★随 想(2)★随 想(1)

目 次

忘れの効用 主婦の生活の知恵 ハガキの内容をパソコンに写す 朝の天空 バナナの保存法 また年末が来て、正月へ!
━━年配者のつぶやき
絵入りハガキと万年筆 老いて生き方の工夫━1━ 老いて生き方の工夫━2━ 10鉄道古書の聖地、さよならセール 11私と風呂ー銭湯・もらい風呂・内風呂などなどー 12剃刀の切れ味
13平成29年七草粥の日

忘れる効用


 私も読書が好きな者の一人である。「ある年齢まで本の購入も普通程度であった」といえば、今はどうですかと聞かれると本当に買うことが少なくなっている。

 勤めていた会社の人が「煙草をやめて、そのお金で本を買った」ということを聞いたとき、こんな人もいるものだと感心したものである。

▼本論に戻ろう。少ない蔵書の中で好きな本は手の届くところにおいている。

 その本をパラパラと開くと、鉛筆で傍線がひかれている。「なるほど、いいことを書いているなあ」と、忘れていたので、前後の文章を読むと、別の語句にひかれたりする。

 しかし、同じ文章を読んでも、異なる読み方をしている。これは誰にでもあることであるようだ。そのわけを考えるのも頭の体操になる。

 以前に買ったとき読んだことを忘れて、まるで新刊書を読むようだと、一人で苦笑している。

▼次に、私たちは、「禍福はあざなえる縄のごとし」の中にいます。幸せや禍は避けることはできません。何時、やってくるかはわかりません。

 幸せは、大いに享受すればよい。その反面の「悲しいこと」は、その事柄があった時、そののちのある期間は、記憶が鮮明で悲しみはつづきます。それが永続したら必ず体に悪い影響がジワリとしのびこまれるでしょう。

 よくしたもので、人には「忘却の力」が備わっているいるようで、時が解決してくれるようである。その期間を耐えることが唯一の悲しみを思い出の一コマに転化させるものだと思います。

▼忘れることにも、記憶がよいことにもそれぞれ効用があります。

 「何事も両面がある」ことだけは記憶しておきたいものです。

平成二十六年一月二十八日

主婦の生活の知恵


  主婦の生活の知恵の一端を介護保険で派遣されている方々からおしえられました。

 その例を三題述べます。

 第一は冷凍うどんの解凍法について

 私は冷凍うどんの解凍を沸騰したお湯の中に数分間浸して解凍して、笊に入れ、水洗いして、汁の中に入れ、煮るやり方でした。

 ところが、電子レンジでの方法を教えられた。500Wで3分30秒、処理して、汁に入れるだけである。

 教えられた方法での食感はレンジによるものが、ぬめり感が少なくて私には美味である。現在はこの法を使っている。

 第二はマヨネーズの使用法について

 マヨネーズをほぼ使い切ったころ、容器の内面に付着している。どうしたものかと、わからず捨てなければならないと思っていた。しかし、派遣されて来て下さっている方の一人が、容器の真ん中を切り半分にして、スプンでこさげとって使用されたので、完全に使いきられました。私には思いもつかなかった。

 第三は歯磨きチュウブの使用法について

 チュウブの中身が使い切ったので新しいものを買わなければと思っていた。これまた、派遣されて来て下さっている別の方の一人が、チュウブの頭を下にして強く数回、強く振ってみなさいと。そこで試してみた。なくなっていたと思っていたが残っていました。その後数回、使えました。また、平素、チュウブは頭を下にして立てておいたらいいですよと、教えられた。

▼私が教えられたことで記憶に残っているのは以上ですが。主婦の皆様は、男性では気付かない生活の中で無数の知恵を体得されていると推察できました。 

平成二十六年二月四日

ハガキの内容をパソコンに写す


 知人二人にハガキをそれぞれに書きました。一人には万年筆、もう一通はボールペンで、自分なりに丁寧にかき終わり、それを見ながらパソコンに書き写しました。

 写しているとハガキの文面がおかしいところがあり修正しました。

▼このたびのようにハガキを書き、パソコンに写すのは二重手間であるのは当たり前で。そんな無理をしなくてもと、ささやく声が聞こえてくるようだ。しかし文章を写していると、修正箇所に気づく効果があった。それだけでも十分だ。

 ハガキの内容の記録がのこるので、後日、読み「ああ、こんなことをかいたのだなあ!」と思い出せるのも楽しいものだろう。

▼書簡を頂いたものを丁寧にみると、年月日が書かれていないものが多い。ハガキにしても表の切手に押された消印を見ると、日付が読み取れるものと、そうでないものがある。

 私は受信した書簡の表の上に年月日を書き込むことにしている。また、今回のように内容を書き、読んだ後、パソコンの日記の当日に打ち込むことにしましたから受信月日も間違いなく知ることができます。

▼書き送ったもの、また送られたもの、それぞれ最低でも二回は読むことになるから、たとえばおくられものの書体が行書で書かれていてもなんとか読むことができる。草書で書かれる人は、私が文通させていただいている方々にはいない。

▼最近、「書体の変化と体調」をホームページにも掲載したように自分の体調も判断できる。

▼写真のような複写ハガキ(現在もあります)による文通を続けたことがあります。私製ハガキ用紙と薄い紙との間にカーボン用紙を入れてボールペンで書き込みます。宛先のお名前・年月日の記入欄もあります。そして。私製ハガキ用紙を切り取り投函する手順になります。従って、記録が残りますので、自分が人様に書いたものは、表題の「ハガキの内容とパソコンに写す」と同じ効果があります。実物は下の絵のようなものです。ご参考に見てください。

