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第19章 黙劇者
事件の翌年の1964年3月11日、浦和地方裁判所は山川一雄に対し、死刑の判決を下した。これは、私の以上の分析によれば、完全なミス・ジャッジ(誤判)である。
その4カ月後の7月14日、犯人と佐野屋で対決した善枝の姉の登美恵が自殺する。
さらに、山川一雄の最高裁判所への上告が棄却された2カ月後の1977(昭和52)年10月には善枝の兄の清志も自殺している。まるで、山川一雄の裁判の進行に歩調をあわせたかのようなこれらの自殺は、この狭山事件の裏面を暗示している。
登美恵(自殺したとき24歳)は、事件の起こった年の秋に同じ堀兼地区の柳沢初男(26歳)と婚約し、結納をかわしている。柳沢は兄の賢一の同級生で、きっかけは見合いであった。当時は所沢のアメリカ軍の兵帖廠(補給部門)に勤めており、1町5反を耕作している農家の長男であった。
12月には登美恵を籍に入れ、翌年39年の秋には結婚式をあげる予定であった。結婚式が延びたのは、上田家に女手が登美恵以外になく、兄の賢一が結婚するまで家を出られなかったからである。
柳沢は2審の第60回公判(昭和47年4月18日)で証言しているが、登美恵に愛情を持っていたこと、肉体関係があったこと、月に2回ぐらいは会っていたこと、自殺する1週間前に会っていること、自殺する1週間後に家に来る事を楽しみにしていたこと、自殺するような悩みは感じられなかった、と証言している。
「(登美恵が)やせてきたような印象はおうけになりませんでしたか」との弁護士の質問に対し、柳沢は「そんなふうにも感じなかったと思います」「普通だったと思います」と答えている。この点は登美恵が自殺したときにかけつけた堀兼診療所の医師、鈴木将の証言とは食い違っている。
鈴木の証言では、登美恵は自殺の1年前ころに鈴木の所にきて変なことばかり言うので安定剤を与え、自殺する前にも自宅に往診したが、ふとってポチャポチャしていた登美恵が亡くなった時にはすっかり痩せ細ってしまっていたという。
柳沢が虚偽を述べていることは明らかである。
さらに奇妙なのは、柳沢は登美恵が自殺したあと、上田家にかけつけ、「柳沢さん、幸せになって下さい」という遺書を見たと言うのであるが、お通夜にも行かず、葬式にも出なかった、上田家のほうからもお通夜・葬式に来てくれとの誘いもなかった、どんな理由で登美恵が死んだかわからない、調べようとはしなかった、と言うのである。
柳沢は裁判所が何度連絡しても証人として出頭することを嫌っていたという。しかも証言台では登美恵の自殺したときの状況、遺書の内容、葬式のことになると、とたんに質問に対して無言になった。「わからない」などを連発し、「ばかだから忘れちゃう」と証言拒否に近い態度を示し弁護士を苛立たせている。
登美恵の自殺も謎であるが、この婚約者も謎に満ちている。なぜ通夜、葬式に出なかったのであろうか。
1つは柳沢が出たくなかったケースが考えられる。農村でそのようなことをすればあとあとまで非難されるに違いないが、それでも出たくない事情があった可能性はある。
もう1つは、上田家がお通夜、葬式に柳沢が出ることを拒否したケースである。
前者は、登美恵にある原因があって、柳沢がショックを受けて通夜、葬式に出なかった場合であり、後者は登美恵の自殺の原因が柳沢にあってそのために上田家が柳沢を咎めて通夜、葬式に出られないようにした場合である。
登美恵と柳沢、上田家と柳沢の間に何があったのであろうか。そこに金が絡んでいるとは考えにくい。また2人が婚約していたことからすると、もともと両者の間にわだかまりがあった、ということも考えられない。残るのは、複雑な男と女の関係しか、考えられない。
2人が婚約解消を選ばず、登美恵の自殺という結果をまねいていることは、2人だけの事情によるものではないことになる。善枝とそれにかかわる男×が浮かびあがってこざるをえない。単なる男女関係の問題ではなく、善枝の死を媒介にして初めて登美恵の自殺は説明できるのである。
1つの可能性は、X(犯人)= Y(柳沢)という方程式である。登美恵が善枝の死に柳沢が関係していることに気づき、しかもそれに自分も責任がある、と考えた場合である。
もう2つの可能性は、善枝と登美恵が別のXに関係があり、その後柳沢と付き合うようになった登美恵が追い詰められていったケースである。この場合には、登美恵は善枝と柳沢に責任を感じ、しかもXを憎みきれないという、複雑な心理状況に追い込まれることになる。しかも、無関係の山川一雄が死刑判決を受けるのに、音声についての証言など、登美恵も手を貸していた。
どちらであろうか。
柳沢の法廷証言に、真実を明らかにする手掛かりが残されていた。
登美恵の葬式が行なわれたのかどうか、について弁護士から質問されながら、柳沢が無言で答えなかった部分である。弁護士の4回の質問に答えなかったあと、「あなた、或る程度そのときのことは覚えているでしょう」という質問にたいして、柳沢は「嘘をつけないから・・・」と答えている。
