台湾との出会い

 1999年秋、48歳だった私は当時携わっていた仕事の社会的な意義に疑問を抱き、深刻に悩んでいました。
 当時、発売された漫画「アジアのディープな歩き方」(堀田あきお作 旅行人)の影響を受け、しばしの休暇を取り、リュック一つ背負って往復のエア・チケットと初日のホテルだけ予約し「初めての一人旅」に出かけました。目的地はタイの北部。

 午前に関空を出発しバンコクで乗り継ぎ、チェンマイ空港に着いた時は夜。機内から見えるチェンマイの街の灯はとても美しいものだった。国境の町メーサイからビルマ・タチレクへと徒歩による国境越えは、タイ側にパスポートを預けないとダメだったので、何らかのトラブルに遭遇すると戻れないという不安も感じながらも、ワクワクしたことを覚えています。英語は通じない、(といっても私の英語能力は中学生程度すらないのですが)食事一つとっても自分が何を欲しているのか、日本では深く考えなくて済みますが、相手に理解してもらえるように主張しなければ何もありつけないことを痛感しました。
 また、自分は本当のところ何をしたいのかと年甲斐も無く自分に向き合っていたような気がします。この現地ツアーで一人の台湾人青年と出会い、メールアドレスを交換したことが台湾との出会いの始まりとなりました。私は翌年3月、初めての政権交代となった総統選挙の興奮の余韻が残る台北を訪ね、彼と再会しました。この時、彼の発した言葉(注:下の囲み参照)私を台湾へのめり込ませることになったのです。
  私はこの時の気持ちを、当時定期購読していた雑誌に投稿しました。

  また、台湾との友好を目指す人たちが主催する集まりに何のためらいも無く、参加していったのは自然な流れでした。

 07年に李登輝さんの三度目の訪日が実現したことは本当に嬉しいことです。私と同様に、李登輝さんの存在を通じて台湾を知り、日本を知るようになった人が増えています。日本の未来のためにもすばらしいことだと思います。

時 期

 

2000年3月

初めて台湾を訪問 台北市内

単身

 同  6月 

 妻と訪問 2.28紀念館・淡水・烏来・馬槽温泉(金山)

  同 9月

九フン・三峡等を周遊

マレーシアの帰途・単身

  同 12月

チェンマイで出会った友人の結婚式に出席 烏来

単身

2005年9月

第5回認同台湾研修団(台湾研究フォーラム主催)に参加
 (トウ六にて李登輝前総統にお目にかかる。台南・嘉義・北港等)

研修団参加

 同 10月〜11月

台北・故宮・淡水・新北投・花蓮 

その後、単身で烏山頭ダム・台南 台南から国内線で松山空港へ戻ってきました。

母・姉・叔母・イトコ

2006年9月

第5回李登輝学校研修団参加 その後、単身で阿里山・台中

研修団参加及び単身

 同 12月

2.28紀念館・新北投・九フン基隆・台北101

カンボジアの帰途

息子(19歳)

2007年3月

台北(故宮、2.28紀念館、総統府、新投北…)台中・鹿港

台中から台北まで高鉄(新幹線)に乗って戻ってきました。

カンボジアの帰途

 息子(21歳) 

   同8月

   7回李登輝学校研修団参加 その後、単身で高雄・美濃  

 左営から高鉄に乗って桃園空港から関空に帰着

研修団参加及び単身

雑誌への投稿記事(「週刊 金曜日」2000.8.4号)

『私は偶然に知己を得た台湾人学生に会うため、総統選後の三月末に台北を初めて訪れた。
 彼の「We are not Chinese, we are Taiwanese. Taiwan is not  area, Taiwan is country.」との言葉は、日中国交回復した1972年以降、台湾はこの世に存在しない国家だと信じて疑わなかった私の世界観を変えた。その後、私は台湾に関する本を読み漁り、再び六月に台北を訪問し、二・二八紀念館と原住民博物館を訪ねた。
 日本敗戦後、歓喜とともに迎え入れた国民党政権により台湾民衆は弾圧され、約三万人が虐殺された二・二八事件の五十年後、台北市長時代の陳水扁総統が開館した同紀念館には、日本統治時代における台湾民衆の受難の紹介から始まり、同事件以降の苦難やその後の国民党による圧政を乗り越え、民主化を推進してきた歴史と未来への展望が紹介されている。
 一方、原住民(自ら誇りをもって呼称)博物館には福建省を中心とした大陸からの中華民族が移住する前から住んでいた約十民族(現在約四十万人弱)の歴史・文化が紹介されている。
 これにより私は李登輝前総統が唱え、陳水扁現総統に引き継がれた「省籍、種族を超えた新しい台湾人」という概念を理解することができた。(なお、前者はカセットテープ、後者はパソコン画面の日本語による説明があった。)
 最近、私は戦前の日本で青春期を過ごした李登輝氏が日本語で著した「台湾の主張」(PHP出版社)を読み、彼の中にある日本と日本人に対する深く温かい愛情に接することができ深く感動した。
 日本と台湾とは歴史的な経過もあり正式な国交がないが、私は日本政府には台湾との一層の交流を進める責任があると思う。

ついては彼の訪日が近く実現することを心から期待するものである。』

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