言葉と論理
2002年8月27日  長崎大学公開講座



2005/01/31  掲載開始          .
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 これは 2002年 8月27日 長崎大学公開講座 として、20年経過され
た先生方にお話した講演の原稿と、25名の参加者の感想文です。参加者
は小学校の先生12名、中学校 7名、高校 5名、その他 1名で、数学関係
者が多いのですが、 8名の国語の先生が参加されて、期せずして異文化
交流の様相を呈することになりました。

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               2002年8月27日  長崎大学公開講座
                  長崎大学教育学部 菅原 民生

はじめに:  「言葉と論理」というタイトルで数学で使われる形式論
理についてお話するつもりでした。しかし国語の先生も聞きに来られる
ことを知って少し内容を広げたくなりました。さらにアンケートで「到
達度別」の問題に触れられた方が多かったので、これには私も少なから
ざる関心があって、黙っている事ができなくなりました。そこで次のよ
うに3部構成といたしました。

     第1部  到達度別授業について
     第2部  異文化交流と言葉
     第3部  言葉と論理

第1部  到達度別授業について

 到達度別授業は是か非か。教える方の都合を言えば、断然、到達度別
の授業が望ましいとおもいます。しかしそれにはいろいろな問題が生じ
ますから、それらを考えながら天秤がどっちに傾くかを検討することに
なります。

 まず、全体でやってもうまくできるという主張があります。具体例が
発表されることがあるかも知れません。しかし、それには普遍性がある
でしょうか。すなわち誰がやっても条件が同じなら同じような効果があ
るか。特定の教師の特殊な能力に頼っていないかに注意する必要があり
ます。

 到達度別授業をするとしてその目的は何でしょう。できる子がのびの
びと力を発揮する環境でしょうか。遅い子に納得いくまで説明してあげ
られるということでしょうか。教師の数は足りますか。
 遅れている子ども達の指導の方が難しいと思いますが、ベテランの先
生が担当なさるのですか?

 遅れている方のクラスにされた子供のプライドは傷つきませんか。

 それよりもっと深刻なのは、親の横並び意識ではないでしょうか。私
は10年前、パックツアーで、始めて中国に行きました。そのときみん
なと同じ見物をしそこなった二組の夫婦が、ガイドに向かってどんなに
ごねたか、日本人の横並び意識の始末の悪さをたっぷりと経験しました。
ただし、この横並び意識は、一斉に農作業をする、農耕民族にとっては
大切な性格であるという指摘もあります。

 生徒の親から「差別をするな」といわれて、校長先生は、教育委員会
は、きちんと対応してくれるでしょうか、現場の教師に後始末が押し付
けられることはありませんか。

 到達度別とは、必ず 50 - 50 に分けることでしょうか。
15 - 85 に分けたらいけませんか。速い生徒は、問題集を与えておくだ
けでも良いのではないか。遅い 15 は、同じ時間には対応できませんか
ら、補習授業として退役の先生にお願いする。まんなかの 70 なら落ち
着いて教えることができるのではないでしょうか。

 それともこの 70 をさらに2つにしなければならない、それが到達度
別の意味するところだと言うことでしょうか。(これは私から皆さんへ
の質問です。)


第2部  異文化交流と言葉

 数学ばなれ、理科ばなれは、実は言葉ばなれではないのか。言葉ばな
れが国語を直撃することなく、数学と理科に現れたのではないか。

 近ごろの大学生も言葉が使えません。自分がなにを理解したかを、ま
とめて話すことができないのです。これは、理解した事を記憶する際に、
致命的であるといえます。何故なら、人間は、言葉で記憶するわけです
から。

 ここで一冊の本に登場してもらいます。丸谷才一著「文章読本」中央
公論新社
 よい文章とは、読んですらすら分る文章だ。あなたが読んで、あなた
がすらすら分り、あなたがいいなと思った文章が、あなたにとってよい
文章だ。

 よい文章を書こうと思ったら、自分の言葉で書け。借り物の言葉では
だめだ。よい文章に正解はない。(私は数学に正解がある如く、国語に
も正解があると思っていました。そのことと国語の授業が苦手だったこ
とが関係があるのではないかと、このときふと思いました。)

 よい文章を書こうとして誰でも苦労している。(そうか。自分だけで
はなかったんだ。)ごくまれに、森鴎外みたいな例外はいたが。

 ともかく、よい文章を書こうと努力せよ。しっくり落ち着くまで言葉
を選べ。どんなにこだわっても構わない。さながら、着道楽の女が帯と
着物を合わせるが如く。

 私はこの最後の比喩の説得力に舌を巻きました。そうか、言葉を選ぶ
悩みは、自分が何を言いたいかを自問自答する時間だから、至福の境地
というべきなのだ。

 以上は導入部で、丸谷才一の説がこの主題にかかわるのは次の一言で
す。

 「平家物語によって和漢混交文が日本全国津津浦浦に定着した。」

 そうか、それより以前に定着していたのは、やまとことばであって、
漢字の組み合わせの言葉はこれ以後になるのか。平家物語は琵琶法師に
よって、集落の辻ごとに語り広められて、国中の人々の共通の体験とな
った。言葉が定着するためにはこの共通の体験を通してそれぞれの言葉
が共通の認識になる必要があったんだ。

 ここでもう一冊の本: アラン・ピーズ バーバラ・ピーズ著 
「話を聞かない男、地図の読めない女」 主婦の友社
よく売れて、一時店頭にバラ積みされていた本です。著者によれば、こ
れは大脳生理学の最新の研究成果を踏まえているそうです。
 ストレスで黙り込む男、喋ることでストレスを解消する女。
 女はマルチタスクで、一度に複数の仕事が並列に処理できる。男は一
筋、同時に二つのことはできない。
 女はただ話を聞いてくれるだけでいい、共感してくれるだけでいいと
思っているのに、男は問題点を分析して、解決策を提案しようとする。
 空間認識に優れ、物にこだわる男、地図は読めないが、人間関係を大
切にする女。

 とにかく面白いです。ものの考え方、感じ方の違う相手に対して、自
分と同じと思いこんで対するとどれだけ話が食い違っていくかがとても
よく分ります。これは男と女の関係だけではないのではないかと思いま
した。

日本人と外国人、老人と若者、先生と生徒、労働者と経営者、障害者と
健常者、民族の違い、宗教の違い、エトセトラ

 要するに、これらは異文化交流の問題として、一般化されるのではな
いでしょうか。言葉が通じるためには、ただ同じ言葉を使うだけでは十
分でなく、共通の認識が必要であり、それは普通、共通の体験を前提と
します。したがって共通の体験が期待できない異文化交流にあっては、
ひとつひとつの言葉ごとに、共通認識は大丈夫かという確認が必要であ
ります。
 教官と学生の間で話しが通じないのも、この認識のずれによるのかも
知れません。
 「勉強していますか。」  「はい、がんばってます。」
 言葉は交換されているように見えますが、勉強という言葉の中身がど
こまで共通か、それが問題だというわけです。


第3部  言葉と論理

 高校では数学Aの「命題と証明」のところで必要条件、十分条件とか、
逆、裏、対偶などが扱われています。

    論理 

 しかし、私はそれより先に、命題の構造、あるいはもっと一般的に文
の構造が、取り扱われなければならないと思います。
 そして、命題とか、文の理解は、その否定と対置させて初めて理解さ
れるものではないでしょうか。

 また、生徒の論理への理解を調べるのに、幾つかの選択肢から選択さ
せる回答からは、彼らの理解〔誤解)のメカニズムは見えてきません。
やはり彼ら自身に否定の文を作らせて、直ちにその場で誤りを指摘し、
誤りの型を分類し、正解を教え、正解の導き方まで示すことが必要です。

論理 の否定として 論理 
としなければいけないのではありませんかと質問された時はかなりショ
ックを受けました。

 これは是非とも、不等号の向きを逆にしたくなる彼らの心理を理解し
て、彼らが何を恐れているのかを突き止める必要があると思いました。
そこでいろいろな文に対して、それらの否定を作ってもらい、誤りの型
を集めてみました。

例1  「太陽は東から昇る。」

誤答例  「太陽は西から昇る。」 「太陽は東へ沈む。」

 まず最初に、否定することと、反対の言葉を持ってくることの混同が
見られます。
 ただしこのような処理も、男と女、出席と欠席、賛成と反対など、二
律背反の場合は許されることもあります。

 正解はもちろん 「太陽は東からは昇らない」

例2 「3は6の倍数である。」

正解は  「3は6の倍数ではない。」

 これは誰でも答えられますが、次の問題のための伏線です。

例3  「3の倍数は6の倍数である。」

誤答例  「3の倍数は6の倍数ではない。」

 どちらにも「(3の倍数は)すべて」という語が省略されていること
を指摘し、主語が複数の場合は注意するよう指導します。

 大学生ですら、部分否定について正しい知識を持っていないものの方
が多いのです。
 そしてここで、矛盾律と排中律について説明することになります。

 一つの命題とその否定命題が、ともに正しいということはない。
 これを「矛盾律」といいます。

 一つの命題とその否定命題が、ともに正しくないということはない。
 これを「排中律」といいます。

 箱に数本のチョークをいれて、
例4  「箱の中はすべて白いチョークである。」

誤答例  「箱の中はすべて白いチョークではない」

 もしも「箱の中はすべて白いチョークである。」の否定が 「箱の中
はすべて白いチョークではない」だとすると、一本だけ紅いチョークで、
あとはみな白い場合には、どちらも正しくないことになり、排中律に違
反します。

