からだを傷める

★自分史 少年時代 中学生時代 心に残る友 海軍兵学校入校 海軍兵学校での言葉 国鉄勤務時代
広島工業専門学校 株式会社クラレ入社試験 岡山工場勤務 研究所勤務開始 研修所勤務時代 連絡月報リレー随筆
クラレタイムス 岡山理大付属高校勤務 ***** ***** ***** *****
母の思い出 姉の思い出 兄と弟の思い出 妹を想う 兄弟妹夫婦旅行 素朴な琴
からだを傷める 胃の手術(3分の2切り取る) 私の痔疾関連 歯の手入れ━岡山大学歯学部━ 不整脈:期外収縮 前立腺関連・S字結腸関連

胃の手術(3分の2切り取る)

 胃の手術 岡大附属病院第二外科教授寺本先生(海軍兵学校同期)執刀、入院。昭和54年2月23日~4月1日。会社に勤務して30年目であった。概要は以下の通りである。

 昭和54年2月21日、大阪に出張してかえり、翌日、研究所で排便すると黒色のものであった。午後、工場の診療所の先生に相談に行くと、「いますぐ家に帰り安静にしなさい。出血するかもしれないから」と言われた。

 倉敷から岡山の我が家に帰って、床に臥した。夜11時頃、コールタール便排出、更に出血のため失神するほどであった。近所の近藤外科に入院して、輸血などの応急処置を受けた。

 翌日の23日、岡大附属病院第二外科に電話していただくと、すぐに来なさいとのことであった。

 海軍兵学校同期の寺本 滋教授に診察検査して頂いた。

 胃潰瘍と十二指腸潰瘍であり、内科的治療をするか、手術するか決めることになった。先生達はどちらかにするのに判断を私に求められた。

 私は若い頃、倉敷中央病院で胃の診察を受けて、先生から「すぐに手術しなさい」と言われた。しかし、内科的治療にして、当時勤務していた岡山工場の診療所の大塚先生に定期的に注射治療していただき、普通に勤務してそのまま問題は起こらなかった。

 こんな経験と54年の状況を考えて、「もし、予兆なくいつどこかでこんな状況になれば、どうなるかわからない」との思いがあって外科手術してもらうことにした。

 寺本さんは,他の多くの患者の予定があったので、飛び込みであった私の手術は休日であるその週の日曜日に手配(手術の医師団・麻酔科の医師・看護婦たち)して、自分が執刀して頂いた。

 手術後、鼻に管を通して、ガスが出るまで口からの呼吸しなければならないので、大変苦しかった。2~3日経過してガスが出たので管を外してもらってからは非常に楽になった。それから個室から多人数の部屋に移された。

 大学病院では週に一度、教授回診、助教授回診があった。その時の助教授は田中先生(後日、香川医科大学の教授になられた)であった。彼は海兵77期で1期後輩であり、回診のときに「先輩いかがですか」といわれたりしました。

 教授は、仕事が終わって帰る前に必ず病室によって話しかけて、それとなく管理して頂いたものでした。

 彼は私ども兵学校クラスメートのドクターとして面倒をみてくれました。

 寺本先生も定年になられて、兵庫県赤穂市「西はりま医療専門学校」の校長になられた。

▼私も定年になり、心臓の不整脈が起こり、寺本先生が顧問をされていた病院で検査・治療にあたり、またもや面倒をおかけしました。

 平成26年他界された。ここに謹んでお礼と哀悼の誠をささげます。

 生前、話しているとき、彼は学生に「私はあの先生に命を助けられたと思う人が一人でもいる医師になりなさい」と指導しているのだとの言葉がありました。ご自身の医師としての信念からの言葉であったのでしょう。

▼平成27年2月、私は交通事故にあい、岡山市市民病院に救急車で運ばれた。その時、処置頂いた医師が寺本先生のご子息であった。親子2代にわたりお世話になりました。「ご縁は奇なり」と……。 

平成二十八年四月二十四日



「わが師わが友」 岡山海兵76期会 会報 No.16 発行年月日 昭和五八年一二月二〇日 より

 黒崎君は隻腕ながらまことに鋭いストローク。二年前寺本外科で死線をさまよった男とは、到底思えない元気さであった。

 河内道夫君が、中国市長会の仕事で岡山市に来たのを幸い、二日間にわたりまたまた七六期テニスマンたちが集合した。この日にも、大阪、宝塚はもとより能代市よりも、われらのアイドル岩見園子さんが遥々馳つけた。

 日曜日の午後は、黒崎君の新しい職場であるクラレ研修所を見学。所長室でしばらく休憩ののち、大原美術館を見学、倉敷美観地区を散策した。

平成二十八年六月六日



黒崎昭二君、寺本外科へ入院
 クラレの黒崎が、三月四日(日曜日)に岡大病院の寺本外科で、教授自らの執刀で十二指腸潰瘍の手術を受けた。胃の三分の二を切りとるという大手術。ところがさすがはクラレのテニス部長、手術の三日後にはもう立ってあるき出したという。いや黒崎がスポーツマンだから早く歩けるようになったと、そういう理論づけは、或いは間違っているかも知れぬ。

 少し道草を食いながら考えてみよう。

 寺本外科の田中聡助教授は音に聞こえたスポーツマン。岡山県庭球協会副会長を勤めること八年余。彼は海兵七七期で、滝石と同分隊。内蔵外科の権威だ。

 ついでにもう一人ついえば、川崎医大の心臓外科の勝村教授も、これまた海兵七八期で、三年前まで寺本外科の講師であった。

 外科や産婦人科において、名医たるの条件の一つには、血を出さずに、すばやく手術を完了すること、ここにあるらしい。以前寺本君がこんなことをいった。

 「ワシらの仕事は、自動車の運転手よりみやすい。なんでかゆーたら、人間の体を切り開いてゆくと、ナンダ。教科書に書いてあるとおりの血管が展開するんだもの。間違えて血管を切ろうったって、切れやせんよ。知らない道を行く自動車の運転手は、いつどこから子供が飛び出すかわからんし、よっぽど注意しとらんと、事故は起こるワなァ。」

