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シャン州の歴史について概説した本は一般にはない。 ビルマ又はタイ等の周辺地域の歴史の中で断片的に触れられることはあるが、シャン州を中心とした通史が記されることはこれまで殆ど無かったと言って良い これはシャン州が統一国家としての歴史を持たなかったことによるものが大きいが、独立後のビルマ(ミャンマー)政府が少数民族の独自性の否定を志向してきたことや、シャン州が長く紛争地域となっていたため研究が進まなかったことも影響している。 ここでは各種の資料から断片的な情報を集めてシャン州の通史をまとめ、不完全ではあるものの、シャン州の歴史の概略を知るための手掛かりとしたい。 <目次> 1.シャン族以前 2.タイ族の大移動 − シャン族の定住 − 3.ランナー王国とチェントン植民 4.ムンマオ王国の成立と崩壊 5.シャン諸藩と周辺諸国 (以下作成中) 6.ビルマの支配とイギリスによる植民地化 7.英領植民地としてのシャン州 8.ビルマの独立とその後 |
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1.シャン族以前 10世紀以前のシャン州の歴史については、解っていることは非常に少ない。 シャン州西部のパダリン洞窟からは約1万年前の石器時代のものと推定される岩絵が発見されており、石器も出土している。 しかしその後歴史時代に至るまでの状況については殆ど判明しておらず、当時の住民と歴史時代以降の住民の関連も不明である。 11世紀以降のタイ系民族の移動が始まるまで、東南アジア大陸部では主にモン・クメール系の民族が広く居住していたと考えられている。 現在モン・クメール系民族はカンボジアの他、ベトナムからミャンマーまで東南アジア大陸部各地にタイ族の居住地に分断されるような形で散在しており、そこからも従来モン・クメール系民族が居住していた地域に後からタイ族が進入してきたことが伺える。 現在のシャン州でも同様に、盆地に住むシャン族に分断されるような形でワ族やパラウン族のようなモン・クメール系少数民族の居住地が山地に散在している。 タイ族が先住のワ族を山地に追放して建国したというチェントンに残る伝承(この種の伝承はタイからベトナムにかけてのタイ族に広く伝わっている)等からも、シャン州でも先住民族は主にモン・クメール系民族であったと考えられる。 ランナー地方(北部タイ)と同様に、チェントンでは既にモン・クメール系の国が成立していたことが年代記等で伝えられているが、シャン州の他の地域の状況ははっきりしない。 いずれにせよこの時代のシャン州の先住民について伝える史料は殆ど無く、後から到来したタイ系民族による伝承が僅かにその様子を伝えるのみである。 このため当時の様子は考古学上の調査によるしかないが、調査の進んでいるランナー地方等とは異なりシャン州での調査はほとんど進んでいない。 2.タイ族の大移動 − シャン族の定住 − 現在中国南部から東南アジアにかけて広く居住するタイ系民族の故地は、現在の中国南部(広東省・広西壮族自治区から貴州省・雲南省一帯)と考えられている。 シャン族のルーツも同様と考られるが、サルウィン川以東の東シャン州の住民と、サルウィン川以西の北・西シャン州の住民とではシャン州に至るまでの経路は大きく異なるもの思われる。 現在の広西壮族自治区とベトナム北部の境界付近に居住していたタイ族は、漢族やキン族(ベトナム人)等からの圧力の結果11世紀頃から徐々に西方ないし南西へ移動を始め、12世紀にはラオス北部からランナー地方やシーサンパンナーにかけて定着するようになる。 更に、主にランナー地方からチェントンへと植民が行われ、シーサンパンナー等からの移民も併せてチェントンのシャン族を形成してゆくことになる。 一方、雲南南部のタイ族も漢族や南詔・大理の圧迫を受けて徐々に南西に移動し、11世紀から12世紀にかけてシュエリー川流域に定着するようになる。 更にここを起点としてムンマオの勢力拡大にも助けられ、センウィ、モンミットから西シャン州や北ビルマからアッサムに至る広い地域にタイ族の居住地域が広がっていった。 同時代の中国史料では、サルウィン川以西からエヤワディ川流域に到る地域(現在の雲南省西端部から北シャン州)に居住するタイ族を「大百夷」、サルウィン川以東からメコン川流域に到る地域(現在のチェントン、シーサンパンナー、ランナー地方とラオス西北部)に居住するタイ族を「小百夷」と呼んで区別している。 この呼称と居住地の関係は、現在のタイヤイ(大きいタイを意味し一般にはシャン州のシャン人全体をこう呼ぶが、本来はサルウィン川以西のシャン人を指す)、タイノーイ(小さいタイを意味し、現在はタイ国やラオスに住むタイ系民族を指す)にも対応しており、当時からこの2つのグループの間には一定の区別があったと考えられる。 更に、年代記等による伝承からも北部・西部シャン州のシャン人は東北方のシュエリー川流域からシャン州に入ったと推測されるが、チェントンはそのマンライ王による建国伝説に伝えられるようにランナー地方からの移住によって成立したと考えられ、それぞれのルーツがやや異なることを裏付けている。 