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第9章 訪問者
5月1日、普段は午後5時30分頃、遅くても6時項迄には帰宅する善枝が帰らず、しかも雨が降っているため心配した兄の賢一は、6時50分頃自宅を軽トラックで出て入間川分校に迎えに行ったが、すでに善枝は下校していた。
7時30分頃に自宅に帰り、食事をし、入り口の戸の隙間に脅迫状が差し込んであったのを発見した。それは7時40分頃のことであった。犯人は7時30分から40分の短い期間に脅迫状を差し入れたのであった。
後に検討するが、死体埋没までの時間関係からみて、善枝は上田家に脅迫状が届けられた7時30分以降ではなく、それ以前に殺されたと考えられる。
4時前に坂□自転車店付近で福富孝と出会い、その後仮に30分後にどこかにたどりついたとし、30分程かけて犯人と食事を作って食べ、性交を行なったりして時間を過ごし、食後2時間後に殺されたとすると、殺害時刻は7時項となり、犯人には7時30分過ぎに脅迫状を届けるまでに、少なくとも30分の余裕があることになる。
このような時間関係からみて、もし犯人が自転車に乗ってきたとすると、上田家から30分圏となると狭山市内のかなりの範囲が対象に入ると考えられ、この時間関係から犯行場所を絞り込んでいくことは出来そうにない。
残された手掛かりは、犯人が自転車を届けたやり方である。この点については事件当初から問題にされていて、新聞・雑誌には次のような記事が見られる。
・「(中刑事部長)わずか十分くらいの時間でだれにも見られず、上田さん方の納屋へ自転車を返し、脅迫状を投げこんでいる。これは土地の人間でなくてはできないことだ」(5月5日毎日新聞)
・「(賢一さんが)庭を見ると、いつもの納屋に善枝さんの自転車がちゃんと入れられていた。・・・上赤坂には上田姓が九軒ある。善枝さんの隣も筋向いも上田姓である。犯人は、何軒もある上田家のうちどうやって暗い夜に善枝さんの家に、脅迫状や自転車を間違いなく届けたのだろう。上赤坂部落の家並みや事情をよほどよく知っている者が犯人に違いない」(5月17日「週刊朝日」)
・ 「『脅迫状と自転車は車で運んだんでなきやおかしい』というウワサがなんとなく地元のムードになっていた」(5月27日「週刊新潮」)
・「善枝さんの自転車を上田家に返したことも、脅迫状を届けるのに利用したほか、殺害場所をわからなくさせるための配慮が働いていると推定される」(5月5日毎日新聞)
脅迫状が被害者方に届けられただけならともかく、自転車まで返されていた、ということは、よく考えてみると奇妙なことであった。脅迫状だけなら身に付けていて隠せるから、脅迫状を差し入れる時だけ目撃されなければよい。しかし被害者の女物の自転車に乗っているところを途中で誰かに目撃されるとなると、それだけでアウトである。
7時を過ぎるとなると、時間もかなり遅い。被害者方では学校や級友に問い合わせたり、近所の人に相談したりして捜し回ったり、ことによるとすでに警察に届けている恐れも十分にある。そこへ自転車で乗りつけるというのは、殺人のあとの犯人の行動としてはあまりにも危険極まりない。
脅迫状を書いたときは細心・狡猾で、死体を時間かけて深く埋没し、さらに翌日佐野屋に現れた時にも冷静・沈着という犯人が、この脅迫状を届ける場面だけは八方破れ、というのは考えにくい。
もし、犯人が金目当てで4時前に被害者を捕まえ、強姦・殺害したのであれば、もっと早い時間に徒歩で行動を開始し、雑木林や畑の中を人目に付かないように移動し、7時40分というような遅い時間ではなく、暗くなる7時前に被害者方に脅迫状を安全に届けることも充分に可能である。
実際、上田家では、6時50分頃には、心配して善枝を捜しに出掛けている。農村部の当時の時間感覚からみて、あたりが暗くなれば、一刻も早く脅迫状を届けなければ警察に通報される危険性は増す。