 謙虚な姿勢だ。彼ほどの手術の名手は、中国筋にはいないと、専門家は、口をそろえていっているのに。

 切れないメスで、大きな血管に傷をつけつけ、ゴシゴシ手術する医者にかかっていては、そりゃいくら剛の黒ちゃんだって切腹して三日目に歩けるものか。

 七八期、七七期の俊秀に追っけかけらつつ、なおかつワシは自動車の運転手より易しい仕事しかしとらんと言える謙虚さは、自信そのものダ。

※この号の編集後記の記述

 黒崎君が突然入院、手術したようなこともあり、いま五一、二才の男は、まさに働きざかり。忙しいのだ。みんな。少し休養をこころがけ、体を長もちさせよう。大事にしよう。

※わが師わが友 岡山海兵76期会 会報 昭和」54年3月16日発行(1979年)37年前 より。

平成二十八年十一月二十七日、八十九歳。


切腹の記

 会員 黒崎昭二

 昨年三月、二十年来の胃病の総決算で突然の下血。岡大第二外科に入院。一週間の検査結果、十二指腸からの出血診断。寺本教授胃切断除去手術を受けた。

 五十四年三月四日

 手術前の準備完了。手術室に運び込まれた。天井の無影燈点燈。麻酔医が頭全体を布状のもので囲い、顔全面にマスクをかける。一瞬、宇宙飛行士がマスクをかぶり、ロケット機内によこたわって秒読みに入っている姿を想像した。薄よもぎ色の手術衣の寺本先生が「しばらくねてもらいましょう」と例のえみをたゝえて話しかけた。これが手術開始の合図か、マスクの中から心をこめて「お願いします」といった。聞こえたかどうか。

 「酸素?をいれます」。ガスの音がする。「少しくさいかも知れませんが」耳もとでささやかれる。麻酔がきいてくる。・・・・。

 まったく空白の時間、先生方活動の最中。

 「くろさきさん。終わりましたよ、もうすぐ病室にかえりますよ」。意識がかえる、看護婦さんが顔の上から話しかける。天使があるとすればこのひとか。二十一時退室にしましょうと話し合っている声が遠く聞こえる。

 八時間あまり、まっく気がついていなかった。スト?ッチ車が動き出す、夜遅い静かな、がらんとした手術室の中を移動している。またもやねむってしまった。

    ◆

 入院期間中、先生の病院の活動の一端を見せていただいた。学生の教育、研究指導、学会活動、手術、外来診察、教授回診等々、まったく多忙で気の休まるまのない勤務と思われる。その多忙のあいま、ほとんど毎日私のもとに立寄って雑談。医学的、精神的観察をうける、感謝!多謝。

 私はもちろん、期友、その家族のみなさんが「クラスドクター」として御世話になっていないものも、先生がひかえているのだと、精神的大ぶねにのっているのでは。

 「クラスドクター」にはもう一人、入野先生(現、香川医科大学内科教授)がいる。

 退院後、七十六期会の宴席では、酒の制限も申し渡されていないので適量飲んでいるが、先生の観察の許で極めて安心していられるのも、みょうりに尽きる。

 本誌上を借りて寺本先生にあらためてお礼を申し上げると同時に、期友の皆様の御見舞いに感謝申し上げます。「わが師わが友」昭和五十四年三月十六日号で、「黒崎昭二君、寺本外科へ入院」と紹介されて一年四ヶ月になるが、その後万事順調に推移している。


黒崎 様

S.58.12.22
クラレ中央研究所 
安井昭夫
前略

 黒崎さんが入院検査中とのこと川井君より聞き驚いています。何か調子が悪かったそうですが、体が悪い時は仕事のことは忘れて、調子を取りもどすことを仕事だと考えてください。

 お見舞いに上がりたいと思いますが、同封の本を川井君にあずけます。読まれておりませんでしたらつれづれにお読み下さい。人にはいろいろの考えや生きかたがあることがわかります。

 一日も早く現場復帰されんことを

早々

平成二十八年十一月二十八日、八十九歳。

 安井さんは平成27年に逝去された。


 「わが青春の思い出 初めてのスキー単独行」 クラレタイムス 1990年5月

   専務取締役 安 井 昭 夫

 何かに熱中できた時を青春というなら、私の場合大学での九年間だろう。中学、高校時代は戦中、戦後の混乱で何もできなかった。京都には昔ながらの街があり、大学もそのままで、ここに来て学問をやろうという気になった。特に後半の五年間は、装置の組み立てと実験に寝食を忘れた学究生活で、研究の面白さがわかった時代であった。

 その中で寸暇をみつけては、山とスキーに精を出した。特に、春の学会後の春山スキーを計画する楽しさは、たまらなかった。

 一九五六年の三月末、乗鞍岳→平湯温泉→安房峠→上高地→長塀山(ながかべやま)のコースで、初めてのスキー単独行きをやった。乗鞍岳では、アイゼンもきかない硬い氷と猛吹雪に泣かされ、平湯への道を見つけた嬉しさに三〇〇〇メートルの恐ろしさを知った。徳沢では、マッターホルン北壁の日本人初登攀者の芳野満彦(1931年:昭和6年11月8日 - 2012年:平成24年2月5日:登山家)さんと二、三日一緒だった。長壁山では雪にうずもれて見た槍、穂高の稜線に舞上ったすさまじいラウフェン(雪煙)が忘れられない。

 スキーでは、よく「前傾」が大切といわれる。急斜面では転倒をこわがると必ず転ぶ。成功には、技術と斜面に飛び出して前傾する勇気が必要だ。スキーを始めて、十年くらいかかって悟った青春の人生訓である。

