帰 国
7月15日(金) 帰国 (乗換便) Arrival (Transfer)
帰国 (乗換便)CA968 →上海17:05
上海市内 Shanghai City
闇夜の空を飛行する、AIR
CHINA CA968便は、
地球の自転時間をワープして、白昼の陽光を突き抜け、
日暮れ前の上海へと舞い降りた。
そしてまもなく、
この大都市に林立する摩天楼は、新たなる宵闇に
テールランプの赤い流れと共に包まれていった。
一箇月前の往路、上海市街をふらついていたところ
上海船長青年酒店(青年旅社)ことユースホステルが、たまたま立地しているのを見かけ
直接に、服務台カウンターで宿泊の予約をしていた。
その青年旅社にチェックインし、ドミトリーに荷物を置いて外出をする。
空港に到着してから
仕事中の忙しそうな友人の携帯に連絡をし、
外で落ち合い、一緒に食事をするアポをとっていたのだ。
日本人の経営する、和風の小洒落れた炭火焼肉店に
手土産と土産話を持ち込んで、友人家族と歓談をして過ごした。
こうして、上海のエネルギッシュな光の洪水を背景に、
長かった一人旅のエンディングロールである、最終夜は更けていくのであった。
* * *
「旅立つ者は、その人の器に入るだけの見聞や経験を得て帰ってくる」 という話しを聞いたことがある。
さて、この数週間、美味しいモノに限っては胃袋の中へと鱈腹詰め込んできたが、
たぶん、自分という人間のキャパでは積載超過オーバーで
手に余るものを沢山機内に抱え込み、ヨロツキふらつきながらここまで戻ってきているのではなかろうか?
アルプスから続く時空を、高度一万メートルで超越し
絢爛と不夜城のごとく発光する大都会の片隅で、
更に、胸の内に抱え引きずってきた大量のハーベストを
集約して咀嚼し、総括して嚥下することができるだろうか?
遅い時間に、青年旅社へ戻ったところ
部屋の中では、韓国の女子大生3人組と男子学生1人が談話をし
ハンガリー男性1人が、横になっている。
皆さんに挨拶し、軽く世間話をしたのだが、
女子大生3人組が、なかなか部屋を出ていかないので不可解に思っていたところ
なんと、ここの青年旅社は、男女が相部屋なのだそうだ。
スイス・ルガーノのドミトリー宿で、欧米の女性達に囲まれハーレム状態だったことはあったが・・・
3人組も相部屋であったとは知らなかったらしく、本日ここに来てかなり面喰らったそうだ
この三人娘は育ちが良さそうな雰囲気漂う美女軍団である、こんなところに泊まるのは避けるべきだろう。
彼女たちは、仕切を工夫したりと色々苦労しながらも寝床につき、
居心地が悪いのだろうか?苦しそうに寝返りなどをうっていた。
消灯はしたものの、やはり体内時計は夜ではなく
周りを特に意識するつもりではないのだが・・・自分もなかなか寝付けない
しかし、そうこうしているうちに、長旅の疲れの所為か?
横になっていたところ、ぼんやりと夢見心地になってきた。
何十分?いや何時間?経ったのだろう
なんだか妙に汗ばむ肌に、静かに波打つような負の空気を感じる、
すると、窓辺から一筋の明かりが差し込んできた
手足が重たい、いや、力が入らない
明かりは金色にどんどん光量を増し、周囲の景観を照らしはじめた。
ローマの遺跡だろうか?
石柱や階段、テラスが上下左右あらゆる方角に見えて、自分はその中心の石の上で膠着している。
起きあがろうとするが、身体の感覚が非常に鈍い
しかし、力ずくで身体を強引に引き起こしてみたところ
どうにか座り込むことができた!金縛りではなさそうだ。
夢だろうと思うが、確かに自分の意識は目覚めている。
世にも不思議、アンビリーバボーな奇怪現象だ
動揺しはじめたころ、徐々に光が翳ってきて
遺跡の柱やテラスの姿が、二段ベットの梯子や机へとオルターネイトしていく
そして、薄暗い月影の宿泊部屋へと元に戻り、体育座りの姿勢をしている我に返った。
幻覚だろうか? 時差ボケのナチュラルハイにしてはラディカルだ。
ここは、ジャンキーな旅人が利用する安宿ともいえなくないが
勿論、非合法な薬など服用してないし、乾燥させた天然麻の枝葉を喫煙してもいない。
だが、今回のひとり旅は、確かにまぼろしのような感覚のままで、夢のように過ごしてきた。
長年のやりきれない、満たされない現実から解き放され
瞳で見詰め、薫りを吸込み、鼓膜に共鳴し、甘酸を味わい、指先で風を拾う、全身の五感の感触と
自分の心に描いてきた世界、蓄えてきた風景、情感、心象、郷愁、
そんな沢山の第六の感覚が、ジワジワひしひしと響いてくる4週間だった。
落ちているのか、昇っているのか、逆さになっているのか、上を向いているのかもわからない…
金色の太陽が照り輝く幻覚の夜は、天国なのか地獄なのか?
