イタリア ジェノヴァ 2
7月12日(火) ジェノヴァ Genova
ジェノバ市内散策 Genova City
ジェノバ Genova → ローマ Roma (鉄道)
リグリアの海原に臨む、良湊を膝元に
その両脇を東西に広げる、海洋都市ジェノヴァ
ミラノや仏蘭西方面の列車で、此処に到着する旅人は、
風光に恵まれた市街西側に位置する、プリンチペ駅を陸の玄関口とする。
ミラノ駅の券売機で切符を発券した際、単純に Genova という駅名では無く
Principe と表記されるのに戸惑ってしまったが
風格のある二つの大きな駅を持ち
東側の新市街に建つ、ブリニョーレ駅 Brignole からは
ローマやボローニャ方面への列車の大半が、発着しているのだそうだ。
ケーブルカーの登る丘陵の下を貫く長いトンネルが途切れ
その狭い邱間に造られたプリンチペ駅。
駅の周辺は、カモメが飛び交う港に面し
明碧な湾や白亜の桟橋に、投錨する船舶を望む
港の景色が、色あざやかな地区である。
外国客船の停泊する、国際埠頭 Ponte dei Mille が待ちかまえている。
古風な昔ながらの、海の玄関口は
税関や出入国管理事務所の配された、大掛りで立派な構えの建造物だ。
豪華船が停泊している桟橋に、一艘の帆船が碇を下ろしている。
「母をたずねて三千里」に登場した、ミケランジェロ号、将又、フォルゴーレ号?
などと趣味的な連想をしながら、船尾の旗を確認したところ
船籍はイタリアでもブラジルでもない、赤白青のトリコロール
リグリア海の沿岸は、リヴィエラと呼ばれるバカンスの地
さらにその先は、モナコ・カンヌへと、コートダジュールの高級リゾートが続く。
開放的な甲板で、地中海の青い波と眩しい太陽、
心地よい潮風に酔いしれながら、南仏まで巡っていく行楽船なのだろう。
四大海運共和国の一つとして、栄華を極め名を馳せた
由緒ある地中海の都、ジェノヴァ
しかし、近代となると、都市国家に色濃く残る支配力は仇となり
むやみに立ちならぶ公国の足並みは揃わず、仏墺といった隣国の介入を許し
国力に乏しい半島で暮しを営む、イタリア庶民の生活には貧困がつきまとう。
ジェノヴァ港から北南米へと移民船が就航し
その歴史は、ゆうに一世紀半を数える。
新大陸へ渡った人々たち、
列強国に出遅れ
社会の底辺から、
出発しなければならなかった、イタリア系移民たちの苦悩
情熱がたぎりながら、どことなくもの悲しいアルゼンチンタンゴの調べ
人情深さと非情さが渾然としたニューヨークマフィア、ゴットファーザーの知情意
故国イタリアの同郷意識には熱き血が通い、一方どこか救いのない世情に対する哀愁が漂う
そんなイタリアに吹き荒ぶ時代の波風に晒され続けた、
港町ならではの気品と気質。
ジェノヴァっ子、マルコ少年の魂は、そんな風土に磨かれ洗われてきたのだろう。
臨海地区を突っ切り、
灯台へと参ずる遊歩道の路肩には
幾点ものモノクロ写真と、
説明パネルが掲示されていた。
大型の埠頭クレーンが建ち並び
巨大なタンクやサイロ、
原材料の集積場が、延々と広がる
大開発されたジェノヴァ港。
山のように積み上げられたコンテナの間を、
リフトやトレーラーが、ひっきりなしに動き回る
今日的な産業活動の風景に埋めつくされる中、
ジェノヴァ市民のご自慢
大きなノッポの古灯台は、そこにあるがままに屹立している。
変っていく周りの姿、時の流れに抗うことなく
傍観し続けてきた歴史の証言者、ランテルナ灯台
灯台に見送られながら、海の向こう遙かなる異国の地へと旅立った人々
遠く離れる者、ここに残る者
出港の汽笛が響き、運命に揺れる人々の傍らで
天高く背伸びする港のシンボル、
人生航路の要衝に築かれた灯台塔、それは故国イタリアの道標。
* * *
港に近い街中には、即売テントが連なっていた。
少々ダミ声の露天商は、安っぽい日用品を狭い通りに並べ
衣料品の1ユーロセールワゴンには、多くの主婦が群がっている。
ペッピーノ一座の口上のように、流暢で威勢がよいとは言えないものの、
おそらく、「結構毛だらけ猫灰だらけ」「持ってけ、泥棒」
といった類の啖呵を吐いているのだろう!?
