『狭山事件を推理する』HP復刻版 第4章 通学路

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「狭山事件を推理する」

(HP復刻版) 目次

 「新推理・狭山事件」後の修正点

第1章 事件

第2章 Yの相関

第3章 最終目撃者

第4章 通学路

第5章 車出いく

第6章 情報過剰性

第7章 脅迫状

第8章 脅迫状訂正

第9章 訪問者

第10章 叫び声

第11章 犯行時間 

第12章 ロープ

第13章 荒縄とスコップ

第14章 所持品 

第15章 Vの悲劇 

第16章 前の門  

第17章 脅迫状の作成 

第18章 殺害・死体遺棄

第19章 黙劇者 

第20章 評決

 資料1 1審判決

 資料2 誘拐事件資料

 資料3 参考文献

 

 
 
新推理・狭山事件

 はじめに

1 殺害現場はどこか?

2 脅迫状の詩的表現技法
3 誕生祝いの最終食事
4 強姦か合意の性交か
5 単独犯か複数犯か
6 線状擦過傷の謎
7 虫害が示す犯行現場
8 背後からの腕締め
9 後頭部の傷は生前か死後か?
10 「合理的捜査」か「差別捜査」か?
11 「引っ掻き傷」の男
12 「佐野屋から30分」
13 「強姦・殺害」か「和姦・殺害」か?

  14 真犯人像への方法論  

 

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 hyousimidasi.jpg 第4章 通学路

 

 父親の栄作によれば、善枝は、いつも5時半項、遅くても6時ころには帰宅していたという。入間川分校から自宅まで自転車で30分前後であったから、2時半項に授業が終わったあと、5時頃まで卓球やお花などのクラブ活動をしていたことになる。

 5月1日は、3時23分過ぎに下校しているから、いつもよりは1時間半早い時刻である。

 善枝がいつもより早く帰った理由として、浅野とよ子は、善枝が「雨が降ってきたから早く帰るといって、傘もささないで雨の中を自転車で帰っていきました」と述べている。

 一方、級友の川田芳子は、「きょうは誕生日で、お姉さんがごちそうを作って待っている」と善枝が言っていた、と2審の法廷で証言している。

 当時のマスコミは、同級生の浅井良江の話として「オリンピックの郵便切手を買って帰りたいし、きょうはわたしの誕生日なので帰る」(五月四日サンケイ新聞)と、いつもより早く帰宅したことを、5月5目の朝日新聞は西川校長の「誕生日だというので、みんなより一足先に帰って」という話を、さらに5月23日の『週刊現代』は「早く帰ってお誕生日のお料理をつくらなくっちゃ」と善枝が話していた、と伝えている。

 いずれにしても、級友の証言によれば善枝は雨の中を急いで帰ったはずであるが、実際には善枝は郵便局に寄ったあと、さらに大沢毛糸店に立ち寄り、そこからやげん坂の方へ最短の通学コースをたどるのではなく、第1ガードの方に道をそれている。

 雨宿りということも考えられないわけではないが、それならむしろ立ち寄った郵便局か大沢毛糸店、あるいはその先の入間川駅の方が自然であって、駅前を外れてわざわざ人気の少ないガード下に行くというのは奇妙である。

 第1ガードの下で善枝を目撃した大島いくは、「その女の子は、ガードの壁にくっつく様な格好でこうじん様の方を向いていました・・・ジロジロと見ながら通ったものですからその人は少し顔をそむけました・・・服や顔等が大してぬれてもいないし、自転車で走って来て雨やどりをしているのなら顔や頭をハンカチかなにかでふくのが普通ですが、そんな事もしてなかったところからして、誰か知り合いの人でも待っているのかなあ、という様な感じでありました」という感想を刑事に述べている。

 ここで思いだされるのが、第2ガードの入り口の向かって左側のところに、うつむきかげんに立っている善枝を見つけたという吉沢健一の証言である。

 その時善枝は普段とは様子が違い、むこうから声をかけてこず、こちらから声をかけても、はにかんで足で石をつつくような仕草をし、何も言わなかった。いつもなら、はっきりと「・・・してるんです」というのに、何の返事もなく、吉沢は誰か人を待っていたのかな、と感じたと言う。