このため、シャン州のシャン人に関しては、概ね同じ民族に属するとはいえ、移住・定着の当初からサルウィン川の東西でやや異なった背景を持つグループに分かれていたと言える。 当時の移住・定着の経過を伝える確かな資料は殆どない。 前述のようにチェントンにはランナーから植民したタイ族が先住民族を駆逐して国を建設するという伝承がある。 しかし、ランナーも同様の伝承を持つが、実際には住民の急激な交代があったわけではない。 ランナーへのタイ族の移住は小規模な集団によって徐々に行われ、長期間にわたって両民族が並存し、徐々に交流・混血・同化が進んでいったものと考えられており、これはチェントンについても同様と思われる。 シャン州北部・西部についても確かな史料は無いが、やはり同様の経緯を辿ったと考えるのが自然だろう。 これらの地域では12世紀以降タイ族の影響力が徐々に増し、ムアン(ムン、モン)と呼ばれる盆地国家が次々に成立してゆく。 これらは基本的に山間の盆地に位置し、核となる町とその周辺の小規模な灌漑による水稲耕作地帯から成り、世襲による君主を擁していた。 こうしたムアン − 盆地国家 − はベトナムからインドに至るタイ族に共通して見られるもので、タイ族の世界の骨格を成している。 こうしたムアンの中から有力なムアンが現れると周辺のムアンを勢力下に収めて広域化し、領域国家のような体裁を取ることもあった。 しかし個々のムアンの独立した政治実態としての性格が失われることは無く、中心となるムアンが弱体化すると容易に分裂しうるものであった。 3.ランナー王国とチェントン植民 サルウィン川以東では12〜13世紀にかけて、各地でムアンが成立する。 シーサンパンナでは1180年にツェンフンで最初の王が立ち、ランナーでは1263年にマンライ王によってチェンライが建設される。 マンライ王はモン・クメール系のハリプンチャイを滅ぼして1296年にチェンマイを建設し、ランナー・タイ王国の創始者として知られるが、モン・クメール系先住民族の系譜にも繋がる人物であり、当時のランナー王国がタイ族を中心としつつも先住民を広く取り込んだ形で成立していたことが窺える。 このマンライ王によって12世紀半ばにチェントンへの植民が行われ、年代記によれば1243年に最終的にこの地を占領したとされている。 マンライ王は息子の一人をチェントンに封じるが、その子孫がその後1962年にソーボワ制が廃止されるまでチェントンを治めることになる。 また、サルウィン川西岸のモンナイについてもこの時期(1223年?)にマンライ王によって建設されたと伝えられている。 建設当時のチェントンは人口も少なく、その領域もチェントン盆地に限定されていたと考えられているが、その後周辺の山地や小盆地を取り込む形で徐々にその範囲を拡大してゆく。 後にチェントンの領域に含まれるようになったモンヤウン、モンヤン、モンサット等も当初は独立したムアンであった。 東シャン州にはこうしたムアンが多数成立したが、その多くはランナー又はラオス、シーサンパンナからの移民によるものと思われる。 マンライ王によって建設され、その子孫が代々治めたチェントンだが、これは単純にチェントンがランナー・タイ王国の領土であったことを意味しない。 前述のように個々のムアンはそれぞれが独立した国としての性格を持っており、チェンライ、チェンセン等のランナー地方のランナータイ王国の支配下にあったムアンについても一元的にチェンマイの支配下にあったわけではなく、王又は領主として任命された一族や家臣とチェンマイの王との力関係によってその版図は維持されていた。 これはチェントンについても同様であり、地理的に離れているチェントンはランナー地方の諸ムアンに比べ比較的自立性は高く、早い時期からランナーとの政治的な一体性は失われていたと思われる。 しかしその一方で、こうした諸ムアンが一つの世界を形成しているという意識は強く、ムアンの君主一族の儀礼や婚姻を通じた関係は20世紀まで続いた。 また、ランナーでは14世紀ごろから上座部仏教が導入され、その後ランナー文字(タム文字)と共にチェントンに伝えられ、そこから更にシーサンパンナーへも広がった。 こうした伝播の背景には、これらの地域の中での活発な交流や文化的な一体性があったと考えられる。 4.ムンマオ王国の成立と崩壊 サルウィン川以西からエヤワディ川に至る地域は、13世紀初頭まで大理とパガンの二つの勢力の影響下にあった。 この地域には様々な民族が居住していたが、その中で次第にタイ族が指導的な地位を占め、言語をはじめ文化の面でも次第にタイ族の影響が強まってゆく。 彼らは"大百夷"と呼ばれ、当初大理国に服属していたが、1254年に元の攻撃によって大理が滅亡し、パガンも元の攻撃によって衰退すると次第に自立し始める。 中でも13世紀前半よりムンマオ王国がサオカンファー王の下で勢力を伸張し、13世紀後半から14世紀にかけて最盛期を迎え、その勢力は雲南南部からエヤワディ川流域、更にはインドのアッサム地方にまで及んだ。 ムンマオ王国はシュエリー川上流の現在のムセ付近を拠点とし、元の柵封を受け雲南からエヤワディ川・インドへ到る交易路を支配して繁栄する。 