今回の旅、ヨーロッパの主だった都市では、日本人のツアー客や韓国人学生グループが
徒党を組んで市街地を歩く姿を、頻繁に目にしてきた。
しかし、ここジェノヴァでは、
名所や街中の何処を見て回っても、アジア系の観光客と出くわすことがなかった。
二日間滞在したが、プリンチペ駅構内で日本人旅行者一組を目撃しただけである。
一方、露天などで商売をしている中国人は、よく見かける
市中で営業している、○×公司と漢字で並記された雑貨店なども数多目にした。
港を中心としてモノの流れが盛んな、商売と実業の色濃いジェノヴァ
どうやら、観光客が猫も杓子も寄り集まってくるといった土地柄ではなさそうだ。
日本原産MANGAが席巻する、イタリアのコミック出版市場
露天の中古ソフト屋を覗いても、
同様にジャパニメーション作品が溢れかえっている。
名作劇場シリーズについては「小公女セーラ」のDVD、「赤毛のアン」のビデオを見かけた
出崎監督版「家なき子」もかなり出回っているようだ。
きっとこれらの名作アニメは、
当地で長年にわたり、くりかえし放送されているのだろう。
マルコの兄さんが、小麦粉をまぶし
オリーブオイルで、丸ごと揚げていたのを思い出す。
鮮度のよいものは、刺身にして醤油をつけ食べたくなるところだが、
ムニエルといった料理などの食材としても、脂がのっていて美味しそうに見える。
同じ市場のピッツェリア店頭に、作りおきしてあるピザの種類は豊富
選取り見取りに切り売りされ、目の前に並んでいる中から、
手に取って、店を出るやいなや
もとからユルいイタリアンジェラードは、みるみる溶け出し、
ベタベタのミルクが滴り落ちてくる。
新しく整備された、桟橋付近へと小走りで辿り着くや
上から一気にアイスを口に含んだ。
透き通った大気にそそぎこむ、強い日射しが周辺を白く輝かせ
アミューズメント施設の数々は、照返しの熱気に包まれていた。
地中海の権勢をふるった中世の黄金期
その歴史的な輝かしき香り漂う、街並みを眺めながら
この地に富をもたらした
大商人達が築き上げた
華々しい宮殿群へと足を運ぶことにする。
市民の誇りである宮殿の並ぶ街路は、ガリバルディ通り
新生イタリア統一軍の主要港として、その使命を担ったジェノヴァなだけに
その名も高きペッピーノ一座の演目にも登場した、英雄指揮官の名となっている。
原作「クオレ」には「愛の学校」という邦題もあり
ガリバルディ将軍のもと、紳士も労働者も共に祖国のために戦った、友愛と信頼の美しき偉業を讃えながら、
豊かな中産階級の子供も、貧しい人夫の子も
誰もが、分け隔て無く机を並べ
母国のために役立つ、血の通った兄弟の如く
互いの貴い愛と敬意の心を、