 誤答ではないが、不十分な例として、「箱の中はすべて白いチョーク
というわけではない。」

 もともと日本語は、相手の言った言葉全体をカッコで括って、「では
ない」と続ければ一応否定したことになります。日常会話の否定はこの
形が多く、普通の生活ではそれで十分です。しかし、数学ではこのカッ
コをはずしたらどうなるかが問題になります。

正答例  「箱の中には白くないチョークがある」

 「すべて」について言及している命題を「全称命題」といいます。

 条件を満たす元が「少なくとも一つある」という命題を「特称命題」
といいます。

 これらは否定することによって互いに入れ替わります。

例5  「箱の中には黄色のチョークがある。」

 当然の反応として  「箱の中には黄色のチョークはない。」

 一応正しいのですが、元が特称命題ですから、否定したものは全称命
題の形に整理しておきたいものです。

正答例  「箱の中はすべて黄色いチョークではない」

 例文が真である場合と、偽である場合とは、それぞれ学生の心理に微
妙な影響を与えます。
 偽である文の否定はスムーズに出来ますが、真である文を否定すると、
その内容は偽となるので、学生はそういう文を作ることを躊躇します。

 間違ったことを言ったときに叱られた記憶を体のほうが覚えていて、
条件反射的に避けようとします。そこで条件の部分を否定してみる。す
ると裏が出来てしまいます。否定を作るときには、内容に左右されずに、
機械的に作らなければならないことを理解させる必要があります。

例6  「Aであるか または Bである ならば Cである。」

誤答例  「Aでなく かつ Bでない ならば Cでない。」

 「Aであるか または B である」の否定が「Aでなく かつ B
でない」ということを知っている学生は、さっとそれを書いてしまうわ
けです。

 否定とは、条件が成り立っているにもかかわらず結論が成り立たない
ということだから、条件の部分は変化させてはならないと、口をすっぱ
くして言い聞かせ、繰り返し練習させる必要があります。

正答例 「Aであるか または Bであっても Cでないことがある。」

例7  「太郎だけが知っている。」

誤答例  「太郎だけが知らない。」

 太郎が知っているのは当然と解釈して、太郎を除く残りの人の集合を
考えます。そのすべての人が知らないということだからこれは全称命題
です。したがってその否定命題は特称命題となります。

正答例  「太郎以外にも知っている人がいる。」

 これには異論があって、「太郎は知っている かつ 太郎以外は知ら
ない。」だからその否定は「太郎は知らない または 太郎以外にも知
っている人がいる。」とするべきであるというのです。それはそのとお
りであって、全体集合をどう選ぶかで、その補集合は変わってくるとい
うことです。

 こういう問題には絶対の正解はないと言えます。

例8  「明日、天気がよければ、遠足に行きます。」

誤答例1  「明日、天気がよければ、遠足に行きません。」

 じゃあ、天気が悪かったら、遠足に行くの? 

誤答例2  「明日、天気が悪かったら、遠足に行きません。」

 天気がよければ遠足に行く、悪ければ行かないということなら、両立
してるので、矛盾律に違反します。

正答例  「明日、天気がよくても、遠足には行かない。」

あるいは結果的に言えば

正答例  「天気がよかったにもかかわらず、遠足には行かなかった。」

 「ならば」があったら全称命題、したがって「ても」とか「にもかか
わらず」があったら特称命題であって、「ならば」の否定にまた「なら
ば」が現れることはありません。

 なお「ても」や「にもかかわらず」は数学的には「かつ」と同じです。

例9  「私以外の全員が賛成しても、私は反対します。」

誤答例1  「私以外の全員が反対しても、私は賛成します。」

 またしても否定が裏と混同されています。

誤答例1  「私以外の全員が賛成しても、私は反対しません。」

 おかしな文だとは本人も気がついているのですが、条件は変化させる
なという呪縛から逃れられないでいます。特称命題を否定するのだから、
全称命題にすればよいのです。

正答例 「私以外の全員が賛成するなら、私もあえて反対はしません。」

例10  「立て!」

誤答例  「立つな!」 「座れ!」

正答例   「立たなくてよい」

 命令の否定がまた命令では、息ができない。
 命令は全称命題と解釈できるから、その否定は特称命題で、命令の解
除。

 このような説明は、中学生でも分り、少しずつ考えさせる時間を作っ
ていただければと思います。高校生なら十分分りますので、積極的に教
えたらいかがでしょうか。

 高校の数Aの教科書からもわかるように、逆、裏、対偶の説明は、全
称命題に関してだけしか、行われていません。しかし、後の半分、特称
命題についても、説明するべきであると思います。

論理 






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      参加者の感想文をお送りするにあたって

 去る8月27日には、私の拙い話をお聞き頂きまして、ありがとうご
ざいました。皆様のリポートを早く読みたいと、再三教育委員会に申し
入れておりましたところ、10月中旬になってやっと手元に届き、拝読
することができました。

 予想通り25人25色、同じ私の話もこれだけさまざまな受け止め方
があったのかと、興味深く読ませていただきました。私一人が面白がっ
ているのももったいない、是非皆様にもお互いの考えを知っていただく
ことで、また私の主題もさらに深めていただけるのではと考えて、教育
委員会に確認したところ、自由に配布してもよろしいということでした
ので、このような形を取らせていただきました。

 話の題目が「言葉と論理」ということで誤解されて、期待の外れた方
もいらっしゃったようです。そういう方に次のようにご返事したいと思
います。

 数学の教師と国語の教師とが一つの教室で一つの主題について考える、
これはすでに異文化交流の例であり、これこそ私の第2部の主題でした。
私は、意見が合うことがなによりも大切であるとは考えません。異文化
交流が実現したことをまず喜び合いたいと思います。お互い、意見は違
って良いではありませんか。否定を理解してはじめて肯定も理解できる、
これが私の第3部の主題でしたと。

 個々のリポートについて、私がこれ以上多言を弄するよりも、25名
の方の意見の多様性こそがこの講習会の収穫であると考え、この冊子を
お手元にお届けする次第です。是非お目通しいただきたく、お願い申し
上げます。

 今後も引き続いて辛抱強くお仕事に精を出されるであろうと拝察し、
そういう皆様に敬意を表しつつ。
                              文化の日に   菅原民生






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 この講演のあとで、綴られた感想文を掲載いたします。
 小学校、中学校、高校の区別だけ残しました。

○小学校 124

・到達度別授業について

 講義の中で挙手しようと思ったができなかったので、紙面で本校の実
態を述べさせてもらいます。

 先ず本校は田舎(畑地帯)に位置し、全く教育的刺激のない地区です。
児童の知能や学力偏差値は45〜46程度で,クラスによっては,1〜
5段階評価の1と2で半数を占めるという場合もあります。そんな中で、
数年前からTT加配で主に算数のTTを中心に行ってきています。

 いろいろなTTの型がありますが、習熟度別授業にも取組んでみました。
あらかじめ,学級部会等で,実施の趣旨を説明し,了解を得て実践して
みました。(1,2の学力の子どものクラス|345の学力の子どもの
クラス)

 結果は,子ども達にはとても好評でした。特に,1,2のクラスの子
ども達は,「よくわかった,ゆっくり説明してもらってよかった。」と
の感想が多く,充実感が得られたのではないかと思いました。
 ですから、本校では、親も子もプライドより「わかる、できる」とい
う点を重視していると思います。(これは必ずしも,どこの学校でもいえ
るとは限りませんが。)

・「言葉」について

 講義で話された通り,子ども達は流行語はよく知っていますし,アニ
メの中の名前などは驚くほどよく覚えています。しかし,読書離れが進
み,語彙が(貧弱)乏しく,相手とのコミュニケーションがうまく取れな
い状況は隠せません。そのため意思の疎通がうまく行かず,「いじめら
れた」などと大きな声で叫んでいる子もいるのです。

 人の気持ちや心情の動きを感じ取る能力も育っていない子ども達…。
大変大きな問題だと思います。もっと言葉を大切にしていきたいと考え
ています。

・「言葉と論理」について

 理屈をこね始める小学校中・高学年から中学校にかけて,論理の扱い
方を学ばせよう。」ということはよくわかりました。しかし,私には話
の内容の理解ができませんでした。言葉も難しいことと,聞けば聞くほ
ど混乱してしまい,わからない子どもの気持ちがよくわかりました。
 このような論理を組み立てることは大切なことだし,考えを明確にし
適切な言葉を用いて表現できる子どもを理想としています。

 今回の内容をもう少しわかりやすく説明してくださるようにお願い致
します。そうすると学校でも十分に使える素材だと思いました。

 本日の講義,お疲れ様でした。ありがとうございました。





○小学校 30

 本講義を選択する際,「言葉と論理」という講義名を手がかりに国語
科学習に関連することであると誤解して選びました。今後同様の選択講
義を仕組まれる際には,内容の説明が必要だと思います。

 「事前アンケートで『到達度別授業』について関心が高かったので話
題に取り上げました。」という菅原教授の御姿勢に誠意を感じました。
ありがとうございます。

 ただし,内容については現場では決して足切りはしておりませんし,
子どもの意向を無視した押し付けもしておりません。
 先生がお話なされた不安材料は既に十分論議し,対策を講じ,成果を
上げています。ぜひ現場へ足をお運びください。

 講義の序として話題にされた丸山才一著,『文章読本』,『話を聞か
ない男―』も既に随分前に読んだもので(文章読本などは15年ぐらい前
になるのでは?)改めて,話題になさるのもいかがなものでしょう?

