プロフィール

こうしてあらたまって書くのは実に、こっぱずかしい感じがするのですが、今まで、自分がモ−タスポ−ツに触れることが出来てから、『車を運転する楽しさ』,『チ−ムで参加する楽しさを実感』出来た物語を書こうかと思います。

18歳で車を運転する許可書(運転免許証)を取得し、最初は原チャリ人生でした。(笑)免許を取得してしばらくして、なんとなく車が欲しくなり、がんばってアルバイトで汗をかき、やっとの思いで手にいれた最初の車がEP71スタ-レット。当時は1300cc小排気量EFI(はじめて、スタ−レットでコンピュ−タ−制御システム車)で『カットビ!』なんて言われていたマシ−ンだったのです。そのころから、ワインディングな道を走るのが好きで、よく週末には○宿○カ○ラ○ンを走り回っていたものでした。

ある夜、山で後ろからヘッドライトが近づいたと思ったとたん、一気に抜き去っていったAE86(当時は新車であこがれのマシ−ン)に遭遇しました。テ−ルには『URBANsports』のステッカ−。これが、今、僕自身が全日本ラリ−選手権で『走る』ことが出来たきっかけでした。
最初のころはMS(モ−タ−スポ−ツ)の中でも、ジムカ−ナに興味があり、九州地区ジュニアシリ−ズにたまにエントリ−していました。

また当時、オ−トポリスサ−キットで耐久レ−スが開催され、仕事関係のつながりで、NISMOパッドック鹿児島所有のレ−ス用マ−チでセカンドドライバ−として声がかかり、参戦したこともありました。

ラリ−に興味をもったのは、たしか25〜6歳のころだったかな〜。町乗り用の車を探していたら、『EK10マ−チス−パ−タ−ボラリ−仕様』に興味をもち、購入したのがきっかけでした。『せっかく、ラリ−車があるのだから何かラリ−競技に出てみたい!』と思い会社の同僚で当時、僕よりラリ−が好きだった『○原くん』と一緒に九州地区のジュニア戦に出場しました。

ラリ−の競技は他のMSと違い、一般行動で競技全体が行われ、一歩間違って道からはずれたら、そのまま谷底にまっしぐら!とドキドキして参加したことを覚えています。(今でもドキドキ!)また、ル−ルも細かく、ラリ−競技独特のコマ図を使い指示書に従い、オンタイム走行だの、ファイナルがいくらだのとル−ルを理解していくのも大変でした。

そんなこんなでラリ−人生がスタ−トし、レスコン社長、九州地区ダ−トトライヤルチャンピオンシップC1クラスの覇者、松下さんにお世話になったのでした。この、松下さんは九州のダ−トラ界では知らない人はいない有名人で日本で行われるダ−トトライヤル競技で同じクラス過去10年間チャピオンを獲得しているのはこの人ただ一人!その松下さんが率いる『RT-AMORE』に今、僕は席をおいています。

最初の全日本戦出場は99年開幕戦ツ−ル・ド・九州。
佐賀県七山村。
参戦したクラスは2輪駆動部門Aクラス。ラリ−カ−はスバルVIVIOKK3。
この車はスパ−チャ−ジャ−搭載で最大出力64ps。他ライバル車(アルト,ヴィッツ,マ−チ)などからしたら大変非力な車でした。
それでも、SSはワ−クス勢がぶっちぎりで走る中、他プライベ−トチ−ムと互角に走りきり初出場で完走致しました。
あんまり、華々しいデビュ−とはなりませんでしたが、『非力な車でも全日本戦でなんとか戦える』と自信が生まれ、『国内ラリ−トップステ−ジで走るぞ!』と全日本ラリ−ドライバ−としてのデビュ−になりました。

それから3年目の初夏。2002年『02’ひえつき』全日本ラリ−選手権2輪駆動部門Aクラス完走、第3位入賞!全日本選手権で念願の表彰台に立つことが出来ました。

2輪駆動部門では数少ないオ−ルグラベル(未舗装路)でのラリ−。開催場所も九州で、もっとも標高が高い山々が連なる宮崎県椎葉村近辺の山岳地域で行われ、車,エントラントにも厳しいラリ−で有名なイベントです。また、村全体でラリ−イベントを盛り上げていただけ、スタ−ト地点では盛大なセレモニ−も行われ、ラリ−を開催するには大変恵まれた環境でも有名なイベントなのです。

競技内容は、一時SS上で車輌がトラブり『もう−、だめだ!』なんて思う時もありましたが、なんとか、サ−ビスにたどり着き応急処置を施し、再スタ−トしたのもつかの間、最終ステ−ジではフロントバンパ−を強打し、夜間走行では必要不可欠なフォグランプが片側破損しながらの入賞でした。

これは決して、僕自身やコ・ドライバ−だけの成果ではなく、鹿児島を代表してラリ−に望んだみんなの力で勝ち取れたものであり、いろいろな人たちの協力や支援なしで決してありえません。

その喜び、感動を少しでも多くの人に伝えられたらと思い今回HPを開きました。