帰国してからの実人生は、果たしてどうなることやら・・・
フランクフルトで、夜な夜な夢遊していたハイジ
しかし、ハイジの物語には、本来落ち着くべき所に落ち着くことができる運命の流れがある
逆境や憂鬱な日常は過ぎ去り、天命に従う安堵感
「このよのなみが あれさわいでも おもいなさい みずからの うちなる やすらかさを」
「ふるさとへ かえっていくような たのしいきもち」
(ハイジ第46話、クララの讃美歌朗読部分より)
我々がハイジに癒されるのは、波風さかまき荒れ狂うときから、
精神的な方向が安らかに帰着していく、そんな礎によるのではなかろうか。
宮崎駿監督のエッセイに書かれていた(と思う)、アニメ制作心がけの言葉である。
“虚構の世界であっても、本当のリアリズムをみせる。”
“憧れ素直さ肯定を自分の中に見いだし、日常へと元気に戻っていく。”
虚構というのは、場合によっては真実なのではなかろうか?
夢をみた人々、その夢を正しく伝えようとする人々
人物像に血の通った息吹が吹き込まれ、架空の世界に等身大の真実味を付け加え、
純粋で大らかに、現実の世界へと能動的に戻っていける手段。
「めいさく一人旅」は、そんな夢に帰着し、
そして、ついに現実の待っている帰国の途にもつくのであった。
上海泊: 船長青年酒店 (http://www.captainhostel.com.cn/)
7月16日(土) 帰国 Arrival
帰国 CA919 上海15:45→成田19:30
しっかりと寝付けない、浅い眠りから覚めた明け方
窓の外に広がる屋根には、
7月の上海の眩しい日射しが、刺すように降り注いでいる。
「めいさく一人旅」撤収の朝
本日は、午後の帰国便に搭乗する以外に、
何かをすべき予定は一切ない。
早朝の上海市民は活動的だ、
道端には、粥や雲呑、揚げパンの出店が軒を連ね
職場へ学校へと急ぐ、多くの自転車や歩行者が入れ替り立ち止まり
朝飯を買い込んでは、足早に立ち去っていく。
そんな慌ただしい風景の中
一人ぐったりと店の軒先に腰掛け、
あっさりとしたワンタンスープを、緩慢な動作で口に運ぶ。
流れ流され数千里、
末期症状の風(ぷぅ)太郎、母国送還前の姿である。
宿の寝床に戻り、鼻くそをほじりながらダラダラとしていたところ、
同室の男子学生がハキハキと挨拶し、颯爽と出かけていった
ガサガサと支度をしていた三人娘も、しばらくして、律儀に挨拶を交わし部屋を出ていった。
ハンガリーの兄ちゃんは、上海に長期滞在しているそうで、
相変わらず万年床で横になり、なんだかゴソゴソやっている。
ケツを掻きながら、しばらくうつ伏せで寝そべっていたが、
今日は帰国日なのだと、気を取り直し、
土産などの荷造りをガムテープで厳重にし直して、準備を万全に整えてから出掛けることにした。
一階の服務台へと降りチェックアウトをして、荷物を午前中だけ預かってくれとお願いしていたところ
三人娘が、何やら相談しながらやってきた。
服務員へ話をしようとするのを、横で聞いていたところ
どうやら、男女相部屋が問題なので、部屋を交換するか連泊をキャンセルしたいとの意向であった。
しかし、7月も中旬、サマーシーズンに突入しているので予約は混みあっているだろう。
老婆心から言わせてもらうと、上海で安い宿を探すのは難しい
男女別ドミトリー部屋のある浦江飯店も、相当混雑しているはずだ。
昔の経験からいって、日当たりの悪い廊下や暗闇のタコ部屋に押し込まれることもあった
しかし、交渉次第で何とかなる場合もある。
とりあえず様子を見にいくだけいってみてはどうかと、三人娘に横から口だししてしまった。
韓流美人三人娘を引き連れ、談笑しながら河岸の外灘公園を歩き浦江飯店へとやってきた。
浦江飯店の服務台で、空いている女子の多人房(ドミトリー)を見せてくれと交渉したところ
上階の服務員室に、直接行って頼んでみるようにいわれる
そして指定の階楼へと上り、扉を叩いたのだが反応はない、誰もいない様子だ。
彼女達は初めての訪中とのことであったが、
3名の女子大生の内、2名が中国語学科、1名はなんと日本語学科である。
中国語学科の2名は、階下へと降りていき自力で交渉を始めた、
お節介にも、自分がワザワザしゃしゃり出て、何かを手伝う必要は全くなかったのだ。
日本語学科の娘と二人、上楼に残されたのだが
