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西蒲原郡内にある不思議スポット、怪奇スポット、歴史スポットなどをYahooのシンプル地図リンクで紹介していくのがこのページの主旨です。スポットだけでなく簡単な紹介文も分かり次第付記していく予定です。スポット探索の手がかりとなる様、ぜひ皆様も情報をお寄せ下さい。
05.27.09:リンクされているマップのずれを修正しました。長い間修正を放置していて申し訳ありませんでした。
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あ か さ た な は ま や ら わん
- 味方曽根下遺跡
昭和42(1967)年、県営圃場整備事業の際に発見された。10世紀(平安時代)の遺跡とされる。竪穴式住居の他、かまどの跡、土師器などが発見されている。
- 味方排水機場遺跡
昭和39(1964)年、秋から40年春に掛けて味方地区圃場整備事業に伴う排水機場(旧味方排水機場)の建設工事で作業員が地下19メートル下から縄文土器を発見し話題になった。その後に忘れられていたが、再調査が行なわれ、縄文時代中期後期〜後期前葉(約4,000年前)の遺跡と考えられている。
- 新谷遺跡
旧巻町と旧岩室むらの境界線付近にある遺跡。縄文時代前期前葉(約6,000年前)の遺跡で大量の土器や石器が見つかっている。粉をこねるのに使われたと考える浅皿の土器は全国的にみても最古のクラスだと言われる。
- 新谷集落跡
現在の新潟市西蒲区新谷の住人がもともと住んでいた集落跡。新谷の開祖は盲人蔦都。
- 菖蒲塚古墳
5世紀中頃、高志深江国の支配者の墳墓と推定される前方後円墳。日本海側では最北端に位置し、古くは『北越奇談』にも記述されている。江戸時代に鏡が発見され、直径23.7センチメートルと県内最大の大きさである。菖蒲塚古墳の隣には円墳の隼人塚古墳もある。
- 一山寺
三根山藩藩主の菩提寺。境内には白蛇を祀ったお堂がある。二代藩主忠清が三根山藩牧野家永代の菩薩寺として、一山寺7代目大順上人の代に現在地に移した。
- 一本杉
旧岩室村の伝説「お杉とお松」に登場する杉の木。近くの橋にはお杉とお松の姿が彫り込まれている。
- 今山神社
大山昨命を祀る神社。昭和2年に元十二社、諏訪神社、神明社と合祀される。
- 上ん原遺蹟
古くから石像が採れる土地として知られており、縄文時代の竪穴住居や貯蔵穴、土偶や石器などが発掘された。縄文時代の後期の前葉から晩期の前葉(約4,000〜2,800年前)くらいの遺跡と考えられている。
- 御井戸A遺跡
蛍で有名な矢垂川の所にある遺跡。縄文時代晩期(約2,500〜2,300年前)の集落といわれ、88本の木柱群が発掘された。木の実の殻の捨て場もありトチやドングリ、胡桃などが発掘されている。
- 御井戸B遺跡
県内屈指の大集落跡と言われる。大量の土器、檜製のはしご、鶏の頭を模した土器などが発掘されている。北海道に起源を持つ土器も発掘されており、幅広く交易が行なわれていたことを伺わせる。
- 大沢遺跡
遺跡は3ヶ所に分散しており、北尾根高域のA地区、その低域のC地区、南尾根低域のB地区に分けられる。縄文時代前期終末(約5,000年前)から後期後半(約3,500年前)までの長期間存在した集落と考えられている。ゴミ跡地の発掘から当時の人々がヤマイモやユリ、ソバなどを栽培して食べていたことが分かっている。
- 大島橋遺跡
昔存在した鎧潟の北西部縁にある集落跡。昭和35(1960)年に行なわれた鎧潟干拓事業に伴う飛落川の付替工事の際に発見された。土師器や須恵器などの破片が発掘され、7世紀頃の集落跡と考えられている。
- 緒立遺跡
縄文時代晩期から中世まで断続的に営まれた遺跡である。弥生時代の遺物として「緒立式土器」という特徴的な土器が発掘されている。緒立八幡社には古墳があり、直径30メートルの円墳がである。
- 重稲場窯場
8世紀後半にあった須恵器を焼く窯場跡。土取り場所のため消滅したが、古老の話しでは5つほど窯跡があったらしい。
- 上城跡
標高約25メートルの低地に築かれた城跡。下城跡とセットで作られた中世の山城と考えられている。堀や土塁、水源地などが残っていたが、昭和48(1973)年の土取りで大半が失われている。多くの焼き物が出土したが、陶磁器3点のみが現存している。
- 干納遺跡
