陸軍和歌山衛戍病院アルバムから見る,

軍医・衛生部員たちの生活

昭和六年の平和な時代の軍隊生活

 

陸軍病院とは?

和歌山衛戍(えいじゅ)病院は,陸軍省医務局の分類によれば,三等病院甲という典型的な田舎の陸軍の病院であった。戦記物や,軍隊生活を懐かしむ手記などに登場する,陸軍の病院は,大体,この程度の規模の病院である。

 

陸上自衛隊衛生学校修親会が,平成二年に原書房から刊行した,「陸軍衛生制度史・昭和篇」によれば,昭和十九年八月三十一日の時点で,和歌山陸軍病院のベット数は122床。このアルバムの作られた昭和6年当時は,これよりも少なかったと思われる。

 

 参考までに,この資料によれば,巨大な陸軍病院として,旭川陸軍病院は1507床・臨時東京陸軍第三病院2767床・大阪陸軍病院2731床などが目につく。少ないところでは,函館陸軍病院70床・熊谷陸軍病院15床・新義州(現在の北朝鮮に位置する)陸軍病院15床などがあげられる。

 

陸軍病院は直轄病院・一等病院・二等病院・三等病院甲・三等病院乙・航空部隊病院・分院に分類されていた。

直轄病院としては,前述した臨時陸軍東京第三病院,臨時陸軍東京第一病院1853床・名古屋第二陸軍病院2000床・福岡第二陸軍病院800床・軍医学校497床の5カ所。

 

一等病院としては,前述した大阪陸軍病院・相武台陸軍病院300床・広島陸軍病院913床・小倉陸軍病院2950床,以上4カ所。

 

二等病院は,樺太の上敷香472床・旭川1507・弘前716床・仙台第一428床・宇都宮285床・柏180床・京都346床・臨時東京第二666床など。場所でいえば,樺太に1・北海道に1・本州に13・四国に1・九州に3・朝鮮に3・台湾に3・沖縄に1であった。全部で26カ所あった。

 

三等病院甲は,秋田560床・盛岡335床など,各地の連隊所在地に併設されていた。和歌山病院も三等病院甲である。陸軍病院の中では,三等の甲がもっとも数が多かった。

 

三等病院乙は,宗谷35床・羅津(北朝鮮)70床・麗水(韓国)66床・佐賀関90床などであるが,全部で8カ所と,ごく少ない。北海道に1・朝鮮に3・九州に2・台湾に1・奄美に1であった。

 

航空部隊病院は太刀洗125床・郡山64床など,規模に差異がある。

 

分院は,直轄病院か一等病院,稀に三等病院甲に併設される。たとえば宇都宮病院の分院として,那須500床・戸祭965床・新川1000床・上山田160床の4つが存在した。分院の規模が本院を上回ることも珍しくないが,分院長は,あくまでも本院長の,指揮・命令下におかれていた。

 陸軍衛戍病院は,昭和10年を以て,陸軍病院と改称されている。

 

陸軍衛戍病院の組織とは?

 

陸軍衛戍病院は,軍隊の衛戍地(ずっと住んでる土地)に置かれる。アメリカ軍が,駐屯地をキャンプと呼称しているのとちがい,日本陸軍では,部隊は永住の地だったのである。

衛戍病院には,以下のような人員が配備されていた。

 

1・病院長 (軍医正をもって充当する)

2・軍医正(佐官級の軍医のこと)・軍医(尉官級の軍医のこと)

  その中で,一等軍医(大尉)以上のものから,

庶務主任・診療主任・教育主任の三名を選抜した。

一般的には,庶務科長・診療科長・教育科長と称していたようである。

 

3・薬剤正・薬剤官

  その中で,衛生材料主任を選抜した。(衛生材料科長)

4・看護官(看護長から進級した,尉官級の衛生部員のこと)

  衛生部の下士官兵や,看護婦を統括した。

 

5・主計 (尉官級の主計将校の事)

  その中で,経理主任を選抜した。(経理科長)三等病院甲では,主計将校の定数は一名である。

6・嘱託歯科医師(陸軍部内限り高等官待遇)

以上が,士官,すなわち高等官以上である。

 

次に判任官として

7・看護婦長 (陸軍判任官相当の嘱託・伍長待遇であり,それ以上には昇進しないのが原則であった。)

8・陸軍看護婦(陸軍の嘱託という身分。陸軍二等兵に準ずるとされる。)

9・看護長(衛生部の下士のこと)磨工長(医療器具を研磨したり,保守・点検する衛生部下士)

10・計手(経理部の下士のこと)

 

最後に兵卒として

10・看護卒・補助看護卒・磨工卒

などが勤務していたのである。

 

次に衛戍病院には,

1・内科病室  2・外科病室  3・眼科・耳鼻咽喉科病室

4・皮膚・花柳病科病室  5・伝染病科病室 の5つが設置されていた。

 

花柳病とは,花柳界につきものの病,すなわち性病のことである。現在ならば,抗生剤の投与であっけなく治癒する淋病如きも,当時は完治の難しい疾病であった。