森 信三 先生 (1896~1992年)

9月

☆森 信三『一日一語』


ねがい

見えない

根たちの

ねがいが

こもって  

あのような

美しい花となるのだ

        真 民 



 九月一日

 「円心あって円周なし」―そしてみな自主独立にして出入自在。

 今後は無数のコミューンが生まれねばならぬが。

 この様な円の中心者たちが、互いに手を取り合う「開かれたコミューン」でなければなるまい。

2011.09.

 九月二日

 「一人雑誌」の意義

 (一)各自の主体性の確立に資するところ大。

 (二)さらに同士相互間の生命の呼応、展開に資する光がためにー。

2011.09.

 九月三日

 自己と縁なき著名人の書を読むより、縁ある同士の手刷りのプリントを読む方が、どれほど生きた勉強になるか分からぬ。

 これ前者は円周上の無数の一点に過ぎないが、後者は直接わが円心に近い人々だからである。

2011.09.

 九月四日

 今日は義人田中正造翁が、同士庭田清四郎の家で最後の呼吸を引き取った日。

 枕頭に残された遺品としては、頭陀袋一つ。中にあったのは聖書と日記帳、及びチリ紙と小石数個のみだったと。

 戦前正造に関しては五巻の「義人全集」があるのみだったので、

 翁の遺弟の黒沢西蔵氏や雨宮義人氏等と語らい「全集」刊行の議を起して発足したが、途中岩波書店に引き継がれ、

 (その間多少遺憾な経緯はあったが)今や完璧な「全集」の刊行されつゝあることは、事に関わった私にとっては望外の欣びです。

2011.09.

 九月五日

 人間は心身相即的存在ゆえ、性根を確かなものにしようと思えば、まずからだから押えてかからねばならぬ。

 それゆえ二六時中、「腰骨を立てる」以外に、真に主体的な人間になるキメ手はない。

2011.09.

 九月六日

 九十九人が、川の向う岸で騒いでいようとも、

 自分一人はスタスタとわが志したこちら側の川岸を、わき眼もふらず川上に向かって歩き通す底の覚悟がなくてはなるまい。

2011.09.

 九月七日

 一、「開かれたコミューン」づくりと

 二、玄米自然食の実行

 これ今日激動する時代に対処する、二つの自己防衛といってよかろう 

2011.09.

 九月八日

 自己の道は自己にとっては唯一にして絶対必至の一道なれど、他から見ればワン・オブ・ゼムたるに過ぎないーとの自覚こそ大事なれ。

 そしてこの理を知ることを真の「自覚」とはいうなり。

2011.09.

 九月九日

 人間は何事もまず十年の辛抱が肝要。

 そしてその間抜くべからず、奪うべからざる基礎工事なり。されば黙々十年の努力によって、一おう事は成るというべし。

2011.09.

 九月十日

 相手と場所の如何に拘わらず、言うべからざることは絶対に口外せぬ。

 この一事だけでも、真に守り得れば、まずは一かどの人間というを得む。

2011.09.

 九月十一日

 陰でライバルの悪口をいうことが、如何に自己を傷つけるはしたない所業かということの分からぬ程度の人間に、大したことなど出来ようはずががない。

2011.09.

 九月十二日

 自分より遥かに下位の者にも、敬意を失わざるにいたって、初めて人間も一人前となる。

2011.09.

 九月十三日

 尊敬する人が無くなった時、その人の進歩は止まる。

 尊敬する対象が、年と共にはっきりして来るようでなければ、真の大成は期し難い。

2011.09.

 九月十四日

 人は自己に与えられた境遇の唯中に、つねに一小宇宙を拓かねばならぬ。

 されば夜店の片隅にいる一老爺でも、その心がけ次第では、一小天地の中に生きているといえよう。

2011.09.

 九月十五日

 人間の真価と現世的果報とは、短い眼で見れば合致せずとも見ゆべし。

 されど時を長くして見れば、福徳一致は古今の鉄則なり。

2011.09.

 九月十六日

    石川理紀之助翁

 雑草の生ひ茂りたるひとところ碑前に額づきしましありけり

 草木谷よつね思ひつゝもつひに来し涙流れてせむすべもなき

2011.0.

余録 「寝ていて人を起こすことなかれ」。甲子園を最後まで沸かせた…

 毎日新聞2018年8月22日 東京朝刊

「寝ていて人を起こすことなかれ」。甲子園を最後まで沸かせた秋田県立金足(かなあし)農業高校のグラウンド脇に建つ石碑の文だ。秋田生まれの明治時代の農業指導者で「農聖」と呼ばれる石川理紀之助(りきのすけ)の言葉で同校の教育方針でもある▲石川は秋田や宮崎で貧農の救済を実践した。夜明け前に板をたたいて村人たちを起こし、共に仕事に励んだ経験から、人を動かすにはまず自分から率先垂範せよと冒頭の言葉を残した▲言葉の歴史的背景はともかく、「他人任せにせず、まず自分から」という精神は現代っ子の野球部員たちにも浸透しているのではないか。全員がのけぞって全力で校歌を歌う姿にそんな思いを抱いた。戦前から歌い継がれてきた校歌も含蓄がある。「霜しろく 土こそ凍れ 見よ草の芽に 日のめぐみ 農はこれ たぐひなき愛」。雪国の厳しさと農業の喜びがうたい上げられている▲「雑草軍団」と呼ばれる野球部が甲子園初出場を果たし、芽を出したのは1984年の春の選抜だ。その夏の甲子園でベスト4入りし、その後は甲子園出場を争う常連校になった。長靴で雪の中を走り、足腰を鍛える伝統が強さを支える▲34年前はPL学園、今回は大阪桐蔭と強豪校の高い壁に阻まれたが、秋田勢では103年ぶり、農業高校では戦後初の決勝進出はやはり快挙だろう▲野球は記憶のスポーツともいわれる。大阪桐蔭の2度目の春夏連覇という偉業と共に金足農の活躍も多くの高校野球ファンの記憶にとどまるのは間違いあるまい。

