マリモ会の由来に関しては、詳細は不明です。情報提供をお願いします。
●まりも1号説
マリモ会の発足時期は81年末頃かと思います。由来は諸説ありそうですが、81年の冬にホテルのアルバイトの後に駅前の居酒屋に行って、みんなで話をしている時に、九々さんが
「明日、北海道に帰らんとならんけど、函館から何ちゅう電車に乗ればいいんよ?」と宮下さんと話していた時に「あ〜確か、まりも1号に乗らんとならんわ」となり、これが「まりも」という言葉をはじめて聞いて、意識する出発点でした。そのあとの交流を通して、いつの間にか
「マリモ会」になったと思います。(安部さん談)
(この証言に関する検証)
ここで疑問に思うのは、本当に当時「まりも1号」という列車があったのかということです。 調べてみると、現在は廃止されていますが、81年に札幌 〜釧路間に確かに「まりも」という急行が昼行・夜行に1往復運行されていました。時刻表から「まりも1号」は昼行であることがわかりました。
しかし、九々さんの郷里の更別村(帯広の隣町)までの帰省ルートを考えてみると、 仙台〜青森〜青函連絡船〜函館に移動した後、この「まりも1号」とつながりません。 おそらく函館から千歳あたりに移動して、まりも1号に乗ったものと推定されます。
写真は当時の編成とは異なるかもしれません。いかにも北国の列車といった感じで、
夜行ならば中島みゆきの「ホームにて」に出てくる列車みたいで、どこか郷愁を誘います。
※ 他サイトの撮影画像を転載させていただきました。
●コケ説
81年〜82年頃、土曜日にホテルのアルバイトが終った後、必ず誰かのアパートに集結して酒を飲んで夜遅くまで騒いで、近所に迷惑を掛けるパターンを繰り返していました。
誰の部屋か忘れましたが、安部さんが「あいつのアパートには、水槽のようなものがあって底に苔が生えていて、ボウフラが浮いていた」みたいなことをよく話していました。
この苔が時間とともに成長して、誇張されて「マリモ」になったのではないかと思います。
(この証言に関する検証)
水槽があったのが、誰のアパートかわかりませんが、当時、住んでいた場所をイラスト にしてみました。仙台駅から八木山、野草園までは2q位ですが、結構高度差がありました。 多賀城までは10q位の距離があり、冬の寒い晩に45号線を震えながらバイクで走った記憶 があります。若い時のことはいえ、よく行ったものだと思います。