底型は農耕用のものとは明らかに区別がつくもので、現場に残された足跡にはその横線の模様が1部にくっきりと浮きでていた。

 もっとも、この職人タビは同じ金型から作るものであるから、同じメーカーのものは、同じパターンの底をもっていた。またメーカーが違っても、先行メーカーのものを真似したものが多かったから、底模様は似たようなものであった。

 「僕はねえ、逃げて行った人物が男の足跡をのこそうと、女の足跡を残そうと、あるいはまた、カンガルーの足跡をのこそうと、竹馬を使おうと、自転車に乗って逃げ出そうと、跡などはぜんぜん残さないで、空を飛んで行こうと、そんなことにはかかわりなく、それくらいのことはすべてやってみせることができるよ」

 というのは、ヴァン・ダインの小説『カナリア殺人事件』の中での素人探偵ファイロ・ヴァンスのセリフであるが、この事件こそまさにそのようなケースであった。

 「車出いく」と脅迫状であれだけ念をおしながら、実際には畑のなかから現れた犯人像で事件全体を見るべきであり、職人タビの足跡を犯人が残したということは、犯人はむしろ職人ではない、ということを証明していると考えるべきである。

 職人は、職人タビに誇りをもっているものである。もし、職人が犯人だとしたら、そのように意識されている特別の人間しか使わないものを殺人の翌日に履いていくというのは考えにくい。野球選手がスパイク靴をはいて、犯行現場に出ていくようなものである。

 すぐに足のつく恐れのあるそのような特殊な履物を使わないで、ありふれた大量生産されるズック靴などを履くというのが犯罪時の心理であろう。

 現場の足跡からは、鳶職のような職業とはほど遠い犯人像が浮かびあがってくるのである。

 

 犯人が「前の門」の「前」を消して「さのヤ」と書き、金の受け渡し場所を指定しているのも、素直には受け取れない。

 「少時様」というのを、仮に江畑昭司方だとすると「前の門」というのは奇妙である。江畑方には門があったが、それは家の前ではなく、道路に面した家の東側である。また「前」に対応するような裏門はない。

 江畑方の光景を思い浮かべながら脅迫状を書くとしたら、「門の前」とするのが自然であり、「前の門のところにいろ」とはなりにくい。

 「車出いく」という文章を書く状況を考えてみると、まず道路側から被害者の家が、続いて「女の人」が「門の前」に立っている、というイメージが自然と浮かんでくる。そうすると脅迫状には「門の前にいろ」と書く以外にない。

 山川一雄の自白を見ても、ずっと「門の前」あるいは「門のところ」であり、最終段階の7月2日の検察官調書になって初めて「前の門」という表現が出てくる。山川一雄には、「門の前」というイメージは持てても、「前の門」という発想は検察官に指摘されるまではなかったと言える。

 真犯人はなぜ「前の門」という表現をとったのであろうか。

この表現がでてくる可能性の1つは、門の内側にいる人が表現するときである。外の道路側から被害者方を見たのではこのような表現はでてこない。しかしながら、犯人が江畑昭司でないことは明らかで、このケースは考えられない。

 「前の門」という表現を選んだ犯人には、別の意図があったと考える以外にない。

 犯人は「前の門」を「前のかど」と読ませることを意図したと私は考える。「少時」に「時間がない」の効果を、「気んじょの人にもはなすな」に「気づかれるな」の、「は名知たら」に「名前を知っている」の、「上田江さく」に「上田江」の表現効果を持たせている犯人の文章のスタイルを考えると、「門」についても「まえ」と「かど」の両義性を持たせている可能性が大きい。

 犯人が仮に1本の自動車道路に沿った江畑方を狙っていたとするなら、これに張り込ませる警官は「もん」の左右に2組ずつ、計8人もいれば十分である(図32)。当然、その他の人員は江畑方の周りに余裕をもって面的に配置させることができる。この場合には、畑の中を犯人が歩いてきたとしても逮捕できていた公算は大である。

zu32.png

 ところが、佐野屋の「かど」には、自動車が通行可能な道路が5本集中していた。

警察が「前の門」を「前のかど」と読んだとするなら(佐野屋には「もん」はない)、5叉路の「かど」を中心に、5本の道路にそれぞれ2組の刑事を張り付けたとしても、最低20人の刑事を要する(図33)。

zu33.png

 

 配置は線的に分散し、面的な奥行きをもった配置、一点にどこからでも包囲・集中できるようなネットワークは形成されず、佐野屋の周りは手薄にならざるをえない。

 結果はどうであったであろうか。まさにそのとおりとなってしまったのである。県警本部の応援によって張り込み人員は40名にふくれあがったが、それらの人員は佐野屋の5叉路を中心に道路に添って線状に張り込み、結果として佐野屋周辺はノーマークとなった。

 その状況は、「脅迫文にも『佐野屋のかど』とあったため張り込みは2人1組の4組がかどかどで見張った」(5月4日読売新聞、傍点引用者)と報道されているとおりである。

 犯人の「車出いく」というトリックは、被害者方の納屋に自転車を返したことにより、「自転車を乗り付けた犯人」=「車で佐野屋に乗りつける犯人」というイメージを増幅させたことと、この「門」(もん、かどの両義語)によって張り込みを5叉路中心に分散させたことによって初めて成功したのである。

 もちろん、その前提としては犯人が始めから佐野屋を想定して脅迫状を書いた、という計画性があったからであることは言うまでもない。

 もし本当に「少時」方を狙っていて、それを佐野屋に変更したとするなら、「門の前」と脅迫状に書き、「門」を消して「さのヤの前」とするか、「門の前」を全部消して「佐野屋」とするに違いない。