 今回だけでは終わるのは禁物である。これからも続けたい

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平成二十六年二月八日


複写ハガキ

故中野様への文面

朝の天空


 4月2日朝(6時30分〜)、隣の町内のラジオ体操に参加した。

 体操していると、一人の方が「空が青い」と言われた。それにつれて「秋はさらに青いですよ!」と言われた方がいた。

 私たちは「空」を滅多に、いやほとんど、見ていないようだ。

▼かって、愚息がニューヨーク市内のアパートに住んでいた。窓はあったが、高いアパートが林立ししていたから、空はわずかの空間しか見えなかった。

 「空が青い」から連想して、さらに、次のことを思い出した。

其の一:高村幸太郎詩集「風にのる智恵子」をおもいだして、岩波文庫をひもとく


 狂った智恵子は口をきかない
 ただ尾長や千鳥と相図する
 防風林の丘つづき
 いちめんの松の花粉は黄色く流れ
 五月晴れの風に九十九里の浜はけむる
 智恵子の浴衣(ゆかた)が松にかくれ又あらわれ
 白い砂には松露(しょうろ)がある
 わたしは松露をひろひながら
 ゆっくり智恵子のあとをおふ
 尾長や千鳥が智恵子の友だち
 もう人間であることをやめた智恵子に
 恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
 智恵子飛ぶ

参考:十和田湖 乙女の像

其の二:私の家内が好きであった坂本 九「上を向いて歩こう」

を思い出す。

 生前、本人が歌うのを聞いたことはなかった。子供たちが「お母さんはこの歌が好きだった」という。

 上を向けば青い空があり希望が満ち溢れている。私は口ずさんで雲のうえの人になった妻を想う……。 

平成二十六年四月三日

バナナの保存法


 毎週3回、スーパーで食品を買っている。素人判断で食品を買ってきては、冷蔵庫に保存している。

 その基準は長期に保存したいものは、冷凍保存、短期のものは冷蔵保存に決めていた。

▼この基準でバナナを冷蔵保存したのは失敗であった。一袋で4本のバナナを買ってきたままで入れておくと2日くらいで皮に黒い斑点がつき始め、3日目には部分的に腐ってきた。

 これはわからないと思い、スーパーのレジのかかりに「バナナの保存はどうすればいいですか?」と尋ねた。

 すると、冷蔵庫にいれないで、台所に置いておけば長持ちすると教えてくれた。

 確かに効果があった。それでも4日目位で、一部腐ってきた。

▼次に、この人に「どうも完全ではないようですよ」と言いますと、「沖縄に行きましたときに、一房(12本くらい)を棒にぶら下げていましたので、室内でぶら下げたらいいのではないでしょうか」と教えられた。

 早速、下の写真のようにして実験開始。3日でも皮にはわずか黒い斑点ができていたが、おいしく食べることができた。6日目でも腐っていなかった。そこで6本のものを買ってぶらさげることにした。

 どうやら、この方法は保存に役立つようである。試してみてください。

▼ある人は、バナナを新聞紙に包んで冷蔵したら良いともいわれる。

 また、皮をむいてこま切れにして冷凍保存すればおいしく食べられますよと言われる。これは冷たくて、気候が暑くなってから行えばよい(これは実験済)。バナナのシャベットのようである。

▼冷蔵庫で保管してはダメな生ものがあるのだろうか。教えてほしいものだ。

 大根は新聞紙に包んで冷蔵すれば、結構長持ちすると、八百屋のおばさんが教えてくれた。

 食品の冷蔵庫の保管も意外にむつかしいものである。それを家庭の主婦は行っているのだから……。

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バナナの保存法

平成二十六年四月六日

また年末が来て、正月へ!
━━年配者のつぶやき


 平成26年の年末がきた。スーパーではお正月の品物がずらり……

 子供の頃には、正月をまつ年末の楽しさがあった。

 それ相当な年になると、一年は早くすぎ去り、また年末が来たと!

 昔の年齢の数え方は正月に一つ年を加えうる数え歳(対:満年齢)であったから、「もういいんだが」とつい思ってしまう。

 何か自分や家族によいことでもあれば「正月とお盆がいっしょにきたようだ」といっていたものであるのだが……。この一年、これぞと変わったことこともない。「なにもなかったのはありがたいことだ」との声が聞こえてくる。

▲平成26年末、働いている若い主婦と話した。

 「正月はどうするの?」と聞くと、「御節料理は作りません。雑煮ぐらいだけですませます」との答え。

 なんとなく、わびしくて味気ない話。時代の変遷で核家族化などが、彼女のことばにひびく。

▲今年も、11月末ころからお節料理の注文の電話が食品を扱っている店から予約受付の電話がきた。

 思い出せば、年末になると、大掃除をして、手料理作りが好きであった家内は、ある年まではせっせと家族のために、あれこれ料理を作り、私は正月用のお飾りの準備をして、子供たちの帰るのを楽しみにしていた。

 数年年前から、同じ店でお節料理をとどけてもらうようになった。

 正月2日までは、家族全員で頂いていたが、3日目には、それぞれが我が家を去り、夕食には二人だけで、残り物を温め、「やれやれつかれたね!」と話していたものだった。

 二年まえからは、外食することになった。

 外食では、もう一つピンとこない。

 私が思うには、「料理は愛情だ」ではないか。

▲「また年末が来て、正月へ!」の題目も、365日の一日と一日であり、過去・現在・未来の流れに過ぎない。

 どうやら、年配者のつぶやきのようだ。

 ふと、高浜 虚子 の<去年今年(こぞことし) 貫く棒の 如(ごとき)もの> を思い出した。

 昭和二十五年十二月二十日、新春放送用に作った句という。当時七十六歳。「去年今年」は、昨日が去年で今日は今年という一年の変わり目をとらえ、ぐんと大きく表現した新年の季語。虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう。「貫く棒の如きもの」の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか。」と、大岡 信氏の説明があった。

