AYTA(アイタ)族についての概要
民族名 アイタ族(AYTA族) もしくはアエタ族(AETA族) 外 見 ネグリート系の黒い肌。低い身長。
天然パーマ(コロン)が特徴人 口 2004年現在 推定約2万人 分布地 ルソン島中西部のピナツボ山麓の森林地帯。ザンバレス州からバターン半島にかけて分布。ピナツボ火山の噴火後、避難民として政府の指定地に分散され、生活の場は新たに広がりつつある。(実態不明) 言 語 ザンバル語、アンバラ語、アミャナン語など、集落ごとに言語が異なる。(オーストロネシア語類のインドネシア語属)
共通語はタガログ語
独自の文字を有しているが、現在その実態は不明。歴 史 約2万年前にフィリピンにやってきた最初の民族とされている。 生活様式 移動式焼畑農業
急坂地に甘藷、タロイモ、キャッサバ、陸稲等を栽培。現在では、一部の低地に近い川沿いでのバナナ栽培や水稲耕作がみられる。
採取活動
山菜、果実、薬草及び川海老、うなぎ、沢蟹、かえる等を食料として採取。
狩猟
主に弓矢を用い、猪や鳥、コウモリ、トカゲ、野生の山羊や鹿等の狩猟を行う。主 食 イモ類 家族形態 親と子の核家族が3〜6家族集まって大家族を形成し、小集落を作り生活を共にする。キャプテンと呼ばれる長がいて生活全般及び紛争解決等の助言をしている。 信 仰 精霊信仰 現在では生活のためにキリスト教に入信する者が増加。 結 婚 低地部の民族との結婚を求めている。
AYTA(アイタ)族の歴史
アイタ族は、フィリピンの先住民族である。
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上記の通り、約2万年前にインドネシア方面から移り住み、ピナツボ山麓の森林地帯に竹製高床式住居を作り、狩猟・採取の生活を送ってきた。
アイタ族の持つジャングルでのサバイバル術はアメリカ政府のお墨付きで、一部の人達はヴェトナム戦争へ向かう兵士達の教官としても採用されたほどだ。
1992年、米軍スービック基地のフィリピン返還以降は、彼らの子孫がフィリピン軍等にサバイバル術を指導したり、観光客を対象としたサバイバルツアーのインストラクターをしたりしている。
彼らは、アイタ族の中でも極一部のエリートといえるだろう。
ピナツボ山麓に住んでいた多くのアイタ族は、1991年のピナツボ火山噴火により生活が一変した。
全てを失い着の身着のままで生き延びた人達には、政府から火山周辺の丘陵地帯に被災者として居住地が与えられた。
同時に、フィリピン政府だけではなく、世界中から食料や衣類等の物資が支援され、わずか1、2年で彼らの生活様式は変わってしまったのである。
火山噴火後1、2年で支援は打ち切られたが、支援漬けになった彼らに押し寄せてくるのは、厳しい現代社会の波だけであった。
現代社会に溶け込むことこそ生き延びる術と、フィリピン人化を望んだアイタ族の一部は、自らの歴史や文化だけでなく、独自の言語さえ捨て去ってしまった。
ジャングルでの生活を悪とし、街での物乞いの生活を善と錯誤した人達もいる。
天災と一時の支援がもたらした彼らへの影響は計り知れない。
世界中に分布している少数民族が数十年、数百年かけてたどった道のりとはまったく異なり、一切の保護政策もなく放置され、現在まで生き延びてきたというのが現実である。
噴火から十数年経過した今も、彼らは、もはや来ることのないサンタクロースへの憧れを外国人に求め続けている。
アイタ族を知れば知るほど、“支援のあり方”について考えさせられてしまう。
AYTA(アイタ)族の現状
オロンガポの市街地からジプニーで30分ほど郊外へ行き、その後、1時間程度歩いた丘陵地帯のブッシュには、数は少なくなったものの、いまだに弓矢を手に火打石での生活をしているアイタ族の生き残りの姿を目にすることが出来る。
こうした風景も後1、2年で見られなくなってしまうかもしれない。
急激な現代社会への順応化が進んでいる今、彼らに選択の余地はない。
社会に対する予備知識も貨幣経済の認識もないままに、一様にタガログ語の世界に吸収され、よりフィリピン国民になることが第一となっている。
伝統を守ることは、非文明の象徴。
フィリピン国内にいる少数民族(イフガオ族等)は、自らの生活文化を糧に自立することを政府ぐるみで支援されている。
イフガオ族は、国連ユネスコの無形文化遺産の対象として選ばれたことで、彼らの村を訪れる観光客は日ごとに増し、タイの山岳少数民族以上に観光化されてきている。
しかし、ピナツボ火山の被災者としてのイメージが強いアイタ族は、米軍時代に築き上げられたイメージとあいまって、ハーバルの知識とジャングルでのサバイバル術以外には、文化と呼べるものを持ち得なかったイノセントな人々と認識された。
不思議なことに、フィリピンの少数民族の起源でもあるアイタ族は、フィリピン化の対象となり、他の少数民族は、観光資源化する方向で保護活動が推進されている。
いわば、少数民族を観光客誘致の素材としうる部族の対象からも外れ、自立するための教育援助の対象からも落ちこぼれた、極貧生活者として扱われているのがアイタ族の現状である。
森でのサバイバル術を求められ、アメリカ軍の教官として自立した生活を営むことが出来た、一部のエリート集団の姿だけが世の中に紹介され、またピナツボ火山噴火後の1、2年だけ、被災者として世界の関心を集めたものの、その後アイタ族は振り返られることもなく現在に至っている。
現金収入のために不法伐採された荒涼とした山々の景色は、現在のアイタ族を象徴しているように思われてならない。
コラム:AYTA(アイタ)族との交流もどうぞ!
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