スイス チューリッヒ ・ ヒルツェル
6月26日(日) チューリッヒ Zürich ・ ヒルツェル Hirzel
チューリッヒ Zürich → ホルゲン Horgen(鉄道) → ヒルツェル Hirzel (バス)
ヒルツェル・スピリ博物館 Johanna Spyri museum
ヒルツェル Hirzel → ホルゲン Horgen (バス) → チューリッヒ Zürich (鉄道)
チューリッヒ中央墓地 Friedhof Sihlfeld in Zürich
チューリッヒ Zürich → マイエンフェルト Maienfeld (鉄道)
煌々と輝いていた、川面の夜景は一転し
燦々と鮮やかな、河岸の風景を映し出す。
チューリッヒ・ハウプトバーンホフ(中央駅)の駅舎は、リマト川の流れに面し
白色のコントラストを際立たせながら、堂々と朝日を浴びている。
幾重にもプラットホームが並列する、見渡す限りの幅広い構内
その巨大ターミナルの地下ホームを占有し
Sバーン(都市型近郊路線)は発着をしている。
チューリヒ湖畔のホルゲン駅 Horgenで下車し
お馴染みの黄色いポストバスへと乗り換えた。
ヨハンナ・スピリの生まれた、ヒルツェルまでは
交通機関の発達した今日
この辺りは、チューリヒの腕中に入るベッドタウンなのだろう。
湖畔の高台にまで住宅地が広がっており、多くの人々が生活しているようだ。
しかし、いくつもの上り坂のカーブを曲がるにつれ
緑色の草地が広がりはじめ、
農家が点在する、長閑な田園へと景色は一変した。
なだらかに続く丘陵に、草原が広がり
青空にぽっかり浮かぶ太陽から、ポカポカとした光線が一帯に注いでいる。
広く大きく暖かく、心地よさそうなその景観につられ
バスを降り、道を歩くことにした。
牛やニワトリ
山羊にロバ
農家の庭先は
とても賑やかだ。
道沿いに、男の子の絵を描いた
飛び出し注意の看板があった。
ここの地域では、確かによく子供達を見かける。
のんびりとした心豊かな子育てに
この山国はとてもよい環境なので
出生率が安泰なのだろうか。
ヒルツェル村に入る手前で写真を撮っていると
通りすがりのフレンドリーな婆さんから、話かけられた。
シュピーリのホームタウンを訪ねて
シングルでトゥアーしている
ジャパニーズであると自己紹介したところ
300年以前そのままに
文化的価値を有している農家が、この街道には多く点在し
その先に、スピリの祖父が牧師をしていた教会があって
そこから丘を上がる途中に生家がある、と教えてくれた。
そして、地平にアルプスの山々が見え、とてもリラックスできる高原なので
丘の上を歩いてみなさい、と勧められる。
白い教会の佇まい
昔ながらの古い家並み、
花々が咲き誇る窓辺に路地
そして涼しげな水音を奏でる泉
既視感のごとく、ヒルツェルは
目にする何もかもが、思い描いていたとおりの姿で迎えてくれた。
こここそが、ヨハンナ・スピリの故郷である
スピリが見ていた景色
スピリが描いていた風景
スピリの心に何時もあった情景
そしてそれらは、ハイジのデルフリに共通したルーツなのかもしれない。
長年ハイジによって刷り込まれてきた、アルプスの人里の情緒風情は
スピリの生まれ育った、この瑞西の郷邑にそのままの心象で存在していた。
バスの通る道路上で教会を背にし
正面にある丘の斜面に建っている。
それは、スピリの父親が開業していた元医院であり、
家屋にしては部屋数が多く
一まわり大きめの建築物である。
現在は、数家族が入居しているアパートのようだ。
数組の親と子供達が、庭先で遊んでいる姿を目にする。
丘の上へと登っていくと、
ミェ〜ミェ〜と山羊の鳴き声が聞こえてきた。
道端の草をむしり差し出したところ、近寄ってくる近寄ってくる!
フェンスの格子から首を突き出す勢いで、もの凄い食べっぷりである。
予想以上の食いつきに感動し
しばし、時を忘れ
大量の草をむしってきては、童心に返り戯れてしまった。
小径が続いている。
穏やかな木漏れ日の下
ゆったりくつろげる、
テーブルやベンチが設置されていて、村の人たちの憩いの場となっているようだ。
木々の間に、ながーいロープで吊られているブランコを発見!