 さて,本論である「言葉と論理」については,学生時代教わった記憶
がよみがえってきました。しかし,それが現場で生かされていく方策が
十分あるとはあまり思えません。「『屁理屈』という子どもに論理的(数
理的)な考え方を指導するとよい。」というふうにおっしゃいましたが,
まさかそれが本意ではありますまい。

 まず,今私が直面していることは,

・授業内容の削減=学力低下という誤った考え方を授業によって払拭し
ていくこと。
 台形の面積を求める公式は長方形や平行四辺形の面積を求める方法か
ら演繹的に導き出される,それが算数の楽しさであると考えています。

・いったい何を教えるのか

 例えば,欧米ではひき算を教えないという国があるというお話をお聞
きしたことがありましたが,本当に考え方として,教える必要があるも
の,必要がないもの(導き出させるもの)を見極める。
 そういうことを考えています。

 せっかくの機会でしたので,専門の先生のお考えをお尋ねしたかった
し,中学校ではどうつながっていくのかもお聞きしたかったです。(大変
辛口のレポート,失礼致しましたが・・・)
 今後,御一考をお願い致します。





○小学校 116

 今回,事前レポートで算数指導の中で悩んでいること及びたずねたい
ことについて提出していたので,そのことについてのお話やアドバイス
が聞けると思って参加しました。

 到達度別の授業が望ましいと菅原先生も書かれていてホッとしたので
すが,実際,現場ではわかっていても学校の体制や教員の人数の関係上,
実現できないのが現状です。
 教師にとって,到達度別に指導する方が効率はいいが,子ども達にと
っては,いいことなのかどうか疑問です。

 我々が子ども頃,今のように学力に個人差があったでしょうか?
 近年ゆとり教育の重視,個性の尊重に重きをおき,基礎基本の定着さ
れないまま進級しているように思います。特に算数,国語力が劣ってい
るのではないでしょうか。

 講義の第3部「言葉と論理」で命題と否定について学生や大人にとっ
ては,言葉を選ぶとか言葉の持つ意味について考えることは大切なこと
で,正しい言葉の論理について理解した教師が子ども達の指導にあたる
べきだと思います。
 しかし,他の先生方はどうかは分かりませんが,少し難しい内容だっ
たように思いました。否定文の例3以降,頭の中が,うまく整理できま
せんでした。実際,小学校でどのように生かしていったらいいのか分か
りません。

 今日の講義を受けて,自分は学校に帰って何をしたらいいのか考える
と,学校の体制上,到達度別の指導が不可能であっても,単元や教科に
よって学年間でできることから始めていけたらいいなと思います。
 例えば,2学期の1年生,「くり下がりのひき算」で10のまとまり
からひける子と10のまとまりでつまずいている子,どんどん計算でき
る子の3グループに分け,学年2クラスと教務又は専科の先生などと相
談してコース別の指導も取り入れてみたいと思う。

 2つ目に,「近頃の大学生も言葉が使えません。」という先生の表記
を受けて,自分の言葉で自分の文が,すらすらと書ける子どもを育てて
いくためにも多くの本を読むようすすめ,自分自身も多くの文学に出会
いたいと思う。自分にできる小さなことから始めていきたいと思います。
 今日は,先生の望まれた受講生ではないにも関わらず,お話ありがと
うございました。
 次年度もし同じ講座がありましたら,事前レポートについて取り上げ
ていただけるとありがたいです。





○小学校 18

1,毎日の慌しい生活の中で横並びの生活,あの学級がやっているから
私もとか,クラスに合わせてくださいという意見に,何の反論もせずに
右へならえの考え方で進んで行きがちであった。

 今年から週5日制が導入され,現場が慌しさを増した中で,いろいろ
な意見がぶつかり合って当然と思っていても,何も言えない自分に腹立
だしさを感じます。

 講義の中で,間違うことに恐怖心を覚える体験を味わってきたり,自
分の考えを否定されたりすること,言葉を自由に扱う精神的な場所が確
立されていないという話を聞き,自分自身も間違うことに恐怖心という
か,恥ずかしさが先に立ちながら,そういう自分を教室にいる子ども達
に与えているのではと反省させられました。

 低学年と接している中で,いろいろな見方,考え方があるということ,
同じ意見を言う人の数で判断するのではなく,相手と自分の考えはどこ
が違うのかということを,低学年の子どもなりに教えていく,納得させ
ていくことの必要性を感じました。

 私自身も1つのことをじっくり追及し,いろいろな意見を聞きながら,
考える力を養っていければと思います。

2,資料の中に,「しっくり落ち着くまで,言葉を選べ」

 今まさにそんな気持ちで書いています。言葉で子ども達に伝えること
の大切さを感じるとともに,体を使って伝えていくことも同じように重
要だと考えます。生活の中で,今必要なことが何なのか判断していく力
も重要だし,・・・人格形成って何もかもが相互に絡み合って結び合ってい
る。だから人間は・・・。

 よく書けませんが,人っていいんだ,人を愛することはとてもいいこ
とだ,そういう人間関係をたくさん作り,比べることに抵抗のない環境
の中で生活していきたい。そういう学校づくりを目指したい。
 言葉では比べられるが,人間は比べられない。





○小学校 17

第1部 到達度別授業について

 ここ数年,盛んに到達度別授業を取り入れる試みが行われているよう
だ。わが校でも,(はっきりと分けるという形ではないが)TTを行って
いる。これから先,到達別授業へと向かう可能性も高い。その場合,今
日,先生から出された点を全職員でしっかり話し合い,整理しておく必
要があると感じた。
 また,一方的に教師側が分けるやり方ではなく,子ども達にコースを
選択させるというやり方も,方法の一つとして考えておかなければなら
ないのではないかと思う。どのコースに入ったから,云々ではなく,何
を学びたいのかという部分を大事にし,子どもが楽しく,やる気をもっ
て学習できるような学習環境を作っていくことも必要だと思った。

第2部 異文化交流と言葉について

「数学離れ・理科離れは,実は言葉離れではないのか。言葉離れが,国
語を直撃することなく,数学と理科に現れたのではないか。」というお
話は,ここ何年か,子ども達と接していて感じていたことを,明確に言
葉にしていただいたと感じた。

 実際に算数の授業をしていても,「同じです。」「そうです。」と言う
ことや,一問一答的に応えることができても,『どういう考え方をした
から,こういう答えに行き着いたんだ。』ということを自分なりの言葉
で話せる子が,少なくなってきているし,多くの支援を要するようにな
っている。
 また,友達の説明する言葉に,自分の考えを付け加えたり,反対した
りすることも,子どもにとっては難しいようだ。したがって,現在,子
ども達の言葉の中から一つの法則を見つけ出し,つくり上げていくこと
には,大変な時間を必要としている。

 しかし,今日のお話を聴いて,"言葉の力(国語の力)"なるものを,教科
の中,日常生活の中で育てていくことは,解決の糸口になると思った。

第3部 言葉と論理について

 大変,新鮮だった。命題に対する答えを自分なりに考えながら,お話
を聴いていたのだが,殆ど誤答であった。私には(小学校高学年〜)知識
は獲得してきたが,体で読み取るということができていなかったんだな
あと,つくづく感じた。

 教室で「間違いは宝」などと言いながらも,自分自身は最初から正し
いことを言わなければならないと実に精神的に不自由な経20年目の自
分も思い知った。

 しかし,この講義の中で,最も強く心に残ったのは,生活の中の論理
を数学の中に高めていくことの大切さだ。どちらかというと,文系型の
私には,数学は遠い世界のもののように思えていたが,生活の中にその
"もと"になるものがたくさんあるということを知り,数学を少しだけ身
近に感じた。
 教室の毎日の中でも,そのもとは転がっていると思う。自分の世界が
わずかではあるが広がった気がする。子どもに還元できればいいなと思
っている。





○小学校 4

1  教育をする者として,言葉の大切さを日頃から痛感している。自分
の想いや考えを伝えるための道具としての言葉だが,同じ言葉でも男や
女をはじめ,いろいろな生活基盤の違う人同士では,なかなかスムーズ
に伝わらないものだということを改めて考えた。