大切にする英雄となるようにと、くりかえし説いている。
王宮や宮殿などの数々は、現在は、美術館、大学、市庁舎として利用され
ジェノヴァの栄光と繁栄を偲ぶ名跡となっているが、
アニメ「母をたずねて三千里」において
中庭を囲む二階回廊の小学校や、裕福な同級生の女の子の庭などは、
この界隈の造りをヒントとして、場面設定しているのではなかろうか。
* * *
石畳のペイブメントが入り組んだ
波止場の東側に広がる
カフェや酒場が、路地の行く手に点在しはじめると
そこは、一転して気分を高揚させる庶民的な空間となる。
ジェノヴァを本拠地とする、
かつて、キングカズこと三浦知良選手が日本人初となるセリエA挑戦をしたクラブ
ジェノアの応援旗が、街路を横断し連なっていた。
ジェノヴァには、この他にも
日本代表FWの柳沢選手が在籍していたクラブ、サンプドリアがある。
潮風が穏やかな微風となって抜けていく
複雑に入り込んだ市街の片隅にある小広場。
物見好きな大衆の取り巻く中、
人形一座の公演が催されそうな、港町の街角。
迷路状 の入り隅を曲がると
半開きの窓が並列し
通りの上を彩っている
洗濯物が静かになびいて
子供の声が、壁に反響する。
折れ曲がった路地を更に進むと
生活の匂いと、裏社会の臭いを漂わせる
ディープな下町の袋小路へと突き当たった。
学校から自宅に戻る途中、中庭で水汲みをして、
バケツを抱え、階段をのぼっていくマルコ
焜炉の炭火種を隣人から貰って、昼食の支度
上着を脱いで袖がひっくり返るシーン
潮風を感じる屋上で洗濯物を干すシーン
錆ついたアイス作りの機械、街の雑踏雑音、etc....
日常の習慣を一挙手一挙動で示し、多くを語らずして人物の置かれた境遇を伝え
人間生活の本当のところを描く、高畑監督の芸のこまかさ。
室内や建物の様子や位置関係にはじまり、通学路、市街地、港湾、桟橋、といった行動範囲
現実世界のごとく、天候や時間に応じた光と陰
屋根に落とした人形を取るために、フィオリーナが黙って箒を差し出すシーン
鏡に映る窓辺のマルコを見るフィオリーナ
飛行船が浮かび上がり、港を飛びまわるシークエンス、 etc....
徹底した場面設定や、人物の仕草・立ち位置・アングルの創意工夫
活気と勢いのある動作挙動で本領を発揮する、宮崎駿監督の着眼点。
アニメシーンの制作面など、高畑勲ネット様の三千里コラムで勉強させて頂きましたm(_ _)m
(http://takahata-isao.net/)
* * *
如何しようも無い大人の世界、狡い大人、仕事のない大人、惨めな大人
日和見で口八丁、ご都合主義のペッピーノ
仕事のない酔っぱらった亭主に、悪態をつく隣家の妻
貧乏子沢山な近所の家族、 etc...
