03.3.9


なんともうすぐ、4月になるのでして、
ぼくは1年間、会社にいたことになるのです。
この1年間は、学校の1年よりも
1.5倍くらい早かったのです。

会社で、研修というのがありまして、
チームのメンバーから、
長所と短所を指摘してもらう
というのがあったのです。

ぼくは、長所として「マイペース」
「独特のテンポ」「冷静な態度」
と指摘してもらえたのです。

そして、短所といいますと、これがまた、
「ネガティブ思考」「自己主張をするように」
「声が小さい」「(動きが)スローモーション」
「発言のタイミング」「服装がサファリルック」
「酒(終電で帰れない)」
などとなりまして、……な、なるほど、と思いました。

これは去年の4月にも同じことをやりましたのですが、
今年のと、ほぼ同じ内容であったのです。
いや、去年はまだお互いに慣れていなかったため
遠慮が見られた気がするのですが、
今回は、一歩、踏み込んできました。

ぼくは、ぼくの中だけですが、
少しは改善できていたのではなかろうかと
思ったのでありますが、
周りから見ると、なにも変わっていないのであるなと
実感しまして、よりいっそう
精進していこうと思ったわけなのです。

まずは、発声練習から。

03.3.12


とても眠いのですが、
これは、花粉症のせいでしょうか。
.
もうなんだか、最近、もの忘れが激しいのです。
たとえば、5つの単語を覚えるとしましたら、
5つ目を聞いたときには、1つ目を
忘れているのです。
これは、花粉症のせいでしょうか。
この前も、ある図形を見て、
その図形の形をチームのメンバーに言葉で伝える
ゲームをしたのですが、
図形を見てから、席に戻ってくる間に
ほぼ忘れていました。
やはり、花粉症だろうか。

あと、笑いをこらえることができないのです。
トイレや、エレベーターの中で、
笑顔になってしまうのです。
主に思い出し笑いなのです。
必要なことが思い出せないのに、
どうでもよいことばかり、思い出してしまう……。
花粉症でしょうか。

と、ところで、
ぼくは、駆け込み乗車は、駆け込むときの
慌てている様子を見られるのが恥ずかしいので
できないのでありますが、
乗ろうと思えば乗れそうなのだけれども、
アナウンスで「ドアが閉まります」といわれて、
乗るのを諦めたにもかかわらず、
なかなかドアが閉まらず、もしかして乗れそう?と思わせておいて、
いつドアが閉まるか分からない、
いつ閉まってもおかしくないドアの前1.5メートル付近にいるとき、
ぼくは、どうしてよいのかわかりません。

そんな状態のときに、
電車の中から立ってこちらを見ている人に対して、
ぼくは「別に乗りたくないもんね、次の電車待つもんね」
というような態度で、そっぽを向いてしまうのですが、
これは、見せかけの強がりの構えなのであって、
実は、すきあらば、あわよくば、乗りたい!
と思っているわけなのです。
しかしながら、いざ、「乗せて!」という顔で電車に向かった瞬間に
ドアが閉まったら、この上なく恥ずかしい。
一度、乗らないと決めた態度を電車内の人々に
見せてしまったからなのだ。

そうなると、乗らないと決めたけれども、
気が変わって「なんだ乗れるじゃん」と思った自分、
そして、「やっぱり乗ります」という自分を段階的に表現して、
電車の中からこちらを見ている人に
「あの人、やっぱり乗るんだわ」と
分かってもらわなくては乗れない性分なのです(異常だよ!)。

と思って、えいっ、とドアに向かって
一歩踏み出すと、閉まるのだなドアが。
すると、もちろん踏み込んだ足は、そのまま回転させて、
回れ右をする格好になり。電車に乗りたくない人の格好を
表現するに至るわけなのであるが、
車掌は、ぼくの心理と挙動を見て、
閉ボタンを押しているに違いない。

どうすればいいのでしょうか。
これも、花粉症ということにしてよいでしょうか。






03.3.13

千葉県流山市に「木」という
地名があることを知りました。

1文字で、「き」。
この地名をつけた人は何を考えていたのだろうか。
きっと、何も考えていなかったに違いない。
「町長殿、この場所に地名を付けてください!」
と言われても、町長は、うわの空。
ぼーっと、口を開けたまま座っていて、
偶然、町長の目に入ったものが
「木」だったのだろう、
そして一言、「き……」。
というストーリーが浮かんでくる。

しかし、流山市にある妙な地名は「木」だけではない。
「加」という地名もある。
1文字で、「か」。
「木」は、物として目に入るが、
「加」は、どうもイメージがわかない。
もしかすると、「加」が先で、
「木」ができたのかもしれない。
そうすれば、「か・き・くけこ」になる。
いずれにしても、何も考えていない感じの地名。

へもい。
 
 
 

03.3.16
 

先週は、同じセーターを
ずっと連続して着続けたのです。

これは、人間は何日間、同じセーターを着続けると、
そのことを人から指摘されるだろうか
という実験であり、
指摘された時点でゲームオーバーになる
そのスリルを味わうゲームなのだっ!!

