Jadwiga
ヤドヴィカ・アンジュー(ポーランド王)
1374〜1399(位1385〜99)

ヤドヴィカ

 彼女を知ったのはまだつい最近です。掲示板で大鴉さんのレスによってです。
ヤゲロー朝は知っていたものの、ポーランドに女王が存在した事すら知りませんでした。
「知らなかった」事が私の好奇心に火を付けてしまいました。
そして、時を同じくしてくららさんがHPでハンガリー・ポーランド王家の
系図をUPしてくれたので俄然と一生懸命になりました。爆

ポーランドの跡取り娘でわずか20代で亡くなった彼女の生涯を紹介します。

 1373 誕生
1385 11歳ポーランド女王として即位
1386 12歳リトアニア公ヤゲウォと結婚
リトアニア=ポーランド同君連合成立
1399 お産により落命

 彼女の生涯でわかりうるところは以上です。

〜両親〜
父:ハンガリー王ラヨシュ1世
母:ボスニアのエリザベート

〜以前〜
ポーランドを蒙古の荒廃から復興したカジミエシュ3世が嗣子を残さなかったので
姉の子ラヨシュ1世に王位を譲ろうとしたが国内での反対派も多く
貴族たちに特権を与えてのようよう王位継承への道を拓いた。
しかし、その結果がポーランドに大きな影響を与える事となった。
ルドヴィック1世(ポーランド王として)の治世は短く、その死後には
2人の幼い娘が残され再び王位継承問題が噴出した。

〜即位〜
1385 ポーランド女王としてヤドヴィカが即位した。
わずか11歳。ポーランド貴族たちには御しやすい選択だったのであろう。
 
〜結婚〜
ヤドヴィカは子供の頃から相愛だったハプスブルグの王子と婚約していましたが
隣国リトアニアの大公ヤゲウォがドイツ騎士団、タタールに対抗するための同盟を申し入れました。

彼女の取った選択は国益を優先した言えます。
が11歳の少女に納得しての選択か・・という点についたは大いに疑問が残ります。
ヤゲウォははるかに年長で、まだキリスト教徒ではありませんでした。
そのためリトアニアは勢力拡大気味のドイツ騎士団領の格好の標的でした。
ヤドヴィカは信仰が篤く、彼女の手によりヤゲウォは改宗します。
1386年2月2人の結婚によりリトアニア=ポーランド同君同盟、
ヤゲロー王朝が始まり、ヤゲウォはワディスラフ2世として即位します。
(当時のリトアニアは今のベラルーシとウクライナも含んだ広大な領土を持っていました)
1387年ハリチ公国に進軍し、併合。

〜生涯〜
ヤドヴィカは慈善活動にその生涯を捧げた。
クラコフアカデミーの財政難のおり、宝石類を差し出したので
伝説では彼女が公式行事に持ちいた王笏は木製で金めっきだったとか。
軍を率いてガリシア遠征も行った。
1399年ひとり娘エルジュビュタが誕生するが、産後の肥立ちというものが悪かったのでしょう、
エルジュビュタは一月足らずで死亡し、後を追うかのようにヤドヴィカも力尽きた。
すぐに聖人に列せられたが、ヤゲウォは深く悲しんだという。

19世紀になりクラコフアカデミーはそれにより
”ヤゲェウウォ大学”と名前を変えた


彼女の肖像画が見たい方はここここ
周辺の系図を確認したい方はここ(くららさま)


本人はあまりポーランドに詳しくないので
誤認点やポーランド表記に注釈が
こっそりメールで教えて下さい。素直に従います。


ついにへたっぴぃな絵をUPしてしまいました・・。(^_^;)


Turn around the World!!来訪10000人目記念として再UPしました。
(記念来訪者は晋衛門様でした)

(1999/12/9)


参考サイト:
(画像リンク元)
Polish Nathional Tourist Office
Cracow City