 この講義を選択した理由も,そのような点をもっと詳しく学びたいと
いう気持ちからだった。
 命題の構造について,ある文に対して否定の文を作ることで,よりし
っかり理解を深めるという方法を学んだが,理論的に文章を学ぶという
点で,新鮮で楽しく感じた。

 今,自分には,5才と12才の子どもがいるが,言葉をつかったなぞ
なぞやクイズをとても楽しんでいる。言葉の意味の曖昧さを利用して,
楽しんでいるのである。このような感覚は,クイズやゲームなど,又は
大人が気を付けて話してやることで,結構子ども達は身につけるのでは
ないだろうか。

 自分のことに戻るが,私自身自分の考えなどを文章にする機会も少な
く,他人に提出するとなると構えてしまって,中々筆が進まない。講義
の中であった「よい文章を書こうと思ったら自分の言葉で書け。借り物
の言葉ではだめだ。よい文章に正解はない。」という部分に,何かほっ
とさせられるものがあり,もっとこれから文章を書くことに挑戦してみ
ようかなという気にさせられた。

 『文章読本』,『話を聞かない男,地図を読めない女』の2冊を読ん
でみようと思う。

2  昨日のリーダーシップについての講義の中でも,大きく4種類の
タイプの人間に分けられ,それぞれの特徴などを学んだが,今日の言葉
と論理もそれに通ずる所があると思った。子どもと教師,教師同士,保
護者と教師,などでのコミュニケーションの取り方で大変参考になる点
もあると思う。

 現在,教務主任として,先生方との連絡調整その他で自分として学び
たいことの1つである。

 日常生活でも,仕事でももう少し言葉に対して敏感になり,話す力,
書く力を身に付けていきたい。1 のなかで,意思を伝える道具としての
言葉といったが,もちろん,言葉は自分の考え方をはっきりさせるとい
う部分もある。ぼんやりとした自分の想いを明確にし,教育活動に結び
付けていくためにも,これから文章に書くことを億劫がらずに取組んで
いこうと思う。

 菅原先生には,小・中学校の現場がよくわからないというお話だったが,
大学教授として現場教師への言いたいことや,今日の講義と教員の関連
について思うことなどを率直に話してもらえればよかったと思う。
 




○小学校 4

 今日の講義どうもありがとうございました。小学校の教員ですので,
自分が高校生で何を学んだかな?と思う記号(∈,∩,φ,・・・)が出て
きて,びっくりしましたが,久しぶりに左脳を使うお話を聞くことが
できました。

 この講義を受講しようとした動機は,今,私の学校では校内研修に
おいて,全ての教科の基礎・基本となる国語について深めていこうと
しているので,「言葉」というタイトルが目に入り,選びました。し
かし,アンケートがきたときに,(算数・数学における悩みを書きなさ
い)と読んで,えっ,算数のことなの?と思いましたが,「論理」の
方の講義かと納得しました。

 また,到達度(習熟度)別学習は,我が校でも今年から取り入れてい
たので,好機な題材でした。
 到達度別学習は,菅原先生のおっしゃるように,教師サイドから見
ると,とても都合のいいことですし,子どもサイドでも利益が多いこ
とだと思います。(子どもの自尊心が傷つかない配慮があれば・・・)

 先日,初心者向けのパソコン講習に参加したのですが,私も多少は
パソコンを触っているので,承知している部分も多かったので,退屈
な時間が少なからずありました。だから,上位の子ども達の気持ちが
よく分かりました。
 ただし,パソコン研修が必ずしも無駄だったかというと,そうでは
ありませんでした。普段は自己流で操作しているところがあるので,
それよりは簡単な操作法があったり,便利な機能がわかったりしたの
で,役立てることができました。

 子ども達も,個別的にその子の能力に合わせて指導されたり,一斉
授業の中で友達や先生の話を聞き,自分の考えを深めていくべきだと
思いました。
 一人一人に合わせて授業を行うのは,教師の人材不足で難しいので
すが,現職教員だけに限らず,もっと幅広く募って,子ども達を育て
ていく制度を作っていかなければならないと思います。

 現状においては,限られた中でフル回転させ,到達度別授業を推進
していくしかないと思います。子どものプライドを傷付けないために
は,AクラスなのかBクラスなのか最終的に子どもに選択させ,どこ
のクラスに自分がいるかではなく,どれだけ理解できるようになった
かが分かり,到達できた喜び,成就感を味わわせるかだと思います。
 クラスが固定化しないように,能力別ばかりではなく,興味・関心別
にクラスを分けるよう,単元によっては工夫をする必要もあると思い
ます。

 第2部「異文化交流と言葉」に中の,丸谷才一さんの引用文は,私
自身が文章を書くこと,人前で話すことを苦手とし,コンプレックス
を感じているので,ほっとする文でした。
 また,言葉が通じるには,共通の認識が必要で共通の体験を前提と
するというところは,とても納得しました。相手をよく知らないと,
話題にももちろん困るし,意図が通じ合わないことがよくありますか
ら。

 第3部「言葉と論理」本論ですが,正直言って難しいお話でした。
全称命題を否定したものは特称命題だ,逆もあり,は何となく分かり
ました。日頃はこのような論理は考えてもみないことなので,面白か
ったです。
 また,小学校高学年から中学生までの屁理屈をいう時期に,タイミ
ングよく論理の勉強をさせないといけないんだと言うことがよくわか
りました。ただ,それをどのように教えたらいいのか,私達教師自身
が学ぶ必要があること,教師だけでなく子どもと一番身近なお手本に
なる親が論理的に話をするべきだということがあると思います。

 今日は,先生との共通認識がなく,すべてを理解できず残念でした
が,楽しく受講することができました,ありがとうございました。

 PS,言葉を,しっかり落ち着いて選んで書かず,思いつくままの自
分の言葉で書きました。





○小学校 1

1,言葉が通じるためには,ただ同じ言葉を使うだけでは十分でなく,
共通の認識が必要であること。

 ただ単に言葉が交換されているだけで,その言葉の中身がどこまで共
通に認識されているかは,一つ一つの言葉ごとに確認しない限りよくわ
からないこと。

 論理を組み立てる際,まず,一つ一つの命題を正しく理解できている
かどうかを慎重に考えなければならず,そのためには,その否定と対置
させて見直すことが有効であること。

2,人は,言葉を使うことによって思考をし,互いの考えを伝えたり,理
解し合ったりすることが可能となる。全ての社会生活の基盤となるもの
が言葉であると考える。

 しかし,今の子ども達の様子を見ていると,その言葉を大切にしてい
るとはどうも思えない。非常に語彙力が落ちているため,決まりきった
ことばでしか自分の感情や要求を伝えられない。
 また,何か深く考えようとしてもその思考に伴う言葉が見つけられな
い。或いは,曖昧な言い回しで考えようとしている問題自体をぼやかし
てしまい,問題そのものに直面しようとしない。などといった否定的な
面ばかりが目に付く。

 おしゃべりだけれど,議論は嫌い。いろいろ言っているけれど,「あ
なたの考えは?」と聞かれるとはっきり言えない。そんな子ども達を作
ってきた,責任の一端は教育にあると言われても仕方がないと思う。

 国語科の新学習指導要領でコミュニケーションの能力が重視されるよ
うになってきているが,それは単に,スピーチの機会を増やしたり,デ
ィベートやディスカッションなどをさせたりすれば良いというものでは
ないと思う。
 今日の講義にあったように,まず自分が言わんとする一文を慎重に吟
味すること,また,自分の考えがこの言葉で十分言い表されているのか
を丁寧に見直し,選ぶことができるような能力を育てる必要があるはず
だ。

 現代人はとてもおしゃべりで,どんどん早口になっている。だんだん
文を書くという行為も面倒くさくなり,できれば,電話で済ませたいし,
それより絵文字たっぷりのメールで伝えられればそれが楽でいいと考え
る。
 しかしそういう生活の中で,自分の思考の流れを辿り,論理を組み立
てるという機会はどんどん失われているのだと思う。

 学校も教育改革というものが行われる度,なぜかゆとりと落ち着きが
無くなり,忙しさと慌しさばかりが増えていく。子ども達一人一人とゆ
っくり話をする時間さえ失われているが,少なくとも学校という場は,
言葉を大切にし,正しい論理で物事を考え,追求し,学び合う場であり
たいと思う。

 そのために,私たちが何気なく話している言葉やその論理にもう少し
目を向け,子ども達ときちんと問題に向き合い,誰にでもきちんと伝わ
る言葉で授業に臨むことができるよう,自分の日本語を見直していきた
い。





○小学校 125

1,学んだこと

・到達度授業について

 実際に現場で子ども達を能力別に分けるということには,かなり抵抗
がある。子ども達もそうだが,やはり親がどう思うかということが,ま
ず頭に浮かんだ。これは講義の中にあった,「横並び意識の始末の悪さ」
ということなのだろうが,やはりその辺の配慮はきちんとしておかなけ
れば,小学校の教育は先へは進めないだろうと思う。(確かに,子ども達
をA,B,Cに分け,Bの位置の子を中心にして授業を進めることがで
きるとすれば,指導者の効率の面から言えば,一番やりやすい方法である
に違いないと思う。)

