『狭山事件を推理する』HP復刻版 資料1

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新たな推理

目次

第1章 事件

第2章 Yの相関

第3章 最終目撃者

第4章 通学路

第5章 車出いく

第6章 情報過剰性

第7章 脅迫状

第8章 脅迫状訂正

第9章 訪問者

第10章 叫び声

第11章 犯行時間

第12章 ロープ

第13章 荒縄とスコップ

第14章 所持品

第15章 Vの悲劇

第16章 前の門

第17章 脅迫状の作成

第18章 殺害・死体遺棄

第19章 黙劇者 

第20章 評決

 資料1 1審判決

 資料2 営利誘拐事件(未)

 資料3 参考文献(未)

  
 
新推理・狭山事件

 はじめに

1 殺害現場はどこか?

2 脅迫状の詩的表現技法
3 誕生祝いの最終食事
4 強姦か合意の性交か
5 単独犯か複数犯か
6 線状擦過傷の謎
7 虫害が示す犯行現場
8 背後からの腕締め
9 後頭部の傷は生前か死後か?
10 「合理的捜査」か「差別捜査」か?
11 「引っ掻き傷」の男
12 「佐野屋から30分」
13 「強姦・殺害」か「和姦・殺害」か?

  14 真犯人像への方法論  

 

 

 

 

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 hyousimidasi.jpg 資料1 1審判決

                    (昭和39年3月11日 浦和地方裁判所)

 

      判 決

       本 籍 埼玉県狭山市入間川○

       住 居    右同

                                 鳶職手伝一夫こと 山川 一雄

                                       昭和14年1月14日生

 

 右の者に対する強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂、窃盗、森林窃盗、傷害、暴行、横領被告事件について、当裁判所は、検察官鈴木寿一、同原正、同河本仁之出席のうえ審理して、次のとおり判決する。

 

       主 文

被告人を死刑に処する。

押収に係る身分証明書1通、万年筆1本、腕時計1個は、いずれも被害者上田善枝の相続人に還付する。

 

       理 由

 (被告人の経歴、本件第一乃至第三の各犯行に至る経緯)

 被告人は、小農を営む傍ら駅の貨車の砂利積人夫をしていた父富蔵と、母リイとの間に、10人きょうだいの中の4男として生れ、小学校5年を修了したのみで勉強を嫌い、農家の子守奉公に行き、その後靴店店員見習、農家雇人、製菓会社工員、土工、養豚業雇人など転々と職を変え、昭和38年3月初頃肩書自宅に帰って、兄久造の鳶職の手伝いをしていたものであるが、埼玉県入間郡武蔵町高倉の土建業北川正雄こと○壬苗方の土工をしていた当時の昭和37年4月頃から同年6月頃までの間に、軽自動二輪車2台を代金合計18万5千円で、月賦で買い入れ、その修理費、ガソリン代の支払を滞らせたり、月賦金を完済しない中に右軽自動二輪車を売却または入質したことによる後始末のための負債がかさんだため、右北川方の土工をやめた後の同年9月頃、父富蔵から約13万円を出して貰ってその内金の支払をした。そのようなことから被告人は家に居づらくなり、翌10月末頃から狭山市大字堀兼○番地養豚業山田和義方に住み込みで雇われ働いたが、長続きせずに約4ヶ月でやめ、昭和38年3月初頃自宅に戻ったのであるが、前記の如く父に迷惑をかけたことや、被告人の生活態度などが原因で、兄久造との間がうまく行かず、同人から家を出て行けといわれ、父富蔵も被告人をかばって久造と仲たがいするなどとかく家庭内に風波を生ずるに至ったので、被告人は、いっそのこと東京都へ出て働こうと思い立った。しかしそれについては、父に迷惑をかけた前記十三万円を返さなければならないと思っていたところ(注1)、その頃たまたま同都内で起ったいわゆる吉展ちゃん事件の誘拐犯人が、身の代金50万円を奪って逃げ失せたことをテレビ放送等を見て知るに及び、自分も同様の手段で他家の幼児を誘拐し、身の代金として現金20万円を喝取したうえ、内13万円を父富蔵に渡し、残りの金を持って東京に逃げようと考えるに至り、その際使用する目的で、同年4月28日頃、自宅玄関先四畳半の部屋で、大学ノートを破った紙を使用して、ボールペンで、「子供のいのちがほしかったら4月28日(注2)夜12時に、女の人が前の門のところに現金二十万円を持って来い。金を持って来れば子供は無事に返すが、時が一分でもおくれたり、警察に知らせたりしたら子供は殺す」旨記載した脅迫状1通を作成し、これを封筒に入れ、該封筒の宛名を「少時様」と記載して準備し、機会があれば右計画を実行しようと考え、ズボンの後ポケットに入れて持ち歩いていた。

 

 (罪となるべき事実)

