韓のケツ童子説話に付いて

兵庫県三原郡南淡町
阿万西町
舁壇尻の水引幕
(韓のケツ童子
兵庫県三原郡南淡町
阿万東町
舁壇尻の水引幕
(韓のケツ童子)
兵庫県三原郡南淡町
賀集生子
舁壇尻の水引幕
(韓のケツ童子)
新居浜市先代東
浜太鼓台高欄幕
(韓のケツ童子)
新居浜市東浜太鼓台
高欄幕

(大塔宮護良親王)
新居浜市
大江太鼓台高欄幕
(韓のケツ童子)
兵庫県津名郡津名町
生穂野田尾
舁壇尻の水引幕

ばべおとこ 事  新川洋介氏の研究資料の一部を転載させていただきました。

先代東浜太鼓台の韓のケツ童子と金龍城

金龍城

居浜市先代東浜大鼓台の飾リ幕をUPするのに協力していただいた方々に心より感謝申しあげます。資料は書籍、新居浜市立図書館発刊の新居浜大鼓台、愛媛県歴史博物館愛媛祭礼紀行、21世紀に伝えたい郷土の祭礼に掲載されていた、縫師 山下家に伝わる資料を参考にさせていただきました。[金龍城]の御殿の名称については、山下茂太郎氏の(紙模型金龍縄張城)の写真と山下茂太郎氏が゛京都絵師に描かせたと言う、下絵を参考にして御殿の名称を付けてみました。[城壁と重層御殿 龍宮門]の名称を[金龍縄張城]の写真に表示している名称をつけてみました。[先代東浜大鼓台]の高欄幕の、飛龍と韓ケツ童子の幕は山下家秘蔵の下絵を忠実に再現していると思いますます。先代東浜太皷台の幕の制作者は誰でしょうか、当時の山下一門の作品なのでしょうか?高木縫い師の作品でしょうか「 韓ケツ童子」の梶内近一氏の作品を見ますと同じ一門でありながら、独立してから制作者の個性がよくわかります。中須賀太鼓台の韓ケツ童子の上水引が、私の手違いで、UPできなかったことが非常に残念です。先代東浜太鼓台上水引御殿幕2枚の問題がまだ解明出来ずにいます、随時解明していきたいと思っております。

金龍縄張城

籍(新居浜太鼓台)の研究部門において242ページの写真19.20.21.22.の山下家所蔵の下絵「韓のケツ童子の物語」は四面が同一図柄と記載されています。その下絵の名称を「韓ケツ童子」「金龍縄張城」と記載されていますが、その名称は「金龍城」ではないかと思います。その理由は、「愛媛まつり紀行」に記載されている山下茂太郎氏が写っている写真からの名称をつけたのはではないでしょうか。(私の推測ですが)その理由は、写真を見ればわかると思いますが、山下茂太郎氏が下絵を手本に紙で金龍城の模型を完成させている、写真を見るとわかると思います。その完成した模型には、立体的に縄が張れていることがよくわかります。その理由は模型の金龍城が完成したので縄を張って完成を祝って記念撮影したのではないでしょうか、その理由は[縄張りにあると思います]『広辞苑』では(縄張りとは)縄を張って境界を決めること。建築の敷地に縄を張って建物の位置を決めるとありますが、山下茂太郎氏は縄張を含めて(金龍城)を(金龍縄張城)と表示したのではないでしょうか。(私の推測ですが)、先代東浜太鼓台の高欄幕の御殿にも昔は金龍城の旗があったそうです今はついていません。淡路島の津名町生穂、野田尾、舁壇尻(太皷台)の梶内近一氏の韓ケツ童子の一枚幕には、御殿に金龍城と書いた三角の旗が刺繍してあります。(金龍縄張城)紙模型の写真にも同じ旗が見えます。(ある説話)によりますと昔の中国で王城を建設しょうとしたが誰も出来なかった。子供が蛇に化けて地面を這って図面を書き、その通りに組み立てると立派な城が出来た。一人の子供は龍の化身でそれがわかると、飛龍に変身して大空高く飛び回ったとあります。

上水引
獅子と重層御殿
上水引
上下2匹の獅子
上水引
石橋(しゃっきょう)
能楽の曲名。寂昭法師が入唐清涼山で石橋を渡ろうとすると、一人の童子が現れて橋の渡り難き事を説き、橋の謂れを語る。やがて獅子が現れ咲きれる牡丹の花の間を勇壮に舞い、御代の千秋万歳を寿ぐ。
上水引
御殿
高欄幕
韓のケツ童子
高欄幕
大榛殿と靖寝殿
高欄幕
吽形の飛龍
高欄幕
理光大門と金玉殿