カオスばぶばぶ〜CHAOS B4〜
2015年2月10日 10年に一度の糞アニメ「レディジュエルペット」批判
私はこれまであらゆる罵詈雑言をこの作品に対して用いた。
私は天地神明に誓って言える。
私は「レディジュエルペット」を悪く言い過ぎた事など一度としてないと!
・はじめに
私は「レディジュエルペット」の詳細を話すつもりは一切無い。
私が知って欲しいのは、この作品がいかに糞であるかと言う事だけである。
ここで言う詳細とは「この場面はこういう理由で駄目」だとか一々羅列しないと言う意味だ。
そもそも、この作品の長所は、キャラクターが可愛いという事だけだからだ。
だから、駄目な所は長所を取り除いた全要素であると言える。
この唯一の長所だが、それすら色褪せて見える。
理由は二つある。
1.詰まらないストーリーが全てを台無しにする。
2.昨今のアニメでキャラクターが可愛いのは至極普通である。
(試みに適当なアニメのキャラクターを見てみるといい)
キャラクターが可愛いだけでは差別化は不可能である。
可愛いだけのアニメなど、薄い本にすら殆どならない始末である。
(薄い本の作品ジャンルの多少は、人気の有無との相関係数が高い。
キャラクターの可愛さという唯一の長所が生かされる場所はそもそも用意されていない)
事に依ると「レディジュエルペット」唯一の長所は長所で無いのかも知れない。
それはドレスコードをクリアしただけであると言える。
この作品は作品という体裁を保っている事だけが唯一の長所であり矜持である。
これを例えるなら、真面目であるという事だけで良く評価されようとしている者の様である。
真面目さだけで評価された事など、かつて一度としてない。
良し悪しとは真面目を取り除いた要素で決定される。
・「レディジュエルペット」は事に依ると、エロアニメを目指したのかも知れない。
「レディジュエルペット」はエロアニメに作り変えてもおかしくは成らない。
それはストーリーを辿ればはっきりとする。
ストーリーを相当乱暴に説明すると、主人公のももながジュエルパレスなる場所で一人前のレディを目指す話だ。
繰り返し言うが、私はこのアニメのストーリーを細かく説明する気は一切無い。
詰まらないと一言言えばこの作品の詳細は語った事になるからだ。
「レディジュエルペット」は主にジュエルパレスが一人前のレディになる為に出す課題をももな達がこなしていく過程が描かれる。
この10年に一度クラスの糞アニメは一話目の課題で早くもやらかす。
最初の課題がクリア出来たのは男とキスしたからである。
何を言ってるか分からないかも知れないが、視聴していた私にも全く分からないし、何の課題だったかは謎である。
一話から嫌な予感がした。そしてその嫌な予感はずっと続いた。
この展開もジュエルパレスがビッチを目指す為の場所なら納得がいく。
そういうエロマンガなら幾らでも知っている!
師走の翁がいかにも描きそうなエロマンガである!
そんな恐ろしい事が描写されたとは思えない位淡々と、問題の無い様に物語は進行する。問題だらけが常のアニメなので、疑問に思わないのも当たり前かも知れない。
最初の課題?をこなした後も次々と課題が出される。
この作品が糞である原因の一つが、この課題をこなしていく形式にしてしまった事である。
「○○もレディの嗜み」という課題が毎回発表される。しかし、こんな形式にしてしまうと、いずれネタが尽きる事は素人にも明白である。
最初こそ意味不明な課題だが、次になると食事マナーやらなんやら、それらしい事をこなす。
だが、徐々にネタが付き、自撮り、おばけやしき等、レディと全く関係ない課題が出される。
それだけならまだいい。
問題はこの課題をこなす形式ばかりにとらわれて、キャラクターの掘り下げやレディを目指す為の努力が描写されなかった事である。
描写されたのは、詰まらない話と課題をこなしている時に男といちゃつく場面ばかりである。
一人前のレディを目指すというよりは、一人前のビッチを目指していると言う方がしっくり来る位、男とイチャつく描写ばかりである!