被告人は、

第一、昭和38年5月1日午前7時30分頃、家人には仕事に行くと称して弁当持参で家を出たが、怠けて西武園の山中や、所沢市内のパチンコ店で遊んで時を過ごした後、同日午後3時項、西武鉄道新宿線入間川駅に帰着し、同駅前の店で買った牛乳2本を飲みながら、あてもなく、恰も同日祭礼のあった右入間川駅附近の荒神様の方へ向かって歩き、同所を通り過ぎて通称加佐志街道を狭山市入間川○番地石橋一男方通称「山の学校」附近まで行ったが、同所から引き返し、再び右荒神様の方へ歩いて来た際、同日午後3時50分頃、同市入間川1750番地先の右加佐志街道のエックス型十字路において、自転車に乗って通りかかった下校途上の埼玉県立川越高等学校入間川分校別科1年生上田善枝(当時16歳)に出会うや、とっさに同女を山中に連れ込み人質にして、家人から身の代金名下に金員を喝取しようと決意し、同女の乗っていた自転車の荷台を押さえて下車させたうえ、「ちょっと来い、用があるんだ」と申し向け、同女を南方の同市入間川字東里2963三番地の雑木林(通称「四本杉」)に連れ込んだが、その途中で逃げられないため同女の自転車を取り上げて自ら押して歩き、なお、同女からその氏名は上田善枝で、父は上田栄作であること及び住所は同市堀兼方面にある落合ガーデンの手前のたばこ屋附近であることなどを問いただし、右雑木林内では同女の手を掴んで奥の「四本杉」の立木附近まで連れて行き、同所で、同女を附近の松の立木に縛りつけ、そのままにしておいて脅迫状を同女の父上田栄作方にとどけて同人から身の代金を喝取し、かつ善枝所持の金品をも強取しようと企図し、同女に対し「騒ぐと殺すぞ」と申し向けながら、立たせたまま附近の直径約10糎の松の立木を背負わせるようにして、所携の手拭で同女を該立木に後手に縛りつけ、所携のタオルで目隠しを施し、その反抗を抑圧したうえ、まず同女が身につけていた同女所有の腕時計1個及び身分証明書挿入の手帳1冊(被告人はこれを三つ折財布という)を強奪した際、俄かに劣情を催し、後手に縛った手拭を解いて同女を松の木からはずした後、再び右手拭で後手に縛り直し、次いで、数米離れた四本杉の中の北端にある直径約40糎の杉の立木の根元附近まで歩かせ、同所でいきなり足払いを掛け、仰向けに転倒させて押えつけ、ズロースを引き下げて同女の上に乗りかかり姦淫しようとしたところ、同女が救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押えつけたが(注3)、なおも大声で騒ぎたてようとしたので、遂に同女を死に致すかも知れないことを認識しつつあえて右手に一層力をこめて同女の咽頭部を強圧しながら強いて姦淫を遂げ、よって同女を窒息させて殺害したすえ、同女が自転車につけていた鞄の中にあった同女所有の万年筆1本など在中の筆入れ1個を強取した(注4)。

 

第二、前記のとおり上田善枝を殺害した後、同女の死体を一時附近の芋穴に隠し、後でこれを農道に埋めて前記犯跡を隠蔽しようと考え、同日夕刻、右死体を両腕で抱えて、同所より浅井千吉所有に係る同市入間川2962番地畑内の、入口の大きさ縦約77糎、横約62糎、深さ約2米70糎の芋貯蔵穴の側に運んだうえ、附近の家屋新築現場にあった荒縄、木綿細引紐(注5)を使用し、死体の足首を右細引紐で縛り、その一端を右荒縄に連結して同死体を右芋穴に逆吊りにし、荒縄の端を芋穴近くの桑の木に結びつけたあげく、コンクリート製の蓋をして一旦死体を隠し、後記判示第3のように脅迫状を上田栄作方にとどけた後、再び右芋穴のところに引き返し、同夜九時項、その途中にある同市堀兼○番地所在の前記山田和義所有の豚小屋から持ってきたスコップで、右芋穴の北側にある同市入間川2950番地の農道に、縦約1米66糎、横約88糎、深さ約86糎の穴を掘り、その中に前記芋穴から引き上げて運んだ善枝の死体を、前記の如く両手を後手に縛り、目隠しを施し、足首を縛り、荒縄をつけたままの姿で僻伏せにして入れ、土をかけて埋没し、もってこれを遺棄した。

 