樋曽山隧道の入口付近にある遺跡。発見は平成9(1997)年と新しい。3本目の隧道工事の際に発見されたもので、縄文時代前期後半の遺跡と考えられている。石器の他、当時の人々が食べていた食糧のゴミが大量に発見されているのも特徴の一つである。この付近は「バケモノチョウバ」と呼ばれる腐朽半ばの植物層(ガツボ)が大量にあったため、木製品や布製品が残っていたと考えられている。
- 観音山古墳
未発掘の円墳で大きさは約26メートル。県内では珍しい斜面も葺き石で覆ったタイプの古墳である。
- 桔梗城址
源頼光の家来、吉川宗方の城。天喜年間(1050〜60年代)に築城。慶長3年(1598)、上杉氏の会津移転に城主、山岸氏も伴い廃城。
- 黒滝城址
鎌倉時代に小国氏が築城したといわれる山城。天文15(1546)年に黒田秀忠が謀反を起し、長尾景虎(後の上杉謙信)により滅ぼされている。その後、山岸氏の城となり上杉景勝側の城となった。慶長3(1598)年に上杉氏の会津移封により廃城。
- ケカチ堂遺跡
新潟県海岸部に分布する数少ない旧石器時代の遺跡。後期旧石器時代の石槍や縦長に剥がされた石など石器が出土したが、出土品は所在不明で写真しか残っていない。
- 弘法の清水
千二百年前に渇水に苦しむ竹野町の民の為に弘法大師が錫杖で探し当てたという清水。
- 国上寺
国上山中腹にある真言宗の寺で、和銅2年(709)に建立された県内最古の名刹。良寛ゆかりの五合庵のある寺として有名。赤い吊り橋もある。旧分水町の伝説「酒呑童子」の外道丸が預けられた寺でもある。
- 自殺電波塔(ブラックハウス)
「弥彦無線中継所」の廃墟。電波アンテナが付いていたと思われる鉄塔や内部の機械室(と思われる部屋)にあるフックで自殺した人がいるという噂が広まり、自殺電波塔と呼ばれている。以前は、ホワイトハウス(または真ホワイトハウス)と呼ばれていた事もあるが、現在では角田浜のホワイトハウスと区別するためブラックハウスと呼ばれることもある。
- 下城跡
標高約25メートルの低地に築かれた城跡。上城跡とセットで作られた中世の山城と考えられている。堀や土塁、水源地などがいる。陶磁器の破片2点が出土している。
- 釈迦堂遺跡
釈迦堂の周辺は土器や古銭が出る場所として知られている。その釈迦堂から北へ500メートルの位置に9世紀(平安時代)と13〜14世紀(鎌倉、室町時代)の遺跡がある。畑の畝の遺構や土杭の他、火葬場の遺跡が残されていた。当時の火葬は身分の高い者にしか行なわれて居らず、見つかった遺物からもそれが裏付けられる。
- 浄見寺跡
弥彦社家藤井家が弥彦に移転する際に祖先を祀るために建立した曹洞宗のお寺。現在は廃寺となり建物はない。
- 親鸞上人の清水
親鸞上人が弥彦神社に参詣した際に宿泊先の水不足を哀れみ、杖で地面を突いたところ沸き出したと伝えられている。
- 沙山遺跡
真言宗の寺院、城願寺の跡地から発見された。13世紀〜15世紀の遺物が発掘され、陶器類、銭貨、鉄製の鋏や釣針などの他に魚の骨や炭化した米、大麦なども見つかっている。
- 館ノ腰遺跡
鎧潟を望む位置にある中世の居館跡である。白山神社の敷地が含まれている。延亨2(1745)年に敷地内より古瀬戸鉄釉瓶子という瓶子が出土し、13世紀末頃の物とされている。屋敷の主人は、馬堀周辺を支配していた小領主のものであり、漆間氏、または名塚氏と言われている。
- 茶院遺跡
8世紀後半から9世紀前半に掛けての遺跡と考えられている。須恵器や土師器の破片や人骨が出土している。遺跡周辺は「茶院の森」と呼ばれる荒れ地で、「モスの墓」と伝えられる塚や東西に流れる川、火葬場などがあったという。
- 長者塚遺跡
角田山周辺で盛んだった真言宗の修験者が作った紫灯塚のひとつ。名前の由来は、角田山が長者ケ原と呼ばれたため。
- 敵見松跡(田中の松)
天神山城主小国氏隆盛の時代の遺物。現在は、良寛の歌碑と共に丸小山公園脇に移転。
- 天神山城址
小国氏の居城として室町時代から存在する山城。標高250メートルに位置する。直江兼直の弟、大国実頼の居城としても知られている。慶長3(1598)年に上杉氏の会津移封により廃城。
- 中才遺跡
昭和37(1962)年に区画整理の工事の際に発見された。須恵器の他に漁網の重りなども発見されている。横瓶という俵型の貯蔵具が発見されている。横瓶は9世紀初めまでに全国で廃れてしまった容れ物だが、新潟県では9世紀末まで広く使われた。何を入れたのかは分かっていない。
- 日蓮聖人遺蹟(日蓮の洞窟)
