| 弘道館の名の由来は、斉昭公が記した(藤田 東湖が草案し藩の学者達が修正)「弘道とは何ぞ。人能(よ)く道を弘むるなり。・・・・・」で始まる弘道館記に記載されています。 この、弘道館記(リンク)は、高さ3.18m、幅1.9mの巨大な石を久慈郡真弓山(現在は常陸太田市)から切り出された「かんすい石」に彫られ、弘道館の後ろにある八角堂に納められています。 弘道館は、江戸時代における最大の藩校として第9代藩主斉昭公が天保12年(1841)に作られました。 当時、アメリカ、ロシアなどの諸外国からの圧力が強まる中、国の独立や発展を救うには、優れて人材を養成する必要があるとの藩の学者からの意見から作られたもので、他の藩にも藩校はたくさん有りましたが、教科は幅広く、兵学、漢学、和学、天文、地理、数学、医学など多岐に渡っており、今の総合大学の規模を誇っていました。 黄門様(第二代藩主徳川 光圀)から続く水戸学は、幕末の尊皇攘夷運動にも大きな影響を与えました。 尊皇攘夷と水戸学(茨城県庁ホームページ・茨城ものしりから引用) 水戸学の思想は尊皇攘夷という言葉で表される。水戸学と水戸藩はこの思想の魁(さきがけ)となったため、明治維新の震源地といわれることもある。「尊皇攘夷」はやがて西国雄藩の志士たちにより「尊皇倒幕」へと変わるが、そもそもの水戸学の尊皇攘夷思想は「尊皇敬幕」であった。水戸藩はあくまでも徳川御三家の一つとして天皇を頂点とした幕府・藩の体制を国の基礎として、その体制を維持しようと考えていたのである。 |
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| 水戸学の発祥地「弘道館」に続く歴史道 | |
![]() 弘道館正門 (重要文化財指定) |
![]() 弘道館正庁(学校御殿) (重要文化財指定) |
| 藩主が臨席し文武の試験、儀式が行われました。正庁の後ろには 至善堂があり、斉昭公の徳川慶喜(七朗麿)をはじめとする子供たちが 勉学に勤しんだ部屋があります。 正庁のかも居には、天狗諸生の内戦時の弾痕等が生々しく残っています。 |
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![]() 孔子廟 @ |
![]() 学生鐘楼 C |
![]() 八卦堂 D |
![]() 八卦堂内に収められた弘道館記(リンク) 正庁内に拓本がある 京都大学画像資料(リンク) |
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![]() 種梅記碑(リンク) E |
![]() 対試場で行われた演舞を見る観光客 平成18年3月12日撮影 |
![]() 真剣による演舞の実演 平成18年3月12日撮影 |
![]() 弘道館開設以来初めての雅楽演奏が行われ、約250人 の観客は古式豊かな音楽に酔いしれました。 (H16.7.18) |
![]() 同左 |
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![]() 連絡先 茨城県弘道館事務所 029-231-4725 |
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![]() 旧水戸城のお堀(旧県庁跡地)春には桜・秋には銀杏が |
![]() お堀の桜は今満開です(H14.4.2撮影) |
![]() 旧県庁のお堀の桜 (H17.4.14) |
![]() 旧県庁のお堀の桜 (H17.4.14) |
![]() 旧県庁のお堀の夜桜祭り (H17.4.9) |
![]() 旧県庁のお堀の夜桜祭り (H17.4.9) |
![]() 旧県庁のお堀のしだれ桜 (H17.4.9) |
![]() 旧県庁 (H17.4.9) |
![]() ジャズの演奏も (H17.4.10) |
![]() 雅楽の演奏 (H17.4.10) |
![]() ジャズの演奏も (H17.4.10) |
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平成18年元旦撮影 元旦は、-2度少々水戸でも寒い、我が家で毎年水戸東照宮に初詣をする。 詳細は下記URLから http://kurobane.web.infoseek.co.jp/toushougu-index.htm |
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![]() 水戸東照宮の本殿にならぶ初詣の参拝者 |
![]() 初詣の参拝者の列 |
![]() 境内 |
![]() 初詣の参拝者にふるまうつきたてもち |
![]() つきたて餅のふるまい |
![]() こちらでは甘酒のふるまい |
![]() 本殿 |
![]() 破魔矢、お守りの販売 |