一方で、14世紀末の段階では上座部仏教はまだ伝来していなかったことも伝えられており、既に上座部仏教が広く受容されていたランナー・チェントンとの間には一定の距離があったことが解る。 しかし、15世紀前半には明との4度に渡る戦争の結果、ムンマオは衰退してゆく。 1441-2年の明の攻撃によって王国は事実上解体し、ムンマオの根拠地だったシュエリー川上流域では漢人移民の増加によって次第に漢化が進行する。 この結果ムンマオの支配下にあったシャン州からビルマ北部にかけての地域では、センウィ、モンミット、モンナイ、モーガウン等のタイ系ムアンが自立し、ムンマオはこの地域を統一した最初で最後のタイ族による国となった。 5.シャン諸藩と周辺諸国 ムンマオ崩壊後に自立したタイ系諸ムアンを再統一するタイ族の国は再び現れず、その後のシャン諸藩の原型が次第に形成されるようになる。 しかし、この時代のタイ(シャン)人の世界は必ずしも現在のシャン州と一致していたわけではなく、現在のカチン州に位置するモーニン・モーガウンは有力なタイ系(シャン人)のムアン(国)と考えられており、サルウィン以西のシャン高原の諸ムアンとは一体の世界と考えられていた。 一方でサルウィン川以東の地域とはやや距離があり、上座部仏教の受容や文字(チェントンではタム文字が使用されていたが、ムンマオでは"緬書"が使用されていたと伝えられており、ビルマ文字またはシャン文字と考えられる。 使用文字の差は後年まで続く。)等にもその差が現れている。 こうしたムンマオ後のシャン世界に転機が訪れるのは16世紀後半のことである。 1550年に即位したタウングー朝のバインナウン王は分裂していたエヤワディ川流域を再統一すると、続いて北部を除くシャン州のほぼ全域を支配下に収め、更に1558年にはチェンマイを占領してランナー地方をも支配する。 1562年にはモーガウンも併合され、シーサンパンナーにもその支配は及んだ。 バインナウン王の支配下でシャン州のビルマ化が進められ、度量衡の統一や交通網の整備が進められた他、ビルマ式上座部仏教が導入され、これ以後サルウィン川以西の地域でも上座部仏教が浸透してゆくことになる。 その後センウィ等の北シャン州にもビルマの支配は及び、これ以後チェントンを含むシャン州は恒常的にビルマの支配下に置かれるようになる。 一方で、シャン州ではその後コンバウン朝時代も経て英領時代に到るまでムンマオ滅亡以来のムアンとソーボワの地位は存続し、ビルマの影響を受けつつもその独自性は維持されたが、モーニン・モーガウンでは少なくともコンバウン朝の末期までにはビルマの直接支配が行われてビルマ化が進み、シャン州とは違った道を進み始めることになる。 一方、ランナー地方でも200年以上に渡りビルマの支配が続いたが、1775年にチャクリ朝シャムの支援を受けて独立を回復、19世紀初頭にはランナー地方のほぼ全域を奪回する。 更に旧ランナー圏の回復を目指して3度に渡ってチェントンに出兵するが、いずれもチェントン・ビルマ・西シャン諸藩の連合軍に敗退し、チェントンはビルマの影響下に留まった。 ランナーはビルマの支配を脱した一方で、以後シャムの支配を受けることになる。 このため徐々にシャムへの統合が進行し、チェントン・シーサンパンナーとの一体性は次第に失われてゆく。 6.ビルマの支配とイギリスによる植民地化 − 作成中 − 7.英領植民地としてのシャン州 − 作成中 − 8.ビルマの独立とその後 − 作成中 − (参考文献) 新谷忠彦他(1998年) 『黄金の四角地帯 − シャン文化圏の歴史・言語・民族』 慶友社 石井米雄他(1999年) 『東南アジア史〈1〉大陸部』 山川出版社 Scott, J.George and J.P. Hardiman. (1901). Gazetteer of Upper Burma and the Shan States. Rangoon: The Superintendent. Government Printing. Wyatt, David.K. (2004). Thailand : a Short History (Second Edition). Chiang Mai: Silkworm Books. Penth, Hans. (2000). A Brief History of Lanna. Chiang Mai: Silkworm Books. Chiefs and Leading Families in the Shan States and Karenni. Rangoon: Goverment of Burma.. 飯島明子(2001年) 「タイ人の世紀」再考 − 初期ラーンナー史上の諸問題」『岩波講座東南アジア史2 東南アジア古代国家の成立と展開』 岩波書店 加藤久美子(1999年)「シプソンパンナーの歴史」『アジア遊学』No 9 勉誠出版 喜田幹生(1986年)「勃興期の麓川とマオシャンについて」『東南アジア歴史と文化』No.15 東南アジア史学会 高谷紀夫(1998年) 「シャンの行方」『東南アジア研究』Vol.35 No 4 京都大学東南アジア研究センター 大野徹(1991年) 「英領ビルマ」『講座東南アジア学第 9巻 東南アジアの国際関係』 弘文堂 |