平成三十年八月十日追加。


 奥山 桂君と安井 昭夫君

 二人は岡山二中(旧制)出身、在校生であった。奥山君が76期生として海軍兵学校にいたとき、安井君が海軍予科兵学校(78期)にゆこうかと思っているのだがとの便りを受けとった。そこで返事を書いたと。安井君は昭和二十年に78期生徒として入校した。

平成三十年十月十日追加。


私の痔疾関連


 会社に入社してから便秘症がひどくなり、寝起きに塩水を飲んだり、お灸をすえていただいたりしていた。その影響があったかも知れない、2年目ころの昭和27年、いぼ痔で悩まされた。広島県福山市駅家に日帰りで治療してくれる痔専門医院がよいと聞かされて、治療を受けた。 岡山からその医院で治療を受けた。いぼ痔に注射だけの簡単なものだった。数日後、風呂に入っていたとき、ポロリととれた。事後、1998(平成10)年まで、何事もなかつただが、痔病再発した。以下にその処置について記載する。

 岡山市内のある病院に通院していた。約十日たったころ

 「どこの先生ですか?」と、受付にいた看護婦さんから尋ねられた。私が私学共済の保険証を出しているので先生をしていることは読み取っていたようだ。

 「さあ、どこでしょう?」と笑いながら答えると

 彼女がいうには

 「病院に入ってこられるとき、いつも、こんにちは、といわれるので小学校の先生ですか?」と。

 「高校の先生でした」と応えた。

 「高校はどこですか? 教えていただいた高校かしら」と。

▼こんな短いやりとりのなかにいろいろと感じさせられた。

 まず、自分では気付かなかったが誰となく、いつとなく観察されていたということ。

 通院する人たちは患者だからあまり挨拶する気分になれないだろう。

 小学校の先生はよく挨拶をされているようだ。

 看護婦さんは小学校、中学校、高校そして看護の学校を通ってきた体験から、小学校の先生と挨拶が結び付いたのだろう。

  「こんにちは」のただの一言のあいさつが人と人との話し合いにつながり、出合いになったようだ

1998.02.20(金曜日)

☆外科医院で肛門受診。内側にいぼができていた。3週間の予定で治療。注射、服薬、坐薬で。年配の医師だった。割合多くの患者がいた。この治療では治らなかったので入院して外科治療することになった。

1998.03.08

☆日曜坐禅 今朝3時まで眠れなかったが思いきって参加。

 山本正夫さんも、かなり以前に痔を切ったとのこと。なぜ早く取り除いてもらわなかったかと思った。非常に簡単だったと。

1998.03.13(金曜日)入院 2週間、パソコンも休み。

☆入院日誌(1日目) 

 痔の手術。2週間入院予定。午前11時までに病院に行く。

1、6:30目覚めた。7:20起床。

2、朝:起床後、水コップ一杯飲む。本日午後、痔の手術のため、牛乳をコップ一杯飲んだだけ。

  昼:抜き。

 手術の経過

1、12時前、心電図(期外収縮があると報告していたから)浣腸、

  13:30注射(70歳以上は全員)

2、直腸視診(この観察により手術しないこともある)

3、14:20~145:40 下半身麻酔(背中に注射)後、手術。

  11時、3時、7時の位置に3コの内痔核あり。先生と話しながら手術。

 焼き切る処置であった。痔の手術用の治療台で行われた。肉を焼くにおい。

4、21:00に夕食。

5、冷湿布を貼り痛み止めの筋肉注射。デパス服用。

6、22:00幻覚が出る。

1998.03.21(土曜日)

☆入院日誌(9日目)

隣室の痴呆老人が何度もドアのノッブをがたがたさせたため4:00ころまで眠れなかった。

 6:00起床。親鸞を読む。

 8:00朝食 

 10:00排便、血が出る。

「あなたなら なんと言いますか」のEssayを書く。

1999.03.28(土曜日)

☆入院日誌(16日目)

 1:40、5:30目覚め、6:50起床。

 相部屋に一人来る。吉田君。今年、岡山操山高校卒業。山口大学理学部化学受験失敗。浪人。操山の補習科で一年勉強するとのこと。

岡山操山高校の進学状況を聞いた。東大現役一人、浪人一人、岡大医学部一人、難関だと言う。

岡山市北区武部にお住まいの逢沢のお婆さんが吉田君に「黒崎さんに教えてもらいなさい」と」言っていた。

1999.03.31(火曜日)

☆入院日誌(19日目)

 01:00小便、6:30起床。

 08:20排便、血が見られなかった。リキマズにスムスに排便できた。 

医師は3週間で幕ができる5月末にはよくなると言われた。

12:30排便、血は見られなかった。

『けふの健康』(NHK)痔の手術は入院1~2週間と書かれていた。

逢沢のお婆さん退院。朝と寝る前、腰に絆創膏を貼って下さった。親切なお婆さんだった。

☆読 書

1、『英語で書いてみよう』(岩波ジュニア新書)

☆外科手術での知見

1、半身麻酔の後遺症がでるものがいる。

 再手術もある。

 直腸の視診で手術も行わず、大学病院を紹介されることもある。 

 ぼけ老人の強制退院もある。

2、医院の都合で入院退院のやりくり。特別室、個室、二人部屋、三人部屋。

 食事内容の決定。周期性(患者が入れ替わるから問題ない)。

 入院の前には2週間で退院できると説明するが、入ると3週間の入院をすすめる。

 手術した患者を入院患者が搬送する。

 四階の建物であるがエレベーターがない。

 事務にパソコンがない。

 暖房7:30~18:00。徹底している。

 一人の医師の医院であればベッドの数は19(21までは許される)であるが常時22人は入院している。

3、入院患者

 職業により習慣化されたマナーを背負っている。

 喫煙場所での情報交換が参考になる。集まる人は大体決まっている。数人集まればそのリーダー的な存在の人が自然発生的に決まるようだ。 

1998.04.01(水曜日)

