怖い夢の後に温かいミルクを



未来が欲しかった。

仲間達と笑い会って

ごく普通にいきる

それだけでよかった

 

たったそれだけのために、私は雲を掴むような、水面の月を掴むような、そんな思いをし続けていた。
この永遠の箱の中、私はたった一度だけ助けを求めたことがあった。
この雛見沢の信仰に縛られない、強く若い、そんな彼に。
助けを求めることには成功したが、彼とはおそらく会うことはないだろう。

「・・・だって」

古手神社の周りを完全に包囲されている。
今回も鷹野を出し抜けなかったようだ・・・。

「もう・・・時間切れ」

石段を「山狗」が上がってくる。
もう終りかと諦めた時

「ぐかぁ…っ」

石段の終わりごろで変な声がした。
連れ去られるものと覚悟していた矢先、何が起こったのかと振り返ると

「……赤、坂…?」

山狗の一人が倒れ、彼がそこに立っていた。
まだ青さが残るが、初めて会ったときに比べると場数を踏んでいることがよく分かる頼もしくなった眼差し。

「梨花ちゃん!」

頭の中が真っ白になった。
私に出来るのは、彼の名前を叫んで、彼に泣き付く事だけ

「赤坂っ赤坂ぁっ」

彼の逞しくなった腕が私の背中に触れた。
そうだ、私は助けて欲しかったんだ。
助けが来ないから、拗ねて、諦めた振りをしていたんだ。
ぼろぼろ零れる涙がそれを肯定している。
彼の存在が、この終末の最中でこんなにも大きいと思わなかった。

「・・・梨花ちゃん」

片方の手が背中を離れ、頭をなでる。
暖かくてとても心地良い。

「辛かったんだね・・・もう大丈夫。僕は、君を助けに来た」

低く、落ち着いた声が耳に心地良い。
この声を聞くと本当に安心してしまう。
このままずっと、この暖かい腕の中に居られたならどんなに幸せだろうと思う。
・・・だけど。

「あらあら。どんなネズミが入り込んだのかと思ったら・・・公安さんじゃないの。」

あの女の声がした。

「・・・鷹野・・・」

山狗が一部隊、銃器を持って後ろに控えている。
勝ち目なんかあるはずもない。
なのに

「お前達は何者だ。…いや、この子に、梨花ちゃんに何をするつもりだっ」

こんなにも赤坂が頼りになるのは何故だろうか。
今までは一人で戦って、何度も諦めてきた。
なのに、なのになのにっ
たった一人しか増えていないのに、何でこんなに安心しているんだろう。

「貴方は知らなくて良い事よ。見なかったことにしたらおうちに帰りなさい、坊や」

鷹野が嘲う。

「・・・断る」

「赤坂っ・・・」

赤坂が低く、唸るような声で答えた。
このままじゃ、赤坂も殺されてしまう。きっと鷹野たちに殺されてしまう。
赤坂の足を引き、無理にでも逃がそうと思ったその時に、私の体は重力から開放された。

「・・・だぁっ」

続いて横揺れに衝撃が走った。
赤坂は一瞬で私の体を持ち上げ、山狗の隊長格に体当たりを仕掛けていた。
私を抱えたまま、赤坂は走り出す。
後ろから鷹野のヒステリーを起こしたような声が聞こえるが、そんなものは気にならない。
赤坂が、私を助けてくれたんだ。
その事実だけが、ただ暖かくて、嬉しくてしょうがなかった。

逃げ込んだ先は神社の裏山。
人が一人二人隠れるには十分すぎる広さと障害物が乱立している。
山狗があの倍は居たとしてもこの木立の中なら、そう簡単に見つからないし捕まらない。
赤坂が呼吸を整え、私に何か言おうとした瞬間。

かんしゃく玉がはじけるような音がして、赤坂のジャケットにどす黒い赤色の穴が空いた。

その穴は、私が頭を預けていた赤坂の胸。
胸の中心で、大事な大事な心臓が収まっている部分。
そこが壊れたら、死んでしまうといわれている心臓。

「・・・な・・・」

赤坂が一拍おいて、夥しい量の血を吐いた。

「赤坂っ赤坂っ!」

血を吐きながら赤坂の口が動く。声なんて出ないけど、口の形で何かを伝えようとしている。

『ニ・ゲ・ロ・リ・カ・チャ・ン』

そこで逃げ延びていれば、助かったのかもしれない。
勿論、数十秒から数分単位で、だ。

「赤坂っ目を開けてぇっ!」

残り数十秒もない彼の最後の時間を認められなくて、彼の肩をゆすり、目を覚ましてもらおうとする。
結局、赤坂は目を覚まさない。私はその時間を最後に意識が途切れ、乱暴に千切られた最後の時間を迎えることになった。


「くすくすくす・・・」


耳障りな笑い声が、その世界で最後に聞いた声だった。

 

「赤坂ぁっ」

飛び起きるとそこは布団の中。
私は悪夢を見てしまった子供のように、泣きながら目を覚ました。
先の叫び声があまりに大きな声だったのか、隣に寝ていた沙都子も起こしてしまった。

「梨ぃ花ぁ・・・もう夜中でしてよ・・・いかがなさいましたのかしらぁ」

眠そうに目を擦る沙都子が、私の顔を見てぎょっとする。

「・・・悪い、夢でも見たんですの?」

恐る恐るに聞いてきた。
つまり、今の私はそれほどに酷い顔をしているってコトだろう。

「・・・とても、とっても怖い夢だったのです。がくがくぶるぶるにゃーにゃーなのですよ」

古手梨花を装いながら涙をぬぐうように目元を擦る。
夢ならどれだけよかったのに、そう思う。
擦っても擦っても、まだ涙の後が残っているみたいで、ひっしにごしごしと目元を擦る。

その時に、ふわりとした感触で私の頭が包まれる。

「怖い夢を見たときは、こうしてもらうと落ち着くんですのよ。にーにーが私によくやってくださいました・・・」

そういって、沙都子が私の頭を抱えて、包む。
怖い夢、というのも嘘だった。
沙都子を騙していた。
でも、沙都子はこんなにも暖かく、私を慰めてくれる。
それだけのことが嬉しくて、優しくて。

凍っていた心が解けて、涙になっていく気がする。

ぼたぼたとみっともないくらいの涙の粒が落ちる。
マトモに会話も出来ないで、ただ嗚咽を上げる私を、沙都子はずっと包んでくれている。
その暖かさが嬉しくて。その優しさが嬉しくて。

この100年で久しぶりに、私は声を上げて泣いた。
悲しみや苦しみ、諦めでも絶望でもない。
ただこの暖かさが嬉しかったから。
声を上げて、泣くことが出来た。