平成二十六年十二月三十日


余録 年末の家の大掃除をすす払いと呼ぶ人が…毎日新聞2017年12月10日 東京朝刊

 年末の家の大掃除をすす払いと呼ぶ人が少なくなって久しい。かまどやいろりがなくなったから仕方のないことかもしれない。大掃除をするにしても、最近では大みそかが近づいて行う家もある。だが、すす払いはかつて12月13日に決められていた地域が多かった

▲13日はその年の厄を払い、新年の準備を始める日でもあった。1年の感謝の気持ちを込めるお歳暮も13日から20日ごろまでに贈るのがマナーとされていた。すす払いの習慣が廃れたため、贈る時期も前倒しになったようだ。年末の風景は時代とともに様変わりしていく

▲この時期、新聞は今年の重大ニュースを掲載し、1年を振り返る。政治の分野で誰もが思い浮かべるのは、やはり森友・加計学園問題であろう。いずれも疑惑がすっきりと解明されてはいない。政官界の大掃除、すす払いが済んだとはとても言えない

▲年末、1年を振り返る行事は各地に残っている。鳥取県では12月8日に豆腐を食べる習慣がある。地元の人たちが集まり、いろりの火で焼き目を付けて食べる地域もある。「うそつき豆腐」という

▲豆腐を食べれば、その年についたうそが帳消しになるといわれる。古くは、うそをついて商いをした商人が豆腐汁を作ったという

▲ついたうその数だけ豆腐を食べなければならない地域もあるらしい。記憶にない、と言ったものの、腹いっぱい食べなければいけない人がいるだろう。いや、年の瀬の変わらぬ行事だからといって帳消しにしてはならないうそもある。

新聞社の人も、少しは政治などから離れられては、いかがなものですか……。

絵入りハガキと万年筆


 外科医のM.M.先生から写真のような絵入りの万年筆で書かれたハガキを頂いている。
 平均して毎月一度くらい。万年筆で書かれているから、私も手持ちの万年筆で返信をしています。
 書きながら感じたことは、ペン先から文字が流れ出してきて文章になる、その動きしかないのだが、なんとなく気分が落ち着いていることである。

▼私達は通信にハガキをどのくらいの頻度で使っているだろうか。年賀状として年に1回。それも多くは印刷である。平素はメールではなかろうか。

▼筆記具としては、毛筆・ボールペン・鉛筆などががあるが、ボールペンが主流だろう。
 現在、私の手持ちは、万年筆はパイロット製のもの一本だけになっている。
 以前は、シャープ、モンブラン(ドイツ製)のものも所持していた。モンブランは現役時代、出張先で購入したのであるが、キャップの部分が壊れたので廃棄した。現在の値段はいくらかを調べると、4,000円〜100,000円と幅が広い。

▼先月末、返信しようと万年筆を取り出し、いざ書きはじめようとすると、書けない。キャップを外して、差し込まれれているカートリッジを見ると、インクが空になっていた。めったに使わないから消散してしまったのだろうか?
 机の引き出しの中を見ると1本だけ残っていた。それを差し込み、用をたすことができた。
 次からはインクがないから万年筆も無用となる。

▼インクを捜さなければならない。知人に「どこで手に入るだろうか?」と尋ねた。

「スーパーでは?」との返事。
 スーパーには文房具が準備されていた。売り子に「万年筆のインクはありませんか」と聞くと、捜していたがなかった。
 あきらめているとき、ふと小学校の裏門の前に文房具屋がある。ひょっとしたらあるかもしれないと感じた。


 店の扉を開き「今日は!」と声をかけ、店の中に入ってみると古くて色が変色したものばかりであった。
 奥の部屋からお婆さんが出てこられた。
「万年筆のインクがありますか」と。
 さあ、と言いながら、店の棚を捜して、ありましたと、パイロットのカートリッジがあった。
 「青色はありませんか」と聞くと、あいにく黒色のものしかない。それもわずかであった。
 色を選択しても仕方ないと思い、それを買った。一箱に12本(1ダースが単位か)あり、420円であった。

 これがきっかけになり、子供の頃の文房具店を回想した。私の住んでいた近くに一軒あった。中学校では校内に売店があり文房具が売られていたから、休憩時間に用をたしていたから便利であったものだと……。
 現在はスーパーに大抵のものがある。時代の変遷は文房具にも及んでいるのだなあ。

平成二十七年六月三日

老いて生き方の工夫━1━


 私はこれから先の人生は日々が新しい経験の連続だと考えると同時に「明日のことは分からず、何が起こるかもしれない。従って<ここ・いま>を大事に生きたいと願っている。そのためには健康でありたいと。

▼毎月一度の絵入ハガキ(写真のような)を頂きました。その内容の要点を紹介します。

1:「毎日五千歩は歩く」
2:「おいしいものではなく、何でもおいしく食べる」
3:「読む」
4:「書く」
など模索しながら生きていると、先輩のかたから絵入りハガキ(万年筆で書かれていた)を頂いた。

▼私に当てはめてみますと、

1:「毎日五千歩は歩く」はできていない。3日に一度はスパーへ買物のため約六千歩は歩いている。
2:「おいしいものではなく、何でもおいしく食べる」については思ってみたことがなかった。
 せめて「いただきます」「ご馳走さまでした」の感謝の言葉は忘れたくない。
 私は、足腰が弱ってきている。そのためには、肢への負担を軽減するために体重のコントロールに気をつけている。
 ある年配までは、62Kgを維持していたが、遺伝によるものか、運動不足によるかさだかでない。66Kgになっていた。
 減量の対策として,節食につとめて64Kgになり、少しだが効果が出始めた。
3:「読む」を本に限ればほとんど読んでいない。また最近の本などを買ったりすることは珍しい。
 以前は私の家の近くに本屋があったが、廃業したので、市内まで行かなければならない。「丸善」「紀伊國屋書店 岡山」があるからどんな本でも買えるのだが。
 また、「岡山県立図書館」がある。その蔵書、貸出しなど日本一になっていて、ネットワークがよくて、保存していない本も取り寄せてくれる。
 その気になれば環境は整っている。ただ、自動車を持たないためバスででかけなければなないので、ついつい……。
 しかし、パソコンで朝日・毎日・日経の電子版は毎日拾い読みしている。
 だが、私には一つの楽しみがある。書き続けたホームページを時折、再読することだ。
4:「書く」は、ほとんどしていない。これまたパソコンを利用している。この原稿もそうだ。先輩にハガキを書く時は万年筆を使って書いている。