男とイチャつくのは結構だが、それを課題と一緒に描写してしまおうとするのは良くない。
それでは一人前のレディを目指している真面目さが全く伝わらないからである。
ただでさえ努力している普段の描写が欠けているのに、これではレディを目指しているのか、ビッチを目指しているのか分からない。
いや、私は優しく言い過ぎた。はっきりと断言するが、どう見ても描写されているのはビッチである。
このビッチ描写は作品を酷く損ねた。そして悲劇はこのビッチ描写だけでは終わらない。
キャラクターの掘り下げをあまり行わなかった所為で、キャラクターの言動に全く重みが発生しないのも痛い。
「レディジュエルペット」にはあらゆる感動的なシーンが詰め込まれている。(左手薬指に指輪、愛の告白、友との別れ、好きな人と離ればなれ等)
少なくとも製作側はそう思っている。しかし彼等は感動的なシーンを描写したのではない。
彼等は感動的な記号をコピー&ペーストで乱雑に配置しただけである。
乱雑に配置された記号を見て感動する事はない。
感動とは偉大な何かに対する感情である。「レディジュエルペット」には何ら係わりのない事である!
「レディジュエルペット」の先輩にあたる「ジュエルペットてぃんくる」という偉大なアニメを見て何故私は感動するのか?何故涙するのか?
丁寧な描写。キャラクターの可愛さ。物語の美しさ。それも当然ある。
特筆すべきは、50話以上という長い時間を使ってキャラクターを掘り下げ、まるでキャラクターが時間と共に成長している様に見せている所である。
彼等はその丁寧な、濃厚な描写の後に感動的な話を用意する。
彼等の感動は線の様に、旋律の様に繋がっていて美しい。それは断じて乱雑に配置された記号なんかではない!
「芸術には、全てを通じて、血統というものがある」とゲーテは言った。芸術は血統があり繋がっている。
「ジュエルペットてぃんくる」の感動も偉大な芸術の血統の様に繋がっている。だから心を揺さぶられ感動する。
「レディジュエルペット」は「ジュエルペットてぃんくる」が出来ていた事が全て出来ていない。
「レディジュエルペット」は「ジュエルペットてぃんくる」という芸術の血統、先人の長所を全く利用出来なかった。
「レディジュエルペット」は繋がりのない、薄っぺらいコピー&ペーストの、乱雑に置かれた、安易に連呼・想像される感動という記号を用いた。
それだけで人は感動しない。見えるのは日常に氾濫する記号に過ぎない。
記号を見て人は感動しない。
「レディジュエルペット」が描いたのは、教養があり、努力を重ね研鑽し、女性特有の魅力、美しさ、力強さ、可愛さのあるレディでは断じてない!
寧ろその逆である!そこに描かれているのはただの俗物に過ぎない!
「レディジュエルペット」は50話以上の時間を徒に、無為に消化しただけである。
・まとめ
私は「レディジュエルペット」の脚本が適当に作られた物である事を望む。
その方がまだましである!
恐ろしいのは、才能の無い人間がこれ以上アニメの世界で生き続ける事だ。
無自覚な出来損ないは周りを無尽蔵に台無しにする。
これが才能ある者の手抜きなら、被害は少ない。嫌な事件ではあるが。
これが才能なき者の全力なら、被害は大きい。全く嫌な事件だ!そしてまだ終わらない!
もう沢山だ!もう沢山だ!
糞なアニメを見ると心も糞になってしまう!
私達は糞アニメがあるという事実だけを知ろう!
その内容を知る必要は無い!
肉は家畜の命を奪い食す。戦争は残酷である。
知っている!その事実だけで十分だ!
家畜が死ぬ様をわざわざ見る必要は無い!戦争の話を体験者にわざわざ聞く必要は無い!
心を無意味にすり減らすのは沢山だ!
精神は傷付く度に醜くなる!
精神は傷付く度に強くはならない!
試みに周りを見てみるがいい!あるのは弱さと醜さだけである!
・あとがきと言う名の賢者タイム
・子ども向けと子ども騙しは違う
ここまで私の駄文を読んでいただいて本当に有難う。
私がこの文章を書いたのは、怒りの発散に他ならない。
ある程度怒りが収まったので、今度は落ち着いて書いていきたいと思う。
「もうちっとだけ続くんじゃ」と言う奴である。
この駄文を読んで下さった心の優しい皆さんは、この男はオーバーに書き過ぎなのではないか?と思うかも知れない。
だが、私は繰り返し言うし断言するが、私が「レディジュエルペット」を悪く言い過ぎた事など一度としてない。
事に依ると「10年に一度の糞アニメ」との言い方も、オーバーであると思われるかも知れない。
しかしそれは否である。否。三度否である!