 本年度から,勤務校において,TT(算数)を実施できるようになった。
その授業形態は,これから研究されなければならないが,子どもの能力
に合わせた柔軟な指導が,今までよりは撚りやりやすくなったことは事
実である。それをどうするか,これからの課題である。

 以上のことをこの講義を通して認識させられた。

・異文化交流と言葉

 「ものの考え方,感じ方の違う相手に対して,自分と同じと思い込ん
で対すると,どれだけ話が食い違っていくか。」なるほどと感じるもの
があった。同じ職場でも,なぜ自分の考えを分かってもらえないのか,
と思うことが今までに何度かあったけれども,それはこれだったのかと
思い当たった。あの人には何を言っても無駄だ的な考えもあったが,
「言葉の共通認識」の確認をすることで,解決できる問題があるかもし
れないと,なにか気が楽になったような気がする。

・言葉と論理について

 一番感じたことは,言葉の難しさということだ。普段何気なく交わし
ている言葉を論理的に考えると,間違っている(正しくない)ものもある
んだなあと思った。「否定」ということを考えるだけで,これだけ類型
化していろいろ考えられることに,学問の奥の深さを感じた。

2,今後の教育実践に生かしていくか

 全体を通じて,一番頭に残っているのは,異文化交流の難しさという
ことだ。これは,個人の付き合い方にも通じるものがあると思う。相手
は,自分とものの考え方,感じ方が違うということを前提にして物事を
考えることで解決できることも多いのではないかと思う。

 最近,子ども達に接していて感じることは,昔は通じていた話が今は
通じなくなってきているということだ。これは保護者に対してもそうで
ある。今まで常識であったことが,常識ではなくなる。
 自分が今までは正しいと思っていたことを,そうではないと思ってい
る人がいる。なぜそうなのかを相手を否定することではなく,なぜそう
言う考え方を持つに至ったかということを理解していくことで,何とか
解決できるのではないか,その糸口を頂いたように思う。

 本題の「言葉と論理」に関しては,なるほどねと面白かったが,さて,
これを小学校現場の実践で活用するとなると正直どうすれば良いのか分
からない。ただ,自分が発する言葉に関しては,十分気をつけていかな
ければならないと思った。





○小学校 24

1,事前アンケートの結果をもとに,3部構成にしていただいたのが,
大変分かりやすかった。以下,各部ごとに学んだことをまとめたい。

・第1部 到達度別授業

 現在,私の勤務する学校では,算数科を中心にT・Tによる授業を進め,
計算力の向上や指導の徹底など,少しずつ効果を上げていると思う。講
義のテキストにもあるように,「差別」などの精神面への気配りも大切
かと思った。私自身,「みんなで考え,学習に参加することに,学級の
連帯感が生まれるのでは。」と考えることもある。しかし,39人を1
人で授業し,全員に「わかる楽しさ」を感じさせるには,限界もあった。
学校全体の中で,授業の在り方について検討していく必要を感じている。

・第2部 異文化交流と言葉

 本大学で,過去国語撰修だった私は,興味深く講義を聞かせていただ
いた。丸谷才一の「文章読本」は高校生の頃,当時大学生の姉にもらっ
て読んだつもりだったが,記憶の彼方にあった。もう一度,本棚から取
り出して読んでみたいと思った。朝出かける前に読んだ朝日新聞の「E
メール時評」にしても,その言葉に込められた相手の気持ちまで考えら
れないとお互いの理解は出来ないということが印象的だった。

・第3部 言葉と論理

 正直言って,数学の不得意な私にとって,難しいところもあったが,
命題について自分の頭の中でしっかり考え,曖昧でない真理の追究は,
学校教育の中でも重要であると思った。算数に限らず,文の構造をしっ
かり捉え,例題にあるようなことをしっかり演習を通して学んでいく大
切さを感じた。

 先生のお話にもあったように,小学校の高学年から中学生の頃,きち
んとした環境(教育)を整え,指導すると大変効果があり,学習に対する
興味もわき,論理的な思考力を伸ばしていけると考えた。

2,今後の教育実践に生かしたいこと

・習熟度別評価など勤務校でも校内研修を進めている。到達度別授業に
ついては,学校に持ち帰り,様々な意見を聞きながら研修を深めていき
たいと思う。

・昨日の県教育センターでの研修では,内容こそ違えど,「自分の思い
を大切にすること」が基本であるというものがあった。

 学校教育の中で,いろいろな課題をもとに文章でまとめようとする時,
どれぐらい自分の頭で考え,自分の言葉で表現しているだろうかと考え
させられた。
 先生のお話にもあったように,自分の言葉でしっかり表現できるよう
な心構えを持ちたい。また,何らかの課題にぶつかった時,もっと客観
的に論理的に事象を認識できる力も必要であると考えた。

・教師である私自身が,もっと言語力の向上を目指し,子ども達にも言
葉を大切にする指導をしていきたい。

 命題については,テキストをもう一度よく読み直し,勉強していきた
いと思う。子ども達に大きな影響を与える自身の立場を見直す良い機会
になった。「学ぶ楽しさ」を感じてもらえるような指導の在り方を研究
し,生かしていきたいと思う。





○小学校 6

1 言葉と論理の講義を受講して,言葉が通じるためには,ただ同じ言葉
を使うだけでは十分ではなく,共通の認識が必要であり,それは普通,共
通の体験を前提としているということがよく分かりました。
 また,最近は,
言葉離れが進んでいるために数学離れ,理科離れが現れているということ
も心に残りました。言葉を自由に扱う精神的な準備(自分の言葉を自分で
分析するゆとり)の必要性も感じました。

 到達度別授業については,教える方の都合を言えば到達度別の授業が望
ましいということを学びました。(できる子がのびのびと力を発揮でき,遅
い子に納得するまで説明してあげる・・・)勿論,それには,いろいろな問題
が生じるので,それらを十分に考えながら実施しなければならないという
ことが印象的です。

 数学は,論理を大切にする学問であり,普通の生活とかけ離れている場
合があり,国語的に見れば論理が崩れていると説得力があるという話は,
大変興味深く楽しかったです。

 算数の授業においても,高学年になるに従って,論理性を培うことの大
切さを学びました。子どもの反抗期には,理屈をよく言いますが,それは
論理の扱い方の練習をしているということで,そういう時期だからこそ,
論理性を育てるチャンスだということも勉強になりました。

2  この講義で学んだことを,早速学校現場で実践してみたいと考えて
います。具体的には,算数の授業の中で言葉を磨き,論理的に説明できる
ような場の設定を多く取り入れてみたいと思います。(小学生なりに自分
の言葉を使い,論理的に説明できたらいいなあと思います。)

 また,「失敗は成功の母」・・・どういう条件の中で失敗したのか,その
原因をしっかりと考えさせる・・・間違いを大切にする習慣を身に付けさせ
たいと思います。

 到達度別授業については,学校の実態や,保護者の願い,児童の実態等
考慮しながら,じっくりと考えてみたいと思います。

◎「言葉と論理」の講義は,数学的な専門記号もあり,私にとってちょっ
と難しいと思うところもありましたが,とっても楽しい興味のあるお話で
した。お忙しい中,講義ありがとうございました。





○小学校 ?

 菅原先生,今日の講義ありがとうございました。私は現在,小学校で
一年生を教えています。どうしても一年生を教える者としての感覚でお
話を聞いてしまいますが,少々難しいなあと思った点から書いていきた
いと思います。

・否定と反対の区別について

 高校の数学で,必要条件も十分条件も,逆・対偶も潜り抜けてきたは
ずなのですが,それが記号の世界に留まらず,言葉で考える命題となる
と全く新しい世界が開けるように思いました。

 矛盾律と排中性を区別して考えることも,全称命題と特称命題を互い
の否定と見ることも初めて学びました。

 「集合」の学習は,中学一年の時,最初の数学の単元だったことをは
っきりと覚えていますが,なんだか分からないまま,その学習を終えま
した。まさに,あの単元で学ぶ中身は,今日の言葉と論理の科学的な考
え方だったのではと思います。

 次に驚いたり,納得したりしたことについてです。

・基本的力が育っていない教師に教わることになるである子ども達への
心配について

 大学生の基礎学力の低下が問題になってきている点を,この大学の学
生さんのことに触れて話されていましたが,そのことは,0才の子ども
達の育ちの問題とも無関係ではないと思います。また,それは子育てを
する大人の問題でもあり,すべてが一連のものと考えても良いのではと
思います。

 このことは私自身の学びがどうであるかということでもあり,自分の
育ちそびれている点や,学び足りない点を自覚できる機会を多く持ち,
学び続けていく以外ないと思っています。このことは,これから教師と
なり,子どもの前に立つ者にとってはとても必要なことだと思います。
特に自分で選んで足を踏み出す学びが必要です。

・到達度別授業について

 現に,何年も前から高校教育では,様々な到達度別授業を実施してき
て,それは子ども達の中に大きな傷(自覚の有無に関わらず)を残してき
ています。それが,中学校・小学校へともっとはっきりした形で実施さ
れる場合,その悪影響はもう予測済みではないでしょうか。

