特集
タウン紙おもひでぽろぽろ 〜25年を振り返って・・・
◆タウン紙の歩み 1994年〜2018年
1994年1月、シャロームタイムスが創刊されました。B5版8ページ、5pほどの広告が3つの、簡易印刷機
による素朴なものでした。パソコンもDOSという骨董的なソフトを使用しての製作でした。編集室は大平町。1枚
1枚手折り、部数は1万部ほどの、何もかもアナログなタウン紙でした。「巻頭言」「料理」「短歌」「耳よりな話」
は創刊時から連載されたものです。
やがて広告が入るようになり、本紙12ページ、広告8ページ、全5枚組の形に定着し、毎月3万部以上を発行
するようになりました。簡易印刷機からオフセット印刷機に変わり、紙折りも紙折り機を使うように。編集室は小
山市に移転。それでもプロから見ると「1人で通し(印刷機に紙を通す回数)が30万なんて、信じられない話で
すな」(尚文堂印刷会社代表)と言われるくらいの重労働でした。
その後、スタッフの多忙により印刷も外注するようになりました。パソコンのソフトもプロ用のものに替え、格段
に仕上がりがきれいに。後に印刷会社が変わり、広告ページの一部がカラーになりましたが、経済的な事情に
より白黒に戻し、A4サイズ12ページ3枚組の現在の形に至っています。
◆シャロームタイムスの信念と取り組み
「心に良い読み物を発刊し、地元の皆様に平安(シャローム)に過ごしていただくために」。この信念は最後ま
でぶれることなく貫かれました。同時に愛する地元で行われている優れた仕事や良いお店を紹介したり、暮らし
の問題を取り上げて行政に働きかけたり、文化レベル貢献のために音楽会を催すなど、地域貢献も積極的に
行われました。
図書館の駐車場やパソコンの問題、水道料金の問題、小山市民病院の問題、小野塚氏の遺産問題などは、
実際に変化を見ることができた事柄です。学童保育や自動車保険の問題なども、町議会や保険業界の勉強会
でタウン紙の記事が取り上げられ、改善に結びついたと聞いています。渡良瀬遊水池の自然の価値に着目し
タウン紙で取り上げて間もなく、ラムサール条約が結ばれたことも心に残る思い出です。
生活的な記事で最も根強い人気があったのは、やはり美味しいお店の記事。特集では、一市民に行われた
小山警察署の冤罪問題追究、谷中村の悲劇、東日本大震災被災地レポート、クロネコヤマトの寄付ドラマなど
に大きな反響がありました。東京大空襲や個人の半生など、読者からの寄稿も好評でした。作品発表の場を
設けることも、願いの1つでした。
◆多くの方々のご協力を得て
シャロームタイムスは25年間、人件費完全無料のボランティア製作で運営してきました。編集するチーム、
紙を折り、冊子に仕上げるチーム、配布するチーム、広告営業に出るチーム。総勢で約30名、全て本業かた
わらの無料奉仕でした。さらに、原稿を寄せて下さる執筆者の皆さんも無料寄稿でした。長年にわたる無償の
働きにただ感謝です。
何名かのスタッフからコメントをもらっていますのでご紹介します。
*配布ボランティアとして25年、携わることが 出来たことは、私の宝となりました。1時間、2時間と配布する
たったひとりの時間を満喫しました。四季折々心にしみる風景を目にしました。自然の中で心も体もリフレッ
シュです。年を重ねる ごとに衰えるはずの体力・気力も、この働きのおかげで維持、いえ、かえって増した
ようにも思えます。私の次なる人生の土台を培ってくれたシャロームタイムス、本当にありがとう。
(小山市 M)
*私は古河市の緑町・静町・原町を中心に15年間配布しました。小山で生まれ育った私にとって、古河は4
号線で通り過ぎるだけの場所でした。しかしタウン紙を毎月配布するようになり、用がなければ絶対に入っ
ていかないような細い路地も歩きました。そこには平成になっても変わらない人の温かさがありました。
「お兄さん、ちょっと待って」と家に入り、栄養ドリンクを下さったり、「いつも通勤の電車の中で読んでるよ」と
声をかけて下さるサラリーマンの方もいました。タウン紙がつないでくれたちょっとした出会いです。平成もあ
と少しで終わり、タウン紙も休刊となりますが、次の時代になっても変わらず人の温かさのある古河であって
ほしいです。声をかけて下さった方々、毎月読んで下さった方々、ありがとうございました。 (小山市 O)
*忘れられない思い出。2月の初め、雪の積もった翌日の配布。外階段付きのアパート2階を配布後、アイス
バーン状態の階段を注意深く下りかけた直後、足を滑らせて背中で階段を1番下まで滑り落ちた。ドスドス