お父さんも、金儲けに失敗して、借金背負って、弱虫で意気地なしな大人
皆はその犠牲で働いている、母は海外へ出稼ぎに行き、兄は進学せずに鉄道員になり・・・
「アメデオだって働いているんだっ!」 マルコ談
子供扱いされたくない、一人前になりたい、自立して生きていきたい
母からの手紙が来ないのに、心配要らないと一辺倒の父親を見下し軽蔑する
マルコの決意は、自分の力でアルゼンチンへと渡る費用を稼ぐこと。
母親の様子を確認するために、当初は夏休み2ヶ月間で定期船の航海に合わせ往復し、
不安はあるものの母さんが問題なく元気であれば、
ブエノスアイレスに数日間だけ滞在して、すぐ帰国するつもりだったのだ。
子供扱いする父親との軋轢が、不本意なのであろうが
小学校をサボってアルバイトをし、渡航費用を稼ぐのは無謀といえる。
しかし、働いている親友の姿やペッピーノ一座との、協力や交流の関係を考えると、
自立心旺盛なマルコが渡航への実現性を消極視せず、思い切った行動をとるのも致し方がなかったのであろう。
非営利活動の診療所を運営し、福祉事業に献身している父、そして、その志に賛同する母。
「心の広い優れた医者を募りたい、社会の貧しさをなんとかしたい。」
この物語に登場する数多くの冴えない大人達とは、まるで正反対の真に立派な人物である父母が、
次世代の息子に期待している大きな意味が、マルコには解せない。
高尚な次元で大人と子供の関係を明確にすることよりも、
駄目な大人と、一人前の子供との対比が、
アニメシナリオでは、立て続けに描かれていく。
風邪で家族が寝込み、貯めている渡航費から薬代を支払うフィオリーナ
使わなくて良い金を払うなと父に責められ、
費用補填のため、一人街角に立ち人形劇を行なう甲斐甲斐しい娘。
民間療法?で人参を頭にのせ、盥の水に足を浸ける父ペッピーノは、
マルコの父が運営する診療所の医師から、頭の方を冷やせと厳しい指摘をうけた。(笑)
困窮する家庭、病気の母親をもつマルコの親友
元気に働くエミリオの、大人顔負けな生き様には脱帽する。
ジェノヴァ港の飛行船航空ショー、話題のデモンストレーションを単に見物するでなく、
マルコの渡航費用のために半日勝負のアイス売り商売を着想し、氷や牛乳を信用で仕入れ行動に移すバイタリティ
思うように固まらず苦労した挙げ句、アイスはできあがったものの
飛行船に気をとられている観衆は、なかなかアイスを買ってくれない。
おまけに、落雷を伴った強い風雨が発生し、会場は一時大混乱となるが・・・
天気に左右されても一時の不運では落胆しないエミリオ
俄に晴れ渡ると、飛行船は無事に浮上して、アイス販売は大繁盛となる。
もし低気圧が通過しなければ、観客はアイスを食べながら見物する気にはならなかったろう。
マルコは、既にエミリオ斡旋の瓶洗いバイトで多少の銭を稼いでいるが、
アイス売上益と合算しても、1週間後に迫る移民船運賃には若干不足している。
そして、港の事に裏で顔が通じるペテン師に、安く乗船させるよう頼んでしまい、
南米行き目前にして前金を盗られ、まんまと騙されて乗船はできない。
アイス商売を成功させてからも、必死に駆けずりまわったものの、
あと一歩及ばなかったマルコは、海を渡るフィオリーナを苦く切ない息使いで見送る。
世間は優しくない、努力は酬われない、渡りの船には手が届かず離れていく
しかし、時に善意、時に運に導かれ、希望は僅かにつながっていく。
マルコの南米渡航の一喜一憂ストーリーは、八方塞がりでなく
七転び八起きの末に好転し、遂にジェノヴァから出港するのであるが
しかし、その多大なる労苦は、まだまだホンの前哨戦に過ぎないのであった。
喧噪の港町ジェノヴァからアルゼンチンの大草原へ、マルコの胸に響くもの悲しいフォルクローレ
一難去ってまた一難の連続は、これでもかといわんばかりに渡航先でエンドレスに続いていく。