小鳥たちと一緒に、大きく勢いよく振り子のように揺られている少女の表情を想い描いてみる。
見晴らしの良い野原が彼方へと広がっている。
万年雪をたたえる山脈を、
うっすらと望むことができるのだが、
露出の所為か写真には、その山並みは、はっきりと映らない。
遙かに続くなだらかな丘陵地、
やわらかい稜線が広がる、変化のない安心感。
丘を越え、緑の草原を何処までも何時までも駈けていく
そんな少女の姿を瞼に浮かべてみる。
山羊と戯れ、木々の梢を見上げ、野原を跳ね回り
アルプスの山々を、遠く見つめていた
そんな少女スピリの幻影は、永遠に愛され続ける
アルプスの少女ハイジの表情となり、その姿へとオーバーラップしていく。
丸太のベンチで一家団欒している親子がいるので、誰の誕生日なのかを尋ね
コングラチュレーション!と語りかけながら
男の子に千代紙で折った折り鶴をプレゼントしてみた。
翼を広げながら、手の平にのせてあげたところ、本人は微妙な反応であったが、
大喜びのご家族から、お礼にケーキを一切れ頂く。
この世に生まれ育った場所、物心つく頃に眺めていた風景
健全な心を保ち、美しく生きていくことができる生活リズム
なんと恵まれた幸せな環境なんだろう!
* * *
この地の医院の子、6人兄弟の4番目に生まれた。
そして、医者である父親、独語圏で著名な宗教詩人の母親から
豊かな慈愛と、敬虔な信仰心を受け継ぎ
恵まれた自然環境から、
自由闊達に伸び伸びとした少女時代が与えられた。
スピリはチューリッヒの遠縁の叔母のもとへと預けられ
紆余曲折したのち、教育思想家ペスタロッチーの運動で有名な
フランス語圏イヴェルドンにて学び、時を過ごす。
学生の頃は読書三昧の日々で、愛読書であるゲーテの詩集にあった
自由で開かれた世界観に、強く感銘を受けたらしい。
スピリの遍歴先、そこでの出来事・経験の具体的な記録エピソードは解らない。
だが、自然・信仰・教育、三位の重要性とその対比・逆説について
ハイジを代表とする数々の作品の基調となった
それらの考えが培われてきた在処の一端となっていることを思うと、とても興味深い。
1852年、スピリは25歳でチューリッヒ州の弁護士であるベルンハルトと結婚する。
やがて夫は議会の書記長に選出され、一家はチューリヒの一等地である市庁舎官邸に暮らし、
慣れない高級官吏婦人の生活に縛られることになる。
政治活動に奔走する夫は、亡命中のワーグナーなど芸術家を擁護していた関係から
そんな折、スピリは上流社会での著名人たちとの交遊が広がった。
ひょっとすると、スピリはワーグナーの支援者ルードヴィヒ2世の
ノイシュバン・シュタイン城を訪れる機会などあったのかも?
ともかく、クリエイティブな才能溢れる人々と影響しあいながら
スピリの創作に対する意気込みは、助長されたのであろう。
* * *
スピリの生家から道路に下りたところにある、
カフェテリア SPYRIGARTEN にて一休みしてみる。
外観とは相反して、最近の建物なのだろう
鉄筋構造の4F建てで、上階には行かなかったが
児童館なのか幼稚園なのかがあるようだ。
昼時なので、お客さんである地元の爺さん婆さんが四人ばかり席に着いており
カフェテリアの店の人もお婆さん二人で、長閑にほのぼのと営業している。
爺さんが食べているサラダが、おいしそうだったので注文してみた
具満タンで量は十分、濃厚なチーズが混じり味も満足。
優しい雰囲気だ、お名前はなんとハイディとのこと。
ナイスなネイムですねと褒めたところ
ありふれた、めずらしくない名前だといいつつ
ハイディ婆さんは、笑みを浮かべてくださった。
たまに、店に日本人の団体が来ることがあるとのことなので
印象はどうかと尋ねると、旦那さんが昔々、日本の大学に数年勤めたことがあるらしく
札幌(と聞こえた)に4〜5回ばかり行ったことがあるそうで、日本人にたいするイメージは良いそうだ。
見学しようと予定しているスピリ・ミュージアムについて尋ねてみると
教会の向こう側にある、スピリが通っていた元小学校の建物だといいながら、簡単な地図を描いてくれた。
また、丘の上にある木立は、スピリの森と呼ばれていること
