森 信三 先生 (1896~1992年)

11月


かなしみは

かなしみは

 わたしを強くする根

かなしみは

 わたしを支えている幹  

かなしみは

 わたしを美しくする花

かなしみは

 いつも堪えていなくてはならない

かなしみは

 いつも噛みしめていなくてはならない

        真 民



 十一月一日

 男は無限の前進にけるところがなければならぬ。

 女は耐えに耐えつつ貫き通すことが大切。

2011.11.

 十一月二日

 死の絶壁に向かってよくボールを投げつけ、そのはねかえる力を根源的エネルギーとしながら、日々を生き抜く人物の生きざまは、げにもすさまじい。

2011.11.

 十一月三日

 日本史を通観する時、天皇は民族の中心といってよい。だがそれは生身としてではなく位格としてである。随ってそれが中心となった時代は比較的短く、かつ実効を伴わなかった。

 そしてそれが顕著に功績を挙げたのは、上古を除けば、近世ではほとんど明治期だけといってよい。それは、明治期は我らの民族が封建体制を脱して、近代国家として世界に門戸を開くという異常な時代だったが故であろう。

2011.11.

 十一月四日

 肚をすえるという事は、裏返せばすべて神まかせという事でもある。

 だが単に神まかせというだけでは、まだ観念的であって、よほどそれに徹しないとフラつきやすい。

2011.11.

 十一月五日

 宗教とは、ある面からは現実認識への徹到ともいえよう。

 そしてその場合、現実の中心を為すのはもちろん人間である。

 随って人は、宗教によって真の人間認識に達しうるともいえよう。

2011.11.

 十一月六日

 嫉妬は女にのみ特有のことではなく、男女に共通する最深の罪といってよい。

 そしてそれは結局、自己の存在がおびやかされる事への危惧感であって、いかに卓れた人でも、事ひと度自己の専門に関する事柄ともなれば、いかに隠そうとしても嫉心が兆す。

2011.11.

 十一月七日

 真に心深き人とは、自己に縁ある人の苦悩に対して深く共感し、心の底に「大悲」の涙をたたえつつ、人しれずそれを噛みしめ味わっているの人であろう。 

2011.11.

 十一月八日

 津軽野をわが訪ひ来ればまず仰ぐ岩木霊山よ常若とこわかにして

 津軽野にすがしくたてる岩木よ霊山というもうべにこそあれ

2011.11.

 十一月九日

 どんな地位にある人でも、一旦盲目になったら、あんまになる他に途はない。

 それ故一刻も早くそこまで身を落とさねばならぬ一一

 これが三十代の半ばにおけるわたしの自慢の一支柱でした。

2011.11.

 十一月十日

 人間は真に覚悟を決めたら、そこから新しい智慧が湧いて、八方塞がりと思ったところから一道の血路が開けてくるものです。

 十一月十一日

 知識の完全な模写物より、自分がからだでつかんだ不完全知の方が現実界でははるかに有力である。

2011.11.

 十一月十二日

 この世では、総じてキレイごとで金をもうけることはむっかしい。これ現実界における庶民的真理の一つといってよい。

2011.11.

 十一月十三日

      西晋一郎先生

 うつそ身の人の形にれましてもろもろ人に道示させし

 みいのちに触りせざりせばおぞの身のいのち如何に生きむとやせし

2011.11.

 十一月十四日

 名利の念を捨てることは容易でないが、それはとにかくとして、少なくとも名利が絶対的でない事を知らせて下すった方こそ、真に「開眼」の師というべきであろう。

2011.11.

 十一月十五日

 師は居ながらにして与えられるものではない。

 「求めよ、されば与へられん」というキリストの言葉は、この場合最深の真理性をもつ。

2011.11.

 十一月十六日

 「知愚一如」の真理を身に体するのは、容易なことではないが、一応分からせて頂いたのは、河上肇博士の宗教の師で、「無我愛」の行者の伊藤証信さんからでした。

2011.11.

 十一月十七日

 知って実行しないとしたら、その知はいまだ「真知」でない――との深省を要する。の哲学の第一歩は、実はこの一事から出発すべきであろうに―。

2011.11.

