| こんなとこあった・・・って!? |
| 研修会の写真が昭和48年という事らしいので・・・当時、教養課程を駒沢キャンパスで過ごした人は、アウトドア科目を選択した人は、体育の授業で、砧グランドへ通ったということだ。当時、地下鉄はなかったので、駒沢からバスで二子玉川園(現 二子玉川駅)でバスを乗り継いだということだ。ここには、明治42年に玉川電気鉄道が開いた運動設備を備えた遊園地があり、開けたとはけしていう程でもない町だった。遊園地と昭和44年高島屋SCが建ち、二子東急という小さいながら映画館もあった。三軒茶屋には三軒あった。このころ駅前に、昭和46年に一号店をオープンしたマクドナルドが、とうとうここにもやってきた。行列を尻目に、中身は*の肉らしいぞ、最近この辺りで野*が減ったらしい・・・などという者もあった。二階には喫茶マイアミが入った。 |
![]() 二子玉川駅 高層ビルの前姿は富士観会館だった |
![]() 二子橋 新二子橋が出来渋滞は減少した |
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![]() 川崎側を眺めると246の二子橋 |
![]() 中州の兵庫島 |
| 兵庫島公園は、研修旅行のあった秋川渓谷とともに多摩川八景になっている 正平13年(1358)に、新田義貞の子義興が足利基氏を討ち、お家再興を目指し、13人を連れ稲城矢口の渡しから乗り込んだが、渡し守が予め開けていた船底の栓を抜いて逃げた。それを合図に両岸から矢を放たれ義興は自害した。由良兵庫助が、甲冑姿のままこの中州に流れ着き戦い果てた。村人は災いを恐れ供養し、以後、洪水でこの中州が流されることはなかったと、今に伝えられている。 |
| 八重洲口からのバスで・・・等々力へ出ると、23区唯一の渓谷である等々力渓谷があった。 かっての清流はもう見られないが、野鳥の声と森の清涼感はあり、今もまだ散策の人で賑わっている。 多摩川の流れが年々きれいになり鮭が放流されたりする昨今、家庭排水の浄化が望まれる。 |
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![]() 等々力駅は当時と変わらない |
![]() 等々力渓谷案内板 |
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![]() 遊歩道の人通りはなかなか絶えない |
![]() 水の汚れだけが惜しまれる |
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| 環八下の矢沢川という小さな流れが、多摩川に合流する手前のおよそ1km程の散歩道だ。等々力の由来は、不動の滝音が轟くということからだとの説が一般に有名で知られているが、他にも渓谷の崩落する音から来たという説、戦国時代の南条右京亮(うきょうのすけ)の居城兎々呂城(「とどろじょう」のよみが「とどろき」と変化し、現在の園芸高校)を由来とする説等があり、詳らかではない。古墳もいつくかあり、ついでに少し歩けば大塚山古墳公園や多摩川も近い。昭和8年に国が風致地区とした事が、今日までの維持につながったのだろう。 |
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