 看板のない佐野屋の名前を知っていて脅迫状で指定した犯人なら、佐野屋の情景を具体的に思い浮かべ、佐野屋に門がないことを思い出し、「門」を消して脅迫状を訂正したはずである。

 この場合には、警察の張り込みは5叉路中心にならず、佐野屋を中心に2重、3重に配置され、犯人は登場する時にその網にかかるか、逃げるときに集中包囲され、逮捕された公算は大きい。

 ようやくここで私は事件の全貌を語ることができるようになった。

 犯人が脅迫状を万葉仮名の用法で漢字を使って書いた理由は、この「佐野屋のかど」→「前のかど」(少時方)→「前の門」(少時方)という偽装工作を行ない、それを確実に「佐野屋のかど」と読ませるためのヒントを与えることであったのである。

 始めから佐野屋を現場に想定して「金を取りに現れて逃走した犯人」を演じる計画を立て、それをもともと上田善枝ではなく別の家(少時方)の子供を狙った計画に置き換えた時、解決しなければならない問題として、「佐野屋のかど」をどう「少時方」と関連させ、どう誤魔化すか、という課題が犯人には生じた。

 そこで犯人がとったのは、実に独創的なやり方であった。「かど」に「門」の当て字を使い、「もん」と「かど」の両方の意味を持たせるやり方である。

 「門(もん)の前」を消して、「佐野屋のかど」としたのでは、身代金を持ってきた登美恵は5叉路の角に行ってしまうことになり、そこに近付くことは危険である。

 「前の門」を「さのヤの門」と書き直すことによって、「もん」と「かど」の両義的な意味を生じさせ、登美恵を佐野屋の前に立たせる一方、警察には「車出いく」のイメージを与えて佐野屋のかど=5叉路を中心に張り込ませる、というのが犯人の計画であった。

 この場合、単に「さのヤの門」と書いたのでは警察に「佐野屋のかど」と読ませることは出来ない。

 そこで脅迫状全体に奇妙な万葉仮名的用法の漢字の当て字を使い、当て字を強く読者に印象づける必要が生じたのである。

 単に、「刑札」のように1字2字を当て字で書いただけでは、「門」を「かど」と読んでくれる可能性は少ない。万葉仮名的当て字の強烈な印象がなければ、「門」を「かど」の当て字と気づかせることは出来なかったことは確実である。

 これが、犯人が独特の脅迫状を書くことになった理由である。

 単に、字を知らない、ということを偽装するだけなら、脅迫状全部を片仮名で稚拙に書くとか、平仮名で書くのが自然である。万葉仮名的当て字の独創性は、単に犯人の気紛れの結果で生まれたのではなく、高度に計算された犯人の偽装工作から生まれたのである。

 最初、私はこの事件の犯人は「ゆうかい犯」ではなく、世間を騒がせて喜ぶ類の「ゆかい犯」の要素があるのではないか、と考えていたこともあったが、犯人は「ゆうかい偽装犯」であったのである。

 これはあまりにも飛躍した考えと思われるかもしれない。いくらなんでも、そこまで繊密に計画をたてられるであろうか、ということは私も考えなかったわけではない。

 しかしながら、この事件を貫く強力な犯人の意志、計画性を見失うと、この事件の全てが突飛な偶然の積み重ねの上に生じたものである、というさらに非現実的な仮説を認めることになってしまう。

 たまたま犯人は「前の門」という珍しい表現をとっただけだ、たまたま「万葉仮名的当て字を使った」、たまたま「車出いくを警察が信用した」、たまたま「門をかどと警察は深読みしてしまった」、たまたま「善枝はいつもより早く下校した」、たまたま「下校路を変えた」、たまたま「山川一雄と出会った」、たまたま「山川一雄は子供を誘拐しようとしていた」、たまたま「山川一雄は予定を変更して高校生を誘拐するつもりになった」・・・・きりがないが、これらの偶然が重なることがいかに低い確率であるかは言うまでもないであろう。

 「たまたま」にとどまっていたのでは、「たま」(真犯人)を見つけ出すことはできない。

 冷静に事実から出発すべきである。なぜ警察が佐野屋で犯人を取り逃がすことになったのか、を徹底的に分析することが出発点である。警察が「門」を「かど」と読み、「重出いく」を信用したのは、かれらの能力が劣っていたからではなく、犯人の能力が彼らを上回っていた結果であることを率直に反省することがまず必要である。

 佐野屋での犯人の取り逃がしは、単なる警察のドジではなく、犯人の明確な意志の結果として、失敗するように仕組まれていたのである。

 その犯人の意図と結果を認めるならば、もはやこの事件の全体は明らかとなったと言えよう。

 「犯人は金を取る」ことを目的として全能力を動員して佐野屋に登場したのではなく、「金を取りに現れたと警察に思わせ、逃走する」ことに、実に独創的な、犯罪史上に残るあざやかな手口を見せたのである。

 しかしながら、犯人はうまくやったに違いないが、偽装工作のために同時に多くの手掛かりを残すことになった。もし警察が収集した全資料を見る機会を与えられれば、私は必ず犯人の名前とはっきりとした痕跡をその中に捜しだすことが出来るであろう。

 

 ここで図34に警察官の張り込み地点と足跡の位置と方向、警察犬の追跡方向を示しておく。

zu34.png

 

 その配置をみると犯人が現れ逃走したのは橋を渡ってAの方向か、もしくはBの方向であることはまず間違いない。畑の中を通ると足跡が残ることになるし、人家の近くを逃げたとすると犬が猛烈に吠え、張り込みの刑事に気づかれた可能性が高い。犯人はAないしBの方向に農道を通って逃げたとしか考えられない。

 ちなみにこの図で山川一雄の自白による移動経路をみると、これでは行き帰りとも途中3ヵ所で刑事と鉢合わせになってしまう。真実とはみなしがたい。

 

 

 

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