
舞台はとある山道。 坂を上る二人の人影が見える。 一人は中華風の服を纏い、江戸時代の薬屋が担ぐ箪笥のような箱を背負っている。 中途半端に伸びたやや赤茶けた髪を、緑色の紐でくくった人のよさそうな青年である。 もう一人は割りと幼い少女で、フリルの多いブラウスとスカートを身に着けている。 だが、少女には普通の人間とは違う点がいくつか見られる。 まず、肌の色が青い。顔色が悪いとかそういう次元ではない。 そして、目が黒く、瞳は金。 さらには小さいながらもこめかみには角が見える。 「ねぇ下僕ぅ、街はまだなのぉ?」 少女は青年が背負った箱の上に腰掛け、声をかける。 「まぁ、あと2、3キロですよ。疲れたならどうぞ座っててください。」 「黙っていてもつまらないわぁ、何か面白い話をなさい下僕ぅ」 そういうと少女は青年の頭をぺしぺしと叩く。 青年の名は紅焔(グエン)。この世界ではマインドブレイカーと呼ばれる珍しい人間である。 少女の名はアシュタルテー。その珍しい青年を阿頼耶識と呼ばれる組織から引っこ抜いてきた悪魔である。 この一見ちぐはぐな二人は、きいての通り主人と従僕の関係を結んでいた。 その関係が構築されたのは僅か三日前。 「へぇ、結構簡単に忍び込めるのねぇ、阿頼耶識って。」 闇夜に魔が潜んでいる。 阿頼耶識の日本支部・・・とは言っても辺境の小さな支部だ。 魔人と言われる「ダークロア」の実力者、アシュタルテーにかかれば潜入はおろか、殲滅も可能であろう。 だが、今のアシュタルテーは「幼魔」。魔人であった頃のような強大な力はない。 「ま、結界に引っかからなかっただけよねぇ」 その薄青い舌でぺろりと唇を湿らせると、スカートを風に揺らしアシュタルテーは歩く。 月明かりを頼りに砂利の上を音も立てずに渡っていく。 目的地は最奥の間。厳重な鎖と札、封印術式が張り巡らされていることからそこが目的地だとすぐに分かってしまった。 「阿頼耶識は何を隠しているのかしらぁ」 アシュタルテーは見えない壁・・・「封印結界」に、ぎりと爪を立てる。 「あはは、壊れちゃえ」 邪気に満ちた、しかして無邪気な笑い声にガラスがひび割れるような音が重なり、不可視の壁が崩れた。 アシュタルテーは黒く塗った爪で、まるで紙細工でも切るように鎖を切り落としていく。 何重にも廻らされた鎖を切り落とし終わると、引き戸に手をかける。 「さぁて、ご開帳」 金色の瞳が明かりもない部屋を覗き込む。 その部屋には、悪魔であるアシュタルテーが目を疑うほどのものがあった。 一人の青年が、目に拘束具をはめられ、口には猿轡、両腕を後ろ手に拘束され、脚には重りまでつけられて、文字通り「転がされていた」。 「・・・ちょっとぉ、悪趣味にもほどがあるんじゃない?」 阿頼耶識といえば、比較的まともな組織であったはずだ。 WIZ−DOMならば儀式の生贄の可能性もある。ダークロアならば吸血鬼の「食料」という線も考えられる。 ただ、この組織は「比較的」まともだと思っていたが・・・ 「期待はずれよぉ・・・全く」 そう言いながらアシュタルテーは青年の拘束具を切り落としていく。 「ちょっとアンタ、何でこんなところに入れられてるのよぉ。私はてっきり阿頼耶識の隠し武器・・・しかも妖刀あたりがあるものと期待してたんだけどぉ」 ぐい、と青年の襟首を掴みあげるが、そこでアシュタルテーは初めて気づいた。 青年の瞳に恐ろしいほどに“生”がないことと、能力者にだけ感じ取れる事柄。 即ち、目の前の青年がマインドブレイカーたる資質を秘めていることに。 「・・・へぇ、コレは面白い拾い物かもしれないわねぇ」 アシュタルテーは掴みあげた青年の瞳を覗き込み、金の瞳で暗示を“与える” 「・・・『起きなさい』」 金の瞳が夜空の月のような輝きを見せると、青年は覚醒した。 