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佐伯鞍職(さえきのくらもと)
市杵島姫が紅の帆をはった船に乗って鎮座地を求めてやって来られたときに、厳島を案内した地元に住んでいた人で、以来厳島神社の社司として神社の管理に当たっていたと伝えられる。
佐伯景弘(さえき かげひろ)
平安末期の厳島神社の神官、厳島神主。佐伯鞍職の子孫と伝えられ、彼の記した書き物から、厳島神社の創建が593(推古天皇即位元年)であること、1167(仁安3年)に社殿が造営されたことなどが判る。また、平清盛をはじめとする平氏の厳島への信仰は、景弘の尽力によるものである。
1185(寿永4年)3月壇の浦の戦いでは、安徳天皇の御座船の近くにいたとして、1187(文治3年)源頼朝により壇の浦の海中に沈んだ宝剣を探索するよう命じられているが見つけられなかった。
現存する飾太刀箱や松喰鶴小唐櫃は、1183(寿永2年)景弘によって奉納されたもので、国宝「厳島神社古神宝類」に指定されている。
『愚管抄』には、壇の浦に沈んだ、第81代安徳天皇についてのこんなくだりがある。「この天皇(安徳)は平相国(へいしよこく)平清盛が祈願をかけ、安芸国(広島県)厳島の明神のお恵みによってお生まれになった天皇であった。
厳島の神は龍王の娘と言い伝えられており、……この神が自ら天皇となってこの世にお生まれになったのであつた。
それで最後には海に帰っていかれたのである,このようなことから想像すると、佐伯景弘が厳島神社の神の化身である、弁財天に対して安徳天皇が壇の浦に沈んだことに対して、厳島神社の神官として、また平清盛の家人として弁財天に対しての謝罪の気持ちを込めて武人の魂である剣を差し出して自らの非を詫びている場面ではないでしょうか。
(私はそのように解釈しております。)
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