立ち入り禁止であること、といった情報を頂く。
ヒルツェルの地域にそれら以外の名所は特にないものの
写真集を持ってきてくれて、村の入り口で出会った婆さんと同じく
歴史ある農家の建屋が美しいことを語ってくれた。
スピリ・ミュージアムは、時間通り14時ピッタリに開館した。
Johanna Spyri museum (http://www.johanna-spyri-museum.ch/)
入り口の鴨居をくぐると
仕切のない広い石壁の間に、
説明パネルは全て独語表記ではあるが
生い立ちや業績の簡単な解説を記したビラが、
各国語(日独英仏伊西)で用意されていた。
奥には本棚一杯に、ハイジやスピリに関する、数々の書籍が置かれ
5組がアクリルカバーに覆われて
壁に掛かっている。
アルムの山小屋のミニチュアに人形を配した
可愛らしいジオラマを足下に
スピリ自身や、知人・家族の直筆手紙と
それらを記した人物の説明がされている。
幼き頃に
ままごと遊びをしていたであろう
ドールハウス・刺繍など
スピリが愛用したゆかりの品や、
ハイジをキャラクターとした玩具・日用品といった
数多くのグッズが、陳列ケース内に所狭しと並んでいる。
Im Rhonetha (ローヌの谷で)1880年
Aus fuäheren Tagen (幼い頃から)短編5編収録 1873年
Nach dem Vaterhause! (父の家へ)1872年
Eim Blatt aut Vrany's Grab (フローニの墓の上の一葉)
処女作 1871年
といった原書が、ハイジ第一部の周りに配されている。
ハイジを執筆するにいたった、スピリの作家としての仕事ぶりについての説明がなされているのだろう。
HPサイト、アルプスの少女ハイジという物語 スピリ全原著頁 参考
アニメーションハイジの設定資料の他、
ここスピリミュージアムとタイアップして企画された
某百貨店のハイジ展案内や
海外で開催されたイベントの記事なども陳列されていた。
スイス制作のルポ番組映像を観ることができる。
日本語通訳音声に吹き替えたバージョンも用意されており
内容は、ハイジがスイスのシンボルとなって、広く知れ渡るようになった経緯
過去から現在における、その評価・評判、扱われ方を取り上げている。
数多く制作されてきた、映画やドラマの作品を各年代を追って紹介し
作家スピリの生涯を辿りながら、物語が生み出され一人立ちしたその背景を
半時間程度にまとめているプログラムである。
日本の動画会社が、ハイジをアニメーション化して以降
ディズニーのようなキャラクターとなったハイジ、といった切り口の説明もされており、
また、日本の放送局によるドキュメンタリーのメイキングを交え
ステレオタイプな取材クルーに対して、一部やや辛辣なコメントもされていた。
床や壁、梁、天井、ぬくもりが伝わってくる木造のファーストフロア(2階)
元校舎であるスピリ・ミュージアムには、
当時を偲ぶ長卓に長椅子、教材、家具類が備え付けてある。
博物館内には、窓際に座って読書をしている女性が
一人いらっしゃるだけで、他に見学者は誰一人としてやってはこない。
ハイジ以外のスピリ作品で舞台となった場所について知りたかったので
女性に話しかけてみると、返事は「ウィウィ」
フランス語が得意なのだが、英語は苦手とのこと
なかなか上手くコミュニケーションがとれず
やはり作品についても、あまりご存じではない様子。
どうも、彼女は学芸員ではなく、ボランティアの方のようだ。
毎週日曜日14〜16時の一般公開時間は、ヒルツェルの住民が持ち回りでここの当番をしているのかもしれない。
* * *
スピリは外見的には幸福であったが、
市書記婦人という社会的責任を背負った都市での生活に、
耐えられない息苦しさを覚え、鬱状態となり苦しんでいたらしい。
信仰によって精神の安定を保っていたものの、
やはり、生き生きと自由に駈け回っていた少女時代の追憶
故郷ヒルツェルのような親しみのある、自然環境に渇望していたのだろう。
そして、スピリは、知人のいる自然豊かなマイエンフェルト地域に長期滞在することになる。
スピリの一人息子が、長い間病を患っており
