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ドイツの首都ベルリン。
第二次大戦後には壁が築かれ、
東西冷戦時代の象徴となった
都市でもあります。
人口は400万人程で他のドイツの
街に比べ遥かに大きな街です。
また人口が大きいだけでなく、
街の様子も他の街とは異なっています。
典型的なドイツの街というと、
中心部にAltstadtと呼ばれる中世には
城壁で囲まれていた一帯があり、
そこでは中世そのままの街が残されています。
市内の中心にマルクト広場があって、
尖塔を持つRathhousがその広場に
建っていて、広場から続く
石畳の狭い曲がりくねった通りに沿って
木組みの傾いた様な家が、並んでいます。
ベルリンはそんなドイツの街とは異なり、
街は広い通りで、大きな区画に区切られ、
街の中心に大きなTiergartenという公園が
広がっています。


戦争の悲惨さを後世に残す為、
第二次大戦の爆撃で破壊された教会を
そのままの姿で保存しているのだそうです。
周りがツォー駅やクーダムと言う
人通りの多い賑やかなところだけに、
焼け落ちた姿で数十年も時が止まったままの
教会を見ていると、2度と同じ事が
起きないようにと祈るばかりです。
Kaiser-Whelhelm記念教会からは、
ベルリン動物園の前を通り、
バウハウス美術館に立ち寄った後、
Tiergartenに向かいました。
Tiergartenはベルリンの中心部にある
南北1km、東西2kmにもわたる広大な公園です。

公園と言うよりも森と言った感じです。
のんびり日光浴をしたり、サイクリングや
ジョギングを楽しんだりと、
大都市の中心部にいることが
嘘の様なのどかさです。
このTiergartenの真中に
ジーゲルゾイレがあります。

塔の上に黄金に輝く勝利の女神
ヴィクトリアの像が建っています。
この女神像の真下まで階段で登りました。
広大なTiergartenを真っ直ぐに貫く
6月17日通りの正面にブランデンブルグ門、
森の向うに、帝国議会議事堂や、
先ほど行ったKaiser-Whelhelm
記念教会が見えました。
ちなみにこのTiergartenの森には、
ソビエト戦勝記念碑というのもあって、
6月17日通り等、戦争に関連した
史跡や地名が沢山あります。
ベルリン = 東西冷戦の象徴
というイメージでいたので、
これらすべてが第二次大戦や、
それ以降の冷戦時代に関連していると
思い込んでいたのですが、
18世紀や19世紀の頃の戦いに
関連している地名も多く、
ヨーロッパ諸国の長い長い抗争の
歴史の一端を垣間見た気がしました。
ジーゲルゾイレの次はバスで
ブランデンブルグ門に移動しました。
バスは大統領官邸になっている瀟洒な
ベルヴュー宮殿の前を通り、
Spree川沿いに走ります。
Tiergartenでは大勢の市民が
バーベQを楽しんでいました。
やがて威風堂々とした帝国議会議事堂、
現在のドイツ連邦の国会議事堂が
見えてくるとブランデンブルグ門です。

門の頂きに4頭の馬が牽く
ローマ戦車に乗った女神像があります。
多くの観光客が門を行き来しながら、
カメラを構えたりしています。
この光景からは、10年程前まで、
この門を境に東西ベルリンが分断され、
この一帯も厳しい管理化に置かれていたとは、
なかなか想像出来ません。
ブランデンブルグ門の両側にあった筈の
ベルリンの壁もすっかり取り壊されていて、
壁があったと思しきところに
フェンスがあるだけです。
ただブランデンブルグ門の南、
フェンスの東に空き地があります。
芝生で覆われた空き地の一角に
碑が立っていて、以前アメリカ大使館が
立っていた場所ということを教えてくれます。
将来再びアメリカ大使館が建設されるそうですが、
壁の東側に広がるこの空き地こそ、
壁を乗り越えて西側に亡命を試みた
市民を狙撃する為の空間だった筈です。
実際この壁を乗り越えようとして、
命を落とした人は100人以上だそうです。。。
このブランデンブルグ門の東側には、
Unter den Lindenという菩提樹の、
街路樹が生い茂る大通りが伸びていてます。
このUnter den Lindenの通りや、
Friedrich通りを右に曲がったあたりも、
新しい銀行やオフィス、
高級ホテルが立ち並んでいて、
このあたりが旧東ベルリン地区だったとは、
思えない程の賑わい様です。
Friedrich通りをしばらく歩いたあたりに、
綺麗なドームが姿を表しました。

