坂出八幡神社の本殿を守護する玉垣の獅子
坂出八幡神社の由来
八幡神社 香川県坂出市八幡町
境内末社 塩釜神社 当町古濱十八軒前塩業者 勧進す
往昔 角山の麓に鎮座城州男山八幡宮より勧進年月日不詳天正3年3月3日角山の麓より字中浜へ遷座
寛文年間当と社人出入有之社人吉太夫改易(1669)寛文9年3月朔日西庄村別当摩尼珠院境内へ遷座別当氏子霊夢有之驚愕の余り(1691)元禄3年12月朔日現今の地へ奉帰祭候もの者也。
右は八幡社務所現在せる所なり又民族物語に左の通り有之曩昔産神八幡大神のに官福家吉太夫と別当摩尼珠院と争論に及双方共募り寺社方へ訴えたれば理を以て糺し法を以て行い
権を以て屈せしめ、福家吉太夫祠官の職を召されし頃は寛文八戌申年氏神の社を西庄村崇徳天皇の社地へ還せしに漸く七日にして天皇社へひきし也
神慮に背きしにや産子ども船の大綱を以て引きし処毎度切れたると申伝う、その后に旧の社地に夜更けて丑満の頃に神火焼ける顕れたれば産子ども大いに驚いて巫に問ければ神の巫きに宣託して朕は天皇に非すして阪出旧社の地に在り
朕を拝せんと思はば必ず旧社の地に来るべしと神勅あれば其旨を寺社方へ申出て22年に当て
元禄に己歳に1日を終ずして阪出の旧の社地へ引戻られしわ神慮に叶ひしや不思議なる事共なれは愈神を尊敬すべし右両説大同小異なるも茲に掲けて参考に資す
(行宮所)は往古より宮池東南隅の地なりしを明治4年菅原神社境内へ行在所を変更したり、明治12年8月18日村社に昇格白峯神社末社を分離し阪出村拳て氏子と変更す
又御供村は阪出村に合併せしに付同村民の希望により明治21年12月14日本社の氏子に付属せり
明治12年9月15日 阪出村氏族 岡阪米造本社祀掌を命せざる
明治25年 境内新 道開道の工事なる
同25年10月 本殿周囲の玉垣竣工
同26年5月 北面の玉垣竣工
同29年11月 町費を以て神庫を建築す
同30年 境内東西及神園の玉垣を築設
同32年 神園を築造す
同年 新道両側の小形玉垣竣工する
当社祭典は往古より陰暦8月15日の執行の所右の時季は毎年流行患者を出すこと多く為に予防上その筋より祭典延期の命に接することありて近来定日に執行せしことなし、他町村神社にても多くは 新暦に改る故に「明治41年8月16日」氏子総代 町役場 町会議員協議の上 本年より将来10月15日に変更確定する
坂出史より
産土神は八幡神社。社伝では正平年間(1346〜70)細川頼之の勧請という。角山山麓に鎮座していたのを天正3年現在地に遷座したとも伝えるが、「全讃史」には「あるいは云ふ、坂出の滷丁、昔、播州の赤穂より来る。故に赤穂八幡を迎えて之を祭る。因つて赤穂八幡宮と号す」とある。
香川県の地名日本歴史大系38より
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