要点は、健康年齢を保持する。頭の体操を欠かさないことだと思う。自分の体をはじめ頭の働きは、自分が一番よくわかっていますので、それぞれ、自分で計画をたてて実行するに尽きると。

※次はまたある方の老いて生き方工夫━2━を書きます。

平成二十七年七月十六日

老いて生き方の工夫━2━


 今回は岡山市曹源寺で毎日曜日に行われている坐禅会参加者のかたから伺ったお話を紹介します。

 現在の住職は原田正道老師です。前職は故横山一保様(閑栖さんと呼ばれていた)でした。引退されて、同寺院の中の別邸に住まれていた時のお話です。

 まず閑栖さんを紹介します

▼その一

 原田老師が朝3時過ぎのお勤めをすまされて、毎朝6時、別邸の閑栖さんに朝のあいさつにゆかれました。その時、きちっと服装を整えて坐って居られたそうです。

 老師が「横になっていらっしゃっても、よろしいのですが」と、いわれました。

 閑栖さんは「これは貴方を迎えるためではないのです。私の一日の生活のけじめをつけるためです」とおっしゃったそうです。

▼その二

 そのころ、眼が弱り、普通の本は読めないくらいになられていた。そこで、弟子に大活字本を数冊借りてこさせて読書を続けられた。

▼その三

 漢字の練習をするため、広告用紙の裏の白紙を用いて、例えばにんべん、さんずい、きへんなどを書き、その漢字を思い出して書く。思い出せない時は、辞書を引かれる。

▼その四

 部屋の中で、時々居場所を変えられる。そうすることにより、景色が変わって見えるからだそうです。また、必要な物は座しても、手の届くところに集めていておらる。

▼その五

 最晩年、病魔に侵されて市内の病院に入られた。その時、小さな手鏡をもってこさせた。

 必要があるのでしょうかと思われたそうです。

 閑栖さんは「朝、眼が覚めたら、自分の顔を眺められて、どんな顔をしているのかと。看護婦さんが来られた時に笑顔で迎えられるようにしたいからだ」とおっしゃった。

 一生を禅の修行に尽くされて方にして、上に述べていたように「工夫」されていることを教えられました。

 わずかな話しか、お聞きしませんでしたが、その時々の生き方の工夫をされていらっしゃったことでしょう。

参考1:一生担板 

参考2:曹源寺の開山諱・閑栖様13回忌

平成二十七年七月二十一日


(天声人語)だれにでもやさしい文字 2017年3月7日

 いま紙面でお読みいただいているこの活字は縦3・3ミリ、横3・9ミリほど。読みやすい大きさと思われるだろうか、それとも小さすぎるとお感じだろうか。

▼読者の方々の要望を受け、本紙は何度か文字を大きくしてきた。書き手としては正直なところ、載せられる記事量が減ることにさびしさを覚えた。ところが自分も老眼にな ると、「なぜこんなに小さいのか」としみじみ思う。

▼「弱視のため新聞や本を読むと鼻先が黒くなる人もいる。ルーペを手に、顔をこすりつけるほど近づけて読むんです」。NPO大活字文化普及協会の事務局長を務める市橋正光(いちはしまさみつ)さん(43)は話す。読書に困難のある人々のために、一般の本よりも数倍大きい活字の本を刊行してきた。

▼4年前には、本の街として知られる東京・神保町に大活字専門の書店を開いた。村上春樹、東野圭吾、浅田次郎といった作家の作品を刊行してきた。高齢化が進んで目に悩む人が多くなり、引き合いが徐々に増えたという

▼とはいえ、大活字本を取りまく環境は甘くない。1点ごとに出版社や著作者と契約交渉が欠かせない。文字が大きい分、ページが増えて割高になってしまう。

▼市橋さんの話を聞き、ふいにわが祖父のことを思い出した。晩年に視力が衰え、唯一の趣味だった読書がかなわないことを嘆きつつ亡くなった。老いも若きも目を酷使している現代社会である。いまから100年後、200年後の私たちは、どんなサイズの文字に囲まれて暮らしているのだろうか。

参考:神保町に大活字専門書店 弱視、高齢者に配慮

2013/11/12付

 文字を読むのが不自由な弱視者や高齢者が気軽に読書を楽しめるよう、普通の本より文字を大きくした「大活字本」を扱う専門書店「Viva神保町」が東京・神保町にオープンし、話題になっている。同店によると、専門店は全国初という。

 通常の書籍の文字は3ミリ角程度だが、大活字本では7.5ミリ角程度に拡大。出版社や著作者と契約を結び、少部数を発行している。弱視者でも読みやすいよう白黒を反転させた本や、開いたままにしやすいようリングでとじた本もある。

 約50平方メートルの店内には、人気作家の村上春樹さんや池井戸潤さんらの大活字本が約2千冊並ぶほか、拡大読書器やルーペも販売している。本を買う場合は会員(会費年1200円)になる仕組みだ。

 文字を大きくするため、1冊の内容を2〜3冊に分けて印刷しなくてはならず、1冊1890円と割高だ。それでも店には「祖父母に薦めたい」との声が寄せられる。

 弱視の当事者でつくる弱視者問題研究会の新井愛一郎さん(62)は「楽しい読書は、苦しみでもあった」と話す。普通の本を読む時は、ルーペを手に顔が本に触れるまで近づき、読み終えると鼻の頭が真っ黒になるほど。

