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| ☆森 信三『一日一語』 |
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念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころから となえる ようになった そして そのたび わたしの花が ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいて いった 真 民 |
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二月一日 「人生二度なし」―この根本認識に徹するところ、そこにはじめて叡智は脚下の現実を照らしそめると云ってよい。 2012.02.01 二月二日 世の中はすべて「受持ちなりと知るべし。
「受持ち」とは 2012.01.02 二月三日 天下第一等の師につきてこそ 人間も真に生甲斐ありというべし。 2012.02.03 二月四日 生身の師をもつことが、求道の真の出発点。 2012.02.04 二月五日 苦しみや悲しみの多い人が、自分は神に愛されていると分かった時、すでに本格的に人生の軌道に乗ったものといってよい。 2012.02.05 二月六日 自分に対して、心から理解しわかってくれる人が数人あれば、一応この世の至楽というにあたいしよう。 2012.02.06 二月七日 金の苦労によって人間は鍛えられる。 2012.02.07 二月八日 人間は腰骨を立てることによって自己分裂を防ぎうる。 2012.02.08 二月九日 悟りとは、他を羨まぬ心的境涯ともいえとう。 2012.02.09 二月十日 名・利というものは如何に虚しいものか。しかも人間はこの肉の体の存する限切りは不可能と言ってよい。 2012.02.10 今日は建国記念日。これについては反対の説もあるようであるが、米国などのように、歴史の浅い国では実証的建国資料もあるが、我が国のように長い歴史をもつ国ではそれは不可能である。 そこで立場は二つ。科学的に正確な資料がないから放って置くか、それとも、民族の伝承に従って慶祝するかという二種の立場があるが、私は後者の立場に賛したい。 2012.02.11 物事は一おう八〇点級の出来栄えでよいから、絶対に期限に遅れないこと。これ世に処する一大要訣と知るべし。 2012.02.12 「家計簿」をつけるということは、妻たり主婦たるものの第一の絶対的義務。 2012.02.13 一切の人間関係のうち夫婦ほど、たがいに我慢の必要な間柄はないと云ってよい。 20012.02.14 信とは、いかに苦しい境遇でも、これで己の業が果たせるゆえんだと、甘受できる心的態度をいう。 2012.02.15 観念だけでは、心と躰の真の統一は不可能である。されば身・心の真の統一は、肉体に座を持つことによって初めて可能である。 2012.02.16 ぺスタロッチー 人類の夕暮れを歎く一人の隠者のこころだれか知るりけむ 八十路過ぎて帰り来りしノイホーフの土は寒けく明け暮れにけむ 20121.02.17 二月十八日 人間として最も意義ふかい生活は、各自がそれぞれ分に応じて報恩と奉仕の生活に入ることによって開かれる。 2012.02.18 手紙の返事はその場で片づけるが賢明。丁寧に―と考えて遅れるより、むしろ拙速を可とせむ。 2012.02.19 二月二十日 偉れた先賢に学ぶということは、決局それれらの人びとの精神を、たとえ極微の一端なりともわが身に体して日々の実践に生かすことです。 2012.02.20 二月二十一日 師の偉さが分かりだすのは(一)距離的に隔絶していて、年に一回くらいしか逢えない場合(二)さらにその生身を相見るに由なくなった場合とであろう。 2012.02.21 二月二十二日 一人の卓れた思想家を真に読みぬく事によって、一箇の見識は出来るものなり。同事に真にその人を選ばば、事すでに半ば成りしというも可ならむ。 2012.02.22 二月二十三日 人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に一。 2012.02.23 二月二十四日 縁は求めざるには生ぜず。内に求める心なくんばたとえその人の面前にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし。 2012.02.24 二月二十五日 書物に書かれた真理を平面的とすれば、「師」を通して学び得た真理は立体的である。 <,/ruby>p> 2012.02.25 . 二月二十六日
満身 2012.02.26 二月二十七日 私は卅五歳前後のころに心ンお一大転換ー回心一が起き、それ以後私は石が好きになって、石だけが唯一の趣味でした。
ところが、それが卅年も続いたところ突然石ブームが生じて、石にも値段がつき、その上に切ったり磨いたりし出したので、それを 2012.02.27 二月二十八日
小夜
零下廿度の空き家に 2012.02.28 二月二十九日 春近き六甲山の山肌や厳(いか)しきが中に和(なご)みそめつも 山頂にありし斑雪(はだれ)もいつしか見えずなりつも春近づけば 2012.02.29
腰骨を立て通そう しっかりした人間になる手はじめは、まず二六時中腰骨をシャンと立てることです。それには (要領) (一)まず、お尻をウンと後ろに引き、 (二)つぎには腰骨の中心を、ウンと前へ突き出すのです。 (三)最後に下腹に力を入れて持続すること―― そうすると、肩の気張りがとれ、全身の力が臍下丹田(せいかたんでん)に収まって、上体が楽になり、ドッシリと落ちついた人間に慣れます。 このような姿勢を、一日中つづけることによって、われわれ人間には、注意の集中力と持続力が身につき、その上さらに判断力も明晰になるのです。否、そればかりか、一だんと行動的実践的な人間になれます。
(講話の一節)
2012.02.29 |