私が「レディジュエルペット」を悪く言い過ぎた事など一度としてない!
私は「カードキャプターさくら」に嵌って以来のオタクである。オタク歴は17年程である。
私がその17年の営みの中で最も酷いと思ったアニメは「こてんこてんこ」である!
これは一切疑う余地は無い!
「こてんこてんこ」は10年に一度の糞アニメである。
「レディジュエルペット」は「こてんこてんこ」以来の災厄である。
(非常に残念な事だが、「こてんこてんこ」のアニメ放送は2005年10月6日から始まった。
これは私の誕生日と同じである!
何たる事か!
閑話休題。話を戻すが、「こてんこてんこ」から「レディジュエルペット」まで10年も経過していない。
糞アニメは10年に一度の長期スパンをアスリートの如く縮めているのである)
「こてんこてんこ」は真性の糞アニメである。
キャラクター。物語。どれも最悪である。
(唯一の長所は、私の好きなアニメである「.hack//SIGN」のベア役の声優である、中多和宏氏が出ていた事だけである)
「レディジュエルペット」はキャラクターが可愛いだけ「こてんこてんこ」よりは可愛げのある糞アニメである。
だが、この事で「レディジュエルペット」の評価が上がる事は無い。
ある何かの存在について、その存在が無い事を証明する事は出来ない。だからと言ってそれが存在しているという補強には成り得ないのと似た様な事である。
「こてんこてんこ」と「レディジュエルペット」の共通点は、子ども向けと子ども騙しを取り違えた事である。
ここで、子ども向けアニメとはそもそも何か?という疑問が発生するが、この場では、夕方や朝早くやっているアニメを指そうと思う。
しかし、それでは「少女革命ウテナ」に代表されるアニメも子ども向けとなってしまう。
「少女革命ウテナ」は、1997年に18時から18時30分までの時間帯で放送されていた。
このアニメは名作ではあるが、当時小学生だった私には到底理解出来る内容ではなかった。
しかし、それでも強烈なインパクトがあり、かなり年数が経過した後でも忘れられない名作である。
「少女革命ウテナ」は子ども向けでは絶対に無いと断言する。
だが、それでも一旦は夕方や朝早くやっているアニメを子ども向けアニメとこの場では定義しようと思う。
この線引きは拙い事を承知しているが、出来れば、かんにんしてつかぁさい。
「こてんこてんこ」と「レディジュエルペット」の共通点は、子ども向けと子ども騙しを取り違えた事である。
あるいは曲解したか?それはどうでもよろしい。
問題は子ども向け=詰まらないという誤解ないしは曲解をした事である。どちらかは問題ではない。
子ども向け=詰まらないは酷い誤解だと断言する。
試みに「おジャ魔女どれみ」シリーズ(特にドッカーン!の「むつみの引退宣言!」はおすすめ)
「電脳コイル」「カードキャプターさくら」「おねがいマイメロディ」シリーズ
「ジュエルペットてぃんくる」「ジュエルペットサンシャイン」
(思えばこの2作は「ジュエルペット」シリーズでは異端だったのかも知れない。
初代は「マイメロ」の完全劣化であり、「きらデコッ!」と「ハッピネス」はただ詰まらないの一言で終わる作品。
「レディジュエルペット」は詰まらない上に糞である。)
「プリティーリズム」シリーズ(特にレインボーライブは10年に一度の名作である。これも言い過ぎではない。)
「プリパラ」「スマイルプリキュア!」「アイカツ!」「ジャイロゼッター」「デジモン」シリーズ
等々の作品を見るといい。これらは朝方や夕方にやっていた(「アイカツ!」と「プリパラ」は放送中)名作アニメである。
この名作アニメ達は子ども向けアニメであると私は拙いながらも定義する。
「プリキュア」は幼女に人気のアニメであるのは、オタクでは無い大人が知っていてもおかしくはない。
「おジャ魔女どれみ」シリーズがやっていた時間帯は、後の「プリキュア」と同じ時間帯であり、同じチャンネルでもあった。
(「どれみ」と「プリキュア」の間には「明日のナージャ」が放送していた事も決して忘れてはならない。「ナージャ」も名作である)
「おジャ魔女どれみ」は現在の「プリキュア」シリーズの軽さが嘘の様に暗い話も多く、大人が見ても心に突き刺さるシーンが多い。
それを当時の幼女達は楽しく見ていた。私もその当時は小学生であった。
そして最近になって「おジャ魔女どれみ」シリーズを見返して、子ども向けアニメの素晴らしさを知った。
子ども向けアニメでも面白いアニメは面白い。子ども向け=詰まらないでは断じてない!
