大正10年から昭和35年まで活躍
![]() |
![]() |
| 太鼓台の重(布団)には4面に一対ずつ、計8枚の龍の刺繍が取り付けられている。 一般に「阿吽の双龍」、「雌雄の双龍」、「昇降の双龍」などと呼ばれている。 坂出市新開町の布団締めは、大正10年に新居浜方面から購入したと伝えられる。 黒布地の木板に双龍の立体刺繍が取り付けられている。 左側の龍は玉(如意宝珠)を護持し、右側の龍は剣 を保持する。 現在の新居浜太鼓台の布団締めに比べ少し小ぶりである。 布団締めの変遷、伝播を知るうえで興味深い。 |
|
![]() |
大正10年代に新居浜方面から購入したと伝えられる飾り幕。図柄は「海女の玉取り」。
大きさは現在の飾り幕に近いが、上幕、高蘭幕ともに1枚物であり、太鼓台の巨大化に
伴い、幕が大型化し始めたころのものと考えられる。幕の破損部分からは、大阪の新聞
記事が散見でき、大阪周辺で製作、補修されたと推定される。
海女の玉取り伝説
志度町には一人の海女の悲しい伝説が伝えられている
1300年頃前、天智天皇の頃。藤原鎌足が亡くなり、唐の第3代皇帝、
高宗に嫁いで見た娘は父の追善のため、三つの宝物を贈った。しかし、都へ
の船が志度浦に差しかかると、三つの宝物のうち「面向不背の玉」が龍神に奪
われてしまった。鎌足の不比等は玉を取り戻すため、身分を隠して志度へ渡
り海女と契り、一子房前をもうけた。不比等は数年後、素性をあかし、玉の
奪還を海女に頼む。海女は「私が玉を取り返しで来ましょう。その代わり、
房前を藤原家の跡取りに約束してください」と龍宮に潜っていった。腰に命
綱をつけた海女の合図があり、不比等が綱をたぐると、海女の手足は竜が食
いちぎっていた。が、十文字に切った乳房の下には玉が隠されていた。房前
は藤原家を継ぎ、大臣に出世した。ある日、不比等から母の死の理由を聞か
され、志度を訪問。千基の石塔を志度寺に建て、菩提を弔った。
![]() |
| 上水引幕を四分割表示しました。 | |||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 上の竜宮御殿を拡大したものです | 左の竜宮御殿を拡大したものです | 上水引幕の裏側です。 | 上水引の(一束熨斗)紋章です |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 上の写真の左上の拡大 | |||
![]() |
|||