同じセーターを着続けたい――。
そんな思いを胸に、
月曜日の朝からゲームスタート。

月曜日は、もちろん何も言われずに終了。

火曜日、2日間続けて同じ服の人は
あまり見ないので、少し緊張する。
しかし、誰にも指摘されない。

水曜日、そろそろ恥ずかしくなってくる。
周囲は気がついていても、
言い出しにくいのではないかと思う。

木曜日、だれも僕のセーターのことなど
気にしていないのではないかと思い始める。

金曜日、誰もセーターのことなんか
見ていないのか、きっとそうに違いない、
そうなると、なんだかさみしい。
と思ったときでした、

先輩とすれ違いざまに、

「ちゃんと服変えてる?」

と言われゲームセットとなったのです。
記録5日間。
実は、このセーターゲームは
以前にもやったのですが、
その時は、グレーのセーターでの挑戦でした。
その時は、3日目の

「しいなって、そのセーターよく着てるよね」

で幕を閉じたのでした。
やはり、見ていられないようで
見られているのです。

ゲームといっていますが、
ただ単に、服を毎日変えるのが
面倒くさいというのもあります。
 
 

03.3.18
 

パソコンの中を整理してみましたら、
会社に入る前の文章が見つかったのです。

僕は、それを読んで、
会社に入る前と、入ってからで
自分が変わってしまったような気がしたのです。
例えば、会社に入る前には、
以下のようなことを書いていました。
 

−−−−−−−−−

日光江戸村では、
ニャンまげに対して異様に嫉妬深い性格の
女忍者を演じております、しいなです。

−−−

皆さま、こんにちは。
しーなねこのページは、
私、しいな65才と妻ガラシャ59才の
夫婦二人三脚でお送りしております

−−−

10年間の練習で
ようやくできるようになった変な顔で
子供を気絶させることができる、しいなです。

−−−

尾骨を小刻みに振動させ
犬にしか聞こえない超音波を出すことで、
ドーベルマンをも飼い馴らすことができる、
しいなです。
 

−−−−−−−−−
 

こういうのが書けなくなっているのです。
どうしたらよいのでしょうか。
書けなくてよいのか。
 

と、ところで、テツandトモに関しましては、
あんなにたくさんテレビに出てきていること自体が、
何でだろうと思うのです。

僕の予想では、テツandトモは、
今年の、プロ野球珍プレー好プレーの
「次は、乱闘編です」というような
コーナーとコーナーの間に出てきて
次のコーナーを紹介する際に
何かする役どころが回ってくると思うのです。

この役どころは、過去、
パイレーツや、三瓶が辿ってきた道なのであり、
「次は、乱闘だっちゅーの」とか「珍プレーです」
とやってきており、その数ヵ月後には
テレビでほとんど見なくなってしまったのです。
なので、今年のあの位置に来る人の予想として
僕は「テツandトモ」に賭けてみたいのです。
どうでしょうか。
(誰に聞いているのだ)

 

03.3.23
 

日記に間が空いてしまったのですが、
何をしていたかと申しますと、
先週ボ木曜日の夜から
日曜日の夜まで会社の方20数名と
山形県の蔵王というところへスキーや
スノーボードをしに行ったのです。

もちろん、僕がスノーボードを、
やれば、どのような顛末になるかは
この「しーなねこのページ」を
普段からご覧の方でしたら
ご想像できますと思うのですが、
とにかく今はのん¥僕の序プ謡は(今の僕の状況は)、
と妙な文字が混ざるような有様でして
書きたいことは山(雪山)のようにあるのですが
、今、できるのはここまで弟子tれ(でして)。、
とにかく両手、両足、両腕、背中、お腹、首、
尻、股、足、膝のあらゆる筋肉が痛くて簡単に動かず、
風邪で熱があり、咳が出て、のどが痛く、
左手のウ美(指)で、この
文藻(文章)を書いているのでして、
これから外科と内科に息う(行く)のでして、
なんだか、僕だけ、蔵王から帰って来たというよりも、
バクダットから帰ってきたという幹事フェ(感じで)
今日はお休みしています。
く、詳しくは、今後のしーなねこのページで
できましたら、ご報告します。
 