先行きも、ゴールも全く見えずに、もがき苦しみ迷走する果てしなきマルコの旅路。
高畑監督は著書「映画を作りながら考えたこと」のなかで以下のように述べている。(要約してます)
“煉獄の中を這うように歩むマルコは、ひたすら、苛立ち、悩み、冷たい仕打ちに傷つき、
パクリと口を開けた靴を脱がずに生爪をはがす。絶望するマルコの傍から、視聴者を離さない。”
そして、斜に構えて世渡りしない主人公に密着取材し、日々を追いかける。”
“小事件や出来事から、教訓を引き出したり、価値判断を加えず日常事象として取り扱う。”
“母親側や父・兄の平行描写は一切加えない、ドキュメンタリーフィルムとする。”
“マルコという厄介な存在を突きつけられ、日頃の狡さ弱さから右往左往する大人達、
その、人と人との触れあい、付き合い、慈悲と冷酷の間にある人間的な温もりを描く。”
友愛と人間信頼をテーマとした、クオレの精神面をディテールとしながらも、
そこからは、ひたすら苦々しい厳しい現実を突きつける、
寂寥感あるネオリアリズモの世界観が広がっている。
放浪者のドキュメント番組といえば、90年代に流行った「電波少年」があるが、
マルコはその一切の主観的な意見、ナレーション・コメントを排除した、
純粋な観察のみのドキュメンタリータッチな手法によって、
猿岩石よりも本物を徹底追求した、同行取材がされているように感じる。
辛酸を味わう苦労話が主目的でなければ、ハッピーエンドを目指している訳でもない。
大人の世界の中で翻弄され振り回され、荒波を受けて水を飲み、濁流に揉まれ、
大真面目なマルコは浮き沈みしながら流されていく。
そして、本人にも誰にも解らなかった、有益な社会の将来を担っていくための資質の一つ一つをつかんでいく。
両親から教えられるのでなく、大人から押しつけられるでなく
“より良い社会を作る義務、心の広い優れた医者になること”
その使命に、「素晴らしかった僕の旅」の体験を通して、マルコ少年は全身全霊、こころの底から目覚めたのだ。
高畑監督がマルコで追求したのは、
「将来、社会を背負って立つ少年像」、原作で説く処の「英雄像」といえるのでは?
そして、宮崎監督はこの作品制作による勢いの反動で、「未来少年コナン」を生み出したのではなかろうか。
* * *
散文的な試論を、以下に記載します。
教育文学の古典と称されているそうだが、
人間の成長を示した道徳エピソードの名作なのだろう。
マルコはただ母恋しさにかられ渡航した訳ではない。
原作で重視されたのは、家族や祖国を守っていく誇りあってのことである。
高畑監督は、自立心旺盛な少年を主人公とし、様々な性質を持つ大人との接点から使命感を抱かせて
さらに社会の課題となる将来像とを、徐々に偶発させ出逢わせたのではなかろうか。
終始見通しの利かない世紀末的な絶望感が漂う、
東西冷戦真っ只中の70年代SF作品。
とても重たく恐ろしく厭世的で、未来少年コナンの原作とは認めたくない本。
しかし、宮崎監督が、核を上回る科学兵器による世界大戦で全滅した地球を憂いつつ、
過去の遺産をターゲットとした権力闘争の渦中にいる、儚い人類の生き残りである主人公の世界観を
題材としていたことに改めて気がつく。
高畑&宮崎監督の各作品アニメ化への
こだわりと力量を知る手がかりが得られたように思う。
「母をたずねて三千里」は、原作をそのまま煮込んで煮込んで味わい深くしている。
人物の心情と想いのエキスを、内のうちまで染み込ませ深層を追求する風味。
メランコリーな哀歌の煮汁のアクを取り、純粋な感情や何気ないしぐさから、
ひたむきさと真剣さを包み込み、人々のこころの機微をきちんと賞味できるように盛り付けている。
「未来少年コナン」では、原作をメインの食材にはせずにダシにしていたのかも?