自転車で届ける以外に方法がなければともかく、徒歩で人目に付きにくい雑木林や畑の中の農道を通り、より早い時間に行動を開始して上田家の近くに行き、暗くなってから脅迫状を差し込むことは可能であったはずである。犯人としては暗くなるまで待って、自転車に乗っていく必要はないのである。
自転車を利用する方が楽ではあろうが、後に死体を1m近くも掘って農道に埋めるという、細心でかつ体力のある犯人であれば、徒歩を厭うとは考えにくい。
また雨が降っていたとはいえ、この日は市会議員選挙の当選祝いが各所であり、青年団の集まりもあって結構人の動きがあり、目撃者が全くないことに疑問がもたれる。とくに、堀兼地区は江戸時代の開拓村で短冊型の地割りが行なわれ、集落は道沿いにずっと並んでいたから、その道路上の動きは目撃される可能性が高かった。自転車屋、雑貨屋、酒屋、ガソリンスタンドなどがところどころに開いていたから、それらの店を利用する人などに目撃される可能性もあった。
しかも、各家は同じ様な形で道沿いに並んでいたのに、犯人が目指す上田家を正確に捜し当てていたことも問題となる。何処から何軒目、といっても、門があるわけではなく、各家の境界は不明確で道路ぞいに納屋や小屋、生け垣が並んでいるから、上田家を知らない人がこれを見つけ出すことは極めて困難であったと思われる。

また上田家の敷地内に自転車が返されていたことも、奇妙であった。すでに、警察に通報されている可能性のある時刻である。その被害者方の敷地の中に自転車を持ち込むということは、普通の犯行時の心理ではまず考えられないことである。
どんなに急いでいたとしても、その家の手前で自転車をとめ、付近に隠して、そっと目指す家に近付き、家の内外の様子を伺い、安全を確認してから敷地内に入り、母屋の入り口に忍び寄って脅迫状を戸の隙間に差し込む、というのが自然な行動である。
もし自転車で乗りつけて、いきなり犬にでも吠えかかられたらどうするのであろうか。殺人を犯したあとに、被害者方の庭先に自転車を押して入り込み、脅迫状を差し入れる、というのは実に奇妙な行動である。
それだけではない。納屋に自転車を置いた、ということはさらに奇怪である。上田家の見取り図をみればわかるように、表の道路を犯人がやってきたとするなら、犯人は奥の納屋まで行くのではなく道路からすぐ右手のガレージに自転車を置くのがもっとも自然である。このガレージに入れば、すぐに身を隠せて母屋の方から目撃される恐れはない。
ところが、左手の納屋に入るとすれば、庭先を横切る必要があり、いわば敵前で大転回をするのと同じような危険をおかすことになる。
これは、殺人犯の心理としては、あまりにも常軌を逸している。
以上の状況を考えると、それらは偶然の積み重ねの結果というより、そこには犯人のある意図があったのではないか、と考えざるをえない。脅迫状にみられる情報過剰性と同じく、ここでも犯人の偽装工作の臭いが感じられるのである。
それは「自転車を庭先に乗りつけた」ということが警察にどのような効果を及ぼすか、を計算しつくした犯人の計画性である。
なぜ易々と警察が「車出いく」を信じたのであろうか。そこには、「自転車を庭先にまで乗りつけた大胆不敵な犯人」というイメージが強烈にあったからである。いくらなんでも、紙に書かれただけの「車出いく」を、長年刑事をやってきたベテラン達が軽々と信じたとは考えにくい。 犯人が行動で示した手口が再び繰り返される、と予想したのではなかろうか。手口捜査に馴れた刑事達にとっては、「自転車で来た犯人」が「車出いく」と通告した以上、それを信じたことは、容易に理解できる。
では、犯人は実際に何処から上田家に侵入したのだろうか。