彼女は、重点文化史跡に指定されている、
かつてチャップリンやアインシュタインも滞在したという、この歴史的な建築物の
廊下や各階のアチコチを散策しては、窓辺や部屋を覗き込んだり、階段や踊り場を往き来したり
無邪気にはしゃぎながら、「綺麗!」「素敵!」「カッコイイ!」などと感嘆の声をあげている。
彼女は父親の仕事の都合で、シンガポールで育ったのだそうだ
現地の学校で同級生だった、日本人や各国の友人がいるとのことで、
国際色豊か、お茶目でチャーミング、スレンダーな眉目麗しき乙女である。
顔立ちはスッキリした東洋系アジエンス、ミスコリアの候補に選出されても不思議ではないはずだ!とおもう。
アンティークでノスタルジック、古き良き時代への風情溢れる西洋建築の屋内
くすんだ窓から漏れる、やわらかい褐色セピアの光線の中
振り向きながら目の前を歩いていく、彼女の姿にドキッとさせられる。
あの、人を惹きつけて惑わすような表情は、天使のほほえみなのか?小悪魔の微笑なのか?
新鋭韓流女優のプロモーションビデオ撮影でも、観ているかのように錯覚してしまう。
* * *
彼女たちは、三者三様に個性的な魅力をもつ3人組であった。
服務員とのやりとりを見ていると、一人が厳しく部屋をチェックしながら強気で交渉し
それをもう一方の娘が、落ち着いてたしなめながら意見を述べる。
そして、新鋭韓流女優?の彼女は、特に何を取り立てるわけでもなく天真爛漫に喜んでいる。
飯店のホールにある喫茶スペースで、三人娘と一緒に昼食をとったのだが
話しぶりや反応・態度が、ベスなき若草姉妹のようで実に面白かった
もしかするとネクラという性質において、私がベス的な役割を果たしていたのかもしれない?
高畑監督の「平成ぽんぽこ」ではないが、女性というのは、狐型と狸型に分類できるという話しを聞いたことがある。
犬とネコにタイプが別れるという説も聞いたこともあるし、
男性の好みの女性タイプは、乗りたい車種のタイプ、なんてのも耳にする。
(高級セダンとか、お洒落な外車だとか、可愛らしい小型車だとか・・・)
しかし、名作アニメファンにとっては、やはり “若草四姉妹”をサンプリングし
主成分分析法をとるのが、パーソナリティ解析において、明確に納得のできるブレーンストーミングとなる。
「喜」は、明朗・活発なエイミー。
「怒」は、気丈・厳格なジョー。
「哀」は、慈悲・情愛なベス。 「楽」は、温厚・穏和なメグ。
補足すると、喜には「積極性」、怒には「堅実性」
哀には「繊細さ」、楽には「優しさ」という指標も含まれる。
韓流美人のジョー&メグ、そしてエイミーと、
帰国直前に上海の街で出逢うとは、
「めいさく一人旅」 エピローグのネタとして、大変に味わい深い出来事であった。
ちなみに、ハイジとクララをこの軸系分散値でアセスメントすると
ハイジは喜楽の“天使”型 クララは哀楽の“人魚姫”型
パーソナリティーをポジションにしていると思うのだが、如何なものであろう・・・

しかし、個性派ヒロイン勢揃いの、名作劇場シリーズにあって
ハイジというキャラクターは、案外と標準偏差に近い中庸的な範囲にある存在といえなくもない。
“ハイジを理想の子供像として演出しすぎた”と高畑監督が語っている記事を読んだことがある
確かにハイジは時に大人からみて、素直で可愛らしい反応や行動をするシーンが目立っているのかもしれない。
しかし、それらは過度に美化されているとはいえないだろう。
このパーソナリティ解析における、フォーメーションの立ち位置は、
ハイジの場合、より大きな範囲を持つ実践的な現実味をも帯びている。
物語の前半と後半で、攻守の流れは大きく反転し、
積極的にオフェンスに絡んでいくボランチといった、ユーティリティープレーヤーの如く
ハイジに何処となくアグレッシブでしたたかな性質の一面があるのが、すごくリアルなのだ。
天使と小悪魔がネガとポジの関係にして、同一値にある事象の意識軸を反転した投影の視点となるならば
成長していくハイジの量的本質はそのままに、
そのパーソナリティは、気丈・厳格で堅実的な領域にも同時展開しているように感じる。
単に無邪気で天真爛漫というのではなく、
ハイジには、両親はいなくても、その凛とした性質の血を受け継いだ
本物の人間性というものを深く感じてしまう。(隔世遺伝かも?)