 すでに検討したように、吉沢健一が4月25日の3時頃に善枝と出会ったとするならば、1日にも善枝は第1ガードで誰かと待ち合わせていた可能性が高い。

 ここで気になるのが、「きょうは誕生日で、お姉さんがごちそうを作って待っている」「早く帰ってお誕生日のお料理をつくらなくっちゃ」と級友に善枝が述べていることである。

 ところが、この日、上田家では朝赤飯を炊いて善枝の誕生を祝ったが、夜にお祝いをすることは計画していなかった、と姉の登美恵は証言している。

 善枝が浮き浮きしながら級友に語ったのは自宅での誕生祝いではなく、別の場所でのことではなかっただろうか。

 いつもより早く帰る理由として、同じ堀兼地区の浅野とよ子には「雨が降るから」と言い、他の級友には「誕生祝い」を語っているのは、単に言い訳をしているようには思えない。自慢する、というほどではないが、思わず口をついて嬉しい気持ちが出てしまったのではなかろうか。教師の中畑清子に何か相談があるかのような雰囲気で会いに行っていることも気になる。

 

 善枝の胃の中に250ccもの半粥状の御飯があったことも見逃せない。

 善枝は福富孝に目撃される4時前頃まで生きていたことは確実であるが、12時の昼食にカレーライスを食べてからその時刻までにすでに四時間近く経過している。

 私達の経験に照らしてみても、3時のおやつの習慣があるように、普通3時間もたつと腹がへってきて、胃のなかはカラッポという感じである。そのころに茶碗一杯もの食べ物が胃の中に入っているというのは実感には合わない。

 栄養学・生化学などの専門書を調べてみると、「食物の平均滞留時間は2〜3時間」(内藤博『栄養生化学』)、「通常食後2〜3時間で約90%の内容物が胃から排出される」(真島英信・石田絢子『人体生理の基礎』)、「食後1〜3時間で胃内容がごく少なくなり」(福原武『消化管運動のメカニズム』)などと記載されている。

 裁判では、被害者の胃内容の量、消化の状況(こなれ具合)から、法医学者達は「食後二時間」(上田正雄京大教授)、「食後約二時間前後」(木村康千葉大教授)と鑑定している。埼玉県警の五十嵐勝爾医師だけが「食後最短三時間」との鑑定を行なっているが、「最短」という表現は理解に苦しむ。善枝の昼食時間から逆算したこじつけの判断のように思える。

 家族や級友の証言をみても、善枝はこの日普段と変わりなく、とくに消化を妨げるような精神状態、肉体条件にあったことは考えにくい。また解剖結果でも、胃には何らの病変も見られず、正常であった。善枝の最終の食事が昼のカレーライスであった、ということはどうみても無理である。

 

 もう1つの重要な事実がある。善枝の胃の中には、昼食にないトマトが含まれていた。

この日、2〜4時間目は料理の実習で、17人の生徒は3班にわかれてカレーライスを作って食べた。その指導をした中賀神教諭は警察の問い合わせにたいし、食事内容として「カレーライス(約1合位)(材料・・・肉、馬鈴薯、人参、玉葱、福神漬)」(五月四日)と答えており、級友の利根敏子はトマトは「入ってなかったと思いました」と法廷で証言している。

 昭和38年当時といえば、まだハウス栽培のトマトがふんだんに出回ることはなかった。高価であり、予算を決めてカレーの材料を手分けして買い出しに行ったついでにトマトを買ってくるということは考えにくい。

 また、重油が貴重なこの時代に、狭山地方でハウス栽培でトマトを作るということは考えられず、自宅からトマトを誰かが持ってくる、という裁判所の推理も非現実的である。

 昼食時に学校で善枝がトマトを食べた可能性はない、と言ってよいであろう。

 誕生日の料理を作る予定があるとの善枝の級友への発言、雨の中で最短の通学コースを外れる理由が考えにくいこと、知り合いの人を待っているような状態で第1ガード下にいるところを目撃されていること、以前にも第2ガードで同じような状況で目撃されていること、胃の内容物からみて下校後殺されるまでの間にトマトをふくむ食事をしていること、などの事実を全て考えあわせると、「この日善枝は誰かと待ち合わせ、どこかで食事をし、その2時間後に殺された」とみる以外にない。