ドスドス!その衝撃で手に持っていたタウン紙は飛び散ったが、幸いタウン紙をたくさん入れたリュックを背
負っていたので、背中と後頭部は守られ、手のすり傷だけで済んだ。感謝。 (岩舟町 K)
*私はこまごまとした挿絵やイラストを描かせていただきました。タウン紙を通して私のちょっとした特技が役
に立ち、使っていただけたことをうれしく思っています。 (小山市 S)
*人生の半分以上関わってきたタウン紙。1人で約17万枚の印刷物を折っていた時は、体がきつかったで
す。でも苦労して折り、折り込みをすることにより、配布する1部1部への愛情は強く、大きくなりました。
タウン紙とのお別れに、ちょっ
とだけ涙が出そうになります。山のような思い出をありがとう。
(小山市 H)
*ベテラン主婦の皆さんの中に混ざって、折り込み奉仕をさせていただきました。作業しながらのおしゃべり
で、新米主婦の私に皆さんがお料理のリメイクから丁寧な掃除の仕方まで、色々教えて下さいました。アッ
トホームな雰囲気、持ち寄りおやつをほおばりながらのお茶のひととき。楽しかったです! (野木町 M)
*夏の暑さや冬の寒さの中での配布はとても辛いものでしたが、そんな時にも「いつもありがとう」と笑顔で受
け取ってもらえた時、とても励みになりました。 (小山市 K)
*タウン紙の配布に携わることができ、とても感謝しています。25年前、配り始めた頃は、人影があるとポス
トに入れられず、他の家を回ってからそこに…と弱気な者でしたが、四半世紀を経て、今ではこちらから積
極的に挨拶できるようになりました。「楽しみにしています」「読んでいますよ」と声をかけていただき、励ま
され、今日に至りました。たくさんの方とお知り合いになれました。ありがとうございました。 (下野市 A)
配布スタッフに温かいお言葉、飲み物、ご寄付、商品券などをたくさんいただきました。編集室にも御見舞や
ご寄付、また涙が出るようなお便りもたくさんいただきました。シャロームタイムスは、実に関わる全ての人々
の善意と真実のかたちだったと思います。美しい25年をありがとうございました。
営業の窓からご挨拶
広告主様への感謝と思い出
シャロームタイムスが広告営業を始めたのは2010年の秋でした。それまでの17年間は一切営業をして
いなかったのですから、今思うとそののんきさが恐ろしくもあり、もっと早くに何とかしていればと慚愧に堪え
ない思いも強くあります。
ともかく、必要に迫られて右も左もわからないまま、飛び込み営業に出かけました。商才は全くありません。
あるのは感動する心と表現する筆だけ。だから、自分が心からそのお仕事を評価できて、良さを読者の方に
も伝えたい!ぜひこのお店に行ってほしい!そう思えるところだけを選んで回りました。
もちろん広告が取れることばかりではありません。でも、仕事意識が高く、「仕事を評価し感動してくれたこ
とに感動した」方々が広告を載せて、長くお付き合い下さいました。
最初の秋、午後中お店や会社を回りましたが1件も取れない日がありました。私は車の中でお祈りしまし
た。「神さま。もしこのまま広告が取れなかったら、明日の明け方4時まで居酒屋を回ってでも営業を続けま
す。(居酒屋の広告なんて、ちっともシャローム的じゃないなと思いましたが。笑)もし私を早く家に帰してや
ろうと思うのでしたら、どうか広告を与えて下さい。」そして訪ねた次の会社。チャイムを押してインターホーン
に用向きを告げると、なんとドアが開いたのです。「話を聞いてくれるの!?」ドキドキしていると、足元から
ふくふくの三毛猫がするりと抜け出していくではありませんか。「あっ、猫がっ!すみません!」慌てて追い
かける代表さん(笑)。実はご夫妻ともタウン紙をよくご存知でその場で契約して下さり、私は午前4時でな
く夕方の4時に無事に事務所に戻ることができました。忘れられない思い出です。
エダ住宅様、イーグルスポーツ様、インテリアタジマ様、らく・ら〜く様、花水木様、らすかる様、古川薬局様、
ひろみ薬局様、フローレンス結城様、グレーシズ様。極めて長年にわたり、毎月欠かすことなくご支援下さい
ましたご恩は忘れません。それぞれの社長様のご人格とお仕事の質を長年見せていただきました。心から
読者の皆様に推薦することができます。また、1度でもタウン紙に広告を載せて下さったお店は、どこもすば
らしい人たちのすばらしいお店でした。今後もぜひご利用下さい。
良き出会いに感謝します。