人物紹介

「鳴かぬなら、殺してしみゃぁ、ホトトギスだぎゃ!」

自画像
(1534〜1582)

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ここでは、セイターロがいかなる人物かを紹介しています。まあ、要らないと言えばこれほど要らないページもないのですが、とりあえずなんか作ってみたかったので、やってみました。 

 

セイターロ

 

 19××年、「文化」という、ありがたいのやら、ありがたくないのやらよく分からん、漠然としたものに祝福されながら11/3(文化の日)に生れ落ちる。
 岡山県、某市にて文化とは無縁の環境の中、岡山市のシティーボーイを夢見て、古典漫才の「じゅげむ」の名を丸暗記する日々を送る。

 小学生高学年に「シャーロックホームズ」と出会い、没頭。さらに「ルパン」「少年探偵団」シリーズなど多くの推理小説にはまりつつ、同時に吉川英二の歴史モノにも興味を示す。また、社会の時間に伝統工芸の授業で後継者不足を知り、かなり本気でその道に行こうとひそかに決意する。このときもっとも惹かれていたのが、輪島漆器であったことは、今にして思うとなんとも因縁めいている。この頃自転車競技会なるものの代表に選ばれ、自転車の運転にうるさくなる。全校生徒は、小、中共に100人ほどで、中学3年まで○年A組で通す。

 高校は、当初思い描いていた所を両親と担任に猛烈に反対、説得され、夢にも思わなかった岡山市の高校に進学。入学式に、初めて一人で来た岡山駅で迷子になり、なぜか上級生と一緒に登校。見事な遅刻っぷりで、いきなり先生に注意され、へこむ。さらに、帰りに乗る駅への道を忘れ、一人全く異なる方向へと歩き続け、ガススタのお兄さんに道を聞くという、この年頃にはたまらない屈辱的行為を強いられる。この頃クラス編成という未知なる境遇と出会い、恐れ慄く。
 2年生になり、男が全員体育会系の部に所属という暑苦しくも自由奔放なクラスに飛ばされ、ここで怠け方を学習。以後、成績と共に、人間としての品性も急激に右肩下がりとなり、日本史の授業では、みなが終わりの礼をするため起立している中、一人机にうつぶして曝睡。クラスメイトの失笑と、先生の怒りを買う。この頃、生物の先生に「お前、終わりじゃなぁ。」と言われるも、何が終わりかわからず笑い、怒りに油を注いでしまう。

 岡山大学にだけは行きたくない、と言う本人にも今にして思うとよく分からん理屈により、岡山大学と同じく、受かる確率のかなり低い金沢大学を受験。前期で落ちるも、皆が気を使う中、自習室で大騒ぎをし、同級生の多くを敵にまわす。なぜか後期で合格。

 普通4年で卒業できるはずの大学で、なぜか7年まで在籍。私生活では、カビと戯れ、深夜に小麦粉でうどんを打ち、鯖から炎を出すなど、奇天烈な行為を繰り返す。この間、食中毒とは全く無縁。故郷の岡山でO−157が猛威を振るっているのを尻目に、灰色を通り越して黒くなりつつある豚肉を何とか食えないかと悪戦苦闘。無理やり食うも、なんら体に異常を認められず、元気よくバイトに精を出す。
 この頃バイト先で麻雀を覚え、ついに右肩下がりの人生の折れ線グラフが、表の枠に収まりきらずに見えなくなる。

 初めての金沢の冬の雪に感動。雪とは無縁の岡山県南部育ちゆえに、吹雪まくる雪の中、誰にも踏まれていない雪だまりを探し、早朝にさまよい歩く。膝より高く積もっている場所を発見し、喜び勇んで走り回り、雪に埋もれて見えなくなっていた溝に豪快にはまる。さらに、凍った道路の歩き方を知らず、中学生が登校している目の前で、棚卸を終え、ヘロヘロ状態で両手をポケットの中に突っ込んだまま豪快にすべってこける。
 冬の、雷と霰の二重奏にビビリまくり、絶えず湿度の高い金沢に少しばかり不満を募らす。岡山の乾燥しっぱなしの地中海性気候に思いをはせ、何とはなしにホームシックにかかる。また、安全靴を履き、調子に乗ってそこいら辺にある雪の塊を蹴りまくり、「おおっ、全然痛くねーよ」と狂喜乱舞したことにより靴先に穴をあける。初代安全靴はその寿命を一歳と数ヶ月で終え、いつまでも少年の心を持っていてはいけないとおおいに反省をする。この頃、「日本のロンドン」「ブリ起こし」「弁当を忘れても傘を忘れるな」など、金沢ならではの含蓄ある言葉を知る。

 一年の冬にバイト先でぎっくり腰になる。診察の結果、ヘルニアと断定されるも、藪医者とみなし、治療をボイコット。四年次に立っていられないほどの激痛に苦しめられ、岡山に帰り入院。結局オペすることはなかったが、代わりに神経に麻酔なしで直接注射をぶち込むという、人を何だと思っているんだと言わんばかりの治療を受ける羽目になる。なぜか、かなり楽になり、今現在も軽く突っ張ることがある程度。あまりにも病院食が美味だったため、二週間の入院生活で体重が5キロ減る。

 度重なる両親の帰省要求に何度となく抵抗を試みるも、刀折れ、矢尽きて敗残の兵となり、02年4月に岡山へ下る。現在就職活動中。



代表作:「我が闘争」


最近取った資格:第1種自動車免許



 「ゴーストライターがいた。」とまことしやかに囁かれる『我が闘争』により、その、文化に愛されない才能を如何なく発揮。書いた本人にすら、読み返してもついていけない超前衛的作品として、その名声をより一層貶めるという暴挙を演じる。
 「二の鉄は打たないさ。」とばかりに現在ホームページを作成中。今のところは何とかごまかしているが、いつもう一人のセイターロが現れるかと戦々恐々の日々を送っている。 
2006年09月09日補足

 2005年、社長が店長という「これより下は存在しない」といわんばかりの店舗に移動。右肩下がりの業績の原因を目の当たりにし、深く絶望。この時、『朝、社長と目が会っても挨拶もなく、横を素通り』事件勃発。「挨拶も無いんか!」との叱責に「ああ、おはようございます。」と、顔だけ向けて作業継続。他店の店長からフォローの電話が来るほどの問題へ。(2ヶ月の間、こっちからの挨拶を無視していたのは問題ではないんだろうか?)
 ついに転職を決意。なぜかあっさりと次の就職先も決まり、2005年11月に転職完了。デパートで野菜を売ることとなる。ちなみに12月には前の会社が再生法の適用を受けるというドラマチックな展開に、今でも前の同僚に会うと、「どっから情報仕入れとったん?」などと言われる。本当にたまたまなんですけど…。