ビュンドナーヘルシャフト(マイエンフェルト周辺)のサナトリウムで療養生活を繰り返していたのだ。
都会の生活から空気の澄んだ山麓へと
病んだ一人息子の生活を移して、治療に専念していたことは
自然環境による心の安定、その治癒力を強く信じる
スピリ自身の幼き頃からの経験にも基づいているのであろう。
そして、それはハイジの物語の着想、及び展開にも大きく関与している信念である。
スピリは、昂じる思いを 1880年、
匿名によるハイジ(第一部)の発行で物語にあらわすと、すぐに読者の大々的な反響を呼び起こすことになり
翌年に続編(第二部)を実名で発表することによって、作家としての成功を不動のものとした。
問答無用に素晴らしい環境であり
心の落ち着くところである。
しかし、旅行者の私にとっては、
縁もゆかりもない、遠い異国の地に他ならない。
ハイジファンである我々にとって、此処のような美しく恵まれた環境は憧れであるが、
実のところ、スピリにとっては、最も身近に慣れ親しんできた当たり前の風景だ。
それは理想でも憧憬でもなく、生まれながらの現実であったのだ。
ヒルツェルはホームタウンで、チューリッヒはビジターズ。
アルムの山はホームグラウンドで、フランクフルトはアウェイ。
「自然」 とは = 天然、ネイチャー、ナチュラル、無理な力を加えず、故意でなく、意識せずに、あるがままに、・・・
スピリもハイジも、
勝手のわかる本拠地での心地よい居場所の確立を、一途に求め続けていたのではあるまいか。
社会的立場に追い込まれていたスピリ、大人の事情に振り回されていたハイジ
そんな自由の効かない状況から解放され、自己を確立し安心できる場所
そこにいなくては不自然に思えてしまう安定した自分自身の存在感。
ハイジの幸福とは、自分を取り巻く人々の幸せを願い
人智の及ばない天の大きな力に身を任せる
そんな高尚な「大自然」(及び信仰)の効能であることを意識してしまうが、
大風呂敷を広げずに考えてみると
自由に振る舞って心からリラックスできる環境
それこそが「自然」の意味となすところからの恩恵の正体であるのかもしれない。
ハイジを演出した高畑監督は、スピリによって定義されていたテーマで汲み得た手応えを、
後にアニメーション「赤毛のアン」にて、その命題として作品に反映しているようにも感じる。
赤毛のアンの作者モンゴメリーにとって、アヴォンリーは自然豊かな故郷であるが、
その環境は、アイデンティティ確立の場として、特に重要な意味をなしていた。
そして、居場所のない少女が、無理なくあるがままに振る舞いながら
そこにいなくてはならない、かけがえのない存在へといたる成長過程
その役割たるものを見極め、描ききっている。
* * *
この第一部のストーリーは、
作者自身の自己回帰から生まれた産物のように思う。
夫の社会的成功と息子の成長が一段落した53歳で
マイエンフェルトに滞在し、半生を振り返る余裕が生まれたのだろうか、
多くの葛藤を経て、ハイジがアルムに帰郷し自己を実現したかのように
自身のリアルな感情を作品に重ね合わせ、創作というかたちで謳っているのかもしれない。
第二部「ハイジは習ったことを使うことができる」は、
作家として成功を収めたスピリが自己を再構築し
更なる理想へ向かって突き進む姿勢、信じる力を外へと発揮したかたちであろうか。
スピリの一人息子は、続編の執筆に反対していたそうだ。
その理由は定かでないが、
皮肉なことに、現実は物語のようには事が運ばず、
大自然の力で息子の病が治癒されることはなかった。
第一部ハイジを世に送り出してから4年後の1884年
スピリは一人息子を結核で亡くし、続けて夫をも亡くす。
* * *
市電に乗り、スィールフェルドA墓地 Friedhof Sihlfeld A を目指す。
カフェテリアのハイディお婆さんに
アドバイス頂いていたので
大まかな方向には来ることができたのだが・・・
路線が入り組んでいるらしく、乗り換え方法を何人かの乗客に訊いてみたところ、
ハッキリわかる人がいない
結構、迷惑そうな顔をされてしまう。
たまたま路線地図のある停車場に降りたところ