退院。20日間入院。

1998.04.02(木曜日)

入院日誌書き上げた。今回の入院は手帳に毎日書き込んでいたからパソコンに打ち込むだけですんだ。 

☆健 康

1、5時過ぎ目覚めて、7:15起床。

2、朝:起床後、水コップ一杯飲む。リンゴ二切れ食べる。納豆、味噌汁、ご飯。

  昼:パンと野菜サラダ、ココア、バナナ。

  夕:煮魚、湯豆腐、蛸いかのぬた、肉じゃが。

3、8:30多めの排便。排便の中には血液は見られなかったが、紙で拭くと血がうっすらとついていた。排便後、お湯で洗い、マミーナップで拭く。

4、午前、庭に出て少し草を抜いた。午後、小学校まで散歩。痔がでていたころには、これだけの散歩で血が出て困まらされたものだがと思いながら。

☆坐禅およびヨーガ:朝0分、夜0分、計0分。

☆読 書

1、『英語で書いてみよう』

☆Essay 

『自学自得ハガキ通信』           平成十年四月一日 二五〇号

あなたならなんと言いますか

痔疾で肛門科の病院に通っていたときのことである。病室のかたすみのベンチに腰掛けて、知り合った患者と話していた。となりには初めての顔の年配の男性が話しにも加わらず無口に真正面をむいていた。奥さんの手術のために娘さんと付き添ってこられた人であることは分かっていた。

「手術はいかがでしたか」と話しかけた。

「娘から十分に聞いていないのだが、手術はされないで大学病院を紹介しますから受診してください」と先生からいわれました。

いいようのない空気に包まれた。話しかけなければよかったとくやまれた。しばらくして沈黙が破られた。 

「癌かも知れません。家内の親も癌でしたから」と、もらされた。

同病者である他人の私にここまで打ち明けられた。

「そうですか」とだけ。絶句。

▼痔の手術は、まず、痔疾の種類と直腸の視診が行われる。医師の判断で最終的に手術するか高度な病院に紹介をされる。

思いもよらない大学病院へ紹介しますから診てもらいなさいとは。

痔だろうと思い手術を申し込まれて処置しようとしたが予想もしなかつた不安の矢を胸につきさされた。

「大学で十分に診察してみなければ癌であるかどうかはわかりませんでしょう」といったとしても何の役に立つだろうか。いま、何をいっても慰めにならない。

「だまって耳を傾け聴いてあげる」しか私にできることはないようである。悪性でなければと願いつつ。

翌日は病院を後にされていた。

あなたならなんといいますか…。

(10年3月21日入院中の原稿)本日インプットした。

1998.04.12(日曜日)

☆健 康

1、今朝6:00すぎまでグッスリと眠れた。

2、朝:起床後、水コップ一杯飲む。リンゴ二切れ。ご飯。納豆。

  昼:パンと野菜サラダ、ココア。

  夕:

3、15:00、量が多い普通便。日曜日の排便は遅い。

4、午前中、曹源寺に行く。午後、小学校まで散歩。

☆日曜坐禅 痔の手術後、初めて半跏趺坐できた。山崎さんが「見かけなかったのでどうしていたのか」と。きになっていました。


★私の主な負傷・病歴

1、☆私と風呂ー銭湯・もらい風呂・内風呂などなどーでの、皮膚病

2、黒崎君、励ましてくれないか左前膊切断創

平成三十年一月十二日まとめた


歯の手入れ━岡山大学歯学部━


平成十六年二月一日記す       

 歯槽膿漏の膿が口に絡まるようになり、昨年:平成十六年、近所の歯科医院で毎週一回の割合で四回治療を受けた。その後も同じ症状。知人が大学の歯学部の「総合歯科」ではどうか、自分も定期的に診てもらっているとのことで受診した。

▼大学病院では例の通り予診ののち、検査の結果、歯の状態を説明された。
総合歯科の先生は歯の汚れを調べるために歯の裏表に染料を塗り、汚れの状態を写真に撮り見せていただく。平素いいかげんな磨き方をしていたのだと見せ付けられた。そこで、先生自身が歯ブラシで私の歯磨きながら説明を加え、このようにして正しい磨き方を覚えてください。口の中がスッキリしたでしょう。当分、血が出ますが続ければよくなりますといわれた。

▼(二回目)  先生から大学5年生の実習を指導しながらの治療を受ける。

「歯垢を取るときには一度にとるようにすると歯齦をいため出血してびっくりすることがあるからすこしずつ除去するように。」
歯の磨き方は「食事のとき、箸を持つのに力を入れていないだろう、その程度の力で磨きなさい」
 「歯一本一本をブラッシュで磨くように心がけると良いです」と。

▼(三回目) 治療は5年生が担当。指導の先生が学生に注意された。「歯磨きは患者さんにやらせて良いところ悪い点を見て注意してのち、自分が患者の歯を磨いて、感覚を覚えてもらうようにすること」。

▼(四回目) 実習生が歯の磨き方を私にやらせて、適当に注意指導してくれた。指導医師が私にもう一度やらせて、実習生に「どんな教え方をしたのか?」とたずねる。先生自らいろいろと実習生に説明しながらやって見せる。私が行う。先生の言われるとおり出来ない。再度説明、ようやく要領をつかむことが出来た。実習生に「患者さんが上手な歯磨きをすれば歯槽膿漏が治ったと自覚していただく様にするのが歯科医のつとめなのだ」と指導。私も全く賛成して耳を傾けていた。

▼本日は歯垢を少しとって下さる。「次の治療の準備のためを考えて、患者が痛がるほどとるようにしないように」と指導されて終わる。


 数年来、大学病院の歯学部で治療をしている。2月中旬、電話器とパソコンがある机の前に坐ってパソコンに打ち込んでいた。10時過ぎ電話がなり、取り上げると大学の担当の学生さんからでした。