それは、「車出いく」と通告しながら、実際には慎重にも畑の中に登場した犯人の手口を参考にすればよい。佐野屋に裏から現れた犯人の手口からすると、上田家にも犯人は裏からアプローチした可能性が高い。
それを証明する事実はすでに示しておいた。
裏から侵入しながら、表通りを通って自転車に乗って現れた、と犯人が警察に思わせたい時、犯人は何を考えるであろうか。当然、表口の方に自転車を置くに違いない。
その時、犯人は裏の方から様子を窺いながら、何処に自転車を置こう、と考えるであろうか。庭先を横切って、道路にもっとも近いガレージにおこうとするか、それとも最短距離の納屋に置くか、どちらであろうか。
犯人の心理としては、当然、安全な最短距離をとって納屋に自転車を入れるに違いない。なぜなら犯人の主要な目的は脅迫状の差し込みであり、自転車の工作は従であって、そこで危険を冒す必要はない。
では、犯人はいったい何処から自転車を移動させてきたのであろうか。
自転車に乗って、大きな危険を覚悟しながら上田家に遠くから自転車を乗り付けた、という犯人像は、佐野屋に現れた犯人の慎重なやり方や脅迫状のあの精微な構成とは明らかに矛盾する。
人の性格、行動パターンというものは、そんなに変わるものではない。犯人は人目につく可能性のほとんどない道をとおって上田家にアプローチしたとみるのが自然である。
その場所はどこであろうか。
それは、すでに見たように、徒歩でもっと早い時刻に現れなかった犯人の行動から推理することができる。
犯人には交通手段としてではなく、別の動機があって自転車を上田家の納屋に運ぶ必要があった、と私は推理する。
それは犯行現場が被害者方に極めて近く、しかも犯人には自転車を遠くに持って行く時間的余裕がなく、被害者方に届けることで犯行現場を眩まそうとした、という仮説である。
自転車が届けられた以上、犯人は遠くの犯行現場からきた、と考えるのが常識であるが、逆に犯人が被害者方の近くにいた、と考えた方が、自転車に乗った犯人を目撃した人がいない、という事実と合致しているといえる。道路上を遠くから自転車に乗ってくるのではなく、上田家のある上赤坂の集落の北側にずっと続いている屋敷森にそった農道を利用し、裏口から接近したとすれば、誰にも目撃されることなく上田方に自転車を届けることができる。

かなり飛躍した推理かもしれないが、犯行現場が上田家に近い、という可能性以外に慎重な性格の犯人と自転車が上田家に届けられていたことの関係を説明する仮説を他に考えることは出来ない。
自転車をどう処分するか、という課題がまずあって、そのうえでいろんな方法を考えたとき、犯人の頭の中に、「車出いく」を信じさせるために自転車を利用する考えがふと浮かんだのではなかろうか。偽装工作はあくまで付随的に出てきたことで、偽装工作のために自転車を運ぶ、という危険を冒すことは考えにくい。
上田家の納屋に自転車を置く、この大胆な犯人の行動の強烈な印象は誰にだって伝わるであろう。
犯人はこれを思いついた時、佐野屋での成功を確信したに違いない。
しかも、自転車を上田家に届けるというのは、犯人が遠くから自転車に乗ってきた、と思わせる利点もあった。まさに「灯台もと暗し」である。
犯行現場からの自転車の処分、「車出いく」の偽装工作の補強、犯行現場が遠いと思わせる効果、この3つを犯人は同時にやってのけた。一石三鳥である。
以上の推理には、1つの障害があるので、それを検討しておく必要がある。
それは、山川一雄が近所の芦田幸吉方で上田家の所在を聞いたという目撃証人の存在である。芦田は、「5月1日の夜7時30分頃に若い男が自宅をたずねてきて上田方を聞いた。裏の家から4軒目だと教えた。その人物は山川一雄とそっくりだ」というのである。
ところが、すでに見たように、この芦田証言は事件発生から1カ月以上も後の6月4日にでてきた証言であり、なぜ事件直後に警察に届けなかったか、について納得のいく説明ができていない。