 親の願いとしては,我が子がよく分かるように教えてもらえるのなら
ば到達度別授業も構わないというところも多いようですが,現実の制度
としては,子どもの学力を伸ばし得ないと思います。

 例えば,3段階に分けるとしても,その分けられた中でも子ども達個
々の要求は違ってきます。もっと細かな段階に分ける必要があるでしょ
うが,教育予算の面でそれは不可能でしょう。理想は,学級規模の縮小
が実現し,ゆったりとしたカリキュラムの中で,学び合う授業作りがで
きることだと思います。

 今日の講義で,先生が終始訴えておられたことは,私達受講者に対し
ても,言葉を自由に扱う精神的な自由が準備されなければ,教育は成り
立たないということだったと思います。このことを一番のお土産にまた
教室に戻りたいと思います。




○中学校 21

 まず,この講義を通して感じたことは,先生も指摘されたように現代
は数学離れ,理科離れ,言葉離れが深刻な問題になっていることを痛感
します。自分の言葉で話せない生徒が確実に増えてきているように思い
ます。生徒との会話の中でも,「〜が,いつ,どこで,何を,どうした」
と言う会話ができにくくなっています。そんな中での,この講義の受講
となり,タイミングも良かったと思います。

 第1部の到達度別授業についてですが,教育の理想からも,生徒自身
の充実感を考えると,到達度熱授業を行う方が効果的だと思います。将
来的には教科によって実施されるようになることを願っています。
 ただ、いまの現場においては無理な要素が多々あります。教師の数,
教室の数,生徒・保護者の意識の問題があります。横並びを好む風潮がそ
れにつながるようです。

 それから,通常の授業において,あるAくん(低学力の生徒)に毎日,
個別指導を行うと教師が良かれと思ってやったにもかかわらず,そのA
くんは数学が嫌いになるケースがありました。それはAくんのプライド
によるものだったのです。だから我々は生徒のプライドを傷つけること
なく,指導していかなければなりません。だから,到達度別授業には賛
成ですが,慎重に進めなければならないと思います。

 次に,異文化交流と言葉についてですが,言葉は共通の体験,生活基
盤によって成り立つと言う話はなるほどと感じました。
 日本においても鹿児島の言葉,秋田の言葉,全く違っていても,その
生活基盤,例えば農村中心の生活を送っていれば,どこかに共通したも
のがあるのではないかなと感じました。
 また,「話を聞かない男・・・」の紹介も,私と妻にぴったりあてはまっ
ているようで,早速読んでみたいと思いました。

 第3部については,数十年ぶりに「裏」「対偶」「逆」ということば
を聞き,大変勉強になりました。
 言葉を正しく見直すという点でここに上げられた否定文作りは必要だ
と思います。普段の会話ではここまで意識して文の構造を考えません。
「立て。」に対して,「立たなくていいよ。」というのは,大切だと感
じさせられました。
 言葉は,内容を伝える手段であると同時に,心も伝えますから…。

 それから,この中身を小5〜中3の時期に行った方がよいというのに
対して,最初は無理だと感じました。中学3年生であっても問題文を十
分理解できていないからです。
 でも講義が進むにつれ,難しいからこそこの時期がいいのかなと思
いました。タイミングの問題かもしれません。でも,普通の授業では進
度の関係もありますから避けておいて,3年選択授業でやってみたいと
思います。

 以上のことを感じました。言葉を大切にして,授業にも取組みたいで
す。




○中学校 15

・到達度別授業について

 この授業の形態のねらいは,子ども一人一人を大切にして,その子の
持つ能力に応じた教育を行うことではないかと思う。理解が遅れている
子も,わかりたいという欲求はだれもが持っているものであり,その願
いを叶えてやる1つの方策。さらに伸びる力を持った子には,適切な課
題を提供する。
 これは教える立場にある人の論理であり,教育的な希望も含まれてい
る。

 子どもの考えはどうかというと,学ぶ目的において,教師と少しばか
りのずれがあることを感じる時がある。習熟度が低い子の学ぶ目的は,
その学習内容に興味があるからというよりは,「入試のため」であり,
いい点数を取ることに関心がいくことが多い。その結果,点数を上げる
ための要領だけを学んでいることが多く,本質的な美しさや面白さに気
付かず,感じずじまいである。
 だから時間が経つとすぐ忘れ,また次の単元でも同じことを繰り返す。
中途半端のまま学習が次々に展開されていくことになる。
 できる子の中にも発展課題がどう点数に結びつくのかが最大の関心事
になっていることもある。

 到達度別授業において,教師が本当に取組まなければいけないことは,
知識・理解よりも,どのようにして意欲・関心を高めることではないかと
思う。その意欲・関心を子ども達に高めることができなかったら,この
授業の形態も形ばかりで,子どものプライドや親の反応に気を配るだけ
で充実はしないだろうと思う。

・言葉と論理について

 数学の学習の前に,子ども達の文章読解力の不十分さに頭を悩ませる
ことがある。論理的に物事を考えたり表現したりする学習も意識して授
業の中に取り入れていくこともこれかは必要なことだと感じた。
 また,自分の使う言葉が,子どもにも共通認識できるように大切に使
っていきたいと思う。




○中学校 ?

 まず,この講義で学んだことですが,「自分の言葉」で書き,「自分
の言葉」で話すということです。さっそく,このレポートで実践したい
と思います。自分の言葉で書けるということは,その内容を理解してい
ることが前提になるので,レジュメや他の書物の文章から引用して作文
するよりも,より難しい作業になるということを,今実感しています。

 さて,「言葉と論理」についてですが,私も数学が専門で,高校,大
学と,高等数学について学びました。
 数学として,問題が解けることと,その問題が意味している内容を理
解する(物の本質を理解する)ことは私も別のことだと考えます。
 問題を解くことは,菅原先生のお話の中にもありましたように,記号
の約束に従って,忠実に変形をしていけば答えにたどり着きます。
 文字や記号を形式的に変形していくトレーニングを積めば,結果とし
て,数学の成績はよいものになるようです。

 しかし,ここで自分自身,「待てよ」と警鐘を鳴らされたのが今回の
お話であったと思います。

 自分自身,高校の数学で論理については学び,数学の問題としての
「論理」に関して,「逆」とか「裏」とかは,機械的に処理できるので
得意だったと思います。しかし,文字や式が機械的に処理できるところ
に落とし穴があるということも,自分自身の経験で気付いていました。
それは,論理の構造や仕組み,本質を理解し,見抜いていることと別の
問題である可能性があるということです。

 私たちの身の回り
にある文章(命題)を基にその否定の文を考えるときに,そのところの問
題が露呈するということでした。私たちは言葉を通して物事を理解する
わけですが,その時に,自分自身がそれまでに見に付けた自分自身の言
葉で理解した内容を確かめてみることが大切であるということを教えら
れました。

 次に,今度の教育実践にどう生かすかという問題ですが,数学教育の
研究会で「マクマティカル ライティング」という実践の紹介がありま
した。その内容は,その日の授業で学習したポイントを(やはり)自分の
言葉でノートに2〜3行でまとめさせるというものでした。
 定理にしても,定義にしても,教科書の文言通りに覚えるのも一つの
理解の方法ですが,同じ内容のことを,自分自身の言葉に置き換えて説
明なり記述させることにより,より深い理解につながるのではと示唆を
受けましたので,2学期からの数学の授業の中で取り入れてみたいと考
えています。

 また,授業に限らず,会議等の場でも,いろいろな文献等の言葉を引
用するのではなく,自分で理解した言葉で発言することで,より他の人
にわかりやすい理解を得られるようなものにしていきたいと考えていま
す。

 最期に,現場の忙しさを口実に,自分から出向いて研修を受けたり,
本を読んだりしない自分にとって,今回の大学での講義はとてもよい刺
激となりました。学食で学生さんと一緒に食事をしたのも,すごく新鮮
でした。別の講義にも興味があるのがあったので,機会を捉えて,いろ
いろな勉強をしてみたいという気持ちになりました。




○中学校 39

 「数学ばなれ,理科ばなれは,実は言葉ばなれではないのか」,この
ことは私も数学を教える中で,よく感じることです。
 応用問題を解くときなど,文章の意味はわかっているのだろうかと思
うことがよくあります。日本語で書いてあるのだからわかるはずだと思
っていたのですが,ただ同じ言葉を使うだけでは十分でなく,共通の体
験を通して,共通の認識が必要であると聞き,なるほどと思いました。

 では,今後どうしたらいいのか,「命題と証明」を使って話されまし
たが,命題が何だったか,否定とは?逆,裏,対偶?しばらく思い出せ
ませんでした。ようやく思い出し,命題と否定で全てを表すということ
に気付き,何とか先生の話についていくことができました。

 しかし,「矛盾律」「拝中律」「全称命題」「特称命題」など普段全
く使わない言葉なので,一度聞いただけではピンと来ず,何度も文を読
み確かめながら話を聞いたので,理解できたか自信はありません。ただ
身を持って,普段使わない言葉はできるだけ噛み砕いてわかり易く説明
する必要があると思いました。