出涸らしの具材を取り出してから、感情・夢・希望を加えた豊かな味付け。
パワフルな賛歌のスパイスが効いて、高次元な活劇表現を助長させ、
生命力と情熱とを混ぜ合わせ、歓喜の彩りを添え、歯触り・喉越し良く調理しているのでは。
原作の雰囲気と両監督の作風に作用反作用、逆方向の力が生じているのが興味深い。
高畑監督は原作の建設的道徳色を薄め、心の奥底にある影で趣き深く減音し風合を保っている。
主人公とヒロインから、情緒的な音階を感じる。
マルコは何かと真剣になりすぎて、ついつい血相かえてムキになってしまう真面目な性分。
微妙にネガティブなせいか?何度もつまずくが、その困難を一つ一つ乗越えていく真摯な生き様。
フィオリーナは、内気で慎み深い、率直には気持ちを表現しないが、美しい優しさを心に秘めている。
逆境にしぶとく立ち向かう、人間性を堅持するスターティングであろう。
宮崎監督は、原作の悲観的懐疑心を排除して、光のあたる表面を増音し輝きを放っている。
主人公とヒロインが、情動的な音階なのだ。
コナンは純朴で勇壮、ポジティブで楽観的、何事にも果敢に挑み疾走する、
素直ではっきりした、強い魂が躍動している。
ラナは人あたり良くしっかりしている、清楚で親しみやすい綺麗な心を皆に魅せてく れる。
困難に真っ直ぐに対峙する、生命力溢れるラインナップといえよう。
両監督の社会観・人生観の重視すべき、ポイントとウエイトは異なるけれど
マルコとコナンは、共に「将来・未来」を示してくれた。
新天地
これからの祖国
固い意思のマルコ
いま陽が昇る
夜明けの風はらませて
新大陸
それからの残され島
強い決意のコナン
生まれかわった地球が
目覚めの朝を迎える
前途洋々な少年は、
希望の光両手につかみ、遙かな道を出発する!
命芽生える心ふるわせ、明日を生きていく!
これからの社会、それからの世界
将来を築いていく、未来を拓いていく
* * *
おそらく、最近できたのだろう
不思議と、乗客の姿が少ない
果たして、治安が良いのか悪いのか?
始発ではないが
ローマ往きの急行があったので、
ローマまでの所要時間は、約7時間
今回の旅で、最大の鉄道移動時間&距離となった。
小一時間、路線は海岸沿いを走行していく
マルコが、父兄と一緒に海水浴へと繰り出した、
入り江のような風景が続く。
雰囲気の良い小さな港町が、険しい海岸線に点在する区間があったのだが、
ユネスコ世界遺産に登録されている漁村の並ぶ、チンクエテッレという地域だったらしい。
ジェノヴァからそう遠くはないので、時間があれば散策してみたかった。
列車内の座席は、2等コンパートメント
空いていたので、自分一人だけで対面の6人掛け室を占領していたのだが、
しばらくして、無口でおとなしそうな兄ちゃんが会釈をしながら、
斜め前の席に腰をおろし、静かに読書をはじめた。
次第に、景色は荒涼とした赤土が広がる平野となる。
上部に枝葉の茂る樹高の低い広葉樹が
列車の小刻みな震動と軋み音によって、次第に意識は遠のき
瞼は自然に押し下がって、いつのまにやら心地よい居眠りタイムとなってしまった。
ふと目覚めると、斜め前の兄ちゃんは居なくなり、窓の外はすっかり闇。
そして、コンパートネント内の椅子に、大きな段ボール箱が積まれ
大柄の女性2名が座席を陣取っている
彼女たちは、大量の雑貨商品を手荷物で車内に持ち込んだようだ。
「母をたずねて三千里」で、南米にて長時間列車に揺られるマルコが目覚めると
大量のヒヨコが入れられた籠が、目の前に置かれていたシーンがあったが、
自分自身、起きた直後に身の回りがいろんなモノに囲まれているのには、ドラマチックに意表を突かれた。
終着駅ローマまで、段ボールに囲まれて狭い室内で過ごす。
スイスのティチーノ州(イタリア語圏)の女性でもそうであったが、
二人が下車するさいに、ごく自然に荷物の上げ下ろしを手伝うこととなった。
レディファーストなのか?友愛精神なのか?どうかはよくわからない。
イタリアでは男女問わず、交通機関で隣となった席の人やコンパートネント室内で、
とりあえず、頼り頼られる手助けの習慣があるようである。
ローマ泊: HOTEL DEI MILLE (http://deimille.hotelinroma.com/)