▼「今日は予約日ですが」と。「そうでしたか、すみませんでした。いま家事をしていて忘れていました。予約日の変更お願いできますか」と、謝ると同時にお願いすると、「先生と相談して連絡いたします」との返事。しばらくすると「27日の10時の予約にいたしました」と再度の連絡を受けました。

 手帳に2月27日(月)岡大歯学部:10時と書き込む。

▼前日、保険者証など準備して、翌日病院に行き、治療室(35治療台あり)に入り先生と学生さんに先日のことを謝る。

 先生から「変わったことはありませんかと」といわれ、「いまのところ変わったことはないようにおもいます」と申し上げると「そうですか」と言われて、学生さんに一言二言指示をされて、治療がほぼ終わるとその様子を見られて、手を加えられながら、専門的な質問をしながら、自分で考えて治療しなさいと指導される。その間、学生さんは横に立って先生の治療法をみている。

 「やらせてみて、やって見せる先生かな!」と思う。

 ある時は先生は「治療しながらあなたち学生さんと話していると、患者さんは何を話しているかと話しに気が向き治療されていることをわすれるもんです」と。なるほど、一挙両得の見本あり、永い経験からの言葉に感心させられる。

 当日の治療が終わり、次の予約日を5月初旬に決めてくださる。

▼帰り支度でコートを着ていると、学生さんが笑顔で「予約日の前に連絡しましょうか」と話しかてくれる。私は素直に「そうしていただくとありがたいですが」と。

▼私自身は少々身勝手であると思い、学生さんの親切をうけて、支払をすませて、先生の指導法と学生さんの心配りを反芻しての帰宅でした。

2012年(平成24年)2月29日


 歯磨きは丁寧に

 大学歯学部で治療開始してから3年は経過した。自学自得通信号第二部 歯の治療でで教えられたことに述べている。

▼ついに1本抜く羽目になる。

 その間、自分では注意して歯磨きしているつもりでいたが、約5分程度であった。治療担当の学生さんと話すと、少ないようですね、と言う。TVでもみながらでも磨かれたらどうかとアドバイスされた。要するにもう少し丁寧に磨きなさいといわれているのである。さらに治療のたびごとに歯ブラシを持参していますが、その磨耗の状況を観察して、交換の時期を知らされる。

 実行することにした。歯ブラシには歯磨きのペーストも粉もつけずに、TVを視聴しながら、洗面器を床において、時間も倍くらいかけてみた。

▼ 驚いたことの一つに、歯磨きをつけてでは気のつかなかったのだが、歯磨き中に唾液が思いもしなかったくらいでてきて、洗面器におちる。

 私の想像では口内をブラッシュすると、唾液腺が刺激され、その時間が長ければある程度長いほうがよいのだろうか。その作用が歯磨き後、いつまで続くかわからないが、それ以後、睡眠中の喉の渇きが減っているようだ。ただ、梅雨時期なので湿度が高い影響かもしれない。昨年の状態を思い出して比較しても違うようだから、効果が続くと思っている。しかし、もう一つ喉の渇き(胃の上辺りまでカラカラになるので、少しでも効果を期待して、口マスクをしていたほどである)の対策として、最近、夕食が済むと梅干を一個食べるようにしているので、歯磨きの改善と梅干との効果をわけることがきないのが残念。

今は、いずれも胃腸への影響がよいほうに向くだろうと期待している。

2017年(平成十九年)七月十四日


 みなさん、ご自身の歯の残存本数をお調べになったことがありますか?

 実は、私は調べていませんでしたので、手鏡で数えてみました。

 上の歯:8本(大臼歯は左右1本もなし)

 下の歯:11本(左大臼歯は2本残っているが金属をかぶせている。右はなし。中央の2本は接着した歯)

 参考の8020には及ばない。

   私は二十年来、歯の手入れに大学歯学部の予防歯科に定期的にバスで通院している。

歯の手入れの手順
 大学5年生が実習のために7月から6年生の8月まで1年にわたって担当してくれています。一年間で交替。6年生は本格的に歯科医師国家試験の準備をしなければならない。

▼実習の学生が、まず、歯の状態を検査(歯肉の強さ・歯のグラッキなど)・歯磨き・歯垢の除去をおこなつてくれます。

▼其の後、医師が結果を見て、学生に指導しながら手入れをされる。その話を聞いていますと、患者の私にも参考になることがあります。

▼たとえば「あなた(学生)と話をしていますと、患者さんは聞き耳を立てます。すると治療の痛みなど忘れています」など、と。

 当日の治療完了まで約2時間かかる。

 余談ですが虫歯などは極めて早くからみつけられて治療されたこともあります。

▼徹底的な手入れをしていただいているおかげで、3~4日は歯垢がとれていると、舌で歯にあたると感じられます。

▼この1年間は具志堅さんであった。最初にであった時、「沖縄出身ですか」と聞いた。「そうです」と。段々と回数を重ねると手入れの手際の進歩が感じるのは、なんとなくたのもしさをかんじさせてくれるのは、患者としてもありがたい。

▼平成二十六年八月の受診の時、お話をしたとき「具志堅の姓は沖縄では多いのですか」と聞くと、トップ・テンに入るとのことであった。

▼来年1月に彼女は国家試験を受けることになるので、岡大の国家試験合格率はいくらですか?と聞くと、「92~93%」であるとのことであった。

▼「あと3カ月の勉強を頑張って、国家試験に合格してください」と励ましの言葉を述べて、診療室を後にした……。


 私には、治療のほかに楽しみがあります。

▼その一:大学の掲示板での医学関連の学会の記事を眺めることです。最近の動向を素人ではあるが結構想像の翼が広がるので楽しいものです。
▼次は:大学の食堂での学生たちの振舞を見るのが楽しみ。将来この学生たちが医学の分野で活躍するものが出てくるのだろうと。
参考:ヘルスネット
歯の治療で教えられたこと

1214年(平成二十六年)八月三十一日


 2017.04.21(金曜日)