第三、前記のように上田善枝を殺害した後前記雑木林内において、かねて用意の前示脅迫状を取り出 し、脅迫文中の現金二十万円を持って来るように命じた日時「4月28日」(注2)を「五月2日」に、場所「前の門」を「さのやの門」に、それぞれ所携のボールペンで書き直し(注6)、もって5月2日夜12時に女の人が佐野屋の門の前に現金二十万円を持参すべき旨及び金を持って来れば子供は無事に返すが、もし金を持って来るのが一分でもおくれたり、警察に知らせたりしたら子供は殺す旨の脅迫文に訂正し、なお封筒の宛名「少時様」を斜線で消し、その下方に「上田江さく」と記載して上田善枝の父の名宛にしたうえ、これを上田善枝から強奪した手帳の中に挿入してあった前記身分証明書と共に右封筒に入れ、前記のように善枝の死体を一時芋穴に隠した後、同女の自転車を利用して同日午後7時30分項狭山市大字上赤坂○番地の上田栄作居宅に赴き、表出入口の2枚の硝子戸の合せ目隙間から右脅迫状を差し入れ、間もなく同人をしてこれを閲読するに至らしめてその旨畏怖させ、よって同人から前記金員を喝取しようとしたが、同人において直ちに警察にとどけ出たことから、被告人の指示した翌5月2日午後12時項より、同市堀兼○酒類雑貨商佐野屋こと佐野洋二の店舗附近に警察官等が張り込みをなすに至り、翌3日午前零時10分過ぎ頃、同所に金員を受け取るべく出向いた被告人において、前記指示に基いてそこに来た善枝の姉登美恵と問答中、同女以外にも附近に人のいる気配を感じて逃走したため、右金員喝取の目的を遂げなかった。

 

第四、(1) 山田和義、北島章、山田保夫と共謀のうえ、昭和37年11月19日項、狭山市北入曽○番地東亜電波工業株式会社建築現場において、光陽建設株式会社代表取締役植草光太郎管理に係る杉柱材16本(10.5糎角、長さ3米、時価合計約2万32百円相当)を窃取した。

(2) 浅野清と共謀のうえ、昭和38年1月下旬頃、同市大字堀兼○番地吉山庄平方において、同人所有の成鶏3羽(時価合計約9百円相当)を窃取した。

(3) 北島章と共謀のうえ、同年3月6日頃、同市柏原○番地矢田利方において、同人所有の成鶏2羽(時価合計約千円相当)を窃取した。

(4) 同年3月7日頃、同市大字堀兼○番地岩橋良平方前道路上において、同所に停車中の貨物自動車内より、同人所有の作業衣1着(時価約千5百円相当)を窃取した。

 

第五、山田和義、山田保夫と共謀のうえ、同年1月7日頃、同市入間川字下平野地内薬研坂南側雑木林内において、中口藤男所有の茅約120束(時価合計約2千4百円相当)を窃取した。

 

第六、山田保夫、北島章と共謀のうえ、昭和37年11月23日頃、同市南入曽○番地入間小学校校庭において、坂口健一(当19年)に対し、些細なことから因縁をつけ、同人の顔面を手拳で数回殴打し、更に足蹴りにする等の暴行を加え、よって同人に対し加療約5日間を要する顔面、頭部打撲症等の傷害を負わしめた。

 

第七、(1) 岩橋良平、山田保夫と共謀のうえ、昭和38年1月7日頃、同市大字堀兼○番地杉本留蔵方南側道路上において、前記被害事実を種に金品を要求する目的で押しかけた右坂口健一に対し、同人の顔面を手拳で数回殴打し、更に足蹴りにする等の暴行を加えた。

(2) 同年2月19日項、同市入間川○番地先の路上において、梅内賢(当23年)に対し、些細なことから因縁をつけ、同人の顔面を手拳で2回位殴打して暴行を加えた。

 

第八、昭和37年4月9日頃、所沢小型自動車販売有限会社狭山営業所長中野稔より代金完済まで所有権を留保する特約のもとに同会社所有の軽自動二輪車ヤマハ号250cc1台を代金6万5千円で月賦購入する契約をなし、右軽自動二輪車を受け取り保管中、代金完済に至らない同年6月中旬頃、同市入間川○番地木川寅夫方において、右軽自動二輪車を檀に同人に代金2万5千円で売却して横領したものである。

 

(証拠の標目)                    略

(弁護人等の主張に対する判断)         略

(法令の適用)                    略

  昭和39年3月11日

                             浦和地方裁判所第一刑事部

                                     裁判長裁判官 内田武文

                                         裁判官 秋葉雄治

                                         裁判官 杉本之夫

 

注(その後の裁判で、事実認定が変更された箇所)

(注1) 「原判決の認定は強きに過ぎる」とし、「東京都へ出て働こうと思っていた」ことを動機として変更した。

(注2)  再審に入り「4月28日」を「4月29日」に変更。

(注3)  二審判決は「扼絞の具体的方法についてまではこれを確定することはできない」としたが、扼絞による窒息であることに疑いがないから、死体の状況と自白との間に重要なそごはない、とした。

(注4)  二審判決は、「被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、『本件』の凶行が行なわれた四本杉の所で思案していた間のこと」と変更した。

(注5)  二審判決は、「あらかじめ木綿細引紐を持ち歩いていたことも考えられないわけではない」「偶然どこかに落ちていたものを拾って使ったと考えても、物の性質上、格別不自然ともいえない」とし、新築現場から木綿細引紐をとったという一審判決を変更した。

(注6)  二審判決は、「筆入れの中にあった万年筆を取り出し、それを使って杉か絵の下で雨を避けて脅迫文を訂正したと認めざるを得ない」と変更した。

 

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