親切な女性が調べてくれたが、地元の方でも路線図がないとわからないので
スイスの都市では、一般の乗客に乗り換え方法を訊ねるのはやめた方が無難だ。
立派な正門に管理室もあるが、
日曜日だからであろうか、係の人の姿は見えない。
墓地のブロック全体図の掲示はあるものの
スピリの墓が、どこにあるのかはさっぱりわからない。
だが、日曜というのが返って功を奏した
ベンチに腰掛け読書している青年に出会い、ヒルツェルで入手した
ヨハンナ・スピリの経歴が記載されているビラを見せたところ、なかなか良い反応だ。
彼は、静かで邪魔されることがないという理由から
休日は墓地で読書をすることにしているのだそうで、日本の作家は村上春樹が好きとのこと。
あまり読んだことがないが、ノルウェイの森 Norwegian Wood だけは唯一読んだと伝えたかったのだが
内容を忘れていて話題が続かない(通じない)申し訳ない。
少し変わり者かと思いつつも、セメタリーでのリーディングはグッドアイデアだと大きくうなずき、
読書の邪魔して申し訳ないと詫びながら、手分けして墓探しを手伝って頂く。
しかし、墓地は広く
有名人の墓と目星をつけて、重点的に調べたエリアは全滅となった。
あまり時間を割かせては申し訳ないので
彼にお礼をし、もう一度ひとりでトライしてみるといって別れる。
休日だったので、墓地を散歩している方も少なからずいらっしゃって
その内の何人かの方に、たずね訊いていたところ
年老いた夫婦が、ドイツ語のビラに興味を抱き、墓を探しはじめてくださった。
手分けして調査してしまっている、メインのエリアは老夫婦に任せて
マイナーな庶民的区画に集中し
片っ端から見て回ったところ、ついに発見!
荷物を置いて老夫婦を捜しに走り、大きな声で呼びかけする。
老夫婦をスピリの墓前に案内した。
英語が通じない二人であったが、大変に喜んでくれて
心を鎮め、スピリ生家の前に広がる野原に自生していた
小さな花を捧げて、ヒルツェルで汲んできた天然水をかけ合掌をした。
スピリの両脇に眠っている、旦那と一人息子は同じ年に亡くなっている。
その計り知れない痛み苦しみ悲しみを、スピリはどのようにして乗り越えたのだろうか?
どんなに残酷で辛い不幸が降りかかってきても、
信仰心というものは人に生き続ける力を与えるのだろうか?
その後も、ヨハンナ・スピリは、作家として生涯最期の年まで活動的に作品を創り続け
1901年7月7日、74歳で永眠した。
スピリの人生は物語で描かれる幸福とは、全く正反対の大波瀾である
運命というものは、計り知れない恐ろしさを孕んでいるものだと、憂えてしまう。
スピリは、日記や手紙の殆どを生前に処分しており
自伝を一切拒んでいたらしい。
しかし、ハイジこそ、叙事的な半生の回想であり、叙情的に将来の夢を託した
それ以上も以下もなく、最大限でも最小限でもなく、公倍数でも公約数でもなく
スピリの真の心をカバーしているイッヒロマンなのではあるまいか。
・・・少女時代を投影し、スピリが後世へと産み残した、永遠に世界中で愛され続ける一人娘・・・
待っててごらん
ほうら!
あの子が駈けてくる!!
* * *
カラフルな熊の人形が、通りの各店舗前にに並ぶ、チューリッヒ市街
賑やかで美しい街並みを後にして、
IR(地域特急)列車に乗車し、マイエンフェルトへと向かう。
永世中立国のスイスは、各家庭、個人でも武装し
全国民が有事に対しての自衛に備えているのだそうだ。
平和そうな風景にもかかわらず、奇妙な雰囲気である。
列車は、チューリヒ湖畔をひた走り、トンネルを抜け、
山岳地帯の切り立った崖に囲まれるヴァーレン湖岸を通過していく
アニメでハイジが帰郷するルート、その場面のロケーションである。
やがて、マイエンフェルトに近づくと
アルムの山々が、夕陽に染まり
壮大な景観で車窓の先に姿を現しはじめた。
今晩は、マイエンフェルト駅前通りのガストホフで、ゆっくりと夜の帷をおろすことにしよう。
マイエンフェルト泊 : Ochsen ( Aeuli 3 7304 Maienfeld Schweiz Telefon: +41 (0) 81 302 18 32)