 下の前歯につけていた1本が取れたから、岡大歯学部に電話で報告。支えになっていた横の歯までがたがたしてきて、その日と受診の月曜日まで食事など不便であった。受診すると、入江 浩一郎 講師がすぐに処置して下さる。さすがに処置は立派。入江 浩一郎先生は取れやすいのだと言われた。診療明細書に「暫間固定(簡単)」と書かれていた。専門用語だそうだ。

 引き続き、すでに予約していた2019.04.27(木曜日)虫歯の治療。上の歯。仮の歯を2本入れる。今後2回治療する。水口 一先生 講師が治療してくださった。

 大学病院までバスで往き、治療が終わり、病院の食堂で食事をして、バスで帰るには約4~5時間かかる。

 病院に行く楽しみとは、常識では変である。だが、私には、学生・若い医師たちが食事をしているのを見るのはなんとなく未来への期待をかんずるからである。また、家内が生存中大学病院で治療を受けていた時、何度となく一緒に食事をしていたからその思い出にもなるから。 

1296年(平成二十九年)四月二十九日


 2017.09.15(金曜日)

 定期的治療。

 入江 浩一郎先生は米国に留学。その後任の担当の先生は竹内 倫子先生となる。てきぱきと担当学生を指導されながら歯垢を除去して下さる。

 昨年(平成28年)9月以来見てくれていた小林 詩歩さんが1年間の実習を終わり、後任の学生さん宇野 祐貴さんとなる。小林さんは来年国家試験を受けられる。彼女は兵庫県出身、宇野さんは神戸の出身。神戸大学には歯学部がない。歯科医師になるには大阪大学か岡山大学に入らなければならい。歯学部の学生の女子学生は70%だそうだ。

 治療が終わって、大学の食堂で食事。この日に感じたことは、男子学生に茶髪、服装がラフであること。また女子学生も薄着で、きっちりしていない。当世風なのかなあ‥‥‥。 


 2017.11.17(金曜日)

 10:00:岡大歯学部受診。

 担当の歯科医師:竹内倫子先生が実習の学生さんに治療台の前に置かれている器具台の器具を見られて「これらはどんな意図でおいているのか?」と聞いていた。学生は返答していたが、聞きとれなかった。繰り返し、いろいろと問答していた。医師は学生の指導を念頭においてのやり取りであると感じた。

 治療が終わって、学生に「岡大歯学部の国家試験合格率」を尋ねた。全国平均は63.8%、岡大は80%だという。臨床試験も行われる。他大学の先生が岡大に派遣されて行われとのことであつた。このことは知らなかった。こんなことがあるから、5年生が夏休みが終わって一年も実習しているわけがわかった。

参考:歯科医師国家試験

 すべてが終わって、食堂で醤油ラメを食べる。学生たちは雑談している者、スマートフォンを操作しながらの食事。時代の流れを見せられる。


 2018.01.29(月曜日):9:00~13:38 岡大歯学部受診。

 竹内倫子先生 学生宇野さん

 下の右の歯が痛むというと、観察して、相当無理をしていて負担がかかり過ぎている。入れ歯を使ったほうがよい。次の治療には入れ歯を持ってきてください。はまり具合を検査しましょう。

 10:10~11:10 先生が検査・治療。かなり汚れている。水を注ぎながらの治療。理療の合間に、検査の結果を記録させていたものをチェックされて、修正させていた。虫歯が出来ているかも知れないので、帰りにレントゲン撮影をしてください。

 レントゲン検査は医科と統合されていて、医学部内に移動。学生さんが案内。

 医学部の診察棟と病棟を結ぶ通路の西側にあった。その東側に食堂・スーパー・セルフサービスうどん店が並んでいた。広々として、明るくて綺麗。

 だが、私には素直には受け入れられないと感じた。

 自動支払機で支払って、医学部の食堂に行く。

 昼時だったから、内部は学生たちで充ち溢れんばかりであった。学生にまじって、卒業して実習していると思われる白衣の若い人たちと同席になった。男子と女子が全く屈託ないように話しながら食事をしている。全体を見回すと女子が多いのが目立った。服装もみなさん個性的である。

 担々麺400円を食べながら……。いつものことであるが、学生たちを見ているだけで楽しい。


 2018.03.23(金曜日):9:00~13:30 岡大歯学部受診。

 竹内倫子先生 学生宇野さん

 10:10~10:40 竹内先生検査。入れ歯(長い間、つかっていなかった)をはめて適合性を調べられた。もう全く合わない・がっちりとつくられているから作り直すか、使わないかであると言われた。2ヵ月の一度の通院では1年はかかると。治療しながら作っていただくようにした。(本日のところ詳細な計画は立たなかった)。10:40~11:30 歯石の除去。

   終わって、学生の宇野さんとはなす。歯科医国家試験の発表が3月20日にあった。小林詩歩さんは合格した。今年6月までは岡大で研修する、後故郷に帰られる。岡大の合格率は90%で、トップクラスであると。

 次の予約をして、自動支払機で支払いを済ませて、岡大病棟を通ってカフェテリアでカツ丼(442円)を食べた。

 弁当屋の沙知に立ち寄る。家が見つからなかったが、何度か尋ねてようやくたどり着いた。まだ、乳がんの手術の後遺症か痛むという。政子さんの知人の自動車で東山電停まで送ってもらった。福泊バス停で降りると、桜がかなり膨らんでいた。春の選抜高校野球が始まっている。