 
 
 
 

−−−

03.3.25

先週の木曜日の夜から
金・土・日と3日間、
山形県・蔵王へスキー、スノーボード旅行を
したときのことを書くのです。
 

「山形県蔵王・スキーの旅」
1日目(3月20日〜21日)

ぼくは自慢ではないのですが、
旅行の数日前になりますと、
必ず風邪をひく体質なのです(本当に自慢になってない)。

幼稚園のお泊り保育を風邪で欠席したのを皮切りに、
小学校の修学旅行、中学校の林間学校、
高校の沖縄旅行、すべて熱を出しての
参加だったのです。
しかし、たいていは旅行中に快復して、
最終日には元気に帰ってきていたので
心配しなくなっていったのでありました。

今回の蔵王旅行についても
出発の2日前に風邪をひきまして、

「またいつものが始まったなあ」

と思いつつ、最後まで参加するかどうかを
迷ったのでありますが、
「どうせ出発すれば治るだろう」と考え、
また、向こうには温泉とビールがあると聞き、
(これが一番の決め手であったのですが)
スノーボードはおいておいても、「温泉とビール」のために、
蔵王旅行に参加することを決意したのでありました。

出発は夜の11時ごろ。
20数名が、それぞれ自動車5台に分乗して
高速道路を爆走したのでありました。
午前1時半に蓮田という場所に集合して、
朝の6時ごろに山形県の蔵王に到着したのでした。
山形県は雪が降っていたのです。
車は5台あったのですが、1台は
道路が凍っていて駐車スペースまで
坂を上るのが一苦労だったのです。

到着後すぐに、元気のある人たちは
なんと、そのまま雪山へスキーをしに行ったわけでして、
僕などは運転もしていないのに疲れ果てて、
お昼まで眠ることにしたのでした。
(今思うと、疲れていたのではなくて病気だったのだな)

昼前に起きて、スノーボードとウェアをレンタルして
スキー場へ行きました。
もう雪の山は全面的に全部雪でして
空は晴れていて、とても美しい光景であったのです。

スノーボードの滑り方については
会社の同期のNさんに丁寧に教えてもらったのです。
Nさんは坊主頭なのですがスノーボードが大変うまく、
坊主頭なのですが、論理的で
そして褒めて育てるタイプの人でして、
僕は褒められて、ゆっくり滑る方法を覚えたのでした。

しかし、Nさんは褒めて育てるタイプなのですが
ファッションについては手厳しく、
僕が借りてきたスキーウェアを工作員のようであると
指摘したのでした。
たしかに僕のウェアは異様だったかもしれない。
上下をベージュで統一し、
黒いサングラス、腕にピンクのバンド。
しかし、ひとまず、工作員という表現は
Nさんのセンスがおかしいのであり
僕は間違っていない、と心の中で納得したのです。
しかし、その後に山を下ってきた会社の人たちが
僕の姿を見るなり爆笑して写真を撮っていたので、
センスがおかしいのは、Nさんだけではなく
僕以外の蔵王旅行に参加した人のセンスが
おかしいのだと分かりました。

夕方の5時まで滑った頃には
全身をくまなく打っており、
へとへとでスノーボードを引きずりながら帰ったのでした。

食事はおいしいのですが
量が多く、結局僕だけ完食できず、
へもかったのです。
しかしビールは、何杯も飲むことができ、
その後で温泉に入って、「はぁぁぁぁぁ」と
なったわけなのでした。
 

(つづく)
 
 
 
 
 
 

03.3.26

「山形県蔵王・スキーの旅A」
2日目(3月22日)

翌日も昼からスノーボード。
その日の朝は、もう背中も腕も腰も尻も
全身が痛かったのでありました。

それでもスノーボードなのでして、
よい天気のなか、僕は滑りに滑り、
転びに転んだわけなのですが、


「妙な体勢の僕」

そんな穏やかなもんじゃなかったのだっ!