 

 善枝の体内にB型の精液が残されていたにもかかわらず、死体には強姦された場合にできるような抵抗傷が全くみられないことも、この顔見知りの人物による犯行という推理と合致する。

埼玉県警鑑識課の五十嵐医師の鑑定によれば、被害者の処女膜には「時計文字盤位の2時、7時、10時のところに遊離緑より、付着基部に達する亀裂」があり、それは「陳旧性亀裂」であったとされている。

木村廉千葉大教授は「裂創形成後1週間以上を経過したもの」で、亀裂が基部に達していることから「過激な運動や手淫、生理用具の挿入」の場合とは異なるとしている。

 さらに五十嵐医師が外陰部の3つの引っ掻いたような損傷を「暴力的性交の際に生じたもの」としているのにたいし、木村教授はこれを生前あるいは死の直後、あるいは死後に表面が粗い物体に擦れてできたものと判断している。

また、強姦死体の殆どにみられる大腿内側の損傷(股をおしひろげようとする際にできる傷)がないことから暴力的姦淫に否定的である。上田正雄京大教授も「死亡直前に暴力的姦淫がなされたという証拠はない」と、五十嵐医師の判断に疑問を表明している。

 さらに木村教授は、被害者のズロースの裏面の外陰部に接する部分に精液が付着している可能性が高いことを明らかにしている。この点については、再審裁判の中で検査が許されておらず、木村教授の判断は肉眼での観察にとどまっているが、もしそれが証明されれば、被害者は性交後、ズロースをはいたあとで殺されたことになる。

 「平素気性が強い方」という父親の栄作、「体育は抜群、男まさり」「走るのも速いし、力も男にひげをとるようなことはない」という吉沢健一らの判断に照らしてみて、善枝が白昼無抵抗で見知らぬ男にどこかに連れ込まれ、強姦されて殺された、ということは考えにくい。

 

 最後に、山川一雄の自白を見ておきたい。福富孝が最終目撃者である時には、X字型十字路で善枝と出会ったという山川一雄の自白が虚偽であることが地理関係から見て明らかなことについてはすでに述べた。

 仮に善枝の最終目撃者が大島いくであったとした場合にはどうであろうか。

 善枝は、第1ガードから西武線に沿って坂口自転車店の方に行ったか、それともX字型十字路の方に行ったのか、どちらであろうか。

 2万5千分の一の地図をみると、第1ガードからX字型十字路にかけて20m以上も登ったあと、今度は10m程下り、加佐志の集落に出るにはさらに上がったり下がったりしなければならない。

 自転車で移動する時、人はこのようなアップダウンのある道は好まないものである。しかもこの道は農道程度の道で狭く、人通りも少ない。しかも距離的にそんなに短いともいえず、女学生が自転車で通ることは考えにくい。それよりなにより、そのような裏道を善枝が知っていた可能性が少ないというべきである。

 現実に吉沢健一、福富孝が西武線に沿った道を通っており、第2ガードで善枝がこの頃目撃されていることからみても、善枝は5月1日にもこの西武線に沿い、坂口自転車店の所を通り、沢・加佐志の集落を抜ける道を通ったとしか考えられない。

 善枝が第1ガードからX字型十字路への道を選び、そこで見ず知らずの山川一雄に捕まった、というストーリーは、大島いく証言からみてもありえないことである。

 

 善枝がこの日第1ガードで男と待ち合わせ、沢の集落を抜けたあと、どこかでその男と料理を作ってトマトをふくむ食事をし、性行為を持ったあと殺された、という推理だけが以上の全ての事実を矛盾なく説明することができる。

 

筆者注:その後、明らかとなった事実をもとにした推理については、「新たな推理」において明らかにしていきたい。