 開店に向け助言をしてきた新井さんは「まだ点数が少なく弱視者の本との出合いは貧弱だ。この店をきっかけに、いつか全ての本が大きな文字で楽しめるようになってほしい」と期待を寄せた。

 店を運営する大活字文化普及協会の相賀昌宏理事長は「今はベストセラー優先だが、少部数の本も置き、古本の売買や貸本もできるようにしたい」と意気込んでいる。

 問い合わせはViva神保町((電)03・3259・2200)。〔共同〕

平成二十九(2017)年三月三十日:追加。

鉄道古書の聖地、さよならセール


 90歳店主が決意 2016年1月13日

 「鉄道古書の聖地」の一つとしてファンに愛された東京・神田神保町2丁目の篠村書店が今月、店を閉じる。すでに仕入れを止め、書架には空きスペースが目立ち始めた。夫、息子、養子と死別し、バブル期の地上げも乗り越えた店主の篠村嘉代子さん(90)は「最後までお客さんに喜んでもらいたい」と話す。

 靖国通りに面した店の入り口には「全品3割引き」と書かれた紙が張られていた。昨年12月中旬の夕方、10坪ほどの店内は10人の客でいっぱいだった。

 書棚には「鉄道ピクトリアル」「鉄道模型趣味」「鉄道ファン」などの雑誌や、70年代や80年代の国鉄時代の時刻表が並ぶ。もともとは社会科学分野の書籍を中心に扱っていたが、鉄道人気が高まるのに合わせて、次第に鉄道古書を主力にした。

「閉店は残念」と惜しむのは、千葉市から週に1度は通うという常連客の男性(68)。20年近く探し続けていた鉄道雑誌を、篠村書店で見つけたこともある。「資料性の高い古い本がそろっていて、私には聖地のような店です」。10年以上店に通う公務員男性(64)も「インターネットで手に入らない掘り出し物が安く見つかる。閉店までに倉庫から新たに良い本が出てこないか楽しみ」と話す。

 店を1人で切り盛りする篠村さんは、最奥の木製机に陣取り、店内に気を配る。客が本を買おうとすると、ほこりをかぶったレジは使わず、使い込まれたそろばんをパチパチパチ。小気味よい珠(たま)の音を響かせて2度計算すると、「また来て下さいね」と笑顔で本を手渡した。

 終戦後。夫の孝治さんが神保町で露店を開き、自分の書物を売ったのが店の始まりという。篠村さんが嫁いだのは1950年ごろ。孝治さんが本を仕入れて売値を決め、篠村さんが接客を担当。以来、60年以上、店頭に立ってきた。

 多い時は店番や経理などで店員4人とアルバイト2人を雇うほど繁盛した。しかし、閉店の危機も何度もあった。孝治さんが病気で亡くなり、後を継いだ長男も十数年ほどで病死。閉店を覚悟したが、かつて従業員だった男性から「手伝うから続けて下さい」と促され、自ら店主になった。

 80年代のバブル期には、ヤクザ風の地上げ屋が連日来て「いつ出て行くんだ」とすごまれた。怖かったが、夫と築き上げた店を譲る気はなかった。数カ月間耐えていると、そのうち来なくなったという。

 数年前、篠村さんは手伝ってくれていた男性と養子縁組をした。店を譲り、引退しようと考えたからだ。だが、一昨年12月、その男性も亡くなってしまった。「90歳近くなり、後継ぎもいなくなった。もうこれ以上は続けられない」。閉店を決意した。

 在庫をまとめて市場で売って店じまいすることもできた。ただ、最後にもうひと踏ん張りし、出来る限り店で売ってから閉店しようと決めた。「1月いっぱいでやめるつもり。それまではお客さんに来て頂いて、欲しい本を見つけてもらえたらうれしい」

 営業は午前10時〜午後6時。日曜は休み。(遠藤雄司)

▼以上のニュースを読んで、我が家の長男が子供の時、国鉄の時間表を見るのが好きであったのを思い出した。自分の勉強机の上に、国鉄の大判の時刻表を開いて読んでいた。勉強する様子はあまり見かけなかった。

 少し気になったのでどのくらいの学力があるかためしに「1から10まで足すといくらになるか?」とたずねると、即座に「55」と答えた。これで私が教えるまでもなく、教育環境だけを整えてやればよいと心に決めた。

▼ある日、息子が朝からいないのだがと、家内が心配していた。クラレ岡山工場の社宅から引っ越しをして、倉敷にはあまり馴染みがいるわけでないので少し心配していた。夕方、ヒョッコリと帰ってきた。「どこに行っていたのだ」と問いただすと。「伯備線に乗って米子まで汽車に乗って行ってきた」と。時間表を見て計算して出かけたのだろう。小遣いはどうしたのだろうか。

▼友人の家族と、会社の保養所に旅行することになった。

 すると鉄道時間表のマニヤーの長男が、私鉄の南海線の尾崎までの計画を立てて、その時間通りで動けばよかった。大阪駅から難波に出て、南海線に乗っての旅であった。私は時々、その町に会社の工場があったので出張していたので経路は知っていたので安心していたが、ここまで計画を立てるとは。長男はその後、研究者になって今日にいたっている。
平成二十八年一月十四日

10

私と風呂ー銭湯・もらい風呂・内風呂などなどー


 銭湯について:私の故郷では銭湯が2軒あった。午後4時から開かれて、夜は10頃まで利用できて多くの人が利用していた。男湯・女湯と書かれた暖簾をくぐり入ると、番台があり入浴料を受けとっていた。左右に仕切りがあって脱衣場に更衣箱が並んでいた。そこから浴場に入る。浴場の壁に大きな富士山の絵などが書かれていた。小さい町であったから常連はお互いをよく知っていたから話しながら湯船に首までつかり温まっていた。私の弟は帰ってくるとき好きな歌をうたいながらかえってきていた。