アニメなのにも関わらず、架空だとは思えない人物像
ハイジは御都合的なヒーローでもヒロインでもない、親しみのある天然な存在なのだ。
* * *
ハイジの制作に携ったメインスタッフは、そうそうたる顔ぶれだ。
絵コンテを手がけた、黒田昌郎氏(フランダースの犬)、富野喜幸氏(機動戦士ガンダム)をはじめ
作画監督、美術監督、音楽、脚本、アニメ化企画、、、
ご活躍をされた、数多くのスタッフ&プロデューサーによる力に敬意を払いたい。
その上で、アニメーション「アルプスの少女ハイジ」は、
高畑勲&宮崎駿の両巨匠による、才能と力量の融合によって生み出された
相乗効果の奇跡的産物であることに注目したい。
実は、スタジオジブリの映画作品、私はそれほどファンというわけではない。
「ハウルの動く城」は観にいってないし、未だに「もののけ姫」も見ていない。
「千と千尋の神隠し」や「紅の豚」などは、たまたまTVで放送しているのを見かけ
中途半端に目にしてしまったので、後日ビデオを借りてきて鑑賞した有様である。
考えてみれば、「風の谷のナウシカ」も「天空の城ラピュタ」も、その昔TV放送で観ただけである、
その後、90年代のジブリ作品群も然り。
私は小学生高学年の時に「未来少年コナン」を、NHKのリアルタイム放送で熱中して観た世代であり
冒険活劇作品には好印象を持っていたものの、
その後流行したジブリ映画に関しては、特別に心を打たれはしなかった。
「ナウシカ」を“ノーヒットノーラン” 「ラピュタ」を“無四球完封”とするならば、「コナン」は“完全試合”
「ナウシカ」を“字一色” 「ラピュタ」を“小三元”とするならば、「コナン」は“大三元字一色”
というような自己流の評価意識に、当時も薄々気が付いていたのかもしれない。
畏れ多くも、ジブリファンでない私が「ハイジ」での功績を賞賛し
高畑&宮崎監督、両巨匠についてを語るのは、さぞかし図々しいことなのだろう。
* * *
そんな自分であるが、1988年
かつて「火垂るの墓」を、劇場に出向いて鑑賞したことがあった。
直木賞受賞作、野坂昭如著「アメリカひじき・火垂るの墓」の話芸風な文体を、たまたま知って原作を読み
スタジオジブリの高畑&宮崎両監督が、ハイジ制作の立役者であった話も有名になっていた頃だったので
映画館に行くような習慣が、ほとんどなかった自分でも、期待しながら劇場へと足を運び鑑賞をしたのだ。
しかし・・・・観た順番が悪かった。
「火垂るの墓」を最初に観た自分は、同情の涙というでなく哀切さに訴えられたというでなく
釈然としない、やりきれない思考が頭から離れなくなり、
同時上映の「となりのトトロ」の放映がはじまっても、切り替えができなかった。
「火垂るの墓」の映像は、淡々と痛々しい出来事をあるがまま描写して、
そこに作り手の意思によって教訓を引き出したり、価値判断を煽る姿勢は見られない。
この傍観に徹する演出手法は、「母をたずねて三千里」のマルコでの扱いと同様だ。
しかし、妹亡き後、最期を迎える悲劇の主人公清太の姿というのは、
「英雄」マルコの延長線からは、あまりにかけ離れた結末(冒頭)だった。
清太は、叔母との確執から譲歩することを潔しとはしない
そして軽率にも、罪もない無垢な妹節子を亡くすわけだが、
焼夷弾が降り注ぎ、逃げまとう人々の流れを逆行し、焼けてしまう家々に侵入しては
金目のモノを手当たり次第漁っていた、そんな強烈なバイタリティを誇る少年のとった、
最期の為す術のない凋落状況、それは自害同然であった。
守るべき、大切な妹を亡くしたショックが、少年から生きていく力を奪っていったのだろうか?
