カオスばぶばぶ〜CHAOS B4〜
2013年7月16日 裏切りのサンタ〜最年少のトラウマ〜
季節外れも甚だしいが、最初の話なのでもっとも小さかった頃のトラウマを話そうと思う。
安っぽい鉄の皿に乗せられた安っぽい菓子。
他の子が昼に食べていた。今思えば不味そうなハンバーガー。
したくもなかったお遊戯会。
喧嘩が弱くてただ腰巾着に徹した自分。
それが幼稚園の頃の思い出。
働かなくてもいいという意味では今と比べたら楽園に見えたが、この時から学生時代の終わりまで張り付いていた閉塞感は私の心を蹂躙していた。
その頃から私は、大人はおかしいと思っていた。その心は今もずっと変わらず私の中にあり続け、今も私を蝕んでいる。
今の私も、園児だった私も本質はそんなに変わらなかった。これはそんな事実を象徴するような話。
5歳の頃の話。クリスマスが近づいていて、私はどきどきしていた。この頃はサンタクロースを信じていた。
幼稚園の授業はただ退屈で理不尽なものだったと記憶している。そんな授業の中、いつものように外に集めさせられた。
こんな糞寒い中何をするのかと体をだるくして待っていると、先生が。
「今日はサンタクロースが着てくれました」
と妙に元気な声でそう言った。僕はとてもテンションが上がった。
クリスマス前にサンタが来てくれる!こんな凄い事があるのか!私のテンションは上がる一方であった。
そう。この頃はまだ信じていたのだ。
神も奇跡もドラマティックな展開もアニメのような友情も。
そんなものはないと知ったのはいつの頃だったか?それはよく覚えていない。
全員で大きな声でサンタクロースを呼ぶと、出てきたのは想像していたよりもしょぼいサンタクロースだった。
だが、当時の私にとってサンタクロースの容姿はさほど気にはならなかった。
サンタが一通り話しを終えると。ついに待ちにまったプレゼントが配られる。
ちなみに当時の私が希望していたのはスーパーファミコンとそのソフトだった。
私はテンションが上がっていた。もしこの場でそれが貰えるなら僕はもう一つプレゼントが貰えるという事だ。これは得したなと思った。
だが。私はサンタが手渡した物に絶望した。
それはトランプ。全くいらない暇つぶしの王だった。
今思えば、スーパーファミコンを作った任天堂は日本で初めてトランプを製造したそうだ。それを思うとこのトランプは中々に当時の私にとっては皮肉なプレゼントだった。
当然と言えば当然で私はそんな事実を当時は全く知らなかったので全く笑えもしなかった。
何かの間違いだと思った。だが、全員にそのトランプは渡されていた。他の子が喜んでいる中、私はただ絶望と怒りでいっぱいになっていた。
当時の私はこう思った。
こんなプレゼントなんていらなかった。使えないサンタクロースだ。あいつは僕の心を踏みにじった。サンタクロースの価値なんてプレゼントをくれる事位なのに!
去年のクリスマスを思い出した。興奮していて眠れそうに無かった当時の私を両親は何とか寝かせ、そっとプレゼントを置いてくれた。
不安と期待でいっぱいだった。もしも無かったらどうしようと思っていた。
そうして朝が来た。希望と不安の朝だ。
私はクリスマスの朝に目が覚めると布団を深くかぶって、プレゼントが本当にあるかどうかをゆっくりと被せた布団をどかして確認するのがとても好きだった。
何故そういう風にしていたかはよく分からないが、それが当時の私にとっては一番楽しいプレゼントの確認の仕方だったのだろう。
そうだ。
あの使えないサンタクロースは、私のそんな僅かな楽しみすら蹂躙し、破壊し、嘲笑し、廉価し、穢し、ばら撒いたのだ!
無慈悲に。
ただ無慈悲に譲渡された形骸化した愛。貨幣化した愛。
そんな恐ろしいものの片鱗が既に幼少の頃から私を傷付けていたのだ。
はっきりと言える事がある。子どもは純真ではないし、心が綺麗でもない。
未成熟な打算が、我々の思考を錯覚させているに過ぎない。
私がサンタクロースに求めていたのは、欲しかった物の譲渡に過ぎない。
そう。夢のあるストーリーではなく、私は打算を求めたのだ。
その頃から私は女性に興味があったし、卑猥な書物も読んでいたし、何より頑張る事や疲れる事が嫌いだった。
それは今の私の欲望と何が違うのだろうか?
仮に子どもが純粋な人間だとして、子どもの頃の私は間違いなくその例外にいた。
私が純粋だった時などない。私の醜さは先天的なものだったと思う。
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