夕方の5時までやっとりましたら、
もはや、一度倒れると、腕の力も腹筋も力が入らず
起き上がれない状態になってしまったのです。
また、人の数も少なくなり、
日は落ちてきまして、雪は硬くなってきたのでした。

僕は斜面でスピードにのってから、
こう、ターンのようなことがしたかったのですが、
これが何度やってもうまくいかないのでして、
ぜんぜん前に進まなくなってきましたので、
いい加減に自らの運動神経のなさと、
恐怖心を抑えきれずにスピードを落とす精神に怒りを覚え、
また、先輩方が下の方から見てくれていましたので、

「ここで普通にゆっくり降りてきたら、おもしろみにかける」

と思い、ここはひとつ何も考えずに
ゴーッと滑りおりましたら、あんた
これが大きく転倒しまして、

手首がグキッと音を立てたのです。

手は痛いは、起きれないはで、助けていただき、
スノーモービルで
ファンファンファンとサイレンを鳴らして
山の下までおろしてもらい、
診療所が閉まっているということで、
そのまま救急車に乗って、
ピーポーピーポーとサイレンを鳴らして
病院へ行ったのです。

救急車では、手首を固定してもらい
血圧などを計ったのです。
救急車は初めて乗ったのです。
「救急車に乗るなんて、なんだか大事になってきてしまった」
と思い、これでただの捻挫だったら
どうしようと思ったのです。
しかし、この痛さは翌日までは我慢できんのですわ。

救急隊員の方が、僕に何度も
「頭は打ってないですね」
と聞いてきたのです。
寒さと緊張で変なしゃべり方になっていたからか、
「本当に手首だけですね、頭は大丈夫ですね」
と念を押していたのです。 
(変なしゃべり方は、寒さと緊張のせいではなく、
もともとこういうしゃべり方なのです。)

そんなに聞かれると不安になってくるのです。
もしかして、頭を強打して、
強打のショックで、打ったことを忘れているのかも、と。

病院に着くと、まずウェアを脱がされました。
何度も転んでいたので、全身ビショビショだったのです。
僕はウェアの中にワイシャツを着ていたのですが、
これが先生には珍しかったらしく、

「あんた変わってるね、こんな人初めてだよ」

と言われたのです。
看護婦さんが熱を測ってくれたのですが、
それを見て先生は
「いいよ、測らなくて。怪我だから熱ないよ」
と言っていたのです。しかし、測り終わると看護婦さんが
「先生、8度あります」
ということになり、
「そういえば風邪をひいていたのです」
と僕が言いましたら、
「あんた、内科じゃないの」
という異様なやり取りが行われたのです。

一緒に付き添いできてくれたNさんに服を借りて、
レントゲンを撮りました。
結果、骨折でした。

グルグルとギプスをして、
解熱鎮痛剤をもらいました。
保険証を持ってきてよかったのです。
最後に、先生に

「手がはれるから、お酒とお風呂はだめですよ」

と言われたのです。
お酒と温泉が、
今回の僕の目的だったのに。ビロ〜ン!!

それにしましても、どうりで痛かったわけなのです。
会社の人が
「転んだとき、笑ってたから、たいしたことないと思ってた」
と言っていましたが、違うのです、
痛い顔の表情が、やりなれてなくて、
うまく作れなかっただけなのです。
それにただでさえ元気のない僕が痛い顔をしたら
とんでもない空気になるのです。

ということでして、現在、この日記は、
左手で打っているのです。

骨を折った翌日、
「高カルシウム」と書かれたミルクケーキという飴と、
モモンガのぬいぐるみを買って帰りました。
 

今回の旅行を一言で表現するならば、

「骨折り損の、くたびれ儲け」

と言いたいところでしたが、
山形の人や会社の人のやさしさに触れ
おもわず涙が出そうになりました(出なかったのですけれども)。
でも、楽しかったのでよかったのです。
でも、骨が折れたのは、へもいのです。
でも、楽しかったのです。

なんだか1週間分の遊びを
2日に凝縮したような体験だったのです。
 
 
 
 

03.3.29
 

骨を折りましてから、
左手でキーボードを打っているのですが、
やはり遅いのです。

右手首は、高い位置にしておかないと、
血がたまってくるためか、
はれて痛くなるので、
机に肘をついて、常に
腕相撲マシンの対戦相手募集中のポーズを
とっているのでして、
いつ対戦を申し込まれるかと思うと
ドキドキしてしまいます。

右手が使えないと、
メモが取れないということが分かりました。
左手で文字を書くと、どれもこれも
書家の相田みつをさんの
「にんげんだもの」みたいになってくるのです。
または、片岡鶴太郎画伯のようになるのです。
 
 
 


 

はやくギプスを外したいのです。

片手で使えるものが、よいものの条件では
ないだろうかと思ったのです。
片手でとても早く打てるキーボードが
できればよいのにと思ったのです。
それと、定期券のスイカを使って、コンビニエンスストアで
買い物ができるようになって欲しいのです。
片手思考の機会ができたのです。
 








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