清太は、洞穴で生活するのが精一杯で、既に敵愾心など消し飛んでしまっている。
だが、海軍大尉の父が、無敵艦隊で出征しているからには
日本は必ず戦争に勝つという妄信を、ずっと頑なに堅持し続けていた。
清太には、周りや世間体の一切に関せず、ただただ日本は(父は)負けない(死なない)という前提の上で
どんな犠牲でも悲しみでも耐え抜いていく気概があったのではなかろうか?
しかし、敗戦しその礎が崩れ去ったとき、夢も理想も、生きていく活力も、彼は全てを喪失してしまった。
高畑監督は、反戦を意識して「火垂るの墓」を制作したのではなく
煩わしい人間関係を厭う、現代の青年や子供たちに対して
人と人との繋がりをどのように切り開いて生き抜くべきかを問題提議すべく、アニメ作品に仕立てたのだそうだ。
生きていく希望を、自ら曲解し自滅していく悲劇が余韻を引いている
そんな映画館を抜け出した私は、結局、後にトトロをTV放映で何となく観ることとなった。
愛知万博のパビリオンとなったトトロのモデルハウスが、整理券が必要となる大盛況ぶりだったように、
「となりのトトロ」は、超が付くほどのウルトラ級国民的大人気作品となっている。
しかし、皆はトトロの何を観て、どのような処にそれほどまで心惹かれるのだろうか?
私は、いまだに、そこに意図される世界観の感動をも、しっかりと噛み締めることができないでいる。
* * *
「アルプスの少女ハイジ」の世界を観ていると
“嬉しいのに、心にしみる” “厳しいのに、優しい”
“奔放なのに、律儀” “のんびりしているのに、緊張感がある”
パーソナリティの解析が表裏一体の対をなすように、喜怒哀楽の主成分が幅広く分散していることに気が付く。
それらは二律相反するけれど、どちらも真実の情感である。
ハイジの中に活きている、リアルなパーソナリティーの謎は、
両監督が手がけた、歴代世界名作アニメ作品を連立方程式として乗除し
関数、高畑監督 “A” そして、宮崎監督 “B” として (*血液型ではありません。)
A=「情緒的な怒哀」 B=「情動的な喜楽」 とその因数を分解したいところだ。
A、B、のそれぞれの巨匠の攻守に展開するポジションが、相乗して互いを増強することにより
そのバリエーションは、AB BA ABAB BABA ABBA BAAB・・・・
森羅万象に渡る無限大の世界観と、そこに生きる人間像に、真実味を加え命の息吹を与えることができる。
火垂&トトロは、それぞれが、二律相反のジレンマをAAとBBという価値観で割り切ってしまい
A 哀歌 + A 悲惨 であったり、 B 賛歌 + B 歓喜 だったりと、画期的に解を求めてしまった感がする。
もっとも、どちらも素材というか題材が題材だけに
互いに不可侵な得意領域で、勝負をしていると言えなくもないが・・・
また、音楽用語で、高畑マイナーコード、宮崎メジャーコード とハーモニーで例えてみると
ラドミと短調を奏でれば、どことなく深く趣きのある雰囲気になるが
ドミソと長調を弾けば、なんとなくすっきり明るい響きとなる。
曲調によって主和音は決まるけれど、両者のコードが上手く繋がることで
物語全体の効果的なストーリー進行もまた、成立していたのかもしれない。
二大巨匠といえば、LENNON&MCCARTNEY のクレジットネームで
意欲旺盛にお互いを刺激しあい、数々の傑出した名曲を世に送りだした、
ビートルズのジョンレノン&ポールマッカートニー
しかし、ジョンはオノヨーコと一緒になるや、一般人には理解不能な前衛アート音楽に突っ走り
グループは不協和音を奏で、解散してそれぞれが独自の創作活動に打込みはじめた。
お互い協調しあっているときには、思わぬ相乗効果を生みだすが
巨匠たちは、ずば抜けて個性が強い分だけ、分裂すると理解し難い独自路線を追求するようになるのだろう。
還暦を過ぎたポールは、なんといまだに現役で、
数年かに一度曲をリリースしたり、日本公演をしたり、再婚したりと壮んな御様子ではある。