 2018.06.08(金曜日):10:15~11:45 岡大歯学部受診。

 竹内倫子先生 学生宇野祐貴さん

 処置台に坐ると、先生から 

1、「歯学生(5~6年生)の臨床実習へのご協力へのお願い」を書類を見ながら下記の項目を説明された。
□歯学生の臨床実習とその必要性について                                              
□臨床実習歯学生としての能力について
 歯学生が臨床実習を行うに足る能力(知識、技能、態度)が有るか無いかということは、実習が開始される前に知識・実技試験を含む全国統一の共用試験及び学内独自の試験を用いて総合的に判定されます。これらの試験に合格した歯学生のみが、臨床実習を行うことができます。
□臨床実習の種類と学生が行う歯科医療行為について
□医療安全及び個人情報保護と医療事故等への補償について
□担当以外の歯科学生が見学すること、及び担当の歯学生が変更する事があることについて
□拒否できる権利と同意しない場合でも診療に不利益にならないことについて
 終わって、同意書にサインした。

 いつものように

 歯周病検査、歯周基本治療処置を先生、学生さんが行う。

 最後に、虫歯予防フッ化物処理をされた。初めてであった。

 次の予約(8月17日:学生休みなし)をして、自動支払機で支払い(750円)を済ませて、30分後、大学病院食堂でカツ丼(442円)を食べた。友達と談笑しながら食事する人たち、一人でスマフオンを操作しながらの人、また一人で黙々と食事するひと。さまざまである。

 病院を入ると芝生が美しかった。

★参考:文部科学省から下記の通知に準拠している。

歯科医師卒前臨床実習についての考え方について(通知)


 2018.08.17(金曜日):11:00~11:40 岡大歯学部受診。

 実習学生:宇野さんが、約1時間、歯周病検査、スケーリング・ルートプレーニングを行う。その後、竹内倫子先生が確認と仕上げを行われた。

 宇野さんは本日で終了、次からは新しく学生が引き継ぐ。一年間が早く過ぎたという。本日まで腕前が相当進歩していて、ほんとンド一人で検査・治療をするまでに。治療費:680円。

 終わって病院食堂に行く。ご飯を食べようと思って、どのようにして注文するのかと迷っていると、看護師さんがあれこれと面倒を見て呉れて、ライスSS(86円)・スタミナスープ(64円)・鶏ポン唐揚(280円)計430円。食堂で働いている人が食卓に運び、下げてくれた。

 食事中、初級医師と思われる女性が座っていたので、写真をとる。


 2018.10.03(水曜日):13:00~14:30 岡大歯学部受診。

 竹内倫子先生、新任学生井上倭総(かずさ)さん。

1、下顎の中央の左の歯がガタツキ中央のハメ歯が下にずれた。そのために食べ物を噛みにくくなった。10月12日の予約を3日に変更していただいた。

2、病院に到着して食事:担々麺(399円)。女子学生が多い。東京医科大学が女子学生の入学を制限していた報道を思い出した。

3、竹内先生、学生井上倭総(かずさ)さん。下のはめ歯の接着をやり直し。歯周病検査。スケーリング・ルートプレイニング・機械的歯面清掃処置。

 先生が検査。検査の状況を声をだされる、ぞれを学生が記録する。その過程で先生が記録をチェック確認される。

 診療明細書の記載に歯科疾患管理料(2回目以降)100円がある。今回の診療料金680円。

4、本日の治療で下顎の歯がしっかりして夕食をいただくことができた。はめ歯がしっかりすると下顎の歯全体がしっかりした。


不整脈:期外収縮


平成七年

平成七年八月二十二日火曜日

★片山東眼科病院に行く 左目出血していた。治療を開始。血圧が154(機械測定)要注意だから内科の医者に相談して下さいとのこと。視力の低下は、私の年齢を聞いて、白髪になるようなものですと。目薬(白内症予防)と止血用の飲み薬の処方。

★三宅内科 内科にかかったのは全く久し振り。手動血圧測定140と80。異状ない。食道がもやもやしていると話して、心電図と胸のレントゲン測定。期外収縮のパタンがある。これは、びっくりしたときにどきんどきんとするのと似たものである。運動しなさい。そのうちに消える。止めるくすりもあるというので湿布と飲み薬を戴いた。いつも持参しておかしいときに湿布から使いなさいと。レントゲン異状なし。川崎病院に掛かっていたときにも期外収縮のパタンはあったそうだ。時々検査しなさいとのことだったそうだ。

*不整脈の中で最もよく見られるのが期外収縮です。

平成七年十月一日日曜日 

★寺本教授に電話:期外収縮について。年配になると多い。心臓は一日10万回鼓動している。その10%くらいは止まることがある。心電図診断で、上室の問題か心室か判断できる。上室の場合は心配ない。そのままにしておく。寺本教授が、一度、心電図診断しましょうということになった。血圧が高くなければ問題はない。Nitroderm は血管拡張剤である。副作用はない。1回試して良かったというと、薬によるものか気分によるものか分からない。

平成七年十月二十三日月曜日 

★期外収縮 1、13:00 光生病院(岡山市内)に行く。循環器内科:江森先生(岡大循環器内科より派遣されていた先生)に検査してもらう。脈搏(診断のときは、不整脈はなかった)、血圧(140)、胸部レントゲン写真(正面と側面)、超音波検査(運動状態は良い)。前回の心電図少し変わっているらしい。  異状ないと言われた。脈搏が早く打つと感じられるかと質問されたが、今のところ自覚できていない。

2、14:20 ホルトを取り付けた(24時間測定)。長時間心電図記録のための行動記録メモをとる。

平成八年、九年

光生病院、丹治クリニックで治療。寺本先生、大塚先生(クラレ元診療所勤務)の指導を受ける。 

平成十年

平成十年八月六日(木曜日) 

★岡大循環器内科:大江教授受診。一昨日から昨日にかけて測定したホルタ心電図(光生病院)と紹介状持参。予診のための自作資料も持参。  検査: 

 1、予診 2、心電図 3、X線 4、診察(ホルタ心電図の検討)・聴診、5、夜型であると診断されたので3分心電図(発生場所の確認のため)を行う。

 結果:教授、女医、医師がそばにいた。教授が心電図を診ながら医師に質問したりして実地指導されていた。 

1、心臓の模型を示し不整脈の発生箇所を指摘された。外科的に治療するより内科的に治療することにしている。江森先生もいわれていた。

2、若いころから発生していたものであろうといわれた。

3、薬は症状を抑えるためであり治療にはならない。副作用を天秤にかけなければならない。薬は服用することはない。(江森先生も言われていた)