ここには、真実のすべてが語りつくされているように思われる。
柳沢は、正直な人間である。葬式に出なかったことも、なぜ、葬式に出なかったか、ということも言いたくなかったのに違いない。しかも、嘘はつきたくないから、葬式があったかどうか、質問されて黙ってしまったのである。
ここには、あの狡猾な犯罪を実行した犯人の姿と重なるものは何もない。
柳沢の証言の態度は弁護士からみれば、さぞかし疑わしいものであったと思われる。しかし、私には、その煮え切らない態度の中に、柳沢の苦悩が見えてくるように思う。
婚約者が死んだとき、柳沢は登美恵から真相を遺書で告げられたものと思われる。通夜、葬式に出なかったのは、よほどのショックを受けたのであろう。
しかし、登美恵に愛情を感じていた柳沢は、死んだ登美恵のことを法廷で悪く言いたくなかったに違いない。真相を自殺によって消し去ろうとした登美恵の気持ちを生かしてやりたい、と思ったのではなかろうか。自分をかばうために嘘をつけなかったのではなく、登美恵をかばうために嘘をつけなかったのであろう。柳沢は沈黙する以外になかったのである。
Xが善枝を殺し、登美恵を自殺に追い込んだケースだけが、この柳沢の沈黙を説明できる。
Xは登美恵と関係があったにもかかわらず、積極的なタイプの善枝とも関係をもってしまい、しかも勝ち気な善枝から結婚することを迫られたのではないであろうか。妻子もあり、社会的な地位もある中年の男が、このような場合に困り果てて凶行に及ぶ、ということは、過去によくある事件のパターンである。
登美恵はその事実に最初は気付かなかったが、山川一雄の逮捕、裁判の過程でうすうすわかるようになったのではなかろうか。気持ちを切り換えて柳沢との生活を始める、ということもできず、次第に追い詰められ、自殺に至ったと思われる。
「『日記には常識で考えられないことが書いてあったんだが』と、賢一さん(33)=農業。常識で考えられないことの内容については言葉を濁す・・・」というのは、1970年12月18日の「週刊朝日」の記事である。その記者に、「常識では考えられない」ことの内容は語られなかったものと思われるが、真相はこの登美恵の日記に書かれていたはずである。
もう1人、真相を知っていた可能性の高い人物が浮かびあがってくる。それは、賢一である。
善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき、『善枝! 本当にこの人なのか?』と聞いても遺影は何もいわず、表情すら変えられないのです・・・
犯人たるおまえに
なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・
苦しかった事だろう善枝よ!
安らかにねむりたまえ! 上田賢一(5月23日サンケイ新聞夕刊)
山川一雄が逮捕された時、兄の賢一が新聞紙上で犯人に呼びかけたこの文章は実に謎に満ちたものである(当時、事件の真相に一番近い報道をしていたサンケイ新聞に手記が寄せられているのは、偶然とは思えない、というのは考えすぎであろうか)。
賢一は、山川に対しなぜもっと早く自首しなかったのか、と責めているようにもとれるが、山川になら、そのような過去形での呼び掛けではなく、むしろ1日もはやく反省して自白してほしい、と現在形で呼びかけるのではなかろうか。
私には、上田賢一はむしろ別の真犯人に呼びかけを行なっているとしか考えられない。
「その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・」という表現は、逮捕された山川一雄の善に語りかけているようにはとれない。むしろ真犯人にたいし山川一雄の誤認逮捕を責めていると見る方が自然である。
「善」を「善枝」にかけて犯人に呼び掛けているが、山川を相手にしてこのような表現がとれるものではない(犯人が、「門」に「かど」と「もん」の両方の意味をもたせたことを見抜いているぞ、と警告しているように思える)。
犯人に怒りや悲しみをぶつけたり、罪は罪として反省を求める、というのが普通の被害者家族の対応である。ところが、この賢一の手紙はそのような家族の気持ちを現在形で自然に表現したものではなく、過去形で犯人の「善」に呼びかけている。なんと奇妙な、特異なことであろうか。
善枝の死体が発見されたとき、賢一は現場にカメラを持っていき、見物者の中に犯人がいるのではないかと考えて写真をとっていたという。自制心が強く、冷静で、しかも大変鋭い人物である。
彼は、犯人が誰か、予想することができ、それを新聞を通してXに伝えたかったのではなかろうか。
しかし、Xは上田家にかなり近い人物であり、警察に通報するにはしのびず、それとなく知らせて、
本人に自首するかどうか、の判断はまかせたのであろう。
その自制心が、その後の姉の登美恵の自殺、さらに清志の自殺という悲劇を招いてはいないであろ
うか。
  
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