参考:現在は、こんな銭湯は殆ど姿を消している。170年昔の江戸時代に銭湯に集まっていた庶民の様子浮世風呂に記載されていた。

 もらい風呂について:我が家のまえに法務局の官舎?とその隣の時計屋さんの家には内風呂があり、時々風呂に入りませんかと声をかけられて、有難く使わせてもらっていた。現在では想像もできない隣近所の親しさを思わされます。

 内風呂について:我が家には五右衛門風呂(鉄製で、底板が浮かせていて、それを足をつかつて底に沈めて入浴)であった。焚口に薪を入れて燃やしていたものであった。めったに使わなかった。

 戦後、栄養失調が原因?と言われていた「疥癬(かいせん)」(両脚の付け根から下がただれる)にかかり、近所の病院だけでなくて、三つはなれた吉名村に皮膚科のよい医院があると聞き、通院治療を受けたが、治癒する気配もなかった。

 そこで、最後の手段として、我が家の風呂で「湯の華」を入れて、一日二回入ってみたところ、10日ほどするとただれがとれた。そしてついに完治しました。

 以上が故郷での風呂についてです。

参考:母・橘三千代の感化をうけて熱心な仏教信者だった光明皇后

■ 安宿媛の実母だった県犬養三千代は、和銅元年(708)の元明天皇の大嘗祭のとき、天武天皇の時代から後宮に仕えていてきた功績を称えられ、杯に浮かぶ橘とともに橘宿禰(たちばなのすくね)の姓を賜わった。橘三千代は熱心な仏教徒だった。養老5年(721)、元明太上天皇の病気平癒を祈って出家し、天平5年(733)に死去するまで尼として仏門に仕えた。法隆寺には彼女の念持仏と伝えられる橘婦人念持仏が所蔵されている。

■ 幼い頃から彼女の感化を受けて、光明皇后もまた熱心な仏教信者だったようだ。そのことは『続日本紀』などの史書に記された様々な事績から垣間見ることができる。

■ まず、天平元年(729)8月、臣下として異例の立后を果たした光明皇后は、奈良・興福寺に施薬院と悲田院を設置すると、皇后直属の「皇后宮職(こうぐうしき)」をその管轄官庁として、病人や孤児・難民救済などの社会福祉事業を推し進めた。この悲田院・施薬院の設置は、彼女の仏教帰依を示す伝説としてよく知られ、後世には次のような伝承を生んでいる。

法華寺のから風呂

■ 伝承の舞台となっているのは、現在の法華寺に残るカラ風呂である。仏の慈悲を実践するために、光明皇后は千人の病人の体を洗ってやりたいと発願されて、浴場を建てられた。そして999人の病人を洗い終えたとき、彼女の前に、全身に膿を持ち紫色に膨れた癩病(らいびょう)患者が来て、体中の膿を唇で吸い出して欲しいと申し出た。

 皇后が口で膿を吸い出していると、みるみるその体は黄金色に輝き、阿閃如来(あしゅくにょらい)となって飛び去ったという。まるで、「天平のマリアテレサ」と評して良いほどの美談だが、事実ではあるまい。


参考2:大浴場付きマンションは高齢化時代の新たな湯治場

2016年3月31日 櫻井幸雄 / 住宅ジャーナリスト

 以前は盛んにつくられたのに、最近見なくなったのが「温泉」や「共同浴場」付きのマンション。自宅につけられた浴室とは別に、マンション全体の共用施設として大きな浴場をつくり、ゆったり入浴を楽しむ。「気持ちよさそうだ」とあこがれる人が多いのだが、一方で敬遠する人もいる。

 敬遠する理由は、ご近所さんと裸のつきあいをするのは苦手、そもそも人に裸を見られたくない、他人と同じ湯に入るのは嫌??というものだ。人によって大歓迎されることもあるが、そっぽを向かれる可能性もある。好き嫌いがある施設なら設置しないほうがよいだろう、と採用例が減ってきたのだ。

利用する人が維持費用を負担する仕組み

 大浴場は清掃や維持のための費用が大きくなる、という問題もある。

 マンション居住者全員が毎日活用するなら、その維持費を出し合うことはできる。しかし、人によって利用度が異なると、利用しない人から不満の声が出る。「利用していないのに毎月お金を負担するのは損だ」というわけだ。

 それで、マンションの温泉や共同浴場施設は徐々に姿を消していった。

 ところが、今、大浴場付きのマンションを訪ねると、意外に評判がよいのだ。それは、不公平が出ない工夫と合理的な活用法が生み出されているからだ。

 たとえば、埼玉県のあるマンションでは、「大浴場を利用したい世帯は、1戸あたり月額2000円のパスを発行する」というシステムが採用されている。

 大浴場を利用するか、しないかは居住者の自由。「利用したい」という人だけから維持費用を集め、利用しない人には負担をかけないわけだ。この方式なら、不公平感は出ない。

 利用者は毎月2000円を払うことになるのだが、これは「1人2000円」ではなく、「1戸あたり2000円」。つまり、月額2000円でパスを手に入れれば、毎日家族で順番に利用できるわけだ。そうすると、新たな長所が生まれる。

高齢者の新たなコミュニティーとして機能

 それは、自宅のお風呂を使わずに済むので、水道代や光熱費が節約できること。加えて、風呂掃除の手間も省ける。だから、家族4人ならばお得度が増すし、高齢の夫婦2人暮らしや1人暮らし世帯では、風呂掃除しなくてよいことが喜ばれている。これなら月額2000円も損ではない。

