森 信三 先生 (1896~1992年)

4月


ひとりひそかに

深海の真珠のように

ひとり ひそかに

じぶんを

じぶんを つくってゆこう

        真 民



 四月一日

 人はすべからく、終生の師ヽヽヽヽをもつべし。

 真に卓越せる師をもつ人は、終生道を求めて歩きつづける。

 その状あたかも 北斗星を望んで航行する船の如し。

2012.04.01

 四月二日

 心願ヽヽをもって貫かねば、いかに才能ありともその人の「一生」は真の結晶には到らぬ。

2012.04.02

 四月三日

 人間は進歩か退歩かの何れかであって、その中間はない。現状維持と思うのは、じつは退歩している証拠である。

2012.04.03

 四月四日

 休息は睡眠以外には不要―という人間に成ること。すべてはそこからはじまるのです。

2012.04.04

 四月五日

 人間は自己に与えられた条件をギリギリ生かすという事が、人生の生き方の最大最深の秘訣。

2012.04.05

 四月六日

 物事はすべておっくうヽヽヽヽがってはいかぬ。その為には、まず体を動かすことを俊敏に―。

2012.04.06注

 四月七日

 実践の中心は責任感である。男らしさとは、つよい責任感をもつことである。 

2012.04.07

 四月八日

 釈迦の説かれた「無常」の真理とは、「この世ではいつ何が起こるか分からぬ」―ということです。それ故われわれは、常にこの「無常」の大法を心して、いつ何が起ころうと驚かぬように心しなければならぬ。

2012.04.08

 四月九日

 人間のシマリは、まず飲食の慎みから―。次には無駄づかいしない事。そして最後が異性への慎み。は、「

2012.04.09

 四月十日

 古来傑出せる人ほど、コトバの慎みは特に重視せしものなり。良寛には「戒語」が四通りもあり、その内最大なるものは、八十箇条にものぼれどそのすべてが言葉に関する戒めなり。

 また葛城の慈雲尊者は「十語法語」の十戒中、言葉の戒めが、四箇条を占める。以って古人の言葉に対する慎みのいかに深きかを知るに足らん。

 道元も曰く「愛語よく回天の力あるを知るべきなり」と。

 (注※四箇条とは(一)不妄語 (二)不綺語 (三)不悪口 (四)不両絶舌

2012.04.10

 四月十一日

 人上位にタテつくことを以って快とする人間は、とうてい「大器」には成れない。

2012.04.11

 四月十二日

 同僚より五分前に出勤する心1がまえ―

 それが十年も積み重ねられたとき、いつしかおおきなひらきヽヽヽとなる。

2012.04.12

 四月十三日

  暗室に入ったように、周囲の様子が見え出すまでは、じっとして動かない。

 ―これが新たな環境に移った場合のわたしの流儀です。 

2012.04.13

 四月十四日

 すべて物事の長短を冷厳に見て、しかも固定化せぬこと。しかも流動を流動のままにとらえつつ、流されないように――。

2012.04.14

 四月十五日

 日常の雑事雑用を、いかに巧みに、要領よくさばいてゆくか―そうした処にも、人間の生き方のかくれた呼吸があるといえよう。

2012.04.15

 四月十六日

 ものごとの処理は、まず手順ヽヽを間違えぬことから―しかしそれには、あらかじめ、準備しておく必要がある。

2012.04.16

 四月十七日

 人間というものは、自分が他人ひと様のお世話になっている間はそれにきづかぬが、やがて多少とも他人様のお世話をさせてもらう様になって、初めてそれが如何に大へんな事かということが分かるものです。

2012.04.17

 四月十八日

 人間は何物のかにたよったり、結構づくめな生活に慣れると―要するに飼いならされると、いつしか自己防衛本能が鈍る。。

2012.04.18

 四月十九日

 人間下坐の経験のない者は、まだ試験済みの人間とは言えない。

2009.01.19

 四月二十日

 キレイごとの好きな人は、とかく実践力に欠けやすい。けだし実践とはキレイごとだけではすまず、どこか野暮ったく、泥くさい処を免れぬものだからです。

2012.04.20

 四月二十一日

 人間が謙虚になるための、手近な、そして着実な道は、まず紙屑をひろうことからでしょう。

2012.04.21

 四月二十二日

 野の一輪の草をコップにさして、そこに幽かな美の感じられないような人は、真に心の通う人とはいえないですね。

2012.04.22

 四月二十三日

     金原省吾氏

 限りなき哀しび深く湛へつつ常のごとくも在りておはさむ

 人気なき夜半に目覚めてをりをりは声を忍ばす時もありなむ

2012.14.23

 四月二十四日

 友情とは、年齢がほぼ等しい人間関係において、たがいに相手に対して、親愛の情を抱くことであるが、友情ほどこの世の人間関係の内で、味わい深いものはない。

 そして友情において大事な事は、常に相手に対して、「その信頼をうら切らない」という一事に尽きる。

2012.04.24

 四月二十五日

 すべて宙ぶらりはダメです。多くの人が宙ぶらりんだからフラつくのです。ストーンと底に落ちて、はじめて大地に立つことができて、安泰この上なしです。

2012.04.25

 四月二十六日

 「極陰は陽に転じる」―これ易の真理にして、宇宙の「大法」である。けだしこの大宇宙は、つねに動的バランスを保ちながら、無窮に進展しているが故である。

2012.04.26

   

四月二十七日

   石はどういうのが良いかというと

 一、第一は座りの良いこと―尤もブームになってからは下を切ったり磨いたりし出したが、これらは何れも邪道。

 二、形の佳いこと―形は大たい山の恰好をしているのが良く、動物などに似ているのは下品とされている。

 三、石質の堅緻なこと―これは大事な条件の一つ。

 四、色は普通は黯みがかったのを佳しとするが、時には佐渡の赤石のような例外もある。

 五、以上のうち、二、三、四はおいずれも良いが、唯座りだけが問題だという場合には、台をつくって鑑賞する場合もある。

  2012.04.27

 四月二十八日  最深の愛情とは、ある意味では人生の無常を知らせることかもしれません。そしてそれには、教える者自身が、日々無常に徹して生きていなければ出来ることではないでしょう。

2012.04.28

 

 四月二十九日

 この地上には、真に絶対なものは一つもない。在るはみな相対有限なもののみ。だが、如上の実相を照波する寂光のみは絶対的といえよう。それ故この地上では、絶対の光はつねに否定を通してのみ閃くといえる。

2012.04.29

 

 四月三十日

 極陰は陽に転ずることわりをただにし思へば心動ぜず

 大いなる光照れれば国民のいのちや竟に改まるべき

2012.04.30



    たらちね

 戦ひに敗れし国にいのちちてかへり来しわれや古里を訪ふ

 たらちねの親はもあらぬ古里に還り来たりて佇むわれは

 幼き日われに凧挙げさせまししたらちねの父はまさなくに

 たらちねの母ゆ賜びしに手鞠をば失せしめし悔い今も忘れぬ


    良 寛 の 歌

 春がすみ立ちにし日より山川に心は遠くなりにけるかな

 いづくより春は来ぬらん芝の戸にいざ立ちいでてあくるまで見ん

 道のべにすみれ摘みつつ鉢の子を忘れてぞ来しあわれ鉢の子

 此の里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし

 国上山杉の下道ふみわけて我がすむ庵にいざかへりてん

 わが宿は竹の柱に菰すだれ強ひて食しませひと杯の酒

 あしびきの岩間をつたふ苔水のかすかに我はすみ渡るかも

 山かげの岩根もり来る苔水のあるかなきかに世を渡るかも

2012.04.4.29

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