★千葉県大会/私の思い/中学生/発表文集 奨励賞受賞作品!★
奨励賞受賞作品 「生きることの意味」
生きるということは苦しく、つらいことの多いものだ。楽しいことよりむしろその方が多いのでは
ないだろうか。そんなことを考えるようになったきっかけは、私が小学校高学年になった時の
ことだ。私は目の病気で入院することになった。子供病院に入院すると聞いた私は、友達が
できるのではないかという わくわくの気持ちでいっぱいだった。しかし、現実は予想とは
かけはなれていた。同じ部屋になった子供達は、年はそう変わらないものの、あきらかに
私達とはちがうものがあった上手くしゃべれない子、体が動かせない子など、今までの私の
生活では関わることのなかった人達だった。もちろん、そんな中で楽しく生活というわけに
いかなかった私は、たまたまボランテイアで来てくれていた人達や、看護師さんに話を聞いて
もらうことだけが楽しみだった。「りさちゃんって話しかけても無視ばっかりなんだもん。」
「かず君は話してくれるけど体が動かないから遊べない し。」 まだ病気についてうまく理解
しきれていなかった私は、ただ病院生活での不満をぶつけるばかりだった。ある日、私が
暇つぶしにベットの上で本を読んでいると、いつも話しを聞いてくれる人、ひかり姉さんが私に
声を かけてくれた。 談話室につき、いつものように話を始めた私は、いつものように不満を
ぶつけた。 しかし、その日のひかり姉さんはいつものように聞いてはくれなかった。私が
言葉を止めると静かに口を開いた。「確かにここにいるみんなと一緒に遊んでもあなたは
面白くないかもしれない。でも、みなはどうだろう? 自分がうまく動かせない中で、ずっと生活
してこなきゃいけなかったんだよ。ちょっと違うだけで、仲間はずれにされるなんて悲しくない?」
いつものように優しい口調で聞かれ、私は心になんとも言えない痛みを感じた。
その後、ずっと附いている私に、今からでも遅くないと思うよ、と声をかけて頭をなでると、
ひかり姉さんは部屋から出ていった。 私はもやもやしたまま自分のベットにもどると、心の中で
何度もひかり姉さんの言葉を繰り返した。 本当の意味で理解したとはいえなかったかもしれない。
それでも私は、自分のしていたことは間違いだということ、人を傷付けていたということ、それだけは
理解できた。心が痛いまま、みんなのところまで 行った私は自分のできる限られた範囲内で遊ぶ
みんなの笑顔を見て、思わず涙が零れた。「ごめんなさい」と何度も謝る私に、理由も聞かず、笑顔で
大丈夫だと言ってくれた。 私は先程までの痛みではなく、温かい何かで 心が満たされていくのを
感じていた。 それからは毎日みんなで遊ぶことができた。 それは、不思議なほど簡単で、そして
楽しい時間だった。 どんな障害をもとうと同じ人間、互いの関係を豊かにするのも貧しくするのも
接する人の心次第なのだと思う。退院してからの私は、病院での経験をもとに障害者ボランテイア
活動に参加するようになった。 自分が目で苦しい思いをしたこともあり、自然と目の不自由な人達の
補助には力が入った。出かける時の付き添いだったり、 録音や点訳ボランテイアだったりさまざまだったが
どのボランテイアにおいても、印象的だったのは、障害をもった人々がいつも笑顔だということだった。
つらくはないのかと聞いたこともある。しかし、ほとんどの人が幸せ者だと笑っていた。あたりまえのように
普通の生活をしてこられた私は、自分は不幸なのではないかと考えていたことがとても恥ずかしくなった。
そんな強い人達から生きることのすばらしさを 学べたことで、私は少し成長できたように思う。
生きるということは、すごく価値のあることだ。それは、楽しいからやつらいからじゃない。
五体満足かどうかでもない。 生きていることが生きる理由なのだと私は思う。
今、私は生きられることに感謝している。まだまだ小さなひよっ子だけれど、教えてもらった通り自分なりに、
一生懸命、全力で生きていきたいと思います。


