| パントラというシャン語名は知らなくともピンダヤというビルマ語の地名なら知っている人も多いだろう。 町の傍にある洞窟寺院で有名な町だが、ここはかつてパントラ藩の藩都でもあった。 特に歴史に名を残すこともなく消えていった小藩だが、町には今でも藩邸(ホウ − 藩主の屋敷)が残されている。 現存している藩邸は少なく、貴重な歴史的遺産だが、観光地として有名な町にもかかわらずこのことは殆ど知られていない。 最後の藩主(グウェガンムー)は作者が訪れた時点(2004年春)でも健在で、この建物に住み続けているとのこと。 中を見ることはできないが、ピンダヤ洞窟を訪れた際に外から見てみるのも良いかもしれない。 |
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○ 地理 南シャン州西部・ミェラット地方の小藩。 ピンダヤ洞窟寺院で知られる。 藩の西境に連なる山脈を除き、なだらかな丘陵が続く。 ミェラットの他の地域と比べ水利に恵まれ、特に藩都周辺では水田耕作が盛ん。 人口は 12,413人(1897年調査 - 以下同じ)で、ダヌ族が全住民の7割弱を占め、藩主一族もダヌ族系。 他にタウントゥ族(約16%)、タウンヨウ族(約8%)が居住し、シャン族は 1%程度。 ○ 歴史 地名の由来とされる伝説を除き、藩の古い歴史は殆ど残されていない。 最後の藩主の一族が18世紀頃よりグウェガンムー(藩主)を継承し続けていた。 イギリスによる併合時にグウェガンムーだったマウン・ポー・キン(Maung Po Kin)が併合後もその地位を認められて藩を統治した。 1897年にマウン・ポー・キンが死去すると、7歳の息子のクン・サン・ニョ(Hkun Sun Nyo)がグウェガンムーを継承し、親族が摂政となった。 夫人はロイロンのミョーサの長女で、他にもマウマイ、サモンカム、チョン、マウナン、ロイロンの藩主一族と縁戚関係にあった。 クン・サン・ニョは知的で礼儀正しい人物であったが、享楽的で藩政を顧みないことがしばしばあった。 クン・サン・ニョは1938年11月9日に病没し、14歳の息子のサオ・ウィン・チェ(Sao Win Kye)がグウェガンムーを継承した。 この際にはイギリス人の摂政が任命されている。 ○ 風土 − 百年前の風景 − 藩都のパントラは藩の西境の山脈の麓に位置する。 人口は1,538人で、257戸が小さな湖の周辺に散在する菩提樹に囲まれた風光明媚な町である。 湖には洪水から住民を守るナッが住むとされ、住民は湖で漁を行わないだけでなく、舟を浮かべることもしない。 毎年タバウン月(3月)に5〜6日に渡って行われる祭りはミェラット地方最大の行事の一つで、5万人以上の人々がシャン州全土ばかりでなくビルマや中国からも集まる。 モンクンで同じ月に行われる祭りを除けば、おそらくシャン州で最大の宗教行事である。 ○ 藩邸(ホウ) かつてのシャン州諸藩の藩邸(ホウ)で現存するものは少ないが、その中でもかつての藩主が今でも居住するものは確認されている限りパントラ藩のものだけである。 その存在は殆ど知られていないが、伝統的な藩邸の様式を残した貴重な遺産である。 現在のパントラ藩藩邸 (参考文献) Scott, J.George and J.P. Hardiman. (1901). Gazetteer of Upper Burma and the Shan States. Rangoon: The Superintendent. Government Printing. Chiefs and Leading Families in the Shan States and Karenni. Rangoon: Goverment of Burma.. Than Tun. (1998). History of Pindaya (Town,Pagoda and Cave). Mandalay: Thein Htike Yadana Publications.. |