 今後授業の中だけでなく,いろいろな所で,言葉の使い方に注意し,
否定の文を作らせて見たいと思います。そして,失敗を恐れず,なぜ間
違っているのか,どこが間違っているのか,間違いの原因は何かを考え
るなど,間違ったことを大切にして,次のステップへ歩んでいけるよう
指導していきたいと思います。





○中学校 67

 この講義で学ばせていただいたことは,まず,到達度(習熟度)別
授業の重要さです。その生徒1人1人の達成度に合わせて教師が授業
を進めていくこと,また同時に生徒は学んでいくことです。生徒はそ
の理解度に応じて,1つ1つの理解した内容を段階的に積み上げてい
くことは最も大切なことです。
 そうすることによって,学力は身についていくものと思います。
 もし,学習しようとすることがその生徒にとって難しい内容である
ならば,それを理解するためにはその前の段階の内容を身につけるよ
うに努めなければならないと考えます。

 ただ問題なのは,子ども立つの中に優越感と劣等感が発生した時ど
うするか,仕方がないということでいいのかどうか。
 確かに日本の歴史的,文化的な問題なのかもしれませんが,これは
克服しなければいけないのではないかと思います。ただし,教育の機
会均等が前提であるということは言うまでもないと思います。

 さらに,学ばせていただいたことは,ものの考え方,感じ方の違う
相手に対して,自分と同じと思い込んで対応すると大きく食い違うこ
とが多いということです。住む環境,
 異なる文化,年齢等の違いが考えられますが,これらを克服すべく,
共通認識を高めていくことが大切だと思います。

 また,言葉と論理については,数学という教科について言うと,航
行の内容と大学の内容のギャップが大きいように思われます。
 つまり,ε-δ論法等を中心とした論理の展開は,かなり訓練が必要
で,それらを経過した上でないと大学の教科の内容は身につかないと
思います。
 したがって,これらの訓練をどの段階でやっていくのか,これは大き
な課題の1つだと考えます。






○中学校 18

 第1部では,到達度別授業についての話がありました。現在私の学校
では,TT加配による教員配当があり,2年数学科においては,全学級
(4学級)少人数の授業を行っています。1学級を半分に分けて,2人の
教師で受け持っています。

 1年生のときの数学の成績を基に,等質の学級に分配して実施していま
す。少人数での優位な点は,教師の目が1人1人の生徒に届きやすい点は
もとより,数が少ないゆえに生徒も発言しやすいという利点もあります。
実際生徒からの感想にも現れていました。

 単元の1場面で到達別の授業を行うことは有効であると思われますが,
遅れている生徒の指導については,時間的な面も考慮して,グループでの
学習活動が有効であると思います。ただし,そのためには,グループの 
リーダーをいかに育てるかがカギになると思われます。

 第2部の話につながりますが,自分が何を理解したかを,まとめて人に
伝える能力が問われるのではなりでしょうか。それと,生徒間の人間関係
をいかに構築していくかが重要となります。

 講義の中で,「自分の言葉で表現する。借り物の言葉ではだめだ」とい
う内容が印象に残っています。じっくり落ち着くまで言葉を選ぶ。どんな
にこだわっても構わない。数学の思考においても重要な要素だと思います。
 授業を展開するにあたっては,このことを頭において生徒たちにも意識
させながら進めていこうと思います。

 第3部の「言葉と論理」の話では「命題と証明」の分野を利用して話が
進められましたが,第2部で述べられた「言葉が通じるためには,同じ言
葉を使うだけでなく,共通の認識が必要である」という命題をより具体的
に提示されたと理解しました。

 講師の先生の意図する点を十分把握できたかどうかは分かりませんが,
それは自分の能力に負うところですので失礼します。
 「言葉を選ぶ悩みは,自分が何を言いたいかを自問自答する時間だから,
至福の境地というべきだ。」私も同感です。





○中学校 19

 3部構成の講義であったが,この共通するものとして『個』が思い浮
かんだ。現代は『個』の時代といわれ,以心伝心の時代は終わってしま
ったような感がある。
 この個を考えたとき,到達度別授業(私としては,習熟度別授業とい
った方がよいと思うが)や異文化交流,そして個が伝える方法としての
「言葉」,中身の問題としての「論理」性が重要になってくる。私は数
学の担当であり,最近生徒に育てたい力の1つとして伝える力,表現す
る力を意識している。

 到達度別授業,これは,個を大切にするという視点に立っているもの
であるから授業者の都合でという問題ではなく実態に即して,どう区別
するかが大切であると思う。

 異文化交流と言葉においては,伝えるためには,共通の認識,共通の
体験が必要であるという点が納得できるものであった。伝わらないから
誤解が生じたり嫌がられたりするわけであるから,伝えるためにきちん
と実態を把握しておくこと,そしてそれに基づいて論理的に話をするこ
とは,大切であると考える。

 論理については,否定を中心として講義であったが,論理性を培うも
のとしては大変有効であると思う。一般的に日本人に比べ,外国の人た
ちは話が分かりやすく,心の表現が豊かである。やはりこれは,生活の
中で身についた論理性であると思う。
 命題の否定の例が数多くあったが,これを遊びやゲーム的にさせるこ
とにより,知識でなく体で感じ取ることができるのではないか,そして
興味を持つのではないか。そして,論理性を高める1つの方法として考
えてみたい。

 失敗を大切にするという話があったが同感である。どこが間違ってい
て,どこをなおせばよいかという間違いの原因を調べるいい材料にもな
りうる。
「何をどのようにして伝えるか」これを考えるとき,論理が重要になり,
話し上手になれば信頼も厚くなるであろう。




○高等学校 28

 生活の中にある社会的要素としての言葉と,学校という集団の中の教
育という過程で我々教員が指導する言葉との連動について学んだ。また,
社会生活の中で日頃から使われている手法や何気なく交わされている言
葉の交流の中に,現在,話題とされる理系離れや学力低下に結びつく要
素が多くあることも感じ取ることができた。

 私は高等学校で数学を指導しているが,近年,説明に苦慮することが
多々ある。また,長い問題文から題意を読み取ることができない生徒の
姿を数多く見かける。更には論理や証明の内容になると,遠ざけたがる
傾向にある。
 本日の講義にあった「否定」することの重要性を再認識せざるを得な
い。高等学校の年齢になるまでに,理論的な思考や,議論を経た生活体
験が少ない子どもは問題文の本質や疑問を持つという行動をしないので
はないかと考えている。理論立てた考えや数学に必要な思考を身につけ
ていくことは到底できないのではないか。

 これからの教育実践に向けて,以下のことを考えている。

 第一に,入学時にそれ以前の言葉の学びを知る必要がある。これは学
校生活の中で,生活指導,学習指導に通ずるものと思う。作文力や個人
面談の会話の中で,どのような言葉の形成がなされているかを感じ取ら
なければならない。生活全般のみならず,数学という学習指導の方法と
伝達の方法を考える手がかりとしたい。

 第二に,本日の講義にあった,到達度別学習の利用である。いわゆる
テスト等の客観的な数値に加えて,言葉の伝達を受け入れる力をもとに
グループ分けをすることもできるであろうと思う。教科指導者の個人面
談によって表現力や言葉の理解力を十分につかむことで,よりよい指導
内容を考えることもできるのではないか。到達度別学習には賛否があり,
生徒の差別感等の問題もよく取り上げられるが,受講した生徒の達成感
があれば真に教育効果がある指導法である。

 第三に,これは今までの自分への反省でもあるが,誤答を真に大切に
していきたい。生徒の疑問を持つ目や,姿勢が問題解決力を養うことに
なる。自覚はあるものの実践には生かしていない。

 本日の講義は大学を卒業して21年になりますが,改めて数学と日常
生活の接点を見直すことができる機会になりました。大変ありがとうご
ざいました。




○高等学校 22

第1部	到達度別授業について

 到達度別授業は,多様化した生徒達の全てが満足のいく学習をするた
めに必要なものであると考えます。形態としては,もし指導者の数にゆ
とりがあるのであれば,本日の話にあった上位15%,中位70%,下
位15%程度に分けることが望ましいと思われます。
 下位の生徒の指導に関して,退役の先生にお願いして補習授業をする。
という話はとても新鮮で魅力的に感じました。今後実現可能かどうか現
場で考えていきたいと思います。

第2部	異文化交流と言葉について

 「数学ばなれ,理科ばなれは,実は言葉ばなれではないのか。」とい
う問いかけにはハッとさせられました。
 最近,数学の指導をしている中で,公式を覚えているかどうかや計算
ができるかどうか以前の問題として,問題文を読んでその内容をつかむ
こと自体できていない生徒をよく見かけるようになったと思っていたと
ころです。特に確率の問題でその傾向が強いようです。
 しかし,「だからしかたない」と諦めるわけにもいきませんので,数
学の指導においてのみならず,国語科との連携やホームルーム等での指
導を通して,言葉ばなれを阻止していかねばならないと改めて思いまし
た。

 また,「言葉が通じるためには,ただ同じ言葉を使うだけでは十分で
はなく,共通の認識が必要であり,それは共通の体験を前提とする」と
いうことは今回の講義で初めてはっきり認識することができ,勉強にな
りました。