「こ、こは・・・?」 「呆れた・・・記憶もろくにないのねぇ」 アシュタルテーが笑う。 「いえ・・・5つか、6つの頃の記憶は・・・」 言って青年が頭を抱える。 思い出すことが出来ない、というよりは何者かに記憶をロックされているかのような苦しみ様だ。 「ふぅん、面白いことしてるじゃない・・・阿頼耶識も」 そういって青年の額に自分の額を付ける。 「見せなさい、貴方の記憶を・・・」 精神を同調させ、記憶の海を、記録の書庫を、心の深層を探る。 悪魔といわれる彼女には、この程度のことなら造作もないのだろう。 断片的に映像が流れる。 顔も覚えていない親、家族 阿頼耶識での修行の日々 焔 怖い 逃げなきゃ やめて 助けて 暗い ・・・何もかも、疲れた 同調していたアシュタルテーが、顔を上げる。 「なかなか面白い過去ねぇ・・・それでこの“資質”・・・いいわぁ、気に入ったワ貴方」 邪悪な笑みが幼い顔に張り付く。 彼女は今楽しんでいるのだ。 青年の悲惨な、断片的な、生い立ちを眺めて。 「貴方をこの「アシュタルテー」の下僕にしてあげる。付いてきなさい、下僕ぅ」 アシュタルテーはそういうと彼の幽閉されていた世界の扉を開いた。 「あら、うってつけの月夜よ、下僕」 金に輝く禍々しい満月の下で、魔人が哄う。 「外へ・・・出れるのですか」 金の明かりを恐れるように、青年が手を伸ばす。 「ええ、貴方は死ぬまで私の下僕なのだから。」 付いてきなさい、と有無を言わさぬ、ソレが当たり前のような笑みに 「はい、アシュ様」 青年は彼女の手を取った。 「で、まぁ逃亡生活4日目突入な訳なんですけど。」 「今夜は街で宿に入るわ、確定。さっさと歩いて日暮れ前に到着よぉ」 アシュタルテーは例の箱の上から青年の頭をぺしぺしと撫でるように叩く。 「了解です、アシュ様。それで、今夜の食事はどうしましょうかね?」 「んー・・・アンタ無駄にそういうの上手いから、任せるワ・・・それより」 アシュタルテーが今しがた通り過ぎた草むらをにらむ。 「“オンギョウ”の下手な忍びですよね」 剣印を結んだ紅焔青年が「ウン」と一声唱え、口から真紅の火を噴出す。 その焔は意思を持つかのように草むらを焼き、追っ手をいぶりだした。 「得意よねぇ、その術」 「はい、どういうわけか水をかけても消えないので重宝してます」 紅焔青年はそういうと、いぶりだされたシノビを見据える。 「退くならよし、退かぬなら魔人の僕として貴様を討つ。」 指先から先ほどの「消えない焔」をちらつかせながら刺客を脅す。 「油断大敵よぉ」 目の前のシノビは微動たりしていないというのに、紅焔青年に三本のクナイが襲い掛かってきた。 「・・・申し訳ありません」 「でもピアスがあってよかったわねぇ、なかったら死んでるわよ下僕ぅ」 襲い掛かったクナイは全て不可視の力で止められている。 紅焔青年の左耳につけられた緑色のピアスが淡く発光していることと、先ほどのアシュタルテーの発言から察するに、何らかの力であのピアスが青年を守ったのだろう。 「・・・降伏の意思、無しと見ていいんですね」 「迷わず殺っちゃいなさいよぉ。どうせ生かしてもまた来るわよぉ」 アシュタルテーがその言葉を放った直後、そのシノビは間合いを詰めようとした。 ・・・だが 「・・・っ!」 シノビは次の瞬間には灰となっていたのだ。 「・・・さようなら、名も知らぬシノビ」 「割といい色で燃えたわねぇ・・・生まれ変わったらまたいらっしゃい」 アハハっと笑うアシュタルテーと、対照的に無表情な紅焔青年。 阿頼耶識を抜けた青年と、阿頼耶識から機密を奪いだした魔人。 二人の目的地は、当人達以外の誰もが知るものではなかった。 次へ 目次へ |