 1カ月2000円の利用パスは、途中解約も途中契約も可能。さらに、長期不在が生じるときは、不在期間中解約も可能になる。非常によく考えられているわけだ。

 日本は少子化とともに高齢化が進み、高齢の夫婦2人暮らしや1人暮らしが増えてくると考えられている。その高齢者は一戸建てからマンションに住み替える人たちが多い。マンションのほうが段差のない生活ができるし、冬暖かく、夏は涼しい。自宅まわりの掃除やゴミ当番をしなくてよい。北国ならば雪下ろしをしなくてよいなど、多くの便利さがあるからだ。

 分譲中のルネ蘇我ディアパーク(千葉市中央区)のサウナ付き大浴場。利用料は1戸あたり月額1000円だ

 その高齢者にとって、大浴場付きのマンションは都合のよい住まいとなる。1人暮らしになっても、楽にお風呂に入ることができる。万一、風呂場で倒れても、まわりの人が助けてくれる。大浴場でコミュニケーションが生まれる利点もあるだろう。

 最近、姿を消している温泉や大浴場付きのマンション、価値をもう一度見直してもよいのではないだろうか。

平成二十八年三月三十一日


春秋 2016/5/4付

 夏目漱石は風呂好きだったらしく、小説の人物が銭湯や温泉に赴く描写は活気に満ちる。「吾が輩は猫である」で苦沙弥(くしゃみ)先生は混み合う湯船で身動きならず、洗い場の場所取りで若者と口論になった。「坊っちゃん」は温泉でしばしば水泳に興じ、禁札を出されている。

▼重い事典を開くと、意外にも古代から中世で風呂と言えば、密閉した空間で蒸気を浴びる形式が主流だった。浴槽にお湯を満たしての入浴は近世以降、さかんになったという。薪水は高価で、かつ火災への恐れもあって内風呂は普及せず、1808年には江戸に520もの銭湯が建ち、様々な情報の発信源ともなっていた。

▼これも風呂を巡る歴史の一断面か、大阪府吹田市立博物館にバスオールなる小型ユニットバスが収蔵されている。同市などに広がる千里ニュータウンは54年前の入居開始時は風呂なしの部屋も多く、半畳のユニットは昭和40年代にかけ、各戸のベランダに並ぶほどに普及したという。来館者から「懐かしい」の声が漏れる。

▼古代ローマ人がワープし、現代日本の銭湯や温泉に学んでいく漫画「テルマエ・ロマエ」は日本の入浴文化の豊かな姿を照らし出す。熊本地震の被災者の方々にとって、一風呂は大きな慰めとなるだろう。年間十大ニュースが次々に埋まった感のある4カ月余を振り返り、連休の真ん中、湯の恵みにゆるりと身を浸したい。

平成二十八年五月四日追加


★海軍兵学校での風呂−バスと呼んでいたー

  西生徒館で私も利用していた。脱衣場で衣服・越中ふんどし(今は全く見られない。生徒である私たちは使用していた。)を脱いで、前をタオルで隠すこなく浴場に入っていた。浴槽ではタオルは頭の上において、使うことはゆるされなかった。まさにすっぱだかの付き合いであった。

 写真のバスの様子は私が入校した時のそれとかなりかわっている。ゆったりとしていて、生徒たちは前を隠している。私たち76期は多くの生徒がいたので、風呂に入ると後ろから押されるようにして出てゆかねばならないほどであった。更に思い出せば、S.19年10月に入校して、秋から冬になったが、バスは体を温める唯一の手段であった。自習室・寝室でも暖房などはなかった。20歳以下の若者であったから堪えられたのであろう。


★会社の社宅の風呂

 昭和25年4月に入社して、同年8月に岡山工場に勤めることになった。

 昭和29年10月、結婚して、社宅(アパート)に入った。全くの新築の鉄筋コンクリート3階建て、18所帯であった。

 ここでは、アパートの横に、3つに仕切られていた風呂があった。管理人が湯を沸かしてくれていた。17時〜20時の間に全所帯が使用していた。

 1つの風呂に6所帯が使っていた。従って一所帯当り30分しか割りあて時間がなかった。そこで家族全員が一緒に入らなければならなかった。

 その後、写真のような会社のアパートに移る。ここでは内風呂になっていた。

 さらにその後、工場から離れた社宅(北社宅と呼んでいた)に移る。一戸建ての古びた平屋で、内風呂だった。

 倉敷の研究所に転勤した。そこでは、倉敷工場の北側の酒津社宅(入社した時に入った藍風寮があった)に入った。当時桜の名所の酒津公園にちかかった。また蛍も飛んでいる地域であった。

 この社宅は古いものばかりであった。森の中の工場だと思える工場の社宅であっただけに、この社宅のある所も大きな樹木がいたる所にあり、閑静なところだった。

 私たち家族が住んだ社宅は、倉敷市市長:高橋さんが住まれていた住宅の前で一戸建て平屋、広い庭もありました。五右衛門風呂で、家のそとに、焚口があり、入浴していると、家内が「たきましょうか」など声を掛けられていた。その横に大きな桜の樹があった。風呂からでる煙が虫よけになっていたが、ある年に風で倒れた。

 以上のように4度も転々と社宅を移った家内とニ人で、子供ができて四人で渡り歩いた生活史の一側面でした。。


★持ち家を岡山の現在地に建ててからの風呂

 家をたてからある時期に浴槽が不具合になった。

 兄弟夫婦の旅行で、妻が「私は今、家の風呂には、困らされているんですよ。浴槽がこわれ、水道も思わしくなく、水を一滴ずつ一日かけて浴槽一杯にはるのだから、これにはとまどっています。」

