現 状  
                  

   柴山潟は、かっては、日に七度水の色を変えるところから長い間「彩湖」と愛称さ
 れ天下の美観とうたわれた潟であった。また、潟周辺の人々にとって、生活の場であ
 り、憩いの場でもあった。

  しかし、干拓事業によって約2/3の面積にあたる北東方面の部分が干拓され、柴
 山潟は、現在の形になり、かっての美しさは徐々に失われ、生活や憩いの場ではなく
 なり、「汚れた潟」となっている。
     
  柴山潟が現在のように汚れた状態に至るには、次のような原因が考えられる。

 
〇埋め立てと干拓

  ・温泉街の埋め立てによって、よどみが多くなった。(滞留最小日数4日)
   (海抜2mと落差が小さい)(河川の水の流れは、一定方向〜動橋川河口→
    源平橋 直線方向 幅約30〜50mのエリア内)

  ・干拓による水面積の減少とそれに伴う貯水量の減少に加えて、流水コースの変化
   と自然浄化力の低下、水田の乾田化により、水害を受けやすくなった。

  ・平均水深2mと浅く、強風により波浪がたちやすい。そのため、底部のヘドロが
   巻き上がり、水面が濁ると共に、藻類が根こそぎえぐられて、沿岸部に漂着する。

  ・工事での土砂や廃油の流出やそれに伴う動植物の死滅や減少。さらに、矢板工法
   で沿岸部を施工したために絶壁化し、沿岸部に植物が活着しにくくなった。

 
〇住宅地や旅館やゴルフ場の開発

  ・昭和44年片山津温泉大火後、旅館・ホテルの増改築ラッシュに伴い、宿泊客は
   3倍近くなり、(上流部の山代温泉も含めて)それに伴って汚水の流入が著しく
   増加した。

  ・流域各地で土地開発が進み、住宅の増加に伴う生活雑排水の流入とゴルフ場の開
   発および針葉樹の植林により,山地の保水能力が激減し,後年、大水害の原因と
   なった。


   
(昭和40〜50年代にかけてリンを含む合成洗剤が多く使われた)

 
〇農業の効率化のための、化学肥料・農薬の使用量の増加

  ・リン・窒素を含み、富栄養化を促進させた。また、圃場整備事業により、乾田化
   された所も多く、保水力に乏しく、沿岸部は洪水になり易い。

 
〇河川や用水路改修で三方コンクリート化による自然浄化作用の激減と流入量の増加

  
・急速な排水のため、洪水になり易い(一時水)とともに、自然浄化能力が激減し、
   さらに、動植物が、流出され、生態系に影響を与えている。


 
〇農繁期における潮止め水門の開閉率の低下による滞水日数の増加

  ・塩分を灌漑用水に入れないことは大切なことだが、排水も大切であり、さらに、
   魚類の遡上(生態系)にも大きな影響を与えている。

 
〇住民の環境保護に対する意識の低さ

  ・家庭ゴミ,粗大ゴミの河川への不法投棄や廃油の垂れ流し,浄化槽の点検の怠慢

  ・下水道設置稼動(昭和50年)後における加入率の低調さ、特に経済不況の影響も
   あろうが、上流部において、その傾向が著しい。

  
     
柴山潟に累積したゴミの山

 ○動物と植物の生息の推移

 干拓前(昭和32年・1957年)から現在までの推移をまとめると以下のようである。

  調査の時期・範囲・天候によって差異は認められるものの、科・種・個体数においては

減少の傾向にある。詳細は、次項へ

 
○下水道接続の現状20.4.1現在) 

片山津

動橋

大聖寺

山代

作見

加入率

92.7

61.9

65.7

41.3

94.7

分校

新保

荒木

熊坂

柴山

箱宮

二子塚

奥谷

加入率

93.8

98.4

98.4

91.6

69.3

75.9

76.4

61.3

三谷

花房

若葉台

加入率

50.2

81.8

100.0

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