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四代目桂文枝



 上方落語の第一人者といえば、人間国宝の桂米朝ですが、その米朝師匠と並ぶ上方落語の大看板といえば、やは
り桂文枝ですよね。現在の文枝師匠は、五代目ということですが、実は先代の文枝師匠の本名が瀬崎米三郎だっ
ということを最近知りました。これは驚きです。あの、三枝、きん枝、文珍、そして知る人ぞ知る小枝(関西以外に在
住の皆さん付いてて来てますか?)など、そうそうたる弟子達を抱える一門の総帥、桂文枝の先代が、なんと「瀬崎」だ
ったとは・・・。

 といいながら、実は私、先代の文枝なる人物をよく知りません。というわけで、調べてみました。

 三善貞司編『大阪人物辞典』等によれば、先代の文枝師匠は、明治24年大阪市生まれで、4歳の頃から歌舞伎の
舞台に子役で立っていたという伝説の持ち主。様々な芸事に才能を発揮し、明治38年、15歳で三代目文枝の弟子と
なり、桂阿や免(あやめ)という名前で落語家デビュー。

 大正10年以降は、七代目坂東三津五郎の高弟として、坂東三津治、坂東三之丞を名乗り、日本舞踊家として活躍。
一時期は、八代目三津五郎の後見人をしていたとの噂も。大陸の方で芸者さん相手に踊りを教えていたようで、戦時
中にもかかわらず、ずいぶんいい生活をしていたとのこと。

 敗戦後、上方落語に復帰し、昭和21年秋に四代目文枝を襲名。話は短く、踊りを見せていたとのことですが、とにか
く踊りは見事だったとか。奥さんに下座で浄瑠璃を語らせ、自分は所作を演じる「浄瑠璃落語」なるものを考案し、結構
人気があったようです。昭和33年に68才で亡くなっています。

 落語の弟子には、先述のとおり五代目文枝師匠がいますが、文枝師匠のHP『あんけら荘夜話 』には、四代目のエピソードなどが満
載で、瀬崎ならずとも、また落語ファンならずとも非常に楽しめます。写真も載ってますので、是非ともご覧ください。四
代目文枝こと瀬崎米三郎の写真は、ここからどうぞ。



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