 私もわかっていましたので、その後、浴槽をごっそり取り換え新品にしまして、現在にいたっています。

 体がかゆくなったり皮膚に異常を感じたりしますと「湯の華」をつかっていました。乳白色のお湯にはいると温泉につかっている感じがするのも楽しいものした。

 何でもない風呂にでさえも懐かしい思い出があるものだなあー。

平成二十九年五月三日追加


 平成二十九年十一月二十八日、気温が低下して体が冷えてきたので、温めるために、張り付けている写真のような薬用入浴剤「日本の温泉」を使用した。

 草津・別府・登別・道後・熱海 詰め合わせ。当日は、「草津」を使用。若草色の湯【森林乎の香り】と説明されている。香りは説明のとおりであった。肌もすべすべするようだった。

 この冬は、薬用入浴剤を使用して、風邪をひかないで過ごしたいと思っている。

★効能書き:疲労回復、肩のこり、冷え性、腰痛、神経痛、リウマチ、痔、荒れ性、あせも、しっしん、にきび、ひび、あかぎれ、しもやけ、うちみ、くじき

平成二十九年十一月追加


 平成二十九年十一月二十二日夕方、ヘルパーさんが「今日は冬至ですよ」と言って、柚子を袋に入れて持って来て下さった。

 この冬は二日に一度の入浴していた。予定ではなかったが、柚子湯に入ることにした。

 湯船に八個の柚子を丸ごと入れた。お湯の中に体を浸して温まること約5分で柚子を撮み香をかぐと、かすかに匂う。齧ってみると、柚子独特の味。独りで湯船でリラックス。

平成二十九年十一月二十二日追加。


 私の消夏法

 2018年7月15日:11:45〜12:45 水風呂で遊ぶ。10日ころから、最高気温34〜35℃が続いている。ある報道機関は,「3連休中日の15日、日本列島は東北から九州にかけて高気圧に覆われて気温が上がり、35度以上の猛暑日になる地域が相次いだ」と。また、テレビは猛暑が続いているので、こまめに水分と食塩を取って下さい。熱中症にはくれぐれも対処してください、と繰り返し繰り返し注意を喚起している。

 消夏法の一つとして私は、水風呂で遊んでいる? 

 具体的表現すれば、<風呂桶を 水に浮かべて 夏消えぬ>である。約30分〜60分。一日2回にしている。

 水風呂からあがると、タオルで拭わないで、自然に乾かす方法が体温を冷やすに好都合のようである。

 暑くて長い夏をこのようにして乗り切りたい。

11

剃刀の切れ味


 剃刀には電動式、日本式(理髪店がよくつかっている)、使い捨て安全カミソリ、刃を交換するものなど各種ある。

 私はシックの交換式を使っている。替刃の交換目安2週間とかかれていまる。しかし、実際はそんなに長くはないようだ。もう少し長く使えないものかと思いながらも、こんなものだろうと思い込まされていた。

 ところが平成27年(昨年)2月に写真のような使い捨ての安全カミソリを4本もらった。そのうちの1本は少し使って、刃物を捨てる箱にいれていた。次の1本を使いはじめ、切れ味はほとんど変わらないで1年2カ月の今日(毎日ではなく3日ごとに使用)まで、使っても切れ味は殆ど変わらない。不思議だなあ! 

 そこで、捨て箱に入れていたものをためしに使ってみると切れ味は良いのに驚かされた。使い捨て安全カミソリは1回使用だとの私の思い込みが覆された。

 品質管理では器具の使用期間が明示している場合、その期間が来ると使えなくなるのが品質管理の最高の技術だと教えられていた。

 長期に使用していて故障すると、この機種の部品が残っていませんから修理できません。悪しからず新しいものにしていただけませんかと言われる、今日この頃……。

 こんなことを考えていると、「自分の思い込みは時に疑え!」と……。
平成二十八年四月九日


12

平成29年七草粥の日


 春秋 2017/1/7付

 コンビニのおにぎりや弁当が並ぶ棚に、見慣れぬ黒い容器を見かけ手に取った。「七草がゆ」とある。小袋の塩もついていた。店員さんによると「お昼時にはバーッとはけますよ」とのことだ。大きく変わった社会の中でも、古くからの風習はしっかり根を張っている。

▼「正月七日、雪のない所から菜を摘む」と枕草子にある。7種の菜を吸い物にする習わしがあったようだ。おかゆにし始めたのは室町時代から。江戸期には害鳥を追い払う「鳥追い」の行事と結び付き、「鳥が渡ってくる前に」などとはやしながら、まな板をたたいたという。災いを遠ざけ、豊作を祈る意味があったのだ。

▼「かゆには十の利益あり」。福井県の永平寺で修行する僧は、食事の前にこんな経文を唱える。「色つやがよくなる」「気力が増す」など主に体への効用が続くが、かゆが出てくる中国の故事には「栄華のはかなさ」を説くものもある。「邯鄲(かんたん)の夢」だ。貧乏書生が邯鄲の町の茶店で、仙人に身の不幸を嘆く所から始まる。

▼仙人は書生に青磁の枕を授けた。書生は夢の世界で50年間、人生の絶頂とどん底を味わい尽くす。目覚めれば、仙人と会った同じ日で、眠る前に作りかけのかゆは、煮上がってもいなかった、というものだ。いま、トランプ次期米大統領が「わが世の春」とばかりつぶやきを続けて いる。故事への感想をぜひ聞いてみたい。

▼七草粥ならぬ私のおかゆ:お粥を一人で作ったのは2回目であった。今回は5勺の生米のお水を一人用の土鍋に一杯にいれて、約30分ひたしておいて、炊き始めた。弱火にして10分もすると吹き上がる。しかし米粒は堅いうえに底に焦げ付きそうになる。柄杓でかきまぜながら注意してかき混ぜる。出来上がったころを見計らって、ほうれん草を少し加えて、塩を加える。人さまには食べていただけるようなものでないな!と思いながら正月のささやかな朝食。

平成二十八年一月七日

 

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