
映画版
2009/06/06
*自動車メーカーアカマにTOBを仕掛けたのはブルーウォールの劉一華。彼は残留日本人孤児三世と名乗り、子どもの頃からの憧れのアカマを純粋に支援するために資金援助をするのだと語るが、アカマの経営陣は信じられない。アカマには芝野が役員として迎え入れられていたのだが、彼は投資顧問のスタンリーブラザーズと共にその敵対買収への対策に当たる事となる。
*鷲津は彼なりの企業再生を行ってきたが、ライオンソースの買収が裁判沙汰になり敗訴したことで、彼を認めない社会に絶望して日本を去っていた。消息のない彼がマーケットではすでに死んだという噂さえささやかれる中、芝野は彼を捜し出し支援を要請する。鷲津は芝野の言葉によって、もう一度日本に帰ることを決意する。
*アカマのホワイトナイトとしてTOBを発表する鷲津ファンドだったが、会見の最中にブルーウォールは買い付け価格を上げることを発表。両者はTOB合戦に突入するのだが、暴挙とも言える高額な買い付け価格を次々提示するブルーウォールに鷲津は手を打てない。
*鷲津のふがいなさにじれたアカマ社長はブルーウォールとの提携を結ぶことを決断する。切られた形の鷲津だったが、彼は水面下で作戦を練り起死回生を狙う。
<テレビ版とのリンク>
意図的だと思うけれど、重なるシーンが多い。思いつくものをいくつか。
*劉がアカマ買収を命じられ、ヘリで東京を見下ろしているシーン。
ハゲタカの再来ということで第1回をなぞっている。
しかし先乗りのスタッフから芝野の写真を渡される劉に
ま〜た芝野は盗み撮りされたのかと笑い出しそうになった。
*劉が派遣工の守山に近づく時に缶コーヒーを渡す。
鷲津と治の初対面も同じだったな。
*劉の死後届いた書類。手を入れた再建案。
大木会長の再建案とダブる。また芝野はそれを受け取る役回り。
<アイデンティティ>
*「誰かになること」がキーワードだった。テレビの時から「あなたはわたしだ」とか言い続けてきた脚本だったけれど、今回も「俺はあんただ」とか、連呼されている。
*資本主義社会の換えのきく部品であることから、「個」であることを大事にする生き方というんだろうか。上手くまとめられないけれど「志」の問題になっていくのだと思う。
*出生を偽らないとはい上がれなかった劉。それがばれた時点で、彼の存在は無になった。守山に「元の場所に帰れ」という中国の言葉を放つ。それは自分への言葉でもあるのだろうが、自分はもう進むことも戻ることも出来なくなっている。その後不条理な死を迎えるわけだが、映画的に彼の無を表したものだろう。犯人が派遣工だったり誰かの意図があったりしたら、その死に意味が付いてしまうから強盗という事になったのかと。
*劉の死後鷲津の元に届いた書類。中にはダーウィンの「種の起源」からの引用がある。生物の中の変異が環境に合っていた場合、生存競争が行われて自然淘汰されて進化する。で合ってたかな?
その変異が種にとって有益か無益かは長い将来からの視点でしか判断できない。劉も鷲津もマーケットの変異分子なのは間違いない。それが有益な変異だと周りが認めるまで安息は訪れない。
<資本主義の焼け野原>
鷲津の台詞って素で聞いたら??って事が多いけれど、これもそうだ。芝野は「お前らしい」って答えていたけれど実際どこかは想像出来ていないと思う(^^ゞ
中国は共産主義の国だけれど、実際資本主義の世界の一部ではある。一生一度も村から出ないような人生を生まれながらに定められている。ある意味情報も乏しく、飛び出そうという気も起こらないのかもしれない。戦前の日本もこういう状況に近いとは思うが、時代は変わった。あの寂れた田舎では時間が止まったように世界の底辺であり続ける。そして鷲津には資本主義の誤った進化がいずれこういう風景を増やしてしまうと感じていたのではないかと思う。
中国というところで少し切ないのは、宗教的な救いも乏しいところだ。村人が紙銭を燃やして死者を送るのは、寺のような組織的に統率してくれるものもなく、死んでからも金のない悲劇を心配せざるを得ない貧しさが表れている。
<鷲津はどこへ行くのか>
*テレビで三島製作所の贖罪を終えた形ではあったが、自分の限界も感じている。劉の残した書類も見て彼の思いを受け止めた。変異である自分たちは種の進化を促す要素かもしれないが、評価は後にしか出来ない。社会から受け入れられないまま、自分の信念を通していくことがこれからも出来るのか。鷲津としてはまだ落とし前はついていない。そういう点、まだ物語は続いて欲しいと思う次第。