旧巻町の伝説「浮き題目」に登場する岩屋。「七面大明神教化の岩屋」とも「七面大天女岩屋」とも言われる。
- 布目遺跡
新潟砂丘の最も内陸部に作られた砂丘の名残りにある遺跡。昭和20年代に発見され、「布目式土器」という新潟県で良く見られる土器類と石器が発掘されている。縄文時代前期初期の短期間に存在した集落跡とされる。
- 婆々杉
弥彦村の伝説「弥三郎婆」に登場する杉の木。巨木で弥三郎婆が死体を枝に掛けたと伝えられている。
- 樋切遺跡
昭和13(1939)年、個人の住宅を建設中に発見された遺跡。平安時代(9世紀)と中世の二時期の遺跡で、土師器、須恵器、土器、黒色椀など様々な出土物が出ている。
- ホワイトハウス
窓に鉄格子がはまっている事から、「病院であった」「病気の女の子が閉じ込められて亡くなった」などの噂がたち、新潟の心霊スポットの代表になってしまった旧別荘。実際には放棄されているだけであり、持ち主は近郷在住者である。
- 前平野窯場
9世紀初頭にあった須恵器を焼く窯場跡。昭和34(1959)年〜41(1966)年に掛けて鎧潟の干拓のための土取り場所となり、消滅した。窯跡であるため、失敗した廃棄品が発掘されており、須恵器の製造工程を知る上での貴重な資料であった。
- 巻町郷土資料館
旧巻消防署の跡地。消防署時代、幽霊が出没するという噂があった。全国でも珍しい「のぞきからくり」が保存されているが、その演目が『幽霊の継子いじめ』とは皮肉である。
- 巻館跡
旧巻町の市街地に存在する館跡であるが発掘調査などが行なわれていないため、実態については不明な点がおおい。東西160メートル、南北135メートルの方形の敷地であったと考えられ、天正12(1584)年の記録に出てくることから、それ以前には存在していたと考えられる。後に上杉氏の会津移封に伴い廃止されたと考えられている。
- 松岳山城址
源頼政の遺子小国太郎吉政の居城。岩室神社裏から登る。山頂には小室翠雲の歌碑あり。
- 的場遺跡
縄文時代晩期から中世に掛けて断続的に営まれた遺跡。奈良、平安時代の遺物が多く、倉庫を含む14棟の建物跡が発掘されている。木簡や木靴などの他、祭祀に使われる木製品、古銭(和銅開珎)、漁具などが多く発見されている。
- 南赤坂遺跡
縄文時代前期〜中期と古墳時代前期(4世紀)の時代の集落跡。竪穴式住居の跡が発掘されている。続縄文式土器と土師器の特徴を併せ持つ折衷土器が発掘されている他、上下二段のテラス状に整地された用途不明の「テラス遺構」が特徴。
- 山谷古墳
昭和34(1959)年に発見された古墳。弥生時代後期の高地性集落の廃村跡に作られている前方後円墳で、全長は37メートル。鉄製品、管玉、ガラス小玉や壷、かめなどが見つかり、古墳時代前期の中ごろ(4世紀中頃)の古墳と考えられている。
- 横山翁建立の観音堂跡
関屋分水の提唱者、横山太平氏が建立した木造六角の観音堂があったが、狂人の放火により全焼した。
- 米納津隕石落下記念碑
天保8年7月14日(1837年)水田に落下した隕石。重量は31.65kgで全国3番目、落下地点には同型の模型(本物は東京の国立科学博物館収蔵)が置かれています。
- 湯小屋の跡(鉱泉)
湯小屋があって鉱泉が沸き出していた。集落に鉱泉を引いている人がいた。近くに「じょんのび館」があるがむべなるかな。
- 夜泣き地蔵
夜泣き地蔵の名前の由来は不明。
- 頼政の松・開基の松
松の木の根元に五輪塔があり、松岳山城主小国吉政の墓、または種月寺開基の上杉房朝の墓とも言われているが定かではない。鎌倉時代の物である。
- 隆崇寺
三根山藩の家臣の墓所。幕末の家老、神戸武徳や山本教子の墓がある。これらの人達が長岡藩へ米百俵を送ったのではないかと言われている。境内にある薬師様は目の病気に御利益があるとされる。
- 和納館跡
旧岩室村の伝説「糸魚になった父と娘
」の舞台となった、御館の乱で上杉景虎方に付いた伊豆守の城跡。平成6年に発掘調査され、屋敷跡から様々な遺物が発掘された。外堀内堀の二重の堀を持ち、本丸、ニの丸を持つ大規模なものであったことが分かっている。御館の乱では天神山城の小国氏によって攻め滅ぼされている。
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参考文献:『新潟歴史双書2「新潟市の遺跡」 平成9年発行 新潟市、他
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