「こてんこてんこ」と「レディジュエルペット」は子ども向け=詰まらないと定義した!
子ども向け=子ども騙しと定義した!
これはあらゆる子ども向けアニメに対する侮辱である。
・糞アニメと面白くないアニメは違う
私は糞アニメ=面白くないアニメとは言っていない。
私はこの17年間色んなアニメを見て来た。その中で詰まらないアニメを図らずも沢山見て来た。
最近で言えば「トリニティセブン」がそれだ。
私が「トリニティセブン」を見るきっかけになったのは、好きな声優である佐倉綾音さん目当てである。
佐倉綾音さんが演じる忍者と佐倉綾音さんの歌声だけが目的であった。(艦これを始めたきっかけは、佐倉綾音さん目当てではない。偶々である)
佐倉綾音さんを好きになるきっかけになったのは、10年に一度の名作である「プリティーリズム・レインボーライブ」のりんね役が非常に大きい。
劇中歌である「gift」の素晴らしき美声。是非聴いて欲しい名曲である。
そして「おジャ魔女どれみ」のおんぷ役でお馴染みの声優である宍戸留美さんが演じる天羽ジュネとのデュエット曲「SEVENDAYS LOVE,SEVENDAYS FRIEND」も素晴らしい。
佐倉綾音さんが目的であった「トリニティセブン」がどんなに面白くないアニメでも、私はアルカイックスマイルを浮かべながらそっと見るのを止める位には寛容である。
否、寛容である事が要求された。それ程詰まらないアニメを私は図らずも見て来た。
詰まらないアニメに対して寛容になる方法。それはそのアニメを見る理由を作る事である。
キャラクターが可愛い。声優が好き。この製作会社が好き。この監督が好き。この脚本家が好き。
何でもいい。兎に角一つ作る事である。そうすればどんなに詰まらなくても「でも私はこれこれが好きで見たからいいもんね」と自分の中で上手くケリを付ける事が出来る。
これが17年間アニオタをやって来た者の知恵である。
要するに、上手く消化する事に努める事だ。そうすれば詰まらないアニメはあっさりと消化できてしまう。
しかしそういう事を心得ていても胃もたれしてしまうアニメもある。
糞アニメと私が呼ぶのは、さっき言った「これが好きで見たからいい」という理由付けが全く力及ばない程の負のベクトルを持ったアニメである。
詰まらないだけならどんなにましな事か!
それらは消化し切れない程の不快を抱えている。
・「レディジュエルペット」を愛する人へ
何度繰り返したか分からないが言う。
私は「レディジュエルペット」を悪く言い過ぎた事など一度としてない。
「レディジュエルペット」は10年に一度の糞アニメであると断言した。
だが、それは「レディジュエルペット」を愛する人の存在を否定したり許容しないという意味ではない。
「レディジュエルペット」を私がどんなに糞アニメで、この世界から無かった事にしたいと思っても、他人の心には何ら係わりの無い事である。
それは他人がどんなにこのアニメが素晴らしいと思っても、私の思いには何ら係わりがない事と同じである。
ゲーテ曰く「他人(ひと)を自分に同調させようとなどと望むのは馬鹿げた話」である。
私がこの文章を書いたのは、単なる怒りの発散に他ならない。他人にこの思いを強要する意図は一切ない。
最後に、これだけははっきりと言っておきたい。
「嫌なら見なければいい」と人は言う。だが、その方法は何の解決にもならない。
何故なら見なかった所でそれは息をしているし、存在し続ける。
存在は力である。存在する限り生長の意志があり、権力への意志がある。存在は常に支配する事を欲し、我々に力を振るうだろう。
私の怒りが望むのは、その存在の無効である。取り消しでは生温い。この世界からの遡及的追放。
見なかった結果、私の怒りや不快が収まる事ははない。
「嫌なら見なければいい」とは、間違っても聞き手を思いやった意見でもないし、合理的な言葉でもない。
それはただ追い出す為に作られた、古臭い虫除けに他ならない。
おわり(*´ω`*)<「ビッチジュエルペット」に改名しろ
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