2018.08.22追加。

 九月十七日

 仕事への熱心さⅩ心のキレイさ=人間の価値

 隠岐の学聖永海佐一郎博士が「人間の真のネウチ」として立てられタ公式です。この明確な表現には心から敬意と賛歎を禁じえません。

 唯われわ凡人としては、「心のキレイさ」には到り得なくても、せめて「心の暖かさ」が望ましいと思いますね。

2011.09.

 九月十八日

 正直という徳は、われわれ人間が、世の中で生きてゆく上では、一ばん大切な徳目です。

 それ故「正直の徳」を身につけるために

 は、ひじょうな勇気がいるわけですが、同時に他の一面からは、相手の気持ちを察して、それを傷つけないような深い心づかいが いるわけです。

2011.09.

 九月十九日

(一)われわれのこの人生は、二度と繰り返し得ないものだということ。

(二)われわは、いつ何時死なねばならぬかも知れぬということーー

   この二重の真理が切り結ぶことによって、はじめて多少は性根の入った人間になれるといってよかろう。 

2011.09.

 九月二十日

 人間の書く物の中で、読まれることの一番確かなものは「手紙」である。

 それ故できたら複写紙で控えをとっておくことは、書物を 書くのと比べて幾層倍も大事なことといえよう。

2011.09.

 九月二十一日

      宮 沢 賢 治

 明治以後われらが民族に斯くばかりすがしき生命かつてれしや

 これの世にいのち短かくれ出でて永久の光となりし君はも

2011.09.

 九月二十二日

 真に個性的な人の根底は「誠実」である。

 それというのも、一切の野心、さらには「我見」を焼き尽くさねば、真に個性的な人間にはなれないからである。

2011.09.

 九二十三日

 徳化とは理屈によって化するにあらず。心の表現としてのリズムによって化するなり。 

 かくしてリズムの味は言葉には言い難いけれど、予想以上に深く人心を化するなり。

2009.09.

 九月二十四日

 徳川時代の偉人に学ぶということは、

 「現在もしそれらの人々が、この激流のような時代に生きていたとしたら、いかに行動するであろうか」と考え、

 「今日自分として如何に生きることが、それら超凡の偉人の心懐に一脈通うであろうか」との志念やむなきものがなくてはならぬでしょう。 

2011.09.

 九月二十五日

 今日は藤樹先生のご命日です。

 処が私にとって最深の痛恨事は先生のお墓と並べて、故橋田邦彦氏の慰留碑と称するものの建っていることで、けだしこれほど大なる冒涜はないからです。

 これは戦後一、二の人間が政治的に策謀して、中央から知事を通して天下り的に押しつけて来たものです。

 そこで私は「聖域」を旧に復するために、

 数年前藤樹学者の木村光徳、林秀一の二氏と語らい、これを地続きの玉林時の境内に移すよう先方に申し入れたのですが、未だにそのままです。

 思うにそれらの人々には、それが却って橋田氏を傷つける所業だということが分からぬらしいのです。 

2011.09.

 九月二十六日

 道の継承には、少なくとも三代の努力を要せん。

 従って継承者は師におとらぬだけの気魄と精進を要せん。

2011.09.

   

九月二十七日

 われわれ有限者にとっては。絶対者はを通してしか接しえられない。

 それはちょうど、晴れた日の太陽は直視できないように、

 雲間を透してのみ、その姿を垣間見ることが出来るようなものです。

2011.09.

 

 九月二十八日

 私の学問は「哲学」とか「心実学」というよりも「全一学」と呼ぶのが応わしようです。

 また私が尊敬している方も、西洋ではプロチノスとスピノザ、また我国では、藤樹、梅岩、梅園、慈雲及び尊徳というような人々で、いずれも「全一学」に生きた人々です。

2011.09.

 

 九月二十九日

 死の覚悟とはーいつ「死」に見舞われても、「マア仕方がない」とあきらめのつくように、死に到るまでの一日一日を、自分としてできるだけ充実した「生」を生きる他あるまい。

2011.09.

 

 九月三十日

 みすずかる信濃の宿のひとへやに遺書をかくがにふみかき暮らす

 ししむらの朽ちはてむときが書の命かそけく呼吸いきづくらむか

2011.09.


    劫 流

 さみだれも小止みとなれり小夜更けて耳を澄ませば遠きもの音

 「世音」ともいふべきものか小夜更けてこころに響くうつし世の音

 劫流といふべきものか現し世の底を流れて止どまらぬもの  

 無量劫の「時」を流るるもろもろの命ひしめく音聞こえゆなり

2011.07.01

クリックすれば、この章のTopへ返ります