戦国武将列伝

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夢なかばでこの世を去った風林火山、武田信玄

2014年08月16日 15時52分

武田信玄は戦国時代に甲斐の国、今で言う山梨県で生まれた戦国武将です。父武田信虎は甲斐源氏の流れをくむ戦国大名でしたが、信玄(晴信)とは馬が合わず家督は弟の信繁に継がせるものとしていました。

信晴も若いころはそうしたこともあり、あまりその優秀な面を見せることなく父の前ではだめな兄貴を演じていたそうなのですが、ここがこの人のすごいところで、ある時その父を今川義元の駿河へ追放してしまい、クーデターのような形で武田家の当主として名乗りを上げたのでした。 その後は、諏訪を攻略し領土を信濃へと広げ、奥信濃の村上義清と対峙します。

何度かこの村上の前に敗北を喫することになるのですが、信玄の格言には「5分の勝ちを上とする」とあるように、彼は戦において、完璧に勝つことに執着をしていなかったことが窺い知れます。10分の勝ちだと驕りが生れると言ったように、彼は人間というものの弱さを知っていたからこそ、後世に名を残す戦国大名となりえたのでしょう。 その後、信濃を制圧したところで宿命のライバル、越後の虎こと上杉謙信との幾度となく川中島の戦いで鎬を削り、最後は上洛する途上で病によりこの世を去りました。 私が武田信玄のことが好きな理由は率直に言うとそのすべてです。

人柄、家臣たち、甲斐という国それらすべてに歴史のロマンを感じることができます。 もし、武田家が天下を獲っていたら私はそうは思わなかったかもしれません。何事もその道の途上で息絶えたものがいるからこそ、この世の中は成り立っているのです。 信玄の亡き後、武田家は織田、豊臣に徳川の連合軍によって滅亡に追いやられました。

しかし、信玄の生前では徳川家康は三方ヶ原の戦いであわや討死にまで追い込まれながらも命からがら生き延びてその後天下を獲りました。もちろん、信長も信玄が存命の頃は彼に一目をおいていたので、そう簡単には手を出すことができませんでした。

結局、この時代に最後に戦いに勝つものはかなり卑劣な手を使っている人が多くいます。信玄もその一人であったとは言われていますが、それでも人を石垣と表現したり、氾濫する川の治水工事に精をだしたこの男はほかとは一味ちがった戦国大名だったと勝手に想像しています。