十一月十八日
地上の現実界は多角的であり、かつ錯雑窮まりない。随って何らかの仕方で常にシメククリをつけねば仕事は進まない。そしてそれへの最初の端緒こそ、ハキモノを揃えるしつけであって、それはやがて又、経済のシマリにもつながる。
2011.11.
十一月十九日
分を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。随って人間も分を自覚してから以後の歩みこそんものになる。
だが才能のある人ほど、その関心が多角的ゆえ、「分」の自覚に入るのが困難であり、かつ遅れがちである。
2011.11.
十一月二十日
分を突きとめ 分をまもる。
2011.11.
十一月二十一日
人間の真価を計る二つのめやすー。
一つは、その人の全知全能が、一瞬に、かつ一点に、どれほどまで集中できるかということ。
もう一つは、睡眠を切りつぢめても精神力によって、どこまでそれが乗り越えられかということ。
2011.11.
十一月二十二日
すべて一芸一能に身をいれるものは、その道に浸りきらねばならぬ。躰中の全細胞が、面なら面、短歌ならば短歌にむかって、同一方向に整列するほどでなければなるまい。
2011.11.
十一月二十三日
声は腹より出すものなり。
座談に至るまで、その一語一語が腹より出づるに到れば、これひとかどの人物というべし。
それには常に下腹の力の抜けぬ努力が肝要。
2011.11.
十一月二十四日
我執とは、自己の身心の統一が得難く、その分裂乖離の結果、心の欲望の対象に偏執する相といえる。
それゆえ、およそ「修業」の根本となるものは、いずれも身・心の相即的統一を図る工夫をを念とする。
2011.11.
十一月二十五日
人は他を批判する前に、まず自分としての対策がなければならぬ。
しかも対策には何よりもまず着手点を明示するを要する。
この程度の心の用意なきものは、他を批判する資格なしというべし。
2011.11.
十一月二十六日
今や東京は、その人口が世界最大のみならず、政治・経済・文化等の一切を貪り集めている。
そのうえ、文化の伝達機関たる出版までも独占し、ためにアメリカ風の浮薄な文化が、今や全国的にまんえんして、ほとんどその極に達せんとしつつある。
これ私が「遷都論」を唱えざるを得ないゆえんである。
2011.11.
十一月二十七日
学問や思想の世界においてさえ、真に自分の眼でその真偽・優劣を判断せずに、広義の世評を基準としてしか物の判断のできない人が多いということは、真に嘆かわしい極みである。
2011.11.
十一月二十八日
交通機関の速さが、今後人間関係をいよいよ複雑にし、かつ刹那的にするであろう。ではそうした狂躁的な社会にいかに対処するかが問題だが、これも根本的には各自が「腰骨を立てる」以外に途はあるまい。
というのも結局は、自分の主体的統一を堅持する以外に途はないからである。
2011.11.
十一月二十九日
人間は(一)職業に対する報謝として、後進のために実践記録を残すこと。
(二)この世への報謝として「自伝」を書くこと。随って自伝はその意味からは一種の「報恩録」ともいえよう。
(三)そして余生を奉仕に生きること。
これ人間として最低の基本線であって、お互いにこれだけはどうしてもやり抜かねばならぬ。
2011.07.01
十一月三十日
冬に入る日本海のすさまじさ潮騒の音を聞きにけるかも
陽の落ちて暗くなれるこの岸に打ちともよせる潮騒の音 (石見の海)
2011.11.
朋 遠 来
遠国ゆ訪ひこし友とひと時を語りつつをり命惜しむがに
この友の一世のあゆみ思ひつつわれも語りぬ在り経しことゞも
これの世に命ふたつが相触りし縁をぞおもふここに真向ひ
宿世の縁とやいはめこの友のひと世の歩みしみじみと聞く
私は人間への奉仕を介して見神に励んでいる。
私は神が天界にましますのでも、下界にましますのでもなく、一人一人の人間の心の中になしますのを知っているからだ。
実際、宗教はわれわれ人間の行為のすべてに浸透していなければならぬ。
そうなってこそ、宗教は宗派心ではなくなり、宇宙の秩序ある道義的秩序への信頼を意味するものとなる。
ガンジー)