4、胸の動悸が激しくなったり、めまいがしたり、後ろ髪を引かれるような感じが起こったら大学病院か光生病院に飛び込なさい。

5、ビールはQUALITY OF LIFEのために適当に飲みなさいと言われた。

その他

1、説明が丁寧 患者一人に時間をかけられる。

2、心臓関連の予診のための自作資料のワープロを見て予診の先生は助かると言い、教授は学校の成績が良かったのでしょうと言い、気分を和らげる

3、寺本先生の言われた不整脈の第一人者の診断だからこれ以上はない。

4、 早く診てもらうべきだったと感じた。

5、診察後、気分が明るくなる。

6、病院の患者と話すと心が慰められる。本日、話しかけた患者(男)は冠動脈を足、腹からの血管を移植してサモールを服用している。

 自分の不整脈は問題にならないと感じた。

★シベノール服用中止。大江教授のお話しを参考にして。

大江教授は国立循環器病研究センター(吹田市)から岡大医学部教授に転出された。教授定年前、心臓病センター榊原病院に転出しますから、困ったことがありましたら来てくださいと言われた。

 以後、不整脈を意識することはなく、九〇歳にいたる。

余談:知人が不整脈で驚いて、心臓病センター榊原病院にかけつけている。私は、多分に神経質ンあなりやすしている。おのようにした人からいものですから、無視して、日常の生活を続けなさいとアドバイスしている。そのようにされたかたから、そのとおりでしたといわれたりしている。


前立腺関連・S字結腸関連


平成七年

★2005年9月21日(水) 

 岡山市民病院入院1日目

 前立腺の生検のため岡山市民病院に2泊3日(21日~23日)の入院。午前11時までに行く。

 泌尿科の外来で、入院中に胃の内視鏡検査を依頼した。OKをいただく。

 12:30:津川先生(59年岡大医学部卒)による組織検査。             

エコーを肛門に挿入してそれに沿うようにして組織採取の器具を挿入して左右3個ずつ採取。麻酔はしない。そのほうが採取後の経過がよいので。採取前に器具から出る音を聞かせてくださる。

★2005年9月22日(木)

 岡山市民病院入院2日目

1、胃の内視鏡検査。モニターを見ながら、西村先生が説明された。ポリブのようなものがあった。組織を採取。悪いものではないと思うといわれた。

16:00 津川先生が、組織検査の結果を知らせてくださる。「前立腺がん」でないと診断された。

 6か月~1年のあいだに血液検査をして、PSAが8を超えるようであれば検査すると、紹介の三宅医院に手紙を書きますといわれた。

 明日は病院はお休みであるので、入院費用を計算。12,570円(2泊3日)。

下腹部の痛みについて、泌尿科の西口先生に尋ねる。先生が見てくださる。2枚の筋肉のあいだに腸が入るヘルニアかも?外科でみてもらいなさいといわれる。

★2005年9月23日(金)

 岡山市民病院入院3日目:退院

 体重が62Kgから57Kgまでに。

☆その他

 入院中のあれこれ

▼看護婦さん

 看護婦さんが看護師、婦長は看護師長と呼ばれている。女性の看護師は少しの違和感を持たずに教えてくれる。私にはなじめない。

 私は「かんごし」のことばの漢字は「看護士」だと思っていた。看護師国家試験の案内を見ると「看護師」であった。

▼排尿量

 検査入院中、毎回の排尿時、時刻と量の記録を取らさせられた。普通の人は1.5リットル(1000~2000ミリリットル)ぐらいだそうだ。血液→腎臓で1分間に約1mlほどの尿がつくられる。私の場合はやや少ないようだ。その理由は平素水分の補給が少ないからだ思う。これからは新陳代謝を考えて水気を多く取るようにこころがけたい。朝食後の午前10時、昼食後の午後3時、夕食後に水分をとることにした。

▼睡眠薬

 うつ病の治療はともかくもよく眠らせることであると精神科の医師から聴いたことがある。

前立腺血液検査、MRI検査さらに組織の検査入院、自分では明確な自覚はなかったが、ストレスになっていたのかもしれない。

胃では一日でポリブができますよと医師から言われていたことがある。

▼入院中の読書 文芸春樹(17年10月号)

 柳澤桂子「いのちの悟り 般若心經と私」

 彼女は原因不明の大病を長年患った。最終的には、ある医師の診断で「慢性疼痛、脳の代謝異常です。帰ったら薬を送ります」と。

 1週間で痛みが消え、1ケ月位には立ち上がりことができたのです。一年ぶりのことです。

*脳の代謝異常など初めて聞く病名であった。彼女についてはインターネットで多くの記事を読むことができる。

▼検査での本人・家族の承諾の確認書の提出、症状などは本人確認ができないので電話での話はできない、病室・ベッドに個人名を書いた名札についても掲示するかどうかの承認を得てから行うなど個人情報の管理に配慮されている。

平成十六年

★平成十六年(2008年)、大腸内視鏡検査で虚血性大腸炎で岡山市民病院に入院。一応回復したが、翌年もまたS字結腸にかさぶたのようなものがあり、その辺りが痛むので短期間入院。それ以来1月~2月間隔で通院治療を受けていたが、芳しくない。

 岡山市立市民病院は、2015年(平成27年)5月7日に北区北長瀬表町に新築・移転して開院した。以来、近所の個人病院に移動をすすめられて、移動した。


★岡大医学部泌尿科での受診。

2008年以来受診、那須先生に診ていただいている。当時のPSAA=5.8.毎年1~2回検査。10年間に5.8→14.0 であるが、情緒の傾向から問題ないと言われている。

平成三十年八月二十七まとめて記載。