奈良県

宗教都市潜入記

とある休日の朝、いつもよりかなり遅い時間にムクムク起きました。
起きれなかった原因はもちろん恒例の二日酔い。
こんな日は何にもする気がしないが、せっかく晴れているのでもったいない。
こういう二日酔いには辛いものを食べて活を入れたいところ。
ふと思いついたのはピリ辛の天理ラーメンです。
一度思い始めると無性に食べたくなり、天理まで行ってみようと決めました。
しかし天理にはまだ行ったことがないので少々不安…
なにしろ天理教の聖地だからね。
天理へはJRの桜井線を使います。
1時間に1本しか走らないのローカル線ではあるが、直通できるので便利です。
電車はかなり年季の入った105系の2両編成で、ワンマン運転。
大和高田駅や桜井駅などの乗換駅では普通の電車と変わらないが、途中の駅はすべて無人で、乗る人は整理券を取り、降りるときは運転手が料金を徴収する…バスのようです。
バスと同様、テープの女性の声で発車を告げ、おもむろにドアが閉まる。
ローカル線にもかかわらず、結構なスピードで走り出しました。

電車は各駅で乗客を拾い、降ろしていく。
他の乗客はあたりまえのように運転手に料金を払っています。
新宗教の本拠地に訳のわからない者があえて迷い込もうとするのだからだんだん緊張してきました。
そのうち、近くからブツブツと声が聞こえてきました。
音源を探ると、反対側の座席でオバチャンが独り言のように読経しているのです。
「オイオイ、余計に緊張するやないか!」。
三輪駅に近づくと大神神社の御神体である三輪山がよく見える。
この路線は仏教、神道、さらに今から行く天理教と、まさに信仰めぐりの路線です。

30分ほどで天理駅に到着。
駅を見ると「デカー!」…新幹線の駅と見紛うばかりの大きな駅です。
天理教の大祭の時には全国から信者が集まるのでこのような大きな駅になっているらしい。
この駅の建設のために教団も多額の寄付をしたとのこと。
なるほど、駅には団体専用のプラットフォームと団体専用の改札もあります。
こんな巨大な駅に、たった2両編成のかわいい電車が発着する様はユーモラス、というか漫画的です。
近代的な駅前広場も巨大で、広場を横断する地下通路があり、エスカレーターとエレベーターが完備。
地下駐車場もあり、えげつない整備ぶりです。
地下を横断すると、「ようこそおかえり」の看板が目立つ商店街に達します。
しかも、商店街では黒地に天理教と書いた法被を着ている人が大勢歩いています。
少々めまいを感じてきました…異教徒が迷い込んだのだからね。
「えらいとこに来てもた」。

腹が減っているので、早速目的のラーメン屋を探すことにしました。
天理は唐辛子のピリからと白菜の甘味が特徴の「彩華ラーメン」の本拠地です。
信仰の中心地に向かう商店街を通って神殿近くを右に曲がれば看板を発見。
しかし、肝心の店はシャッターが下りている。
夜だけの営業かもしれない。営業時間を調べてくるべきだったと後悔です。
早々に目的のラーメンはあきらめ、宗教施設の探検をしてみることにしました。
商店街まで戻り、さらに東に歩みを進めると中心地に到達。
アーケードが途切れ、突如視界が広がります。
通りから石段を上がると神殿前の広場になっていて、広場の正面には巨大な拝殿があります。
そして、左右の遠く、所々に「おやさとやかた」の威容がそびえています。
「おやさとやかた」は近代建築のビルに千鳥破風の大屋根を載せた天理独特の建築で、病院や宿舎、学校などの機能が割り当てられています。
将来は天理教の中心を「おやさとやかた」が完全に囲むようになるらしい。
そうなればまさしく「城壁都市」。
バチカンのように天理市国になることも可能ではないか。
少々空恐ろしさを感じます。
神殿に上がる石段に近づくとスタッフの若い兄ちゃんが「お帰りなさい」と声をかけてきました。
概してスタッフに若い人が多い。
適当に愛想笑いをしながら拝殿を観察。
異教徒がこれ以上近づくことに躊躇したので、西の拝殿に向かいました。
するとここでも別の兄ちゃんが「お帰りなさい」と声をかけてきました。
私の服装(少なくとも聖地を訪れるような格好ではない)を見て察したのか「ここは初めてですか?」と聞いてきました。
「よろしければご案内のものをお付けしますが…」と言う。
「キター。あかん、これに乗ったら信者にされてしまう。」と思いお断りしてその場を離れたが、だんだん後悔してきました。
好奇心が勝ってきたのです。
引き返して「ごめん、やっぱりお願いします」。
その兄ちゃんは「では、しばらくお待ちください。」と言いながらトランシーバーで案内人を呼びました。

