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戦後、日本には占領軍としてアメリカ軍が駐留したように、法律的にはまだ日本の領土であった台湾には、中華民国(国民党)軍が派遣されました。 台湾の民衆は半世紀にも亘り大陸と隔絶されていたわけですから、祖国に復帰できることに大いに喜び、歓迎したそうです。 ところが、国民党軍は靴もはかず、鍋釜・こうもり傘を背負ったヨレヨレの敗残兵であったため、「日本が負けたのはアメリカによってであり、中華民国ではなかった」と皆が思ったそうです。 1949年、共産党との争いに敗れた国民党(蒋介石)は一族郎党を引き連れ、台湾に逃げ大陸反抗の根拠地としました。台湾を一時的な場所であるとし、社会建設を行うどころか、日本時代の資産を党所有とし、食荒らし台湾民衆を弾圧・抑圧しました。 そして、歴史は大いなる暗転を迎えます。「二・二八事件」が発生しました。1947年2月28日のことです。
李登輝前総統が「台湾二二八の真実」(阮美ス著)に寄せた序文に以下の記述があります。
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この事件は「悲情城市」(1989年監督, 侯孝賢 ヴェネチア国際映画祭金獅子賞 )で、初めて台湾国内で公に描かれるようになりました。 当時、内地に引き上げる日本人との交友も描かれています。 台湾映画に造詣が深い田村志津枝さん著「悲情城市の人びと」(晶文社)に公開直後の台湾の様子が詳述されています。 日本時代の国語は日本語でしたが、公学校(小学校)で台湾語の授業もあり、禁止されることは無かったが、北京語に代わり、台湾語が禁止され罰金も科せられるなどの結果、家族内でも世代間の疎通が難しくなったといいます。 (このあたりは、呉念眞監督による映画「多桑」にも描かれています。) 呉念眞監督の講演は日本台湾医師連合のホームページ に紹介されています。 多くの台湾人は身近な者を殺傷された結果「政治」を口にしなくなり、口々に、「犬が去って豚が来た。」とつぶやきました。 有名な言葉です。日本人(犬)は偉そうに威張るが、番犬として我々を守ってくれたが、中国人(豚)は汚くて食い散らすだけだということです。 そういえば、田河水泡が描いた漫画「のらくろ」にの日本兵は犬で、中国(支那)兵は豚だったような。 戦後の一時期に日本の僻地医療の多くが台湾人に担われていたことを思い出しました。 優秀な人は、政治家になるのを避け医師となり、日本を始め海外に脱出したり、またブラックリストに載り、帰台できなくなり、日本人が嫌がる業務に携わったのでしょう。 (日本台湾医師連合のホームページ)
この頃、日本は、自分の国の復興を第一に優先し、半世紀もの間、運命を共にした台湾の存在を全く忘れてしまっていたのです。むしろ、当時の日本政府は民衆を弾圧した中国国民党との友好のパイプを維持しようとしていました。
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新生台湾国の建国を支援しよう! に続く |
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