第3部	言葉と論理

 命題の否定を使って論理についての話がありましたが,私のような数
学の教員には適切でも,他教科の先生方にはなかなか難しい内容であっ
たかもしれません。

「数学によって論理的思考力を養う」とか言いますが,それが具体的に
どのような場面でできるのか等について,命題の否定だけでなく広い分
野から話していただければもっと良かったのではないかと思いました。
また,自分自身,そのことについてはもっと深く考えていかねばならな
いなとも感じました。

 今回は貴重なご厚誼を頂き有難うございました。





○高等学校 51

第1部 到達度別授業について

 「教える都合」という言葉,分け方A,B,CのB,Cの境目に視点
を置く。非常に参考になる内容であった。半分に分ける必要はないと改
めて思えた。

第2部 異文化交流と言葉

 「言葉ばなれ」という指摘は的を得ていたと思える。言葉が使えない
大学生,まとめて話すことができないなど,現在の高校生にもあてはま
ると同時に今の私自身にもあてはまっていると思える。文章を書くのが
苦手であることに少しは楽になったように思える。

 交流の問題として「共通の認識」「共通の体験」この共有・確認が確
かに必要と思える。考え方の違いでは済まされないことであり、カウン
セリングとして話をする前に、日常の中での共通認識として考えていか
なければと思えた。

第3部 言葉と論理

 「命題と集合」,扱いが小さく,時間もかけなくなっている分野で形
を暗記させて終わっているのが,現在の私の授業であった。数学と日常
の会話,生活感との違いがよく分かり,話,講義の内容もよく理解できま
した。
 小学校高学年から中学校3年生まででの論理の体得,考えさせるとい
う先生の主張には共感できました。高校生であっても論理ということで,
必要な分野で考えさせる時間をとることの大切さを思いました。
 全称命題,特称命題まで高校生でも十分理解でき,やれると思います。
数学と日常会話のズレが学問への入り口と考え,自分の昔を思い出し,
悩んだことがあったと思い出しながら,聞いていました。
 「真である文を否定するとその内容が偽となる学生は躊躇します。」
「内容に左右されず,機械的に作らなければならないことを理解させる」
数学を教える教師であったということを再認識させられました。

2,講義を終えて

 失敗は成功の母,実験での失敗の原因の追求など失敗の中から学んで
きたと思う。失敗を恐れる生徒があり,私自身も知らず知らずに失敗を
指摘してきたような気がする。改めて,失敗を大切にする雰囲気を作っ
ていきたいと思う。

 高度な専門的な内容から離れてしまっているので,今回の内容であれ
ばついていくことができました。専門的な内容も必要ですが,中・高の
授業の中での講義をしてもらって,興味もわき,落ち込まないで済みま
す。
 今回の内容は次回の授業で教材として考えてみたいと思います。何気
なく使っている言葉の中の数学に対して目を向けさせられたことを通し
て,日常の中の数学,他教科の中で生きている数学をまた考えて見たい
と思いました。





○高等学校 34

 講義をから学んだこと,そしてそれについて考えたことを項目別に述
べます。

第1部  到達度別授業について

(1) 力のある先生の実践例などが紹介され,あたかもその方法に普遍
性があるかの如く受け取られがちだが,教授法には科学がなければなら
ないということ。

(2) 到達度別のグループ分けには,50-50 だけでなく,15-70-15  の
ような分け方があり,その分け方は漠然としたものではなく根拠が必要
であること。

(3) いろんな授業形態には,目的,方法,環境が考慮されていなけれ
ばならないということ。

第2部  異文化交流と言葉

(1) 数学離れ,理科離れが叫ばれているが,この現象の底流には言葉
離れがあるということ。

(2) 良い文章を書くには,よく書こうと努力し,言葉を選び,言葉に
こだわり続けることが必要なように,自分の授業を良くしようと思えば
より良くしようと飽くなき探求が必要であること。

(3) 言葉を通じさせるためには,言葉に込める共通の認識が必要であ
ること。

(4) 生徒と言葉のやり取りをする時には,言葉のキャッチボールだけ
でなく,相手がその言葉にどんな意味をこめているかを意識すること。

第3部  言葉と論理

(1) 時々,生徒が言う屁理屈は,指導の対象のみならず,論理の訓練
の絶好のチャンスであるという発想。

(2) 単元「命題と証明」といろいろな知見を教える前に,命題の構造,
さらには,文の構造を取り扱わなければならないこと。

(3) 頭をかすめた知識はすぐに忘れるが,身体に沁み込ませた技能は
中々忘れないということ。

(4) 基本的で重要なものは,習熟するまで繰り返し練習させる必要が
あるということ。

(5) 考える力を付けさせるには,ゆっくり自由に考え得る環境を作っ
てやる必要があるということ。

(6) 間違うことを叱ったり,退けたりするのではなく,その失敗を貴
重な情報,資料として取り扱わなくてはいけないということ。

(7) 生徒が「知らない」「分からない」という言葉の裏には,間違っ
たことをいった時に叱られた記憶を体の方が憶えていて,条件反射的に
反応しているということ。

 上記のようなことを,先生の講義を拝聴しながら,示唆を受け考えさ
せられました。

 日常の雑務に追われながら,何が大切な事か,何が本質なのかを腰を
すえて考えることなしに毎日を過ごしていることを反省させられました。

 先生には,本当に大切な事をゆっくり,しっかりやっていきなさいと
いうメッセージをもらったように思います。





○高等学校 4

 今回の講義を選択した理由は,日常生活で何気なく使っている言葉と
数学で用いる論理的思考を表す言葉とのギャップを2ごろから感じてい
たため,何か参考になればとの思いからでした。

 講義の前半で,到達度別授業の話がありましたが,本校でも数学,英
語で実施しています。今回の講義であったように,どこで区切るかとい
うのが実施上の悩みです。(殆どの場合,3クラス合併でA(上),B,B,
すなわち35−65)菅原先生の提案された15%−70%−15%の
区切り及びその指導法は,面白いと感じました。今後の検討課題とした
いと思います。
 また,異文化交流と言葉は,日頃何気なく生徒に話している言葉に本
当に共通の認識があるのか,根源的問題に気付かされました。一方的な
押し付けにならないよう気を付けたいと思います。

 さて,論理と言葉については,数学科の教師として,「論理的な思考
ができるように」ということを念頭において授業をしているつもりです。
特に数Aの授業の際にも,ある程度の時間をかけて日常の曖昧な言葉遣
いと厳密な(論理的)言葉遣いの違いを明確にさせるように指導をしてい
ます。

 先生が言われた「小6〜中学生までに論理的思考体験をしておかない
といけない」との言葉は,実感として中々できないように思います。
 例えば,命題「AならばB」の真偽の判定の仕方1つをとってもそう
です。
 私は命題の授業の時,いつも「明日晴れたら遠足に行く」という命題
で,命題の真偽判定の仕方を復習・確認しますが,実に3分の1くらい
の生徒は誤っているか,自信を持っていないのです。証明法でも,機械
的に何となく行っている生徒が多いのが実状です。だからこそ論理的な
言葉の使い方を学ばせ,身につけさせる事が大切だと感じています。

 そんな状況の中,今回の講義を受講しましたが,非常に参考になりま
した。特に,「矛盾律」「排中律」は,今まで考えたことのない視点で
した。
 また,「否定」の作り方,仕方をきちんと位置付けてはどうかとの
提言ですが,確かにその通りだと思います。「否定」の仕方は,日頃の
授業でも生徒の理解しがたい分野の1つだと思います。根気強く指導し,
論理的思考力・表現力を身に付けさせたいと思います。





○特 25

・「異文化交流と言葉」について

 言葉が通じるためには,意味の共有が前提であるということ。私にと
っては特に新しいものではありませんでした。よく口にする,私の社会
命題「理解は誤解の上に成立する」も,同じ認識によるものです。

・「言葉と論理」について

 現在,美術(造形)を創造という視点から,研究・実践しているのです
が,そこで問題として出て来るのが,既成概念の既成概念としての据え
直し方であります。

 「それまでになかった新しいものを作り出すこと」として,理解され
る創造が,結果として概念崩しであるとすると,崩す対象として,概念
(ある物事に対する既成の概念)がそもそもどのような関係構造になって
いるか,或いは具体的にどのようにすればそれを明らかにできるのかは
る方法を考えました。対象「それは〜である」と述べることは「それは
〜でない」ということと表裏一体になっており,「それは〜である」と
言ったと同時に,その人はそれをそれ以外のものではないと認識してい
ることを表しているからです。つまり,それが既成概念になるわけです。
 この点を造形に当てはめると,例えば紙を,それは書くもの(something
to write) であると描写できれば,そこから紙をそれ以外の,書くもの
として以外の,つまり書くことのできない紙とはという発想に展開でき
るものです。

 裏とか,逆,或いは対偶といった関係は否定ではないということ,そ
の構造と論理が既成概念のあぶりだし方として考えた方法と,構造的に
共通する点があり,参考になりました。

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