とくに、5月23日に山川一雄が逮捕されたあと、連日新聞やテレビで山川一雄の写真が報道されていたのであるが、そのときにこの男だ、と芦田幸吉が気づいている様子がまったくないのに、6月4日に山川一雄の面通しをして判った、というのは信用しがたい。
アメリカやイギリスの法廷小説や映画を見るとよくわかるが、このような目撃証人というのは、証人として不適格とされるに違いない。
事件直後に届けなかったこと、テレビや新聞で山川一雄の写真を見ていた影響を受けていること、何人かの人間を並ばせてその中から山川一雄を選びだしたのではなく、1人だけを見て特定したに過ぎないこと、山川一雄に面通しする前の供述では訪ねてきた男について特徴的なことを何も述べていないこと、これらのどの1つをとってみても、芦田証人は弁護士により陪審員の前で目撃証人として信用できないことを証明されてしまうに違いない(私には、ペリー・メイスンの鋭い質問が目に浮かぶようである)。
では、芦田証人は山川一雄を有罪にするために、実際には訪ねて来た男などいないのに、故意に警察に名乗り出たのか、それとも、訪ねてきた犯人が事実存在し、それを山川一雄と思い込むようになったのか、そのどちらなのであろうか。
芦田幸吉の供述を仔細に見ると、男が訪ねてきたとき、長男(23歳)と3男(14歳)は裏の親戚の家にテレビを見に行っており、次男(18歳)はすでに眠り、長女(20歳)は寝るために部屋に入り、妻は風呂からあがって部屋に入り休む支度をしていた、自分は風呂からあがって一服していた、という。
その状況について具体的に述べられており、事件当日に芦田方を訪ねてきた若い男がいることはどうやら間違いないように思われる。
問題は、その時刻である。その時の芦田方の様子は7時半頃というより、どうみても9時項という雰囲気である。
この時刻には、上田家に招集をかけられた警察官や、上田家に応援にきた遠くの親戚の若者などが上田家の所在を近所で尋ねる、ということは十分考えられる。その人物を芦田幸吉が犯人と思い込むようになったというのが、真実であろう。
事件直後には、時間の点から、芦田幸吉にはこの男のことは意識にはのぼらなかったと思われる。
ところが山川一雄が逮捕され、時間がたつにつれて、芦田幸吉の妻がこの男のことを犯人と疑うようになり、捜査本部の炊き出しに行った時、駐在の田島巡査に話したものと思われる。
幸吉は男が訪ねてきた時刻を覚えておらず、妻がその時刻を「7時40分頃」と言っている、と供述していることからみても、幸吉は妻に引きずられて証言していることが窺われる。
このようなあやふやな、証拠価値のない芦田証言をもとに、犯人が大通りを自転車に乗って脅迫状を届けにきた、という事件イメージをもつことは禁物である。
誘拐事件の犯人が、被害者を殺害したあと、近所で被害者方の所在を聞いた、などという荒唐無稽なことが信じられるにいたったのは、出発点において「自転車を庭先に乗りつけた犯人」という根拠のない思い込みがあったからにすぎない。
そうではなく、「車出いく」と脅迫状に書いて実際には佐野屋の裏から登場した狡猾な犯人のイメージ、「気んじょの人にもはなすな」と指示し、1mも深く穴を掘って死体を埋めるというような、細心で計画的な犯人像でこの事件全体を見るべきである。
過去の事件例をみても、無分別な若者の、粗雑な、ちゃらんぽらんな営利誘拐事件はあるが、それはそれで全体に筋が通っているのであって、この狭山事件をそのような事件と同列におくことは出来ない。
筆者注:その後、明らかとなった事実をもとにした推理については、「新たな推理」において明らかにしていきたい。
  
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