まもなく案内人が駆けつけてきました。
二十歳そこそこのかわいい「おねえちゃん」でです。
「い、いかん。これまた天理教の策略や!」。
オウムがとびきりの美人を広告塔に仕立て上げて信者を増やしていたことを思い出しました。
案内人に勧められるまま靴を脱ぎ拝殿に上がる。
すんなりと本拠地潜入に成功すると西の拝殿を素通りし、南拝殿から東拝殿に続く回廊を渡る。
途中、「おねえちゃん」が私の名前を聞きファイルに書き込む。
名前の漢字を確かめ、「お住まいはどちらでしょうか」と聞く。
個人情報を探っているのか?っと警戒したが、居住の市名以上は聞かれませんでした。
回廊はピカピカに磨き上げられており、帰宅してから靴下を見たらまったく汚れていないのには驚き!
広大な畳敷きの東拝殿に上がり、天理教の「御神体」ともいうべき「甘露台」を間近に見える場所に座るよう促されました。
周りには全国から参集したであろう大勢の信者の団体が熱心に礼拝しています。
「甘露台」は教祖である中山みきが啓示を受けて定めた、天理教の世界の中心「ぢば」を表すシンボルで、信者は「おぢばがえり」のため、たびたびここに集まり礼拝します。
そのような重要なシンボルを、一見さんのワタシがこれほど間近に見えるのには驚きました。
もしワタシが悪意を持っていたらペンキを掛けるのも可能ではないか。
敵対するものが教義を根底から覆す所業も不可能ではないのです。
なんともおおらか。
以前は何ともなかったが、太ったせいか正座は苦手です。
辛抱して教祖である中山みきの生い立ちと、教えの概略を聞く。
「おねえちゃん」は初心者らしく、途中で何度も言葉に詰まる。
その度小声で「すみません」と言いながらカンペを見て、恥ずかしそうにカンペをファイルで隠すので、少なからず親近感を憶えます。
ひと通り説明をした後、「礼拝をしましょう」と促されました。
「あっ、いや・・・」と躊躇しているにもかかわらず「ご一緒に!」と礼、4拍手、礼、4拍手につき合わされました。
ぎこちなく真似をしたが周りの目が気になる。
ギクシャクしていたに違いありません。

次は教祖殿。その次は祖霊殿と案内され、同様に礼拝。
少し慣れてきました。
神殿を1周し、途中、嬉々として回廊を歌いながら清掃する信者を見ながら再び西拝殿に戻ります。
これで案内の終了。
案内人は最後に「拙い説明でごめんなさい」と謝ったが、妙にマニュアル化された案内(例えばファストフードのような)でないところが親しみを感じます。
また、信仰を強要されたり、寄進を求められることもありませんでした。
「ぜひまたお帰りください。ここは年中、24時間開いています。」

多少の名残惜しさを感じながらお別れし、最初に来た場所に戻りました。
周りを見渡すと、「おやさとやかた」が再び威圧感を与えてきます。
天理教は建築や街づくりに少なからず力を注いできただけあって、駅から中心までの商店街はそこそこ賑わっていると感じました。
地方都市の商店街には珍しくシャッターの閉まっている商店は少数です。
緊張から解放され、商店を見る余裕ができたのでブラブラ歩いていると、午後2時丁度、天理教のお歌らしいメロディーが町中のスピーカーからはじめました。
まるでコーランが街中に響き渡るイスラムの都市のようです。
すると、店の人やお客さんが一斉に路上に出て中心部に向かってお祈りをはじめました。
何が何かわからない私は唖然と見守るばかりです。
「やっぱり異教徒や…」

商店街では黒い法被を着ている多くの(っていうか歩く人の半数以上)人を見かけますが、言葉のイントネーションがまちまちで、関西弁は多くないと感じました。
全国から集まっているのでしょう。
法被を着ている人の中にくわえタバコである歩く若い男も見ました。
タバコ吸いのマナーがなってないな、普段街頭を掃除しているくせに…と思いながら見ていると、灰を手で受けているではないですか。
そして、灰皿を見つけると吸殻とともに手で受けた灰を捨てています。
一瞬「おっ、流石やな。」と思いましたが、そもそも歩きタバコはあかんやろ!
かなり昔、天理市内を車で通ったことがあります。
異教徒(というかこれという信仰がないもの)から見れば奇異に映る建築物の威圧感のせいか、天理は近寄りがたい街だと思っていました。
しかし、再度自分の足で歩いてみると、信者をはじめ人々が明るい。
しかも若い人たちが多いので、少しイメージが変わりました。
信仰心の薄い私にはなんでこれほど熱心になれるか理解できませんが、この宗教、終末の恐怖を煽ったり、カタストロフに怯えるような悲壮感がないのがいい。
教祖が「陽気ぐらし」を唱えたせいでしょうか、かなり鷹揚な教派であると感じました。

商店街を抜けると再び新幹線のような駅が姿をあらわします。
ここにはファストフードの店があり、スカートの丈が短い女子高生がいる。
ようやく異空間から現実世界に戻ったような気がします。
ここでようやく腹が減っていることを思い出したのです。

 (2003年5月9日)
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