しかしやはり、若かりし頃のアンソロジーの方が、一時代を築いた力量を新鮮に感じることができるのだ。
そして、高畑&宮崎監督コンビにおいても、黎明期の「ホルスの大冒険」や「パンダコパンダ」に、
最新作よりも強い高圧のボルテージを感じたりもする。
レノン・マッカートニーは、高畑&宮崎監督コンビのようなパーソナリティの色分けこそし難いが、
どことなく、巨匠としての生き様には相通じるところが見え隠れしているように思う。
巨匠、黒澤明監督も、常に新たなる試みを模索し続け独自の道を進んでいた。
「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」 侍映画の娯楽大作は究極至高の完成度だと思う。
晩年の黒沢監督に、それらのクオリティを求めても制作はしなかっただろうしできなかっただろう。
創作すべき天の時と、その才能が花開く運命的なタイミング
制作者の天賦の才だけではなく、波動的に時代というものが後世へと傑作を輩出するのかもしれない。
それは、生み出されるべくして出でた必然の産物であり、また世に波及していく偶然の賜でもあるのだ。
色褪せない感動に出逢えたことは、自分が生まれ生きてきた奇跡の証である。
幼き頃から馴染みのある、素晴らしき叙事叙情叙景の世界
それを刷り込んでくれた、ハイジに感謝、スピリに感謝、名作アニメ制作者に感謝
そして、この時代に、この世の中に感謝
* * *
いろいろと、徒然なるままに書き綴ってしまった。
すでに、旅から完全に逸脱しているが、やはり、日本に帰国しておかなければ旅行記は終わらない。
もうほんの少し、紀行文に付き合って頂こう。
昼過ぎまで、三人娘とルンルン♪ルルルルンルン♪していたので
やや、時間が怪しくなった。
タクシーよりも、人類文明最先端の利器
リニアモーター高速鉄道にのり、上海浦東空港へと向うことにした。
上海駐在員の友人は、乗ったことがないとの事だったが、
自分が、実際に乗車体験してみて感じた意見として
友人の語っていた真意は、凄くよくわかった。
人間、機会があれば、何事も経験したほうが良いという考え方もあるが
たとえば、家庭で調理出来る新種の無毒フグが養殖されたとして、
仮にその肝が、希に見る極上の美味珍味であったとしても、何人の人がそれをさばき口にしようと思うだろうか?
上海の新市街開発区の新駅から空港まで、距離30kmの所要時間は7分30秒である。
リニアモーターカーは、途中時速430kmを計測していた。
なぜこんな乗り物が商用運転可能なのだろう、カルチャーショックである。
CA919便は離陸した。
東シナ海は、低気圧に覆われ雲の海
一時間くらい飛行しても、雲と空以外は何も見えない。
日本の空域に入ってから、九州四国あたりで地上がほんの少し見えただろうか、
このまま何も見えないかと思っていると、
世界の遺産にはなれなかった、地元静岡の資産
富士山が、顔をだして迎えてくれた!
世界の空は広いが、紛れもなく我が母国に帰ってきた!
さて、色々と自慢しつつ旅の発表をするぞ!と一先ず意気込んでみた。
* * *
当初は気負って、ホームページを作成しはじめたものの
結局、紀行文をここまで書き上げるのに9ヶ月も要してしまった。
読み返してみると、レイアウトや文字間バランス、文章内容自体までもが下手くそで
自分でも赤面してしまうような、気取った表現もあったりするが、なんとかかたちになったので良しとしよう。
なかなか執筆が進行せず、しかも書きかけで意味不明な段階でも毎回辛抱強く目を通して頂き、
また、リンクを張って頂いたり、ホームページの作成について、使用ソフトや写真圧縮の情報
表題ロゴや、バナー制作、などなど
ハイジファンの関係者より数々のご協力、お助け頂いて、ようやくHP作成も帰国まで辿り着きました。
ここに深く謝意を表します。
Thanks, See you
Danke, Auf Wiedersehen
Merci, au revoir
Grazie, arrivederci
謝謝 再見
ありがとうございます、さようなら