フランスドームです。
コンツェルト・ハウスを挟んで、
反対側にも良く似たドームがあり、
こちらはドイツドームです。
これらの建物の前の広場は、
ジャンダルメンマルクトといって、
ベルリン一美しい広場だそうですが、
この時は野外コンサートの会場設営中で、
この広場でのんびりする事は出来ませんでした。
フランスドームで昼食を取った後、
フンボルト大学前の広場を抜け、
ノイエヴァッヘに向かいました。

ここは、第二次大戦の犠牲者の慰霊所です。
"ノイエヴァッヘ"というのは"新たな番人"
という意味のドイツ語で、戦争の発端となった
全体主義が二度と起きないようにという意味で、
この建物の名前が付いているようです。
亡くなった子供を抱く老いた母の像を
目の前にすると、厳かな気持ちになります。
像の前にはドイツの国旗の付いた、
花束が捧げられていました。
ノイエヴァッヘから歴史博物館を通り、
川を渡ると、周りの視界が広がり、
青銅の屋根を抱く威風堂々とした
大聖堂が目の前に現れました。

ベルリン大聖堂です。
あまりに大きなドームなので
写真に収めるのに苦労しました。
ベルリン大聖堂を訪れた日は、
精霊降臨祭の祝日で大聖堂では
ミサが行われていました。
このベルリン大聖堂の一角は、
ベルリン市内を流れるSpree川に
囲まれた島になっています。
多くの博物館がこの島にあるので、
博物館島と呼ばれている様です。
いくつかある博物館のうち、
ペルガモン博物館に行ってきました。
ここにはトルコやメソポタミアなど
中近東の遺跡から発掘された遺跡が
展示されています。

上の写真はミレトスの市場門の遺跡です。
写真を2枚重ねて撮ったので、
いびつになって写っていますが、
天井まで壁面一杯に広がった遺跡の
規模の大きさには圧倒されてしまいました。
でも考えて見ると、発掘とは言いながら、
その土地の貴重な文化遺跡を丸ごと、
ヨーロッパに持ち去ってしまったわけで、
大英博物館でも感じたのですが、
この行為は正当化されるのでしょうか?
博物館を見た後ベルリン大聖堂に戻り、
Alexanderplazに向かいました。
ここまで来ればAlexanderplazまでは
もう少しの距離です。
広々としたKarl-Liebknecht通りの先に、
テレビ塔とマリエン教会が見えてきました。

マリエン教会の尖塔は質素な感じですが、
均整が取れ赤い屋根とよくマッチしていて、
気に入っていたのですが、
今回は生憎修復中でした。
テレビ塔は旧東ドイツのシンボルの様な塔で、
一説によると共産国でもこの様な塔を
建設する事が出来る事を誇示する為に
建てられたという噂です。
塔の展望台に上る列が出来ていましたが、
観光客相手のお土産物屋さんが
並んでいる筈の塔の根元部分は
閉鎖されていました。
ベルリンの壁があった頃はお店が入って、
繁盛していたのが、西側の店に負けて
撤退していったのでしょうか?
もう一つベルリン大聖堂から
Karl-Liebknecht通りを挟んだ
向い側にもうち捨てられた
百貨店の様な建物がありました。
ベルリンは街中が建設工事のラッシュで、
ブランデンブルグ門の東側の様子も、
西側とあまり変わるところがなくて、
そうと知らなければ判らない程です。
でも、これらの建物を見た時、
冷戦時代の境遇から立ち直りきれていない、
ベルリンをみたような気がしました。
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