Salzburg
私にとって世界で最も美しい土地はザルツブルク、ナポリ、コンスタンチノーブルといえます」とアレクサンダー・フォン・フンボルトは友人に当てた手紙に書いたといわれている。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」でおなじみのホーエン・ザルツブルク城塞はザルツブルクを見下ろすメンヒスベルクの丘にあり、前面のザルツァー川とお城側の堅固な岩山に囲まれた旧市街は、まさに完璧なディフェンスを形作っていることがわかる。
そのホーエン・ザルツブルク城塞には博物館があって、そのうちの一つはオーストリアの戦いの歴史を様々な兵器や武具などで展示した戦争博物館になっている。
私はことしの4月28日から約1ヶ月、オーストリア西部のいくつかの都市を訪ねる機会があったが、出かける前に友人から情報が入って、ホーエン・ザルツブルク城塞に「日本人女性の写真がある」と知らされていた。
展示室のガラスを通して撮影したので鮮明ではないが、かなり古いもので着色してある。
撮影者とこの写真の所有者は違うと思う。いまどきのように手軽にスナップ写真を撮れるとは考えられない。構図からして作り物のようで、外国人向けのスーベニア・フォトといったところか。
年代を推定できそうな資料が同じ場所に貼ってあった。
戦時捕虜一覧表である。[クリックして拡大でご覧いただきたい]捕虜一覧表
1914年サライヴォでのオーストリア皇太子暗殺事件はドイツ・オーストリア対欧州各国の第1次世界大戦となってしまった。
当時、ドイツは現在の中国チンタオ(青島)に東洋艦隊をおいていた。ドイツの対戦相手イギリスはドイツの艦隊を撃破するために日本に対ドイツ参戦をもとめてきた。
日本は中国に野心を持っていたのでイギリスの求めに応じて1914年8月23日ドイツに宣戦布告し、陸海軍は青島攻撃を開始した。この攻撃にはイギリス軍も参加した。
ドイツは2ヶ月後の11月7日降伏した。
この表は国別に将校と兵が何人捕虜になったのかを示してある。
日本には将校19名、兵289名、合計308名が捕虜になったと出ている。
さて、これから先は全くの推定だが、日本に捕虜になったオーストリア兵がこの異国情緒あふれる珍しいフォトを故国に持ち帰ったものだとしたら、この写真のおよその年代がわかるはずである。第1次世界大戦が終わったのは1918年11月だから大戦が終わって捕虜が釈放されて故国へ帰ったのは1919年になってからか。
この推定でいくと4年くらい日本のどこかに収容されていたことになる。
どこでどうして手に入れたのか。この女性たちのキモノや雰囲気は花街のような気もするがどうだろうか。日本の年代でいけば大正7~8年である。 [この写真については現在詳細をフォロー中である。乞うご期待]
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