 十一月十八日

 地上の現実界は多角的であり、かつ錯雑窮まりない。随って何らかの仕方で常にシメククリをつけねば仕事は進まない。そしてそれへの最初の端緒こそ、ハキモノを揃えるしつけ丶丶丶であって、それはやがて又、経済のシマリにもつながる。

2011.11.

 十一月十九日

 を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。随って人間もを自覚してから以後の歩みこそんものヽヽヽヽになる。

 だが才能のある人ほど、その関心が多角的ゆえ、「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。

2011.11.

 十一月二十日

 を突きとめ をまもる。

2011.11.

 十一月二十一日

 人間の真価を計る二つのめやすヽヽヽー。

 一つは、その人の全知全能が、一瞬ヽヽに、かつ一点ヽヽに、どれほどまで集中できるかということ。

 もう一つは、睡眠を切りつぢめても精神力によって、どこまでそれが乗り越えられかということ。 

2011.11.

 十一月二十二日

 すべて一芸一能に身をいれるものは、その道に浸りきらねばならぬ。躰中の全細胞が、面なら面、短歌ならば短歌にむかって、同一方向に整列するほどでなければなるまい。

2011.11.

 十一月二十三日

 声は腹より出すものなり。 

 座談に至るまで、その一語一語が腹より出づるに到れば、これひとかどの人物というべし。

 それには常に下腹の力の抜けぬ努力が肝要。

2011.11.

 十一月二十四日

 我執とは、自己の身心の統一が得難く、その分裂乖離の結果、心の欲望の対象に偏執する相といえる。

 それゆえ、およそ「修業」の根本となるものは、いずれも身・心の相即的統一を図る工夫をを念とする。

2011.11.

 十一月二十五日

 人は他を批判する前に、まず自分としての対策がなければならぬ。

 しかも対策には何よりもまず着手点を明示するを要する。

 この程度の心の用意なきものは、他を批判する資格なしというべし。 

2011.11.

 十一月二十六日

 今や東京は、その人口が世界最大のみならず、政治・経済・文化等の一切を貪り集めている。

 そのうえ、文化の伝達機関たる出版までも独占し、ためにアメリカ風の浮薄な文化が、今や全国的にまんえん丶丶丶丶して、ほとんどその極に達せんとしつつある。

 これ私が「遷都論」を唱えざるを得ないゆえんである。

2011.11.

   

十一月二十七日

 学問や思想の世界においてさえ、真に自分の眼でその真偽・優劣を判断せずに、広義の世評を基準としてしか物の判断のできない人が多いということは、真に嘆かわしい極みである。

2011.11.

 

 十一月二十八日

 交通機関の速さが、今後人間関係をいよいよ複雑にし、かつ刹那的にするであろう。ではそうした狂躁的な社会にいかに対処するかが問題だが、これも根本的には各自が「腰骨を立てる」以外にみちはあるまい。

 というのも結局は、自分の主体的統一を堅持する以外に途はないからである。

2011.11.

 

 十一月二十九日

 人間は(一)職業に対する報謝として、後進のために実践記録を残すこと。

    (二)この世への報謝として「自伝」を書くこと。随って自伝はその意味からは一種の「報恩録」ともいえよう。

    (三)そして余生を奉仕に生きること。

 これ人間として最低の基本線であって、お互いにこれだけはどうしてもやり抜かねばならぬ。

2011.07.01

 

 十一月三十日

 冬に入る日本海のすさまじさ潮騒しおざいの音を聞きにけるかも

 陽の落ちて暗くなれるこの岸に打ちともよせる潮騒の音  (石見の海)

2011.11.

 


    朋 遠 来

 遠国ゆ訪ひこし友とひと時を語りつつをり命惜しむがに

 この友の一世ひとよのあゆみ思ひつつわれも語りぬ在り経しことゞも

 これの世に命ふたつが相触りしえにしをぞおもふここに真向ひ

 宿世すくせえにしとやいはめこの友のひと世の歩みしみじみと聞く  

 


 私は人間への奉仕を介して見神にはげんでいる。

 私は神が天界にましますのでも、下界にましますのでもなく、一人一人の人間の心の中になしますのを知っているからだ。

 実際、宗教はわれわれ人間の行為のすべてに浸透していなければならぬ。

 そうなってこそ、宗教は宗派心ではなくなり、宇宙の秩序ある